死刑1-09 それは愛情ではない
空の話をすれば雪が降る。ソソンのことわざ。
氷のメイド長ことスヴェトラーナの相談ごとは、くだんの「メイドを希望する男」の話でした。
「何度お断りを申し上げてもたずねてくるのです」
おやおや、珍しくスヴェトラーナがしおれています。
「リョート相手に肝の据わったかたね」
「……王女陛下、今何か?」
スヴェトラーナのつんとしたメガネの下が細められます。
「いいえ。続けてください」
おっと危ない。
「繰り返したずねてくること以外は礼儀もしっかりとしておりますし、王室への忠義は疑いのない人物なので城に勤めるに不足はないとは存じます。ですから、ほかの職を勧めたのですが、どうしても給仕室がいいのだと」
なんだかわたくし、背筋が寒くなりました。
「給仕室の仕事をご存知ないのかしら」
「私もそうかと思って、説明をしたのです。お着替えやご入浴にも付き従わなければならないと。王家の女性が異性に肌を許すのは夫のみであると。そしたら、彼はなんて言ったと思いますか?」
スヴェトラーナは少し興奮気味にたずねました。
「さ、さあ?」
「僕にはその資格があると言ったのです!」
わたくしは思わず肩を抱きました。いったい誰がそんなこと。
「さすがに私も彼に向かって声を荒げてしまいました。それ以上無礼なことを口にすると衛兵を呼びますよと。……と、申し上げますか、すでに衛兵に捕縛させております。しかし、彼はまったく折れずに、サーシャ王女に会わせてください、会えば分かります、これは運命ですと妄言をわめきたてるもので」
「危険人物ですね。できれば会いたくない。取り次がなくても良かったのに」
なんなら処刑……と口から出そうになりましたが、いくら王室が尊くて身に危険があるとはいえ、今はそんなつまらない罪人を増やすほど暇でもなければ、わたくしの思うソソンの君主に相応しい振る舞いにも思えませんから、ぐっとこらえました。
「単なる勘違いをなさったかたであれば、私も門前払いでもソソンの拒絶送りにでもいたします。ですが、あの御仁は少々厄介でして」
「あなたを困らせるほどの相手なのね。その者の名前はなんと?」
わたくしは溜め息をつきました。これは厄介そうな案件です。スヴェトラーナがこのように昂ったり、核心を率直に話さないなんて、雪が全部溶けちゃうんじゃないでしょうか。
「王女陛下もよくご存じの、あのおかたです。勇者ローベルトなんです」
ローベルト。死刑復活のさいに国民の代表を務めた青年。民衆のあいだでは彼は“勇者”と呼ばれています。
彼は彼のための処刑では、わたくしをよく助けてくれていましたね……。
「はあ、なるほど。彼は少しばかり、“誤解”をなさっているようなのね」
「そういうことです。私は二度目の処刑の場には居合わせませんでしたから、その場の雰囲気を知りません」
「雰囲気もなにも。彼はいち臣民として刑吏と共にわたくしの仕事を助けただけです!」
「本当にそれだけですか? 王女陛下もご存知でしょう? 若いメイドたちのあいだの噂を」
「噂?」
ちらとベッドのほうを見ます。
「お耳に入っていらっしゃらないのでしょうか? サーシャ王女とローベルトさんは互いに好き合っているのではないか、という噂です」
「とんでもない!」
わたくしは思わず立ち上がりました。椅子が大きな音を立ててひっくり返ります。
「それなら安心なのですが。しかし、恋人ではないにしろ、王女陛下は政治的にも彼を重用しているように見えましたので、私の独断で彼をどうこうするわけにもいかず」
「でも、逮捕したんでしょう?」
「ものの弾みで。部下の前でもございましたし、私にも威厳というものが。それに、若い者の恋愛事情には疎いのですが、ローベルトも自信をもって相思相愛だ! 愛してるんだ! ……と言いますし」
そう言うとスヴェトラーナは頬を赤く染めて首を振りました。
彼女は顔の作りは非常に良いのですが、厳しい性格をしていますし、睨むように目を細める癖を持っています。
それを更に鋭く見せる眼鏡の形状がさらに怖く見せるせいでしょうか、四十を過ぎても浮いた話の一つも聞こえてきません(もっとも、毛皮のフードがポピュラーなソソンでは顔は二の次だったりもしますが)。
給仕室のかたたちだって、プロフェッショナルであると同時に人間、年齢を問わず女子でもあります。
臣下には勤務中の制服と王室儀礼を除けば多くの自由が許されています。もちろん恋愛も。城に仕える者同士のロマンスを小耳に挟むのはわたくしも大好きです。
装飾品も仕事の邪魔にならない範囲(といっても氷の瞳は見ています)でなら何を身に着けても構いませんし、髪型も思い思いです。グレーテは少し子供っぽい三つ編みで、スヴェトラーナは頭の天辺で長い髪を丸くまとめています。大臣の何人かは王族の前でも帽子をとらない許可証持ちです。
「どうしましょう……」
わたくしは中指に歯を立てて考えます。
「王女陛下、その癖はまだ直らないのですか?」
クリークの幽霊を叱るスヴェトラーナ。わたくしは指を引っ込めました。
けっきょく、ローベルトに会うことにしました。
公開処刑が定着するまでに、国民の代表として鉄槌を振るった彼にスキャンダルがあると不都合です。
かといって、野放しにして変な噂を撒かれても困ります。ここは上手く抱き込まねばなりません。もう一つ言うと、スヴェトラーナが可哀想でしたから。
『ルカの語らい』では、たしかにローベルトが頼もしく見えた瞬間もありましたが、それはあくまで君主と臣下の関係で、あの場の雰囲気とわたくし自身の昂りが加味されたせいです。
あれはそういう愛情に属するものではありません!
