第6話 2度目の青い感情
凪ちゃんからのメッセージは暖房が効きすぎている電車の中で開いた。
『仕事お疲れ様!今日飲みに行かない?』
まさか向こうから誘われるとは思っても見なかった。明日も仕事ではあるが、会いたいという気持ちがすでに勝っており、仕事など後回しにして彼女の期待通りの返信を送った。
『お疲れー、5時には駅に着くから、5時ちょい過ぎにはロマンティックの近くにある焼き鳥屋で待ってて!』
返信した後に胸が躍った。この感情は学生の頃に一度だけ経験したことがあると、過去を思い出す。
しかしながら、こんなに素晴らしい気持ちになれるのに、出会って恋に落ちた人間同士がなんらかの理由で別れるのは何故なのだろうか。無論、考え方が全て同じ人間などこの世には存在しないからだ。
電車の窓の外に流れる景色と共に過去の映像が脳裏を爆走していく。そんなことを考えてるうちに俺は乗り換え駅のホームに立つ一本の柱に身を任せ、若干汗ばんだニット帽を取る。
過去を思い出し、少しだけ切ない気持ちになりながらも、凪ちゃんのメッセージを改めて見ることで気持ちを切り替える。
ホームから見えるなんの変哲もない工場のような、横幅のある白い壁しか見えない景色の中で、今年はすっかり日暮れが早くなっていた寒い空と冷たい風が俺の髪を乾かしてくれた。
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約束した店の前にはまだ彼女は居なかった。改めて連絡しようとすると、知らぬ間にメッセージが来ていた。マナーモードにしてると気がつかないことが多いのでこれは仕方がない。
『風呂今出たところ!先に入ってて!』
遅くね?と言いたいところだが、向こうも娘がいることだし、色々お忙しいのは話を聞いた時によくわかったからこそ、時間など気にしないようにした。
『了解ー、てか風強いから気をつけてくるんだよー』
『転びながら行くわ!待っててね!』
俺はそのワードセンスに思わず笑った。駅のホームでは特に気にしなかったが、確かに風も強くて転んでしまうかもしれない。なんなら転んでる人居たし。
俺はニヤけた顔をすぐに戻して約束の居酒屋に入り、テーブルに座ってすぐに瓶ビールを頼み、彼女を待った。
今日もこの店は相変わらず空いていた。若い従業員四人ほどの雑談が耳に入ってくる中、俺はコップ一杯のビールを一気に飲み干す。
「あ゛ぁ〜うめぇ…」
飲み干してすぐにビールを注ぎ、一口だけ口に含んで炭酸となんとも言えない苦味のある大人の味を堪能し、タバコを咥えてジッポで火をつける。吸い込んだ煙をため息をつくように吐く。煙が薄らと空気に消えていくと、今日の仕事の疲れとストレスがほんの少しだけ緩和され、また明日も仕事なのだと改めて再確認してまたストレスを増やす。
「宝くじ当たらねぇかなぁ。てか買うの忘れたな」
週に1回買っている宝くじはいつまで経っても当たることはない。当たらないことすら分かっているまである。どうせ闇の力が働いて銀行や政府関係者が当たるようになってるんだろうなと。
そんなことを考えたらまたストレスが溜まる。だからこそ、ビールとタバコを交互に繰り返して摂取してストレスVS精神のエンドレスファイトを脳内に繰り広げ、それを瓶ビールが一本空くまで続ける。
そして、瓶ビール一本空いたのでおかわりの注文を頼もうとした時、ちょうど座った位置から正面に見える店のスライドドアが開いた。
「お待たせー、風強いわ〜」
息を切らせながらも、抱きしめたくなるような笑顔を見せた天使が俺の方に歩いてくる。開いたスライドドアから流れてくる冷たい風がカラの瓶から垂れる一滴の雫を揺らしたタイミングと共に俺の目の前に座った。
「風強いね。転ばなかった?」
「いや、もう転びながらきたよ」
流石は凪。出会った時と相変わらずで普通の会話の中で笑わせてくれる。
「んじゃ全身骨折だ」
「いやまじで骨折よ」
