死刑1-08 平等と公平を与えよ
わたくしは目覚めの儀礼よりも早くにベッドから抜け出していました。
ローベルトのための処刑の夜は流石に夕食が喉を通りませんでしたし(こともあろうかメインはラムのソテーでした)、空腹と鋸引きのイメージの繰り返しのせいで、まったく寝付けなかったのです。
メイドが扉をノックするまで、コンピューターに向き合いました。もしやと思い、例の動画サイトの閲覧です。
『死刑姫サーシャの鋸引き』……! ありました。
わたくしの公務を記録した映像が、早くも世界へと流出しているのです。あの群衆の中に、わたくしを撮影していた者が居た。
それだけでなく、何らかの手段でこの映像を素早くインターネット上に公開した者が!
今回の動画には、ユーコ・ミナミのときと比べて決定的に違う点が一つあります。
それは、昨日は珍しく天気が良かったこと……といってもこの国では太陽は滅多に拝めず、良い天気というのはたいていは曇りのことを言うですけど、つまりは映像にノイズがなかったということ。
今回はわたくしの顔が誰にでも分かるほどにはっきりと映っています。
臣下たちに怪しい人物を探させることもできましたが、あえてしませんでした。映像は罪状の読み上げから始まり、罪への寄り添いの宣言、わたくしの昏倒、刑の執行の全てと、退場後の片付けまでがしっかりと記録されています。
動画がアップロードされてからまだ三時間程度でしたので、他のサイトでのピックアップはまだされていないようでしたが、再生数の上昇はサイトのトップページに掲載されるほどで、コメントも多数寄せられていました。
王家へ毒をなしたミナミの罪とは違い、こたびの死刑囚の罪状は世界から見ても狂っているとしか言いようがないものでした。
その上に、罪への寄り添いの宣誓もありましたし、なによりわたくしの昏倒が同情を誘ったようで肯定的なコメントが目立ちました。
「見なさい。そして知りなさい。薄氷の人道を謳う世界よりも、君主が自ら血の河へ降り、国民のための橋となるソソンが正しいということを。これがわたくしの、世界への復讐です」
わたくしは光る箱の前でほくそ笑みます。
――偽善だ。死刑姫サーシャは虚構の正義をもって、世界の友愛と先王の誇りを貶めている。
またも、王女の行いを否定するメッセージ。
愚王の行いを塗り替えることの何が悪いというのでしょうか? 匿名の世界では恐れを知らぬ者が多すぎるようです。
わたくしは昂ぶりを憶えました。落ち着かせるために、もう一度ベッドへ戻ろうかと画策しました。
しかしそれは、三度のノックで断念せざるを得ませんでした。消化不良気味ですが、慌ててコンピューターへ眠りを与えることとします。
時間が経過すれば、もっといろいろな反応が貰えるでしょう。今度は諸外国も黙っていることができないかも知れません。
素知らぬ顔でベッドに戻ると、再びのノックへ返事をしました。三回目までに返事をしないと一部の臣下は勝手に入ることが許されます。
朝の挨拶ののち、メイドたちがわたくしの寝間着を脱がせにかかります。面倒な作法です。
一応、申し上げておきますと、わたくしは自分一人でドレスを脱いだり着たりすることができません。おバカということではなく、ドレス自体が初めから一人で着れるように作られていないのです。
スカートは酷く重く、コルセットは締めるのに手助けが必要ですし、後ろ側のリボンがばっちり決まりませんから。オフの日や公務を終えたのちに身にまとう毛皮の私服はもちろん自分一人で着られます。
ちなみに、執行時の黒いドレスは比較して簡素な作りなので、ひとりでも一応着られます。実はデザインをしたのもわたくしで、一着は自身で縫い上げています。
「……王女陛下、お顔の色が優れないようですが」
年増のメイドが声をかけてくれます。給仕室副大臣エンマ。メイド長こと給仕室大臣の座にもっとも近い熟練者の行った心配は、作法には無い違反行為でした。
「体調不良ではありません。眠れなかったのです」
わたくしは短く答えます。
「おいたわしい。昨日の公務の過酷さは伝え聞いております。君主たるものの宿命は、私たちの娘へなんて酷い仕打ちを」
眼鏡を持ち上げて涙を拭うメイド。彼女は『氷のメイド長』によく従う寡黙な侍女のはずです。
「スパシーバ。心配ありがとう」
わたくしは彼女の額へキスを与えました。すると、年増のメイドはいっそう激しく泣き始めます。控えていた他のメイドたちからもすすり泣きです。
それを見るわたくしの心もじんわりと温かくなってゆくのを感じます。これぞ王女と臣下の絆の力です。
ですが、実のところは少々うんざりとしていました。なぜって、首にファーも巻いておりませんし、白い肩や乳房だって露わなままなんですから。
