神々の宴
王城の応接室に向かう。
着ているのは簡素な無地のワンピースだが謁見ではないのでこのまま。嵐の様相を見せている窓の外を視界の端に捕える。雨足は激しく、雹混じりの大粒の雨が窓ガラスを叩いている。
『おめぇさんも大変だな』
「煩いよ」
肩に乗った白銀のシマリス(雄)に小声で同情される。何が悲しくてこんな小動物に慰められなきゃならんのだ。
見た目は小動物だがこれでも立派な神々の使いたる神獣で、名をラタトスクと言う。今回は神々の王からの伝言を自分のところに持って来た。
思わずため息を零す。
ため息は雨音に掻き消される事も無く、思っていた以上に大きく廊下に響いた。ため息を聞いた案内人のオッサンが肩をビクつかせるが、何も言わなかった。
到着した応接室には、青い顔をした見覚えの有る面々が着席した状態でいた。
元婚約者の王太子、その両親の国王と王妃、神殿長官、他数名。
挨拶もせずに用意されていた椅子に座り、単刀直入に用件を尋ねる。
「率直に申し上げます。――身に覚えのない罪を着せて性悪偽聖女と罵り、根も葉もない噂を流し、後ろ指を指していた方々が、今更何の用ですか?」
『そうだな。オーディンの野郎に報告しなきゃならねぇからな。理由をさっさと吐け』
ラタトスクと一緒に捲し立てるように言えば、目の前の面々の青かった顔が色のないものに変わって行った。
その反応を見て思う。
――聖女と再び祭り上げれば許して貰えると思っていたな。
実に馬鹿な発想だ。聖女を決めるのは神々の王であるオーディンであって、人間が決めるものではない。過去にも、神々の王が決めた人物を偽物と罵り、別の女性を祭り上げた国が存在した。
かの国はオーディンが決めた聖女を偽物と罵って冤罪で処刑し、別の女性を聖女に祭り上げた。
その結果、聖女を罵った人間は『例外無く』国から出る事すら出来ず、突如発生した大規模自然災害で全員死亡し、国は滅びた。自然災害が発生した時点で、神の怒りを鎮めようと、祭り上げた聖女と関わった人間を全員処刑したが、そんなもので神の怒りが鎮まる筈もなく。
滅びた国はその名すら後世に伝えられず、滅びの過程は戒めとして後世に伝わった。この戒めを伝えるのが神殿の仕事なのだが、目の前に神殿長官がいる時点で察して欲しい。千年以上も前の事だから真偽不明と切り捨てる輩は当然のように一定数居る。神殿長官もその一人だったと言う訳だ。
『何時まで黙ってんだ。呼び出して何も言わねぇんなら、俺は俺の仕事を果たさせて貰うぜ。オーディンの野郎が早くこいつを連れて来いってキレかねねぇからな』
「なっ、神獣ラタトスクよ! レオナはこの国の聖女ですぞ!」
ラタトスクの発言に目の前の面々はギョッとして腰を浮かし、神殿長官が叫ぶ。しかし、ラタトスクは冷静に指摘する。
『元を付けろ。てめぇら散々偽物だって騒いでいただろう。今更過ぎるぜ』
「し、しかし!」
『大体よぉ。何で俺が使いとして下界にやって来たのか、その理由がまだ解らねぇのか? 下界の騒ぎがオーディンの耳に入ってるからだよ』
「そんなっ」
食い下がる神殿長官をラタトスクが一蹴する。全員で縋るように自分を見るが、時既に遅しだ。
レオナは自殺し、自分と入れ替わった。自分にこの国に仕える気持ちはない。
「国に仕えると言う気持ちは既に冷めております。神がそのように望まれているのでしたら異論は有りません」
「レオナ!?」
「先に私を不要と仰ったのはそちらでしょう? もう一度尋ねますが、今更何の用ですか?」
愕然として叫ぶ国王にもう一度尋ねた。
返答は無く、滝のように脂汗を流すのみ。国王以外の面々にも視線を向けるが、誰一人として口開かない。
『かぁー。呼び出して置いて、誰も喋らねぇのか。時間の無駄だなっ!』
まったくだ。
シマリスと同じ事を思う日が来るとは思わなかったよ。
席を立てば『待ってくれ!』と引き止められ、『何の用だよ?』と問えば黙り込む。
ほんっとうに、こいつらは何しに来たのか。
推測だが、自分からここに残ると言って欲しかったんだろうけど、もう無理なんだからいい加減理解して欲しい。
『これ以上は時間の無駄だ。行くぞ』
ラタトスクに促され椅子から立ち上がる。何も喋らず、待ってくれしか言わない面々を一睨みしてから部屋を出る。
『持って行きたいものとか有るか?』
「もう持っているから大丈夫」
廊下を歩きながら、ラタトスクの問いに否を返す。菊理になってから得た私物はないし、レオナの私物で大事なものは既に持っている。と言うか、身に着けている。
『そうか。んじゃ、とっとと、天界に行こうぜ』
「王城の外に出る?」
『いや、そこの辺は大丈夫だ。屋内だろうと行けるぜ』
肩に乗ったままのラタトスクと確認し合う。借りていた部屋に戻るのも面倒だから、適当な空き部屋に入ろう。そう思い空き部屋を探す。
「お義姉様!」
空き部屋を探していると、ドタドタと言う慌てた複数の足音と聞きたくもない涙声が耳に届いた。
「はぁー……」
『人間てのは本当にしつけぇな』
まったくだ。
近寄られたくも無いので、結界を展開して接近を拒む。
「返す、全て返します! 返しますから! 見捨てないで下さい!」
結界をバンバン叩き、阿呆な事を言うのはレオナの元義妹。その後ろには元父とその後妻がおり、揃って『レオナ!』と叫ぶ。
『うざってぇ』
本当だよ。レオナのものを全て奪い取っておきながら、何て馬鹿な物言いか。
『元義理とは言え、他人の婚約者を寝取っておきながらよくそんな言えるな、こいつ』
ラタトスクは言いたい事を我慢せずに言う。神獣だから言っても問題にならないんだよね。
「え? り、栗鼠が喋ってる!?」
義妹が本気で驚いている。白銀の毛並みは神獣の証と広く知られた一般常識なのだが、どうしてこの馬鹿は知らないのか?