「ああ。ようやく会えた。サーシャ、サーシャ!」
後ろ手に縛られた青年が腰を上げ、馴れ馴れしくわたくしの愛称を呼びます。
わたくしはすぐに、いきり立った衛兵に手のひらを向けて首を振らねばなりませんでした。
「ローベルト。立場を弁えてください。あなたは今、逮捕されているのですよ。それに、わたくしとあなたは噂されているような関係でもなければ、事実もありませんよね?」
「檀上でのことがあるじゃないですか。僕はサーシャを助けたじゃないか。あれは婚礼の儀といっても過言じゃないでしょう?」
……えーっと? わたくしは何か聞き逃したのでしょうか。前後の繋がりが理解できませんでした。
「たしかにあれは儀礼的な意味合いのある一幕ではありましたし、わたくしへの助けには感謝しております。ですが、それ以上の意味はありません」
「サーシャはまだ知らないんだね。きっとこの国は良いものになるから! それに、僕には資格があるだ。証拠だって持って来ているんだ!」
「資格?」
「そうだよ。きみに会うまでは絶対に出すまいとしていたんだ。嫉妬で焼き払われても困るからね!」
「証拠とは何ですか?」
「僕のふところに入っている。それを見たら、きみも運命を感じるはずだ!」
そう言ってローベルトは縛られたまま胸を突き出しました。わたくしは衛兵に命じて、彼のふところを探らせました。
出てきたのは、樹皮と皮で作られた立派な巻物。彼とその先祖の名前の連なる……家系図です。
「王族は王と王妃、その直系の子供までと定められています」
わたくしは冷たく言いました。
ソソン王国には王室がありますが、貴族制度の採用はしていません。
ソソンの君主が中世ヨーロッパの王族を愚かに思う点に、血筋の過度な重視があります。代を重ねるごとに特権階級が増えていくのは民にとって何の利益にもなりません。
ソソンでは一等の親族から外れれば王室を出ることとなっています。ルカ王にもわたくしにも兄弟姉妹はおりませんが、大叔父に当たるかたや、はとこに当たるかたは国内に何人かいらっしゃります。
彼らは一般の国民と同じ扱いで、教師や毛皮の服飾デザイナーとして人生を楽しんでいると風の噂で聞いたことがあります。
それで不満に思わないのは、恐らくはきつく締められた王室儀礼の反動でしょう。わたくしもグレーテのような女の子と机を並べて勉強をする人生には憧れがありますから。
王室と城下が互いに憧れ尊重し合うことこそが、ソソンとクジマの作り上げた王政の究極系なのです。
はあ……ですが、たまにいるのです。薄くも王家の血を引くことを喜んで、それを鼻にかける者が。
誇りに思うのはけっこうですし仕方のないことですが、それで何らかの利益を得ようと考えるのは君主の思想と照らして、恥としか言いようがありません。
「四代目君主のアガフォンの妹、ヴァレンチナ・クジミーニシュナ・アシカーギャの名前があるでしょう? 僕たちは祖先にクジマを持つ者同士だ。彼から死刑制度が始まったのだから、これは運命の導きだよ! 僕は、父さんの家からこれを見つけたときに、愛に満たされるのを感じたんだ。彼らの死も無駄じゃなかった! あの男の行った凶行でさえ!」
正論の通じる相手とは思えません。完全にクレイジーです。神を信じる国ではこういったかたが過度な禁欲生活に人生を捧げたり、爆弾を抱えて人を殺すんでしょう?