いくら暖炉があるとはいえ、朝の冷え込みはこたえます。彼女たちの愛は心を温められても、身体へは効果がないようですね…・…。
「くしゅん!」
さて、それから数日は刑務所『ソソンの拒絶』のルール改訂がわたくしの主な仕事となりました。
巡検室の大臣と将軍を交えてのデスクワークです。
巡検室とは、この雪に鎖された国の家々にアンケートを送って集計したり、各地の状況を目で見て調査するための部署です。
君主がいくら国民へ開いた態度を取ろうとも、全ての民が前へ出たがる気質でもありませんし、わたくしの身体もひとつしかありません。彼らはこの国の内なる耳と目の役割を果たします。
将軍は軍部の最高責任者で、刑務所の長にも命令できる立場。この国には対外の戦争や内乱もありませんから、実質的には先進諸国でいうところの警察組織の最高責任者みたいなものだと思って貰えばけっこうです。
王室は絶対。君主であるわたくしの意見も絶対。ですが、民の心をくみ上げない決定には何の意味もありません。
即興のアンケート調査の結果、やはりルカ王の死刑廃止時代の囚人の扱いに不満を感じる者が多いと判明しました。
ソソンにおける犯罪再犯率はたったの九パーセント。しかし、それは死刑廃止以前の統計で、死刑廃止期間中は反転。九十一パーセントを記録しています。
そのうえ、刑務所長からの報告で、再犯者や重罪者の刑務所内でのふるまいに不適切なものが多数確認されていたことも分かりました。
刑務所内での犯罪に相当する行為はすべて『再犯』として扱うことに決定。更生のチャンスのあるほかの者たちの努力を踏みにじることは許しません。
当初の予定通り、死刑廃止時代に入所した者の全ての星室裁判のやり直しが正式に決定されました。まあ、大した費用や時間は掛からないでしょう。再犯者には裁判の必要がありませんから。
無事に刑期を終えて出所できれば、国の補助により仕事の斡旋や衣食住のサポートがあります。善良な国民も再出発者へは暖かく手を差し伸べます。見知らぬ者へもパンと芋砂糖を振る舞うのがソソンの文化ですから。
もちろん、一般の国民だって衣食住の保証はされています。貧困者の食事や医療費は税金からまかなわれる『共済制度』があります。
巡検室の者が定期調査をしているので、そこで申請するか、城か関連機関へ直訴すればサポートは容易に受けられます。これは本人や屋根を同じくする者からの申告でなくても可能です。
つまりは、独り暮らしのお隣さんが病気のうえに飢えていたのを見つけたら、通報して助けてあげることができるということです。
それでも国からの補助を受けられず悲しい結末を迎える者は、何らかの事情で国の介入を拒み続けたケース(大抵これを行う者は衛兵に捕縛される秘密を隠し持っています)か、定期調査の合間を縫ったうえに直訴も申告の委託も不可能な状態に陥った、運のないかたくらいです。
これで犯罪被害者と再出発を望む者の名誉が回復する道筋が立てられました。あとは後日、わたくしが『ルカの語らい』に立てばいいだけです。
人数が人数だけに、スケジュールの調整に大臣たちの毛根の過労死が予想されますが、特例として、わたくしの前でも帽子をとらない許可証を出しますからご容赦を……。
ところで、この件については国民や被害者、遺族には一つ我慢をして貰わなければいけないことがあります。
それは刑の執行時期の不平等さです。刑が執行されるまで、被害者たちは苦しまなければなりません。
ですが、再犯でない犯罪者の、とりわけ死刑に値するかどうかの見極めに論争が起こるケースにおいては裁判が長引き、刑の執行が遅れてしまいます。
公正さを求めるのは、王室の絶対的な権力を用いてもいかんともしがたいことです。
再審の開始に併せて、これに留意して下さるように、わたくしがそれぞれの被害者たちへ自ら手紙を書いて届けさせることにします。
罪だけでなく、悲しみや苦しみにも寄り添いましょう。公平で足りぬ穴を埋めて平等に近付けるのが愛であり、君主たるわたくしの使命なのですから。
公務は犯罪関係だけではないというのに、ティータイムを設ける時間もない多忙さです。いえ、ティータイムをとることも王室儀礼として定められているものなので、それ自体はあるのです。
単に、冷めた紅茶と乾燥したお茶菓子を前にペンを走らせる内容になっているだけで……。
紅茶は一気に飲み干し、お茶菓子は隠しおいてあとで食べるか、そばかすと三つ編みのお友達に進呈するかです。
「最近、たくさんいただいてしまって、嬉しいやら申し訳ないやらで……」
わたくしにとっての友人で、ゆいいつの私的な不公平の対象マルガリータ。
グレーテったら、そばかすだけでなくて食べかすまでつけちゃって!