『行こうぜ。馬鹿と喋ると馬鹿が移る』
「なっ!? リスの分際で失礼な!」
ラタトスクの毒舌に、元義妹が憤慨する。元父と後妻の表情も険しい。学が無いのはこの二人もだったか。
「神獣ラタトスクに『リスの分際で』なんて、よく言えたわね」
「え? し、神獣……!」
学の無さを公言しているも同然の義妹の発言を指摘をすれば、案の定、三人は顔を真っ青にした。
『おう、神獣ラタトスク様だぜ』
「ひっ!?」
ラタトスクは右手を上げる愛嬌のある挨拶をしたが、元義妹は初めて見る神獣に腰を抜かし、残りの二人は愕然とした表情を浮かべた。
見た目愛玩動物と変わらない小動物が神獣と言われたら驚くわな。
神獣は怒らせたら祟る。その祟りの内容は多岐に渡り、末代まで続く。家はこの三人が末代だから、元義妹が子供を残さない限り、当代限りの祟りとなる。
三人を一瞥してから背を向ける。
「お義姉様……!」
「今更過ぎる。何もかも、もう遅い」
『そうだな。神が決めた聖女から奪い取り陥れた時点で、この結末は決まり切った事。冥界ニヴルヘルで赦されない罪を永久に悔い続けろ』
冥界ニヴルヘルとは、罪人が死後に向かうとされる世界で、仏教で言うところの地獄に相当する。自分がそこに送り込まれると知り、三人は絶望に満ちた顔をする。
「そんな……」
『自分が捨て奪うは良いが、自分が捨てられ奪われるは嫌だとはな。人間ってのは本当に業が深いぜ』
「さよなら。もう会う事は無いでしょう」
ラタトスクと一緒に三人を切り捨てて歩く。背後から床に液体を撒いたような音が聞こえて来たが、無視して歩いた。
歩き続け、人気のない広間に出た。
『ここで良いな』
そう言って、ラタトスクが肩から床に降り立ち、爪で床をカリカリと削る。
「何しているの?」
『ルーンを刻んでるんだよ。オーディンの野郎に、指定のルーンを刻んだ箇所に扉を開くって言われてんだ』
ラタトスクの返答に、へぇーと感心する。どうやって行くのか気になっていたが、そうやって行くのか。ちなみにルーンとは神々のみが使える魔法文字の事だ。地球のルーン文字と似ているけど、使い方が微妙に違う。
『さて、と。こんなもんで良いな』
床にルーンを刻み終えたラタトスクが顔を上げた。何のルーンを刻んだか小さくて見えなかったが、確かに刻まれたらしく、白く光っている。
『おう、オーディン。扉を開けろ』
ラタトスクが虚空に呼びかける。すると、虚空から木製の扉が出現した。天界に繋がる扉にしては、装飾のない普通の扉だ。思わず確認を取った。
「これが天界に繋がる扉?」
『そうだ。うし、行こうぜ』
再び自分の肩によじ登ったラタトスクと共に、扉を開ける。扉の先は真っ暗。
天界がどんなところかは知らないが、成るようにしかならん。
期待せずに、一歩を踏み出した。
潜った扉の先は、何処かの屋内で廊下だった。天井の高い廊下の壁一面に鉄の盾と槍が並んでいる。何とも物騒な内装だ。背後の扉は何時の間にか消えていた。
『真っ直ぐ進め。それで辿り着く』
何処に行けば良いのかラタトスクに尋ねると、そんな返答が返って来た。
道は分からないので言われた通りに真っ直ぐに進む。
床にカーペットの類が敷かれていないが、廊下に足音が響かない。石材で出来ているとしか思えない床なのに、何とも言えない不思議な体験だ。
無言で無音のまま歩く。耳に届く音は己の息づかいだけ。だからか、記憶に残っているレオナの過去を回想してしまう。
レオナは何処にでもいそうな侯爵令嬢だった。
政略婚の両親の仲は悪かった。その二人が政略婚に至ったのは当時伯爵だった父の借金の肩代わりと、母がやらかして嫁き遅れが決まったから。
元侯爵令嬢だった母は既に逝去している。母が妊娠中にちょっとした事で父と口論になり、頭に血が上った父に水差しで腹と頭を殴られ、破水と早期出産による難産で体力を使い果たしそのまま去った。
この一件は一時期社交界でも話題になり、父は大変居心地の悪い日々を送る事になったが、原因は全て妻に有ると噂のもみ消しに走ったが、母の実家に借金の肩代わりを止めると脅されて、泣く泣く止めたそうだ。その怒りの矛先はレオナに向かい、侯爵家から更に睨まれる状況に陥った。
