小人のメルン
どれくらい経ったのだろう。
数分にも数十分にも感じられた。
ヴァイスの歩みに合わせて揺れるカバンの中で、微動だにせずにいた小人の体はそろそろ限界だった。
(なんでオレがこんな目に……)
小人は不安と恐怖と怒りと戸惑いで泣きそうになっていた。
そして、とてつもなく後悔しながら、さっきまでの出来事を思い返していたーー。
オレの名前はメルン。
今は耳やしっぽの生えた人の姿をしているけど、完全なねずみの形態(金髪だけど)や完全な人間態(サイズは小さいままけど)にも変化することのできるハイスペックマンさ。
変な女を見つけたのは、いつものように村で少しのご飯をくすねて食べ、村人の目をかい潜って隠れ家に戻る途中のことだった。
「やっぱりパンはモリーのみせのにかぎるでチュー」
オレはねずみの姿で森を駆けながら、くすねて食べたパンの味を思い出し、舌鼓を打っていた。
帰路を半分くらい過ぎた時、一瞬、不自然に風が強くなった。
それと同時に、ドスンと何かが落ちるような音がした。
オレは警戒しながら、音のした方へと近づいていった。
そこには、あの女が気を失って倒れていた。
そして、女がかけていたカバン(今まさに嫌というほど中にいるわけだけど)に異様に引きつけられた。
いつもならあんな大胆に物を漁ったりしない。
しかし、贔屓にしている格別にうまいパン屋で食事ができたオレは、今日は最高にツイててなんでも上手くいくような気がしてしまっていたんだ。
それがいけなかった。
少しのパンごときで慢心した結果がこの有様だ。
しかも、さっきリャオなんて名前が聞こえてきた。
もし、あのリャオなんだとしたら、この女はもちろん、オレの命だって危ない。
ああ、最高にツイてるなんてとんでもない! 今日は人生で1番不運な日だ……。
今思えば、あのパンが食べれたのだって、小さな命が消えゆく前の神様からのささやかなプレゼントだったに違いない。
こんなことになるなら、もっといっぱい食べとくんだった……。
ーー小人のメルンは、回顧しながら悔しそうに下唇を噛んだ。
「……リャオか……」
低く警戒した声で誰かがそう言うのが聞こえた。
メルンは、慌てて全神経を耳に集中させる。
「ああ、依頼は完了した……。ついでに、“能力持ち”かもしれない奴を拾ってきた。……交渉がしたい」
「……ボスに通そう。入れ」
土を踏みしめるような足音から、木の板の上を歩くようなコツコツ、という足音に変わる。
どうやら何かの建物の中に入ったらしい。
メルンは警戒しながら頭でカバンのふたを押し上げ、外の様子をそっと見る。
ローブを着た長身の男と剣を腰にさした男が前を歩いている。
メルンからは後ろ姿しか確認できない。
どうか同じ名前の別人でありますように、と後ろ姿に祈ってみるが、依頼完了だの、交渉だの言っていたのを聞いているメルンは、この祈りが届かないことをほぼ確信していた。
金にがめつい守銭奴だが、報酬さえはずめばどんな依頼もこなす3人組がいるという噂を以前どこかで聞いたことがあった。
リャオ、ヴァイス、マルプチーの3人はシルバー団と名乗り、主に“盗族”相手に取引してるとか……。
本当になんでもやるのだ。
ーー殺しでも。
メルンは噂を思い出し、身震いしていた。
噂が本当で、前にいるこの男がシルバー団のリャオなのだとしたら、きっとここは盗族団の基地の中だろう。
一行は廊下の突き当りの扉の前で立ち止まる。
先頭の男が振り返り、リャオに話しかける。
メルンは慌てて頭を引っ込めた。
「リャオだけボスの元へ案内する……。2人はこの部屋で待て」
男が扉を親指で指しながら言った。
メルンは耳をひくつかせ、扉の向こうの様子を探る。
少なくとも十人以上の気配を感じ取り、恐怖のあまり半泣きになっていた。
(頼む……! 入らないでくれ……!)
メルンは全身全霊をかけて祈っていた。
別にこの部屋に入ろうが入らなかろうが、逃げ出せる目処はないのだが、とにかく祈った。
「俺にあの荷物は持てない。ヴァイスも連れて行く。ーー安心しろ。こんなとこで自ら暴れるほど俺たちはバカじゃないさ……」
「……まあいい。来い。こっちだ」
「マルはその部屋で待っててくれ。……じっと、待ってろよ」
リャオが念を押すように言った。
「へへっ。オレからは何もしないっすよ。ーー向こうから来たら、いいんすよね?」
マルがいたずらっぽく言う。
「……任せる」
リャオが低い声でそう答えた。
それを聞いて、マルは嬉しそうに笑い、りょーかいっす、リーダー、と言って扉の向こうへと消えていった。
リャオ達は少し引き返し、階段を上り、別の扉へと向かった。
メルンは絶望していた。
(リャオにヴァイス、そしてマルーーきっとマルプチーのことだ。絶対シルバー団じゃないか……。それに、結局、盗族団のボスの元に行くなら、八方塞がれてるよ……)
僅かな望みも消えたメルンは、ただひたすらカバンの中で震えるのだった。
そんな小人をよそにリャオ達はボスの部屋へと進んでいく。
モナは相変わらず、ピクリとも動くことはなかった。