こんな楽しい人とずっと一緒にいられたら飽きないだろなと、凪との明るい未来を想像しながら笑顔を振り撒き続ける彼女の瞳から目を離さずに、冗談と分かりながらも笑いながらふざけた会話をしばらくしていた。
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合流してから2時間が経った。
「あたし、大和ちゃんからは不思議なものを感じるんだよねぇ。相性がいいし、一緒にいて楽しいし、早く会いたくて仕方がなかったんだよね」
「俺も同じだよ。不思議な何かを感じる。なんというか、俺はこの人と会うべきして出会ったんだって思ってる」
「そうそれ!会うべきして会ったとしか思えない!」
どうやら俺と同じことを感じていたらしく、尚更嬉しくて愛おしくて仕方がなかった。
初めて出会った時のことと、不思議な何かを感じることについて互いに語った。俺は話が途切れない中、途切れさせたく無いけれども、ジーパンのポケットからスマホを出して時間を見ると入店してから3時間が経過していた。
「んじゃ、そろそろロマンティック行こうかしら!」
「あらやだ、あたしもそう言おうと思ったところよ!」
酒のせいなのか、お互い声を若干低くしてオネェ口調でそう言うと、今日1番の大笑いが出てしまった。
その時、なんて素晴らしい時間なのだろう、なんて素敵な人なのだろうと、疲れ切って汚れた心の中に言葉が響き渡り、青い光が花火のように散る感覚を覚えた。
「ねぇ凪」
「なあに〜、呼び捨てなんて嬉しい〜」
出会ってからすぐにでも言いたかった言葉が自然と喉を通った。
「こんなに人を好きになったことはない。こんなに可愛い人と出会えたことなんて一回もない。出会ってからの時間は短いけど、君を幸せにしてあげたいと思ったんだ。だから…」
「もう十分幸せよ」
言葉を遮り、テーブルに肘を立て両手を頬に添え、少し赤くなり熱った小さな顔を斜めにコテッと傾けて彼女は今が幸せだと言った。
俺はその言葉を聞いて尚更安心し、余計なことを2度と考えず自分を偽ることを止めると心に誓う。
「俺もすごく幸せだよ。出会ってくれてありがとう」
俺がテーブルの上に右腕を差し出し、手のひらを上に返すと、彼女は左手でそっと俺の右手を握ってくれた。
その時、人間とは面白いものだと感じた。好意を抱いている相手の手を握るとどんな人生を送ってきたのかがよくわかるものだと。
彼女の手はとても綺麗で、スラッとして歪ない細くて美しい指。明るい紫色のネイルをした爪からは色がかなり剥がれており、生活感あふれる働き者の証である豆が俺の手のひらから感じ取れる。前に彼女が話してくれた過去と手を感覚の中で混ざり合わせて、やっと彼女の苦労が目に浮かんだ。
「俺はもっと凪を知りたい。だからこれからも一緒にいてくれ」
「あたしも大和のこともっと知りたいし、いっぱい楽しいことを共有したい。人生って難しくて辛いけど、大和が居れば大丈夫な気がするよ」
右手が強く握られて感情が伝わる。それに応えるように優しく強く握り返す。
互いの目を見つめ合い、感情を共有し、納得した。今日という日を、出会ったあの時をいつまでも忘れることはないだろうと、まだわからない明るい未来があることに期待をした。
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12月下旬、人の頬に寒さを突き刺し、顔を埋めて歩く人々に生きろと言いながら吹き荒れていた風が今は止み、店の外に出た俺と凪の二人を優しさで出迎えてくれた。
「風止んだな。いい風だ」
「さっき転びながらここまで来たのに、まぁ風治ってよかったよかったー」
「嘘つけ!転びながらな訳ないだろ!」
「冗談に決まってんだろー!」
俺にとっての2度目の青い感情は、ロマンティックに向かう間に繋がれた手の中で温められていた。
「あ、マスターに電話するの忘れた」
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つづく