妻の死因の一つであるにも関わらず、罪に問われていないのは最大の死因が出産だから。そう言われていたが破水と早期出産も原因の一つに数えられ、破水の原因である殴打が最大の死因と見做されて、遠因として罪に問われる事になった。
結果、レオナが三歳の頃に伯爵家は爵位を一つ落とした。この時に、レオナは母の実家に引き取られ侯爵令嬢となった。
けれど、子爵になった元実家の跡継ぎが不在となった訳ではない。父は高級娼婦の愛人を囲っていた。愛人との間にレオナと同い年の娘を設けている。
この娘こそが、レオナが一度も会った事の無い義妹。後に王国に破滅を齎した罪人。
と言うかね。侯爵家の養女となった時点で家族の縁は切れている。レオナも会った事がないまま、縁が切れた義妹を妹だと認識していない。向こうが勝手に義姉と呼んでいるだけ。義父も元父を経由して散々注意したが、効果は無かった。
何処に行ってもレオナを義姉と呼び、泣いて被害者ぶって冤罪を着せ、レオナのものを全て奪う為に動いた。
――子爵家の庶子が縁の無い侯爵令嬢を義姉と呼んで付き纏い、冤罪を擦り付けて身に着けているものを奪おうとしていると、社交界で噂になり、前妻の一件で笑いものになった事を忘れて更に話題を提供する愚かな一家と、後ろ指を指される結果となったが本人達は止めない。
やる度に元義妹と元父は義父から叱責を受けたが止めなかった。それどころか、レオナが十六歳の時に神託で聖女に選ばれてから更に酷くなった。
酷くなった最大の原因は、義父と対立している侯爵だ。かの侯爵が義父の蹴り落としに使えると判断し、元義妹に加担した事で泥沼と化した。
レオナと元義妹の関係は『縁無し』と公言されていて、王にも認められている。元義妹が家に母親と一緒に迎え入れられたのは、レオナが引き取られたあとの事。時系列的にも家族扱いは難しい。
けれど、レオナが聖女に認定され、そのまま王太子の婚約者に選ばれた事で今度は貴族令嬢の嫉妬を一身に受ける羽目になり、根も葉もない噂を流され続けた。
王家は見事な馬鹿揃いで、事実確認をせずにレオナに詰め寄る始末。これは聖女を抱える神殿も同じだった。汚職塗れな神殿はとある侯爵から大量の寄付金の賄賂を貰い、だんまりを決め込んで侯爵令嬢を聖女と称え始めた。
噂の元は義父を蹴り落としたい侯爵と王太子妃の座を狙っていた侯爵令嬢だが、誰もが尾鰭を付けて楽しんだ。怖ろしいのは、噂が平民にまで広まった事か。
火消しに走っていた義父が頭を抱えて悩み始め、王命による婚約で一年経過したある日。噂の出所と真偽を確認しないまま、王太子が夜会で婚約破棄を宣言。レオナを偽の聖女と罵った。王太子の隣にいるのは元義妹と義父を目の敵にしていた侯爵の娘。二人揃って邪悪な笑みを浮かべて、満足そうな顔をしている。
その宣言でレオナの心は折れた。
「何を言っても信じて貰えないのなら、もうどうでも良いです」
そう言ってレオナは移動した控室で、常に持ち歩いている毒(妃教育を受けたものが婚約解消された場合に飲む毒)を服用し、自殺を図った。
レオナの記憶はここまで。
これ以降は、ラタトスクから教えられたものだ。
レオナの深い絶望は本人の知らぬ間に、届いてはならないところに届いてしまった。そう、彼女を聖女に選んだオーディン神の許に。
レオナが自殺を図ってから数刻もしない内に、夜会会場にいた貴族が前触れも無く、血を吐いて倒れた。侯爵令嬢に至っては虚空から落ちた雷に打たれて半死半生状態。誰もが激痛に気絶し、再び目を覚まし激痛に呻いて気絶すると言う地獄のループを体験する。無事なのは元義妹の家族とレオナの義父一家と王家のみ。何が起きたのか誰にも分からない。右往左往する生き残りに追い打ちを掛けるように、虚空から声が響いた。怖ろしい事に、この声は王国全体で聞こえたそうだ。
『愚かな人間共よ』
怒りで満ちた男の声。聞き覚えの無い声に誰もが戸惑った。
『余が認めた聖女を侮辱し、辱め、死に追いやるなど言語道断。国から出る事は許さぬ。死ねぬ痛みを受けて、苦しみ続けよ』
喋る度に空が荒れ狂い、雷鳴が轟く。
声の主を知る者はいない。
だが、『余が認めた』のくだりで、声の主が誰なのか国王は言い当てた。