ですが、ソソンの君主たるもの、この程度で動じてはいられません。
「ロブ。もうやめて」
わたくしは哀し気に見えるように努めて首を振って言いました。
「サーシャ」
「血を同じくするあなたの気持ちは嬉しいことです。しかし、わたくしは王女なのです。君主とは、国と国民のためにある存在なのです。我が父ルカ王も、自身のさだめを信じて、恐ろしい外の世界へ足を踏み出しました。ですが間違いを犯し、愛の鎖に囚われて苦悩せざるをえませんでした。愛は大いなる力ですが、ときに人を狂わせます。お父様ですら扱えなかった愛。小娘に過ぎないわたくしには、まだ恐ろしいものなのです。今はソソン王国にとって大切な時期。分かってください」
わたくしは一息にそう言うと、彼の髪にくちづける振りをしました。それから彼の耳元でこうささやきます。
「……愛と秘密を胸に。クジマから今日まで、何百年も眠っていたのです。春は近いでしょう」
わたくしが身を離すと、彼はこうべを垂れました。
「ああ! 僕はなんておろかな過ちを犯したんだ! 気が触れていたとしか思えない! ……大変申し訳ありませんでした、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ王女陛下。これからは、王家の血や勇者の鎚を自慢にすることはありません! 僕のソソンへの役目は十分に果たされました!」
彼は首をめいっぱいに伸ばして、天井に向かって抑揚豊かに誓いを行いました。
「スパシーバ、ローベルト。あなたは勇者の任を下りても誇り高き臣民の一人で、わたくしの父の一人であることは変わりません。……さあ、このかたの拘束を解いて城の外まで送って差し上げてください」
衛兵は首を傾げながらもわたくしの命令に従い、ローベルトを連れて出て行きました。
「王女陛下、よろしかったのですか?」
将軍がたずねました。ひげの下は不満気に歪んでいます。彼はサーベルの留め金を外していました。
「ローベルトは民衆の旗印とも呼べる人間です。今、スキャンダルを起こされると、これから数日の仕事に支障がでるかもしれません。死刑の執行が再開して国民に平和が戻るまでは、おとなしくしてもらいましょう」
「なるほど。ならば然るのちに“処理”をしますか?」
「そこまでは。彼はまだ初犯ですから」
わたくしは溜め息をつきます。なるべくなら、絶対的な王室の権限を振るいたくはないのです。
「ところで、何か耳元でささやかれていたようですが、よもや変な気を起こされたわけではございませんな?」
聞こえましたぞ、という顔です。まったく。
「あれは演技です。おとめに使える、ちょっとした魔法のようなものです」
そういってわたくしは微笑んで見せます。
「そうでございますか。ルカ王もそういった手には弱かったのを思い出しますな」
将軍は白い歯を見せました。彼はルカ王と近しい付き合いがあったそうです。わたくしとグレーテのような関係でしょうか?
