死刑1-07 なぜわたくしが鋸を引くのか
ソソンの腕利きの細工師ボグダン。木材や鉄の扱いに長け、家具や道具を作る工房の親方。彼には三人の息子がいました。
ボグダンは工房を息子に継がせようと考えていました。
ですが、長男は腕前こそは良かったものの、飲酒癖のせいで手元を狂わせて顧客を怒らせることが多かったようです。そのため、ボグダンは次男に工房を継がせました。
長男はこれに憤慨し、さらに酒浸りの生活を送ることとなります。当然、酔ったままではノコギリを引くこともノミを握ることもできませんから、仕事はなくなりました。
飲み代が尽きればアルコールも抜け、復帰の良いきっかけになるはずなのですが、しらふのノコギリが選んだのは白樺や樫ではなく、善良なひとの血肉だったのです。
“かれ”は仕事道具を持ってある夫婦の暮らす民家へ押し入ります。このとき“かれ”は酔っていませんでした。
夫婦をロープで縛り、カナヅチで脅して金のありかを聞き出そうとしましたが、夫婦はかたくなに教えようとしませんでした。
仕方なく、“かれ”は家じゅうを荒らし回りました。なかなかお金を見つけることができません。
しかし、“かれ”はお金の代わりにキッチンから“目的のもの”を見つけることができました。ですが、危険を冒した対価にはとうてい足りません。
“かれ”は“目的のもの”をさっそく空にすると、奥さんを椅子に座らせて、ひじ掛けに彼女の腕を縛り、脅迫のために手首へノコギリを使いました。
……その後に何が行われたのかは分かりません。
暖炉の裏に隠された大切な老後の貯えと、いつか息子への祝いをするために用意されていた大金はそのままでした。
そして“かれ”は、赤い部屋の中で『ふたり分の人間で作られた椅子』のそばで泥酔しているところを発見されました。足元には空になった蒸留酒と果実酒のボトルが数本転がっていたそうです。
発見者は夫婦をたずねた息子ローベルト。そう、あのローベルトです。彼は赤い椅子の正体にすぐには気付けませんでした。血まみれで倒れている見知らぬ男に驚き、“かれ”のために医者と衛兵に助けを求めに飛び出したのです。
死刑廃止期間中の出来事です。人ならざる行いもさることながら、“かれ”の実父であるボグダンが名高い職人だったために、このニュースはメイドの噂よりも早く国中を駆け巡りました。
わたくしもこの件を取り上げて、ルカ王に死刑廃止への諫言の材料にしたことを憶えています。
ボグダンとその次男は、“かれ”の犯した罪のせいで仕事を続けることができなくなりました。
三男は病弱な少年で病床に伏していたのですが、世間からの非難と医者からの不当な拒絶のすえに亡くなってしまったそうです。
“かれ”はまだ生きています。恐ろしいことに、『衣食住を保証されて、多少の娯楽も許された状態で』です。
ソソンでは刑務所も福利厚生が徹底されています。罪人であろうとも国民は国民です。かつての斬首刑の執行はすみやかに行われていましたし、刑務所で生活する者は全て初犯ですし、必然的に罪も軽い者ばかりになりますから。
ここにひとつ、ルカ王の手落ちがあったわけです。死刑制度の廃止こそはすれども、福利厚生の調整が追い付いていなかったのです。
我が国の刑務所『ソソンの拒絶』では、最低限の寒さを防ぐ壁と共用の暖炉がありますし、毛皮の囚人服をまとい自分たちで作るスープは温かで、誕生の祝いには特別のお菓子やお酒だって差し入れられます。
そう、義憤に駆られてこぶしを振るった者でも、酒のために夫婦を一つの椅子に作り変えた男であっても、その権利を公平に与えられたままだったのです!
「これより、刑の執行を行います!」
わたくしは声高らかに宣言しました。今回の処刑は、ユーコ・ミナミに続いて二度目の公開処刑です。
「この者の罪は、みなさまもすでに知っての通り。いまさら語るものでもないでしょう」
と、言いながらも刑吏から渡された樹皮紙を読み上げ、一応は犯罪の経緯を高らかに読み上げます。これは神を王室におきかえた、神聖な儀式のようなものなのですから。
「……この者に相応しい刑は『鋸引きの刑』。この場において解体をします!」
『ルカの語らい』、その壇上。椅子に縛り付けられた男のさるぐつわが外されます。
「おぼえてねえんだ! 金のありかを聞き出そうとカナヅチで脅したところまでしか! 誰も俺がやったところなんて見ちゃいねえんだろ? 俺じゃねえ! 俺じゃねえ!」
“かれ”は無実を訴えて叫びます。集まった群衆からは大ブーイング。
「切断した四肢に、おまえの酔って行った仕事と同じ手元の狂いが見られた。それが証拠だ。それを証明したのはボグダンだ。ちなみに、今おまえを縛り付けている椅子を作ったのも、おまえの親父と弟だぞ」
刑吏長が言いました。
ボグダンの工房は一般の仕事を失いましたが罪滅ぼしを兼ねて、処刑に用いる道具の製作を請け負う役に就いたのです。
「親父が!? クソ、あいつに工房を譲っただけじゃなく……。あいつらもばらばらにしてやれば良かった!」
汚らしく唾を飛ばす“かれ”。
「王女陛下。もう、我慢がなりません。早くやらせてください」
ローベルトが震え声とともに言います。
「いいでしょう。ですが、“ひと引き”ですよ。必ず守って下さい」