「まさかこの声は……神々の王、オーディン神か!?」
王の推理を聞き、生き残った面々は顔を青褪めさせた。
『このような国は不要。民も不要。命乞いは聞かぬ。己の罪科を悔いながら死ね』
その言葉を最後に、空から雨のように雷が降り注いだ。王都の各所に落雷し火事が起きる。王城にも落雷し、離宮の一つが火災被害に遭った。
落雷だけでは終わらず、今度は暴風雨が王都を襲う。しかし、火事は鎮火するどころか燃え広がり始めた。
王都の住民は逃げ戸惑ったが炎と煙に巻かれて、暴風で飛ばされた建材の一部が被弾し、あるいは落下の際に下敷きにされて、次々と命を落として行く。
止めは地震。下から突き上げるような地震が建物を破壊して行き、数多の住民が下敷きにされて行く。
これらの報告を聞き、王は震え上がった。王は直ちにレオナを捜索させた。発見されたレオナは毒を飲んで事切れる寸前だった。慌てて毒消しを飲ませて介抱し、貴賓室に運ばれた。今更な行為だが、王国の滅亡を少しでも遅くする為の処置だ。彼女の義父一家もレオナが運ばれた貴賓室に駆け付けた。
次に、王は神殿長官を呼び出し……と言うよりも、異常気象で半分以上崩壊してんやわんやの状態に陥った神殿から、避難の為に自らやって来たところを捕まえた。
王は先の声の主がオーディン神で在る事を告げ、状況の収拾に協力しろと命令を下したが、神殿長官はこれを拒否。それは国の仕事だと神殿長官が拒んだ直後、彼の侍従が血を吐いて倒れた。突然の出来事に神殿長官は腰を抜かす。更に、半死半生状態から少し回復した神殿が祭り上げた聖女の侯爵令嬢を見て悲鳴を上げる。
「神々の王はこの国は不要と仰った。神殿長官よ、お前ならこの意味が解るだろう?」
神々の王の逆鱗に触れて国が亡びる。真偽定かではないが、千年前にも同じ事が起きたと言う文献を思い出した神殿長官は、王に問われて顔から色を失くした。その様子から何か知っていると判断した王は、神殿長官に知っている事を全て吐かせ、頭を抱えた。
同時に、手の施しようがない事も知る。
この国で唯一助かるのは、レオナの無実を信じ、守ったものだけ。
それ以外のものは皆死ぬ。
どうしようもない未来に、皆の顔が絶望で染まった。
教えられたのはここまで。何故ここまで詳細を知っているのかと言うと、ラタトスクは小さな体を利用して隠れて見ていたそうだ。
レオナの人格が消え、菊理の人格へ上書きが完了し、自分は目を覚ました。
室内にいた義家族達は喜んでくれたが、そこでラタトスクがオーディンの使いとして登場。レオナが天界に呼ばれている事を教えられた。滅びる国に義家族達を置いて行くのはちょっと、と言ったら『彼らはレオナを守ろうと動いた人間なので、国がどんな滅びを迎えても助かる』とお墨付きを貰った。
ついでに神獣ラタトスクの加護を義家族に貰えた。これで何が起きても大丈夫らしい。
城内の混乱に乗じて、一度王都の屋敷に戻った。周囲が火事などの被害に見舞われている最中、ここだけは奇跡的に無事だった。無理矢理入ろうとする人間は見えない何かに阻まれている。門を潜る際、数多の罵声を浴びたが、罵声を吐いたもの達は即座に降って来た雷に打たれて斃れた。
神の怒りは何処の世界でも過激だなぁ。だって、サクッと皆殺しにするんだもん。
それしか感想が浮かばない。敷地内は見えない何かに阻まれて、暴風雨の影響はおろか火事の被害も無い。敷地内だけ無風で雨が降っていないのよ。別の意味で凄い。屋敷にいた使用人達は全員無事だった。彼らはレオナを嫌わず大事に扱っていたからこの惨事から免れたのだろう。
義父は使用人達を全員、玄関ホールに集めて現状の説明を始めた。ラタトスクにフォローをお願いし、その間にレオナの部屋に移動。クローゼットの扉を開けて動きやすい私服を選び、私物をチェック。持って行くのは義母とお揃いのペンダントと、義父から誕生日に送られた飴色のバレッタに、義兄から貰ったリボンだけかな。
ペンダントとバレッタはこの場で身に着けてしまおう。そう思い、結い上げていた髪を下ろす為に髪紐に手を伸ばした。
「?」
突然ドアをノックする音が響いた。応答の声を上げると、やって来たのはレオナ付きの侍女――アンネだった。
