10. 警告
「王太子殿下、あまりよろしくはない現場を見られてしまいましたね」
ジュジュのその言葉に、レオは怪訝そうに眉を顰める。
「どういうことだ?」
「たった今の今まで、僕の隣にルカ殿がいらっしゃったのですよ」
「! 何だと? 姫が? 姫は今どこにいるんだ?!」
「自室に戻られました」
「よしっ、今から会いに行く! 今日はまだ姫に会えていないっ……! 姫がっ、姫が足りないっ……!」
「残念ながら、本日はもうお会いすることは叶わないかと」
「は?! それは何故だ!」
「ルカ殿は殿下の部屋からアイリス嬢が出て来られたのを見、逃げるように立ち去られましたので」
「…………ま、待て。まさかとは思うが」
「仕方ありません。あの場面はどう足掻いても、情事の後にしか見えません」
「まさか……姫にあらぬ誤解をされているというのか? 俺とあの女がこの部屋でどうにかなっていたと……?」
顔面は海より真っ青、顳顬からは滝のように冷や汗が流れ、濃褐色の瞳の縁には湖のごとく涙が溜まっている。
そんな悲壮な面持ちになっている主人を見て、ジュジュは左右に首を振る。
「それで? 一体何があったのです?
アイリス嬢ときたら、唇が小刻みに震え、全身から生気がなくなっておられましたよ」
レオは頭を抱えたまま、その場に座り込む。
「あの女がどうなろうと知ったことではない。
だが、姫にだけは死んでも誤解されたくない……! 姫に嫌われてしまっては、俺は生きていけないっ……!!」
「殿下。お気持ちは分かりますが、貴方のその姿は城の他の者たちには到底お見せできません。ですので一旦、部屋に戻りましょう」
レオはジュジュに引き摺られるようにして、再び自室へと戻る。
「ルカ殿には後ほど弁解いたしましょう。僕も付き添います」
レオはベッドに座ると、盛大なため息を吐き出した。
「あの女はN王国にも毒病を広めようとしている」
「……それは誠ですか?」
「ああ、間違いない。それに、姫に対する悪辣な言葉らもあれ以上許すわけにはいかない」
「ですが、彼女は国王陛下、ないし宰相閣下の客人です。敵に回すのが少し早かったのでは?」
「いずれ牙を向き合う間柄だ。それに早いも遅いもない。
……これで奴らがどう行動を起こすのか。吉と出れば、新たな尻尾を掴めるかもしれん」
「なるほど。では僕も、彼らの近辺をさらに探りましょう」
「気を付けろ。最近は例の賊の動きも活発だ。いつ俺たちの前に、またその姿を現してくるか分からない」
「御意」
ジュジュが頷くと、レオは今度はさらなる盛大なため息と共にベッドへと突っ伏した。
「……殿下、取り敢えず何か召し上がられては。食堂へ行かれますか?」
「……姫はもう、食事は済んでいるのか?」
「今はそんな気分になれないかと。後ほど部屋に軽食を運ぶよう、メイドに伝えます」
「……グスッ。そこのテーブルの上にお前用の揚げパイが積んである……」
「ご丁寧にありがとうございます」
ジュジュに背を摩られながら、レオは自室を後にした。
ルカの部屋に食事を運んだメイドから、彼女が中にいないと聞かされたのは、この時からすでに数時間が経過した後だった。
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(一体、わたくしの身に何が起こったというの……?)
アイリスは自身の震える身体を抱きしめ、滞在している部屋の片隅でうずくまる。
(あの男があれほどに惨忍だったなんて……!)
アイリスはレオの部屋で起こった出来事を、一人身震いしながら思い出していた。
・・・
「王太子殿下……どうか優しくして……」
「そんな余裕はありません」
レオが荒々しく、アイリスを壁へと追い込む。
「まあっ……でも、そんな貴方も素敵……」
「先程、アイリス嬢を天へお連れすると約束しましたね。
……いや、俺は言い間違えているか? 正しくは、"貴様を地獄へ突き落とす" だ」
「…………え?」
そしてアイリスのことを、まるでゴミムシを見るような目で睨め付ける。
「先程の物言い……あれはまるで、我が王国が近い未来、K王国と同様の疫病が確実に蔓延するとでも言いたげだったな」
「で、殿下……? あの……」
「何故お前にそんなことか予想出来るのか?
答えは簡単。疫病を流行らせる何らかの術を、お前たちが隠し持っているからだ」
「そ、そんな、違いますわ……!
そ、そう! あの忌々しい魔女が申しておりましたの!