“かれ”の身体はあちらこちらで固定され、ひじ掛けに乗った腕のところに長いノコギリが設置されています。
「どうしてですか? 僕は、彼をばらばらにしてやりたい! ひと引きじゃ殺すこともできない!」
「ロブ。怒りに駆られるのも分かります。ですが、正義のもとの執行であっても、殺人は殺人に違いないのですよ」
わたくしは、新たな処刑法にルールを設けました。『希望すれば、被害者およびその関係者も正義の一撃に加わることができる』と。ただし、それだけで致命の一撃となってはいけません。
執行官に関しても原則として複数人用意します。彼らは誰しもが処刑に加担しますが、誰しもが殺していないのです。詭弁であるのは承知しています。これも罪であることには違いありません。
それでも、『人殺し』の罪というものは、誰かがひとりで背負うには重すぎるものですから。
ローベルトは最初のひと引きを、精鍛な顔に青筋を浮かべて行いました。罪人の大絶叫が広場から空へと解き放たれます。間近でそれを受けたローベルトは、いっしゅんで怒りの表情を雪原へ変え、後退りました。
わたくしの胎にも罪が染み渡ります。椅子から垂れる赤い雫が木の床を叩く小気味の良い音。あの体液のぬめり。“かれ”の身体が脈打ちます。
『ルカの語らい』で罪人の血が広がるのを見ると、胸が高鳴り、自身への非難のコメントを見たときと同じ感情が沸き上がりました。頬が上気し、手のひらに力が入らなくなるのを感じます。
わたくしは息をすることも忘れたまま、椅子へ歩み寄ります。
ノコギリを扱うのは生まれて初めてでした。わたくしは王女ですから。ですがそれは力加減の違いだけで、ヒツジのステーキを切るときに似たものに思えました。
「ああ……!」
あの、脂身と赤身の境のすじ。ぷつりと切れる感触。骨の硬い引っ掛かり。それと同じものがノコギリを握る手に伝わったとき、恐ろしい波と震えの気配を感じました。
そして、わたくしの意識は吹雪に飲み込まれ、椅子と一体化した“かれ”のあしもとへ昏倒してしまいました。意識の消える際に感じた、冷えた生命の海の匂いは今も忘れられません。
ユーコ・ミナミのときとは違い、壇上に臣下やメイドはおりません。わたくしを起こしてくれたのは刑吏たちとローベルトでした。
「ああ、王女陛下。どうして、麗しき国民の娘までが鋸を引かねばならないのですか? この惨状に居合わせるのだっておつらいはずなのに!」
ローベルトは目に涙を浮かべてたずねました。群衆からも動揺と心配の声が聞こえてきます。
わたくしは彼の手を借りて立ち上がり、臣民たちへ向き直りました。冷たい風を受ける頬に血が乾いてゆくのを感じます。
「わたくしはソソン王国の君主です。君主は国民のためにあります。罪を犯した者も、犯された者も、どちらもわたくしの臣下で、人間に違いありません。執行の任を担う刑吏も人間です。たとえ処刑されるのが罪人であろうと、命を奪うことへの心苦しさがあるでしょう。この仕事は、誰か一人が担うには重すぎるものなのです。よって、あなたたちの娘であるアレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャは、ソソンの全ての罪に寄り添わなくてはならないのです。それが君主のさだめなのです」
そう、全ての処刑に君主も正義の一撃を加えることを定めたのです。
“かれ”は大罪人でした。罪とは本来、犯したものだけに帰依すべきものです。それでも、“かれ”の父ボグタンと弟たちは償いの役に就くことを決めねばなりませんでした。
それと同じように、わたくしも償わなければなりません。罪と苦悩の共有こそが君主の役目なのです。
またもサーシャ・コールが父の墓上に響き渡ります。霊は信じていませんが、このときだけは心の中で問いかけました。
「見ていらっしゃりますか、お父様。あなたの娘の、今の姿を!」
無意識に空を見上げました。ルカ王は土の下だというのに、不思議なものですね。
「チクショウ。早く、早く殺せえ」
呻き声が聞こえます。すっかり忘れていました。続きをしなくてはいけません。
わたくしは手を挙げます。肘を直角に、指はまっすぐにし、あいだもしっかりと詰めて。
“かれ”は両手首を切断され、右の肘の骨を外されるまで叫び続けました。わたくしは血の香りと叫びのせいでまたも立っていることができなくなり、勇敢な青年の支えに甘えました。
叫びが消え、血の吹き出しも鈍くなったころ、刑吏が“かれ”の終わりを確かめました。
「執行完了!」
刑の終わりの知らせとともに、国を揺るがす大歓声が広場を包み込みました。わたくしへの労いと、勇者を称える声。
「お疲れ様です、サーシャ王女」
わたくしへ声をかける青年。それは出過ぎた親しさを孕んでいましたが、疲労のせいか心地良く耳に触れました。
「あとは、一人で戻れますから」
わたくしはそう言うと、彼から逃げるように身を離し、腿を滑らせて処刑の檀上から下りました。黒き執行のドレスも、肩にかかった髪も重くなっているのが分かります。
刑吏の一人は慌ててわたくしの後を追ってドレスの裾を持ち上げなければなりませんでした。退場のことも儀礼として手順を定めていたのですが、仕方のないことでしょう。
次の執行には少し間を置きました。おとめには少々、刺激が強すぎましたから。