「お嬢様」
「アンネ。どうしたの?」
「先程、旦那様からお話しを聞きました」
アンネはとても寂しそうな表情を浮かべていた。彼女はレオナを妹のように可愛がっていて、レオナの相談役も務めていた事を思い出す。
「アンネ。着替えてこのバレッタ着けたいの。お願いしても良い?」
「っ、はい!」
しんみりとした空気が嫌だったので、アンネにお願いしたら喜んでくれた。一緒に服を選び直して着替え、鏡台の前の椅子に座る。されるがままになっていてふと気づく。
……考えれば、これが最後のやり取りになるんだよね。そりゃ、喜ぶか。
中身が菊理に入れ替わっても、言われなければそんなものは分からない。別れる時までレオナで居続けよう。アンネの目尻に浮かぶ雫を極力見ないようにしながら、そう思った。
着替えが終えて一階に降りると、屋敷の住人が玄関ホールに集合していた。ホールに見覚えのない扉が追加されている事に気づく。扉の先は何処かに繋がっていて荷物を持った使用人達が急ぎ足で扉を通って行く。
何が起きているのか? 一階に降りて来た自分に気づいたラタトスクがやって来て説明してくれた。
あの扉はラタトスクが魔法で作った、領地へ避難する為のもので、使用人達は移動を開始しているのだと言う。領地は災害に襲われる事なく無事らしい。
「アンネも避難して」
「ですがお嬢様」
「私は天界に呼ばれていて行かないとなの」
自分の肩に乗ったラタトスクが補足する。
『オーディンがこいつを呼んでいる。俺はこいつを連れて行かなきゃならねぇ』
「ですが……」
アンネは何か言いたそうな顔をする。
『オーディンの戦娘達が世話してくれるから心配はいらん。天界に行ける人間はオーディンが招いたものだけだ』
オーディンの戦娘とは、地球の北欧神話に出て来るワルキューレに似た存在の事だ。
アンネは何も返せず『そうですか』とだけ呟いた。一緒に行きたいんだろうね。でも、連れて行けない。ここでお別れだ。
「アンネ。今までありがとう」
「お嬢様。私も、今まで側で、お仕え出来て、とても幸せでした」
最後となる抱擁を交わして、アンネは去った。荷物を取りに部屋に一度戻ったが、アンネの避難の確認が出来て少し安心した。
『演技がうめぇな』
「喧しい」
ボソッと呟くラタトスクの頭を指で擦って抗議する。叩けないのがちょっと悔しい。あと、自分の中身がレオナじゃない事がバレている。
使用人達を見送り、義家族達と最後の言葉を交わして送り出した。扉は閉めると消えた。
人がいなくなった屋敷内を歩く。念の為、居残りがいないか確認する。屋敷を隅々まで見て歩き……うん、いない。
不在を確認してから厨房に向かう。食器棚を漁ってグラスを取り出し、保冷庫から果実水が入った瓶を取り出し、グラスに注ぎ一口飲む。ついでに製菓用の木の実が在るか見る。製菓用ではなく、酒のつまみ用だが在った。保存瓶を出して蓋を開け、そのままラタトスクに差し出した。
ボリボリと木の実を食べるラタトスクを見ながら果実水を飲んで一休み。一緒に木の実を摘まんで小腹を満たし、屋敷の外に出た。門の外は未だに荒れている。助けを求める声が微かに聞こえるが、彼らを助ける事は出来ない。
どうやって天界に行くのかラタトスクに尋ねた時、一人の修道女が敷地内に転がり込んで来た。その顔には見覚えが有る。神殿で自分の侍従のような事をしてくれた修道女だ。神殿長官の事を悪く言い、自分を庇ってくれていたのでこの惨事の最中でも助かったのだろう。
彼女を助け起こし、どうしたのか尋ねる。
「王城で、陛下達がレオナ様に会いたいと……」
まだ生き残っていたのか。しぶといなと思ったが、最も惨めな死に方をさせる為に、敢えて残しているんだろうと適当に解釈する。
『どうすんだ?』
「念の為、行った方が良いでしょうね」
互いに顔を見合わせてため息を吐いた。やって来た彼女は魔法で義家族達がいる領地に送りだし、自分はラタトスクを連れて王城に向かった。
そして、冒頭に戻る。
短時間に起きた出来事の方が濃密過ぎる。何故ここまで濃密なのか。ちょっとため息を零したい。
過去を思い出しながらぼんやりと歩いていたが、通路は未だに続いている。道を間違えていないよね?