「食べながら話すのはお行儀が悪いですよ」
そう言いつつも、わたくしの指も食べかけのクッキーとペンを往復していました。
「こうしてサーシャさまに逢える時間は貴重ですし、廊下で食べているところを見られたら叱られるどころじゃ済みませんからねえ」
「まったく。ところで、最近のメイドたちの様子はどう?」
わたくしはグレーテを通じて給仕たちの様子を探ることにしています。なにかの疑いがあるということではなく、彼女たちは王家に仕える者としてのプライドがあるために、楽しい噂話を持っていても容易には聞かせてくれないのです。はしたないと思っているのでしょう。
ですが、噂は娯楽であると同時に、国民の望みを知るヒントにもなります。意見書だけではすべては見えません。
「みなさん、王女さまのことを心配してらっしゃいますよ。最近はずっと顔色が悪いって。やっぱり、刑の執行は専門のかただけに任せたほうがよろしいのではないでしょうか」
しおれてしまうグレーテ。
「ありがとう。でも、国民の心に寄り添うのが君主の務めなの。先代のあやまちを正す責任が、わたくしにはあります」
「それは理解してますけど……。それに、まだあの噂がラジオから聞こえてくるんです」
あの噂。死刑姫サーシャ。この数日間に新たな動画が世界中へ拡散されました。
しかし今回は肯定的な意見も多く、何やらわたくしのカリスマ性が世界の者にも届いたようで、中には冗談で「王女に処刑されたい」という発言をする者もいます。
あまつさえ、わたくしのことを勝手に絵にして喜んでいるかたまで!
絵と言っても、画家に描かせるような写実的なものではなく、記号的な……とりわけANIMEやHENTAIと呼ばれる芸術文化による表現です。
ユーコ・ミナミのような活動家が見たら気絶するような背徳的な代物から、思わず『秘密のフォルダー』を作成してしまうほどに可愛らしく、わたくしの特徴を良くつかんだものまで多種多様です。これらは見つけ次第、公平に保存しておいてあります。
もちろん、匿名人からの反応だけはありません。
今回は他国の要人もこの映像に関してコメントを出しています。
多くは「真実であればとても残念だ」というものでしたが、王室へコンピューターの導入を助けた国だけは小型の発電装置と予備のバッテリーと共に、死刑制度復活の撤回を求める親書を送ってきました。
バッテリーはありがたく頂戴しましたが、内政干渉もいいところ!