「このニコライの目が黒いうちは、ルカの忘れ形見には虫一匹近づけませんぞ。まったく、スヴェトラーナのやつもわしに一声かけてくれれば良かったものを……」
ニコライ将軍は口を結びなおすと一礼をして去って行きました。
ところで、ローベルトを監禁していたこの本棚で埋まった部屋は、書庫兼、お説教部屋です。
もとはただの書庫だったのですが、何代か前のメイド長が部下を叱るさいにここを利用したのが始まりです。わたくしは書庫の鍵をいちばん使うのですが、それが鍵かけに見当たらなくて困ることもしばしばです。
さて、危険人物を遠ざけたのちは、また忙しい日々が続きました。氷のメイド長の威厳は守られましたし、わたくしの仕事や巡検大臣の生えぎわも順調に進みました。
そしていよいよ、公開の処刑が再開されます。少し間が空いてしまったことの穴埋めも兼ねて、比較的執行時間が短くなる死刑囚を選んでスケジュールが組まれました。
現在、死刑が確定している囚人は百二十三名。そのうちの百八名が再犯や複数の罪による死刑者で、さらにその中の百五名が死刑廃止期間中に逮捕された者です。
死刑制度が正しく機能していれば、彼らのほとんどは罪を犯さなかったでしょう。その悪行による被害者も生まれなかったはずです。
「執行完了!」「執行完了!」「執行完了!」
再開初日は三件の公務を果たしました。強盗殺人犯、窃盗犯、放火犯。
強盗殺人犯は手首を切り落としたのちに、首を絞められた被害者と同じようにしました。
絞首刑で一般的なのは、首に縄をかけたのちに高所より落とす『ロング・ドロップ』。世界史でも『銃殺』と並んでポピュラーな処刑方法でしょう。
しかし、それでは首の骨が折れて即死してしまう可能性が高いのです。首を絞められて死ぬというのは、そういった苦しみではありません。
“かれ”はロープで首を徐々に強く縛り、窒息させて処刑しました。わたくしは刑吏の結わえ付けたロープを最初に強く締める役を担いました。“かれ”の首の血管がどくどくと脈打つのが分かりました。
三件の最初の公務がわたくしに与える影響は心配でしたが、赤紫に怒張する“かれ”の頭は呻きはしたものの、いまいち響くことはなく、わたくしが檀上に立ち続けるために臣下たちの手を借りることもありませんでした。
窃盗犯。これは一件では死罪にはほど遠い犯罪です。
“かれ”がいかにして檀上へ上がったかをお話ししましょう。
もとはけちな泥棒稼業の男でした。仕事ついでにその場を荒らしたり、目撃者に手を上げることなどはしない、ただ生きるための窃盗犯でした。
そのため、最初の逮捕時は死刑廃止前だったものの、更生のチャンスを与えられ、無事に出所することができました。
その後は十年以上まじめに生活をしていたのですが、死刑制度が廃止になり、身の回りで悪事が行われていることを知ると、プロ魂が疼いたのでしょうか、再び他人様の物に手を出しはじめました。またも逮捕された“かれ”。しかも今度は刑務所内でも泥棒を働き続けたのです。初犯はともかく、あとの二つは衣食住が足りたうえでの犯行です。更生の難しさ、再犯死刑制度の妥当さを物語っていると言えるでしょう。
“かれ”は二度目の逮捕のきっかけとなった窃盗のさいに、馬を盗もうとしました。馬はソソンの民の持ち得る資産の中でも、家屋の次に価値の高いものです。
そのときの悶着で馬は転倒を起こしています。骨折こそは無かったものの、飼い主の怒りはいかばかりでしょうか。
馬泥棒の“かれ”は窃盗に関わった部位を切断されることとなりました。盗みのかなめである両手首と、馬へ跨ったその腰です。
“かれ”は壇上から降ろされ、頑丈な柱に縛り付けられます。その縄の先には被害者の一人である雌馬。彼女は力強く走りました。
右手にロープを結ったときは馬主が、左手ではわたくしが、胴体に結わえたときは刑吏の中でも馬の扱いに長けた者が馬にまたがりました。
馬が駆けると手首は梨をもぐように容易く腕から離れました。胴体への執行のさいは馬上の刑吏が衝撃で大きく揺れていたのが印象的です。
もしも、あの揺れがわたくしの腰に響いていたらと考えると、お父様のように乗馬を趣味にしても良かったかもしれないと思いました。
最後、放火犯。放火は焼いたものによって罪が大きく変わります。
樽や納屋を焼いても窃盗に毛の生えた程度の罪になるだけです。ですが、人間や住居が焼けた場合は死罪です。
極寒の国において家を奪うことは、住人全員の首にナイフを突きつけることに等しいのです。
放火が趣味なのかストレスの発散なのかは知りませんが、“かれ”のやり遂げたあとに残ったのは女性の遺体で、その黒焦げで曲がった身体は別の小さな遺体を抱いていました。
“かれ”は焼けた鉄の塊を抱かされたのち、火刑に処されます。
わたくしは赤き正義の鉄を抱く男の悲鳴を聞いて、いよいよ臣下の手を借りねばならなくなりました。
ルカの語らいを汚していく黒い煤に正義を見つけ、うつしよへの別れの挨拶である叫びは王女としての責務を感じさせました。
壇上を去るときには、腿がすれあうたびに苦悩するほどでした。見学をしていた群衆もまた、その日の執行で一番の盛り上がりを見せました。
やはりこの気持ちは、罪人の罪深さやそれを計る民衆の怒りとシンクロしたものなのでしょう。
ときに気を失うほどの正義と、血と炎が愚王の眠る広場を赤く染めていく……。
ああ! つまるところこの感情は、君主としてのまごうことなき愛なのです!