微妙に心配になってきた直後、やっと終わりが見えて来た。
現れたのは高さ五メートルは有りそうな大きく重厚な扉。横幅も広いが、周囲には誰もいない。
肩に乗っているラタトスクに確認を取ると、
『入っても問題はねぇよ。オーディンの使いである俺がいんだ。文句を言う奴なんていねぇよ』
と、お墨付きを貰った。
それならばと、扉に手を掛けて押し開ける。思っていた以上に軽い。
扉の先にいたのは、一人の銀の鎧を纏った老人、否、老兵か。
肩下まである白い蓬髪。右目は閉じられており、左目の金の瞳の鋭さが強調されている。左肩にやや穂先が長い槍を担いでいる。そんな人物が、王が如く椅子にふんぞり返って座っている。
「カァー」
何処からかやって来た一羽の烏が老兵の右肩に舞い降りた。
隻眼で槍を持ち、右肩に烏を乗せた人物は、伝承でしか知らないが、天界には一人しかいない。
「神々の王、オーディン神」
「いかにも、我が名はオーディン」
名をポツリと呟けば、応答が返って来た。
オーディンは椅子から立ち上がり、大仰に腕を広げた。
「よくぞ我がヴァルハラの神殿に参った。我が認めし聖女よ。歓迎の宴を開きたいが、その前にお前の魂の名を教えて貰おうか」
魂の名前。その単語が出て来ると言う事は。
「あたしが転生者だと知っていたのか」
「いかにも。魂は輪廻の流れに乗り、個性の色を無くすのが定め。だが、お前は違う。何度転生を繰り返しても色を無くさぬ。記憶を取り戻すかは謎ではあったが、杞憂だったな」
オーディンの言い分は何となく分かった。同時に、レオナが聖女に指名された理由も判る。
始めからレオナが転生者だと分かっていたのか。そして、引き込む事を前提に聖女に指名した。何の為に引き込まれたかは不明だ。こればかりは直接問うしかない。
「今の名は、菊理」
「ふむ。ククリと言うのか」
「何故、レオナを聖女に認定したの?」
「神々の宴が近くてな。数を揃える為に、お前の転生体であったレオナを認定した」
「……最初から、天界に呼び出す前提だったのね」
莞爾と笑うオーディンの返答に頭痛がして来た。記憶が戻らなかったどうする気だったんだと、是非とも問いたい。
「時は近い。千年に一度の神々の宴にお前も馳せ参ぜよ」
椅子から立ち上がったオーディンはそう言った。天界に来てしまった以上、こっちに拒否権は無いんだろうね。逃亡しても巻き込まれそう。
でも、ここ最近、転生先で戦闘になる回数が減り、勘が鈍っていそうだと思っていたところ。勘を取り戻すにはいい機会かもしれない。
互いに思惑込みだが、自分はオーディンの命を承諾した。
さて、ここで神々の宴について説明しよう。
説明と言っても一言で済む程に簡潔な内容だ。
その一言で言うのなら『参加型の娯楽戦争』と言えば理解出来るだろう。
物騒極まりないが、参加するのも、見物して楽しむのも、全員が『神もしくは、神に準じるもの』なのだ。人間の参加者は一人もいない。会場も神々が住む天界なので、人間が住む地上には一切の被害が出ないどころか、行われている事さえ知らないだろう。
ありとあらゆる意味で、神々が遊び愉しむ為だけの『殺戮の宴』なのだ。
厄介な面は、北欧神話にも書いて在る『ヴァルハラの神殿』が如く、宴の間にどれ程の殺戮が行われようが、夜には皆蘇生する。そして酒が振舞われて、どんちゃん騒ぎとなる。
……夜の宴会を除けば、鈍り気味の勘を取り戻すには丁度良い機会かも知れない。
キングサイズのやたらと大きなベッドで寝転がりながらそんな事を思う。
今いる場所は、王城の貴賓室よりも広く、華美過ぎず上品な内装の、オーディンより与えられた部屋だ。
今後を思う事は在るが、一度眠って頭をスッキリさせた。
起きて運ばれた食事を取ってからやる事は、鈍った体を戻す事だ。朝から晩まで、天界の森らしきところで体を動かし続ける。魔法による身体強化に体が慣れたところで武器を持ち出す。武器の扱いに不安が無くなると、次に魔法を混ぜた鍛練を続ける。
神々の宴が何時始まるか聞いていない。前日か当日になったら、戦娘達から教えて貰えるだろう。そう高を括って鍛練を続けた。
「今日?」
「はい。本日より、オーディン様主催の神々の宴が開催されます」
朝。何時も通りに起きて、出された食事を取っている途中。オーディンの戦娘の一人からそんな通知を受けた。
何時でも良いかと、開催日を聞かずにいたが今日だった。
「集合場所は何処なの?」
「準備が終わり次第、私がご案内します」
「分かった。ありがとう」
戦娘に礼を言って下がって貰い、食事を平らげる。素早く身支度を済ませて、愛刀の漆を手に戦娘の案内で移動する。
さぁ、本番だ。