世界もソソンに無関心というわけではないのです。会談の打診などはまだありませんが、この部屋が未だに世界の情報網と繋がっていることからも、何らかのコミュニケーションの余地を残しているつもりなのでしょう。
処刑の再開はもう少しあとですので、世界はこの沈黙を肯定的に解釈するかもしれません。ですが、わたくしの返すメッセージは近いうちにインターネットの深淵でご覧いただけることでしょう。
「いやならラジオを切ってしまいなさいな」
わたくしは下を向いたままのグレーテにそう言いました。
「休憩室ではいつも私より立場の強い先輩と居合わせますし、勝手に切れませんよう」
グレーテは顔を上げてくれません。しおれた花には水を与えなければならないでしょう。
「ではひとつ、いちばん立場の強いわたくしと“秘密”を共有しましょう」
わたくしは口の前で人差し指を立てました。
「ひ、秘密ですか?」
そばかすの頬が赤く染まります。
「世界の反応はラジオから聞こえて来るものだけではないのです」
人差し指でコンピューターのスイッチを押します。
「わっ! サーシャさま! それは王室の機密です! そんなものを見たら、私は死刑になってしまいますよう!」
両手で顔をおおうグレーテ。
「誰があなたを死刑になんてするものですか。君主が良いと言ったら、被害者のいない犯罪は全て白く塗り替えられるのです」
グレーテを放ってマウスでテーブルを撫でます。
「ほら、見なさい。先の処刑の映像も世界へ流出したようですけど、わたくしの真意を読み取って称賛している者も多いのですよ。死刑姫はわたくしを蔑めるだけの仇名ではないのです。一部では愛称のように使われています」
わたくしはグレーテの腕をつかんで、モニターへと引っ張り込みました。
「う……良く分からないですけど。サーシャさまがそう仰るのなら……」
見せたのは文字だけです。秘密の画像や、若い娘には厳しい処刑映像は見せませんでした。
「まだ元気が出ないのね。少し世界を旅してみましょう」
わたくしはインターネットを使い、世界の良い点、とりわけ美しい景色や、ユニークで笑いの漏れる動画をグレーテに見せました。
親友は再びわたくしに花開いてくれました。とりわけ、ソソンには縁遠い海の映像が気に入ったようです。犬のサーフィンの動画では目を回しそうになっていました。
「すごい箱。頭がこんがらがりそうです。この箱には何でも入っているんですか?」
「何でもというわけじゃないですれど。おはなしに出てくる老木の賢者くらいには物知りね」
「世界には珍しいものがたくさんありますねえ……。あ、そうだ! 珍しいと言えばですね。最近、変な人がメイドになりたいって、たずねて来たんですよ」
「変な人? どんなかたなの?」
わたくしは首を傾げます。メイドの雇用は給仕室の長、つまりはメイド長スヴェトラーナに一任してあります。彼女のことは信頼しています。グレーテは少しそそっかしいですが。
「はい。それがですねえ。なんと、男のかたなんです!」
「ええ……」
王族の身の回りの世話をする給仕室に男はいません。肌を許すに相応しくありませんから。これは世界で問題になっている男女差別というものではありません。
男性が不遜な感情の頭をもたげたさいに、女性に比べて歯止めが効かないのは明白なこと。生物学的な問題であり、区別なのです。
似た理由で、ソソンの衛兵には女性がおりません。身体的な採用基準を満たせる者がいないからです。男女ともに条件自体は同じで公平ですが、好き好んで衛兵になりにいらっしゃる女性はいないようなので不満も出ていません。
「それで、スヴェトラーナは何て言ったの?」
「試験もなしに、ツララをぶっさすように駄目ですって一蹴しました!」
「あはははは! さすが氷のメイド長ですね!」
グレーテが指で自身の目を吊り上げてスヴェトラーナの物まねをしたものですから、思わずはしたない笑いをしてしまいました。
「……ふう。仕方のないことです。でも、その熱意だけは買ってあげたいものですね。他の職ではいけないのかしら?」
「さあ? でも、ラジオでは“だんじょびょーどー”とか聞こえてきますし?」
「これはそういう問題ではないのです。休憩室やあなたのベッドに男のかたがいるのを考えてごらんなさい」
「う……いやですね。男のひとなら女のひとに世話されるほうが好きそうですけど」
「そもそも希望したって、給仕室に入ること自体が簡単でありませんし、男子禁制でいやな思いをしている者はそういないでしょう?」
「そうですね。雪かきのお役目なら、最近腰を痛めて一人抜けたので空いてるんですけどねえ」
わたしくたちが変わり者の話に花を咲かせていると、ドアがノックされました。
「王女陛下。スヴェトラーナです」
「げっ!」
グレーテが素早くベッドの陰へと隠れました。
「……お入りなさい」
わたくしがいっぱく置いて許可を出すとメイド長スヴェトラーナが入室して来ました。
「どうしました?」
「少し困ったことがございまして。王女陛下のお力を借りたく」
スヴェトラーナは声を潜めて、辺りをきょろきょろと見回しながら言いました。わたくしは肌でベッドの裏の気配が緊張したのを感じます。
「なんでも言ってちょうだい」
「では……」
氷のメイド長が困って人目を忍んでわたくしに頼むほどの案件。何だと思いますか?