あのルカ・ヒュギエイアが、今度は隣国・N王国でも毒薬をばら撒いてやるって……!」
「ほう?」
「それを食い止めるために、わたくしと父は遠路はるばるこのN王国へとやって来たのです!」
「解毒薬を作ることも、回復魔法も使うことも出来ないというのに?」
「そ、それはあの魔女にさせますわ!」
「へえ? お前が彼女を改心させて、か?」
レオはせせら笑った。
「俺が得た情報では、聖女はK王国で疫病が発生した際、すぐさま病原を調べ上げ、それを解毒させる回復魔法薬を調合したと。
そして病にかかった全ての民らに薬を配り、治療を施したと聞いている。
もし、彼女が疫病を流行らせた張本人であれば、何故そんな面倒な小芝居をした?」
「そ、それは……それは! 魔女としての権力を誇示するために……!」
「権力誇示を望むのであれば、さらに疫病を蔓延させ、国王たちに泣いて縋られるまでK王国を追い詰めれば良いのでは? 俺ならそうするがな」
「……っ! なんて不埒な男なのっ……!」
「ははは! お前にだけは言われたくない。欲深く傲慢で、大ボラ吹き。さらには人を虫ケラのように排除しようとする。
聖女を悪女呼ばわりとは大した肝の持ち主だ。お前やお前の父親こそが真の極悪人だろうに」
アイリスはガタガタと震え出し、涙が止まらなくなっている。
「泣いて許されると思うなよ。
世の中には、万人から刃を向けられることに慣れ、それを日常と感じてしまうほど追い詰められた人がいる。
……だがその人は、例え孤独に染まっても心だけは晴れやかでいようと努めている。
お前たちの人格は、その人の足もとにも及ばない」
レオはアイリスの喉に手を添える。
「警告しておく。
今後、N王国を危機に晒した場合。また、罪のない尊き善人を悪人だとさらに罵った場合。
その際は、生涯地下牢でドブネズミらと仲良く暮らすことになる。それか尼として、教会で厳しい修練に一生打ち込むことになる。はたまたは強制帰国し、あらゆる女に種をぶち込んでいるクズ野郎どもに嫁ぐことになる。
……ふむ、俺はまだまだ優しいか?
大罪人に、死ではなく生きる道を与えてやろうというのだから」
そして彼女の耳もとで低く囁いた。
「もし次、罪を犯したのなら、死よりも残酷な人生を歩むことになると覚悟しておけ」
・・・
アイリスは、彼女の父親が帰ってくるなり、「あの男の妻にだけはなりたくありません」と泣いて訴えた。
中年騎士は娘から事の一部始終を聞き、蒼白になる。
「アイリス……! 何故レオンハルト王太子に此度の計画を見破られるようなことをしたのだ!」
「わ、わたくしは悪くありませんわ! あの無慈悲な男にはめられたのですっ……!」
「……1年前、お前とK王国第2王子の結婚を望んでいた私は、宰相閣下に例の毒薬を譲り受けた。
これを使って王城内から疫病を広めれば、毒を拡散した容疑は間違いなく聖女にかかるだろうと、そう言われて。
それには成功したが、第2王子が世紀の堕落者だと分かった際、お前を嫁がせることなど到底出来なくなった」
中年騎士は懐から、黒灰色の液体が入ったいくつかの小瓶を取り出した。
「ならばとN王国王太子にと狙いを定めたが、それも失敗に終わった。
我々にはもう後がない。また宰相閣下に、別の有力な上級貴族との婚姻を取り成していただくには、彼の望みを叶えるしか方法がない。
……この毒薬を我が母国、K王国全土に蔓延させ、そして滅亡へと追いやること。これこそが彼の望みだ」
父親のその言葉を聞き、アイリスはゴクリと唾を飲み込んだ。
「先程、宰相閣下から新たな毒薬を受け取った。これをK王国に持ち帰り、今度は王城ではなく各地方の井戸へと流し込む。
さすればすぐに、疫病がK王国全土に蔓延するだろう」
「はい、お父様……」
「……だが、アイリス。このN王国にも疫病を広め、それをお前が見事鎮静してみせるという計画もこのまま実行するぞ。
約束しただろう? 父が可愛いお前を、今度こそ "聖女" にしてやると」
「はいっ……!」
「そのためには、何が何でもあの魔女を探し出さねば。奴を見つけ、引き摺り出し、あの大回復薬なるものを大量に作らせるのだ」
中年騎士はその小瓶の1つを天に向かい、掲げる。
「この策は宰相閣下には伏せてある。
……だが王太子には既に悟られてしまっている。奴をすぐに消すか、あるいは何か弱みを握るか……」
そしてそれを、拳の中で握り込んだ。
「私たちに帰る母国はもうないのだ。ならばこのN王国で、必ず我々の人生に大輪の花を咲かせてみせよう」
「はい、お父様。わたくしは必ず、あの卑しい平民ルカなどよりも大きな成功を収めてみせますわ……!」
アイリス親子は互いに手を取り合う。
「宰相閣下が手配された賊はすでに、例の犬娘を捕らえているはずだ。
当初は邪魔者を消すつもりでその娘を殺そうと思っていたが、目的が変わった」
そして、中年騎士はギラリと目を光らせた。
「たかが獣風情の王太子め。私の可愛いアイリスにこのような辱めを受けさせた報いは、大事な恋人の死という形で報復する。
必ず奴を、絶望の淵に落とし込んでやるぞ……!」