自分の担当は遊撃だった。身体強化を掛けて移動する。
ぶつかった相手は双剣使い。皮鎧の軽装だが、動きが早い。目で動きを追ってからでは、対処が間に合わない。幾つもの小さな手傷を負ってしまう程の速さだ。使いたくないが魔法で知覚を強化する。知覚が強化されると、相手の動きがスローモーションで、見えるん、だけど……。
相手も相当な熟練なのか、映像のコマ送り――アニメの作画で、動きが一つ飛んでいる――ように見える。
鞘で双剣を受け止めて、ふと、他の武器ならいけるんじゃないかと思ってしまった。でも、悠長に武器を選んでいる暇は無い。漆で勝つ方法を考える。攻撃系の魔法は使わない。切り替えた一瞬の間に勝負が付きそう。狙いを剣に変えても厳しそう。あと、一度使った手が使えない。
剣を受け流し、斬り掛かり、回避されたら、次の動きに繋げる事を意識して、立ち位置を何度も変え続ける。
互いに相手の動きを読みながら斬り掛かって手傷を負い、手傷を負わせて、辛抱強く訪れる僅かな瞬間を探る。
……こいつ相手に、躓いた振りをして油断を誘うのは、悪手だよね。やたらと首ばかり狙って来るし。
攻撃の位置を誘導するのも駄目だ。確実に致命傷を負う。慎重に辛抱強く、機会を待つ。
「っ!?」
疲労からか、それとも別の要因か。双剣使いの片足が一瞬だけ滑り体勢を崩す。その瞬間を逃さずに、脇を駆け抜けるついでに左肩を断ち切りに掛かる。
ずっと観察していたが、癖なのか、こいつは剣で防御をする時に必ず左の剣を盾にする。剣をクロスさせて受ける時も同じで、その際に身が僅かに捻り、左肩が前に出る。身長差を利用して、剣の隙間に下から差し込むように、半円描くように断ち切って落とし、駆け抜けて即座に反転する。
双剣使いは切り落とされた肩を気にも掛けずに、自分に剣を振り下ろした。鞘で受け止めたけど、何度も受け止めていたせいか、微かに嫌な異音が響いた。
片腕が無いのに、双剣使いはバランスを崩す事無く、確りとした足取りで動く。参加経験者かな?
ここからは、剣を防いで斬り掛かるを繰り返す。相手の手数が減った以上、最初に比べると楽になったが、気は抜けない。だって、手数が減っているのに攻めきれないんだもん。こちらの体力が先に尽きそうだ。魔法を使えば勝負は付くだろうが、何でもかんでも魔法を頼るのは良くない。
気の遠くなるような攻防を重ねて、遂に、右肩を切り落とす事に成功した。
双剣使いはどこぞの漫画のように剣の柄を口で咥えようとしたが、出来なかった。咥えるよりも先に叩き落しに成功し、剣が地面に落ちた。
剣が地面に落ちるよりも先に、漆を薙いで胴体を上下に断つ。肉と骨を断つ手応えには慣れていたが、久し振りだと何時も以上に柄を握る手に力が入ってしまう。自分の感情を無視して、上半身が地面に落ち、僅かな間を置いて下半身も倒れる。
大きく息を吐くと、疲れがどっと押し寄せて来た。縛りが多いと普段以上に疲れてしまうらしい。でも、選択肢が多いと、逆に腹を決めにくい。
「むずかしー……」
その場に座り込んだ。魔法で傷を癒やし、疲労を軽減させ、ある程度の休息を取ったら次の敵を探しに移動を始めた。
次に遭遇した敵は三人一組だった。
でも、最初に遭遇した双剣使いと比べると、弱いの一言に尽きた。最初に中央の奴を倒したら、連携も取れない様で……これ以上はもう忘れよう。
倒したから次へゴー、と自分は再び移動を始めた。
こんな感じの戦闘を朝から夕方まで行い、夜になると死したものは皆復活する。
そして行われる狂乱の宴。ここで振舞われる酒は、ワインや蜂蜜酒だ。どちらも度数が高いので飲む気にはなれない。自分は隅でご飯を食べる。お昼を食べずに動き回ったせいか、何時も以上に空腹感が強い。水分だけは魔法で作った水を飲んで摂取していた。
肉の塊をナイフとフォークを使って一口サイズに切り分けて食べながら、日中の戦闘を――最初にぶつかった双剣使い『以外』との戦闘を振り返る。
最初に会ったこいつ以降の敵は、ぶっちゃけると弱かった。双剣使いが恐ろしく強過ぎただけかもしれない。
これから暫くの間は、こんな感じの日々が続く。げんなりとするスケジュールだが、鈍った勘を取り戻す為だと己に言い聞かせた。
今日の宴が終わった。既に半年近くが経過したけど、未だに終わる気配は無い。
その代わりに、大分良い経験値が積めていると思う。それに、予想外の嬉しい再会もあったしね。
晩御飯を食べながら、ちらりと、正面を見る。ルシアとマルタとアルゴスの三人が度数の高い酒を飲んでいる。
……何と言うか。アルゴスと会うのは凄く久し振りな気がする。
アルゴスはさり気無く遭遇率が低いんだよね。同列はマルタとロンとペドロの三人かな?
