死刑1-06 死刑姫の目覚め
世界の報道機関はルカ王の死をセンセーショナルに取り扱いました。
平和と近代化の象徴が不運な事故で死亡。遺されたのは若い王女がたったひとり。同情されるのも無理はありません。
確かに、多くの国の基準からすれば、わたくしはまだ未成年ということになります。
いっぽうでソソンの平均寿命は六十歳にも満たない短いもの。紛争のない国としては破格の短命です。それはこの寒さと、幅の狭い遺伝子の交配のせいかもしれません。
ですが、短い生はかえって幸福の味をより一層際立たせますし、身体が大人のしるしを持つようになれば、早くに幸福を味わい、生物としての使命を果たすべきなのです。
わたくしが何才だろうとワインを口にして王女として多くの民を従わせるのに何の問題もありません。心配は無用です。
同情的に報道されるのは本当に不愉快でした。
わたくしは何度かパーティーの場で世界の要人に姿を見せたことがありましたが、ろくに気に掛けて貰った記憶なんてなかったのです。
それが「仲睦まじい親子の悲劇」ですって? わたくしは補佐としてルカ王に随伴していただけでしたし、彼もわたくしに構いませんでした。何より、その悲劇を招いたのは世界のほうなのに!
……まあ、良いでしょう。わたくしはもはや、ソソン王国より一歩も外へ出ることはありませんから。
外交なんておしまい。民たちのためにはそれがいちばんです。
「オオカミのリーダーは群れではなく、森のためにある」なんて言ったら、あなたたちだって首を傾げるでしょう?
ソソンの君主たるもの、まずは愛する国民の心のケアが第一です。
死刑制度を復活させれば治安が回復し弱き者が胸をなでおろし、近代化の計画が消えれば労働者たちはようやく骨休めができます。
次に臣民たちがわたくしに望んでいたのは先代の溜め込んでいた仕事の消化でした。
ユーコ・ミナミの処刑の興奮から冷めやらぬ彼らは、犯罪被害者で集い、王城へ直訴しにやってきました。
その旗印は正義の鉄槌を受け取った青年ローベルト。彼は執行時よりも顔付きが大人びて見え、瞳には鉄槌と石炭より受け継いだ正義の炎が輝いて、数日のあいだに非常に魅力的な男性になっていました。
彼らの望みは、本来死刑に処せられるべき罪人の星室裁判のやり直しと、死刑囚を除いたすべての罪人へのあらたな刑『罪に応じた部分を罰せよ』の適応でした。
前者についてはふたつ返事。わたくしもかねてからそのつもりでした。本来死刑になるべき者には死んでいただきます。
ですが、軽度の罪人に関してはさすがに『窃盗犯の手首を切り落とせ』なんてことはしたくありません。
手は盗むためだけに使われるものではないのです。仕事をし、子を抱き、友人たちと繋がるためにだって使われます。
『性犯罪に対しての去勢』も求められましたが、これも却下。
死刑台の上で焼けた鉄の棒を挿入するさいに、それが破壊されていたら意味がありませんし、オオカミは飼いならしても森に帰りたがるものですから、ちょん切ったって再犯は抑えられないでしょう。
ソソンにはある制度が設けられています。『再犯死刑制度』です。
死刑にならない程度の罪人にはチャンスが与えられます。そして、それを逃すものは更生不可のレッテルが貼られて排除されるのです。
どのみち悪人は死にますし、善人に戻りうる人の身体は破壊すべきではありませんから、やはり『罪に応じた部分を罰せよ』は飲めません。
わたくしの直接の説明により、被害者団体にもご納得いただくことができました。
さて、彼らからはもう一つの要望がありました。死刑制度の改良に関して、『公開処刑を通例化して欲しい』というものでした。
以前の『一刀の下に首をはねる』処刑の時代では、刑務所『ソソンの拒絶』の執行用の広場で遺族や被害者のにのみ開かれていました。
ユーコ・ミナミの処刑での高揚感は、わたくしにだって忘れがたいものでしたが、それ故に、行き過ぎると国民にとって毒となることが推測されます。
もちろんノーの返事をするつもりですが、今はまだ熱が冷めきっていない状態。それらしい理由をつけて保留とし、後に正式にお断りをすることとしたのです。
……したのですが。ここで予想外の出来事が起こりました。
先もお話しした通り、我が国には口伝えや書類をまわす程度にしか情報伝達の手段がありません。
例外として、ルカ王が王室に特別に持ち込んだコンピューターと、経緯は知りませんが祖父イリヤ王の代に一台だけ城へやってきた手回し式ラジオがあるだけです。
このラジオはメイドたちの娯楽であり、宝物として大切に使用されています。使用と言っても、気紛れな天気を縫ってときおり隣国の電波が入るくらいです。
彼女たちにはその放送内容も意味が分からないことも多いのですが、面白いと思ったものは尾ひれがついて場外へ持ち出され、酒場から一般家庭へと流布されるのです。
いっぽう、わたくしの中世フランス式の私室の片隅に鎮座する現代科学の箱は、“田舎王家の悲劇”を垂れ流すのが不快だったために電源が落とされたままです。ルカ王とユーコ・ミナミが去った今、保持しているバッテリーが尽きればわたくしの部屋の中の異物は取り除かれることでしょう。
インターネットを使って面白かったのは、メイドたちが流した噂がかなり脚色されたユニークなものだったと分かったことです。
ある国ではネコが列車の駅長を務めて自ら切符を切っているとか、水の代わりにウォッカでお風呂を沸かす国があるとか、全てがトマトで出来た町があるとか!
失礼。話が少しそれましたが、メイドたちがそのラジオから抽出した噂に、酷く気にかかるものがあったのです。
――死刑姫サーシャ。
わたくしへの不名誉なレッテル。それが臣下たちのあいだで囁かれている? 義憤にまかせて行った公開の解毒は悪手だったのでしょうか? 臣下の心がわたくしから離れてしまう?
……いいえ、心配はしましたが、メイドのひとりが否定をしてくれました。
「サーシャさま! ちょっとお耳に入れたいことが」
メイド長の目を盗んで扉へ三度のノックをしたこの給仕。そばかすの目立つわたくしと同年代の娘で、名前はマルガリータ。愛称はグレーテ。
「どうしたのグレーテ。今日はクグロフの残りはありませんよ。勝手にたずねたのがばれると、わたくしもメイド長にお小言を言われてしまうのですからね!」
グレーテは経験の浅いメイドで、公務には滅多にわたくしに接近することはないのですが、あるとき、わたくしが厨房のそばを通ったところで彼女がつまみ食いをしているのを目撃したのをきっかけに付き合いが始まりました。
普通ならば誤魔化したり処罰に恐れおののくべきところを、あろうことか王女へ無断で急接近。見逃してくれるように頼み込んだ上に、賄賂としてわたくしをつまみ食いの共犯者に仕立て上げた恐るべき娘です。
かれこれ二年くらいの付き合いになるでしょうか? わたくしが少々荒れていたときにも、よく不満を聞いてもらったものです。
「今日は食べ物の話じゃないですよう。サーシャさまは、あの噂をご存知ですか? 私は、ついさっき聞いたんですよ!」
身振り手振りを交えるグレーテ。彼女の栗色の三つ編みが踊ります。
「何の話ですか。噂なんてメイドの数だけあるでしょう?」
「ほら、あれですよう、あれ。……“死刑姫サーシャ”!」
ほんとうにこの