サンタクロースの咆哮
暖房がよく効いた屋内で着るサンタクロースの衣装は、恐ろしく蒸し暑かった。
「あはは、笠塚くん、よく似合ってるよ」
僕のサンタ衣装を見て、バイト仲間の津田さんは楽しそうに笑った。彼女は頭に、トナカイの角のカチューシャを付けている。
「見てるぶんには楽しいでしょうけど、これ、蒸れて仕方ないですよ。特に、腹の周りに敷き詰めた綿と、このごわごわしたサンタ帽が蒸し蒸ししてて……」
そういって衣装にごたごたと文句を付けていると、店の奥のほうから、ケーキを準備している店長の声が聞こえた。
「こらこら。子どもたちが見ているんだから、そんな夢のないこと言うんじゃないよ。ほら、にっこり笑って」
そういわれた僕はため息をつくと、サンタコスチュームの一つである白い大きな袋を肩に引っ掛けて持ち、親に連れられてショッピングモールに来たのであろう目の前の子どもたちに向かって、微笑みながら手を振った。
今日はクリスマス・イブ。このショッピングモールにあるケーキ店、『ボヌール』のクリスマスの臨時アルバイトに応募した僕は、サンタクロースの衣装を着て客引きをすることになったのだった。
クリスマスとだけあって、『ラスト・クリスマス』が流れる建物の吹き抜けには巨大なクリスマスツリーが聳え立ち、あちこちの店ではクリスマスセールの看板が立っていた。たぶん、来週あたりには『新春お年玉セール』になるんだろう。
「やー、しかしカップルが多いね、ほんと」
レジで売り子をしている津田さんが、目の前を歩く人々を眺めながら言った。カップルの中には仲睦まじく肩を抱き合いながら歩いているカップルもいれば、女性が買った服の入った紙袋を全部彼氏に持たせている、明らかに力関係がはっきりしているカップルもいた。まあ、人それぞれという感じだ。
「せっかくのクリスマスなんだから、彼氏と一緒にデートとかしたかったなあ。まっ、あたし彼氏いないけどさ」
そういって津田さんはひとりで勝手に凹んだ。
「ねえ、笠塚くんは彼女いないの?」
「僕ですか」
「いや、いないか。クリスマスの日にバイトしているんだから」
「僕はいますよ、彼女」
「えっ」
相当驚いたのか、津田さんは目を点にして僕をみた。
「いるの、彼女」
「だからいますよ、彼女」
「じゃあなんでクリスマスの日にサンタの格好なんかして突っ立ってるの!」
ずいぶんと酷い言われようだ。
「いや、もともとは映画館デートの予定だったんですけど、彼女に急な用事ができたとかで、結局お流れになっちゃったんですよ」
「あらまあ、かわいそうに」
「なんですか、その憐みのまなざしは」
そんなことを喋っていると、何人か客がやってきた。家族で食べるホールケーキの予約をしていた主婦だとか、ショートケーキを二切れ買っていったカップルなどが来た。
あと客ではないけど、小学校低学年くらいの子どもが僕の所へ来て、クリスマスプレゼントにゲーム機とゲームソフトをくださいと頼んできた。僕に頼まれても困るのだけど。
客足がいったん途絶えたとき、暇になった津田さんが僕に話しかけてきた。
「ねえ、笠塚くんの彼女って、可愛いの?」
「何ですか急に」
「だから可愛いのかって」
「なんであなたに言わなきゃいけないんですか。恥ずかしい」
「いいじゃん教えてよお」
津田さんはねちっこい声でしつこく僕を問い詰めてきた。
「……可愛いですよ」
「ほほお。それで、写真とかある?」
「見せませんよ」
「いいじゃん、あとで見せてよ」
「嫌です! あんた暇なのか!」
僕だって暇だが。
「ねえ、その子とはどうやって付き合い始めたの」
「そんなこと訊いてどうするんですか」
「いや、私の彼氏づくりの参考にでもしよっかなって」
「何の参考にもなりませんよ」
「いいから話してって」
やれやれ、なんでわざわざ話さなきゃいけないんだか。聞く側は楽しくても、話すほうは恥ずかしくて仕方がない。
「……彼女とは大学のサークルで知り合ったんです」
「どんなサークル?」
「レーザー射撃のサークルです」
「わあお、レーザー射撃。なんかスターウォーズとかに出てきそう。それで、馴れ初めはどんな感じ?」
「サークルの合宿のときにアタックしたんですよ、前から気になってる人だったから。そしたらいい方向に向かっていって、それで付き合うことになって……」
「へへえ。そりゃあいい話だなあ。仲は良い?」
「ええ、絶好調ですよ」
「羨ましいなあ。今付き合ってどれくらい?」
「三、四ヶ月くらいです」
「ふうん、三、四ヶ月……」
そう呟くと、津田さんは眉間にしわを寄せて「んー?」と唸った。
「どうしたんですか」
「いや、いま彼女ちゃんと付き合って三、四ヶ月って言ったよね?」
「それが何か?」
「つまり今日は二人にとって初めてのクリスマスになるわけだよね。ふつう、恋人と付き合い始めて最初のクリスマスは、一緒に彼氏と過ごしたいと思うもんじゃん?」
「それはそうですけど」
「だけど彼女はクリスマスデートの誘いを断っちゃった。私、なんか不自然な気がする」
「いや、さっきも言いましたけど、急な用事が出来たって」
「その急な用事、どんな用事か聞いた?」
「ええと、友達と出かけることになったとか言ってたような」
「友達! 普通クリスマスに会う人で、彼氏より友達を優先することなんてある?」
「だけど、彼女が言うに昔からの大事な友達だって」
「本当に? なんだか怪しいなあ」
「何ですか。津田さんは僕の彼女のこと、疑ってるんですか」
「私はなんだか嘘っぽいと思う」
「どうして彼女が嘘なんかつくんですか」
「……笠塚くん。怒らないで聴いてほしいんだけど」
津田さんは気まずそうな顔をして、口を開いた。
「もしかしたら彼女ちゃん、別の男とクリスマスデートしてるかもしれない」
僕は津田さんを冷たい目で睨んだ。
呆れた! いい加減な人だとは思っていたけど、こんなデリカシーの欠片もない人だとは思わなかった!
「いや、あの、私は君のことを思って……」
「会ったこともない人のことをそうやって決めつけるなんて、津田さん最低だ」
「ああ、もう! 怒らないでって言ったじゃん!」
「人の彼女のことを悪く言われて、怒らない人間がどこにいるんですか!」
僕の声を聴いて、店の奥のほうから「何喧嘩してるの!」といって店長が飛び出してきた。
「店長! この人は僕の彼女を侮辱したんですよ!」
「私は! 親切心で言ったんであって!」
そうやって僕と津田さんが言い争うと、その間に店長が割り込んできた。
「はいはいはい。君たちね、喧嘩するほど仲がいいっていうけど、場の空気は間違いなく悪くなるから。だからもうやめなさい。いいね?」
店長の仲裁で僕と津田さんの間の火花は、ひとまず収まった。それでも僕の肚の中では、怒りの炎を燻らせていたけれど。
お互いにそっぽを向いて大人しく突っ立っていると、カップルの客が来た。カップルのうち、男のほうがレジの津田さんに話しかける。
「すいません、ショートケーキ二つお願いします」
「はあい、ショートケーキ二つで七百円になりまあす」
津田さんは営業スマイルで応えると、ショーウィンドウからケーキをトングで取り出して、店のロゴが印刷されている箱の中に詰めていた。
その様子を眺めながら、僕もこうやってクリスマスデートをしたかったなあ、とふと思った。今頃あの子はどうしているだろう?
するとカップルの女性と目が合った。その時、僕は持っていたサンタの白い袋を落とし、目を剥いた。
「どうして」
その女性は、鵜飼夏海。僕の恋人だった。
では一緒にいるその男は──彼女に兄弟がいるという話は聞いたことがない。そもそも、その男と夏海は全く似ていなかった。つまり……
最初、夏海はひげを付けた僕のことに気が付いていなかった。しかし、目元をみたとき彼女の顔はサッと青ざめた。
「ねえ、早く行こう」
夏海がケーキを受け取ったばかりの男性に言う。
「なんだよ、夏海。そんな慌てなくてもいいじゃないか」
「いいから、早くっ」
そして夏海は、男の腕を引っ張って走り去ろうとした。
「ヘンな彼女さん。あれ、笠塚くん、どうしたの」
一連の様子を間抜け面で眺めていた僕は、「嘘だ、嘘だ」と呻いた。
「ねえ、本当にどうしたの? あっ、まさか、今の女の人……」
津田さんの言葉を聞き終えないうちに、僕はサンタの衣装を着たまま駆け出していった。
「嘘だっ、嘘だあああっ」
サンタクロースの咆哮が、建物じゅうに響きわたった。