この三人と再会したのは、宴が始まってから一ヶ月後だ。
夜の宴で、オーディンから他にも転生者がいると聞かされたのが始まりだ。会いに行くと三人揃って泥酔していたので、思わずズッコケた。マトモな会話が出来たのは悲しい事に翌朝だった。アルゴスが短い茶髪を伸ばしていたので、一瞬誰だか分からなかったのは内緒だ。
当然、この三人ともやり合ったよ。
喧嘩っ早い女性陣が二人も揃っていて、大変だった。アルゴスと組んで二対二の対決となった。
マルタの拳が別の方向に進化していたので、驚きの余りうっかりアルゴスを肉盾にしてしまった。アルゴスはとっさの判断で、盾の中心でマルタの拳を受け止めたけど、これがいけなかった。放物線を描いて吹き飛ぶのでは無く、直線を描いて背後へ吹き飛んだ。人間が地面と平行に吹き飛ぶ姿を見た。しかも、轟音と共に飛んだ。
これには、ルシアと顔を見合わせた。
自称祈禱師を止めたのか? 止めてないよね? では、あの拳の威力は一体? アルゴス無事かな? 何十メートル飛んだんだ?
ルシアと一緒に無言で、残心を解いたマルタを見つめた。
少し時間が経過して、事のヤバさに気づいたマルタが慌ててアルゴスの回収に向かった。マルタに回収されたアルゴスは、口から泡を吹いて白目を剥いており、小刻みに痙攣していた。アルゴスが肉塊になっていない事を確認して、ルシアと一緒に安堵したのは内緒だ。アルゴスの盾は無事だったよ。
回収して来たマルタは、治癒系の魔法が使えるのにオロオロしていた。何時になったら、自力で治療可能だと言う事実を思い出すんだろうか。
今回に限って、自分が治した。治療ついでにアルゴスに謝った。マルタの拳は、調子が良いと岩や鉄を容易く砕いてしまう。それがパワーアップしているとは思わなかったよ。
非常に気まずい空気になり、流石に再開とはならなかった。
過去を思い出していたら、目の前に木製の杯と酒瓶が置かれた。意識を過去から今に戻すと、アルゴスの黒い瞳と目が合った。
「どうしたんだククリ。スゲェ顔になっていたぞ」
「アルゴスがマルタに殴り飛ばされた時の事を思い出した」
「……そうか」
正直に言ったら、視界の隅で酒を飲んでいたマルタが酒を盛大に吹き、ルシアが肩を震わせて笑い声をかみ殺していた。そのまま勢いでキャットファイトが始まる。
「あー、忘れろ。酒を飲んで忘れろ」
危うく死に掛けた当人が虚ろな目でそう言った。その背後で、危うく殺し掛けた当人はキャットファイトを中断して、ルシアと飲み比べを始めていた。記憶が確かなら、この手の飲み比べをして、先に潰れるのは何時もマルタの方だった。
「そうするか」
アルゴスの背後で行われている事を無視して、杯に手を伸ばす。高い度数の酒と事前に聞いていたので、飲むのは少量だけにしよう。
たとえ酔わないとしても、節度は守るものだ。
そして一口飲んだ蜂蜜酒は、何故か変に甘ったるくて後味は苦いと言う、変わった味だった。後味の苦みは、舌を抉るような強いえぐみで、体が一瞬だけ震えた。どんな製法を使えば、こんな味の蜂蜜酒が誕生するのか気になった。
杯の残りを飲み干すには、少しばかり勇気が要る。幸いにもワインが存在した。混ぜてミードワインにしてしまおう。ちなみに邪道ではない。蜂蜜酒系譜の酒として正式に存在する。
即席のミードワインを一口飲むと、意外な事にえぐみが消えた。宴に出される酒の種類が、蜂蜜酒とワインの二種である理由が解った。恐らくだが、混ぜて飲む用なのだ。混ぜる事を勧めるのなら、一度、蜂蜜酒の作り方を見直せよって言いたくなった。
突然始まったルシアとマルタの飲み比べは、近くにいた他の面々(男女)も混ざって大騒ぎとなった。
マルタが途中で酔い潰れ、ルシアは飲み比べの対戦者を次々と撃破して行く。その光景をアルゴスと静かにお酒を飲みながら眺める。
騒がしいけど、嫌な騒がしさではない。妙な一体感が存在する、心地良い騒がしさだ。
夜が更ける。けれども、酒盛りの宴が終わる気配は無い。それは、日中に行われる神々の宴も同じだ。
……でも、どうでもよくなって来た。
一年続こうが、十年続こうが。己と糧と成る心地良い今を手放す日は、まだ先であって欲しい。
微温湯に浸かっていると言われようが、何時かやって来る『その時』を先送りにしたい。
本当に、ただそれだけだ。
けれども唯一の懸念は、マルタから齎された奇妙な情報だ。
探しているあの男が何かに追われている。
真偽の確かめようは無い。自分達もあの男を追っている。
あの男と再び会う時に、一体何が起きているのか、知る事が出来れば良いけど。
Fin
ここまでお読み頂きありがとうございます。
久し振りの短編です。途中まで書いていたのに止まっていた作品ですが、あれこれ足したら書き上がった作品です。
ルシアとマルタに、名前しか出せなかったアルゴスを出せました。これでパーティーメンバー全員が喋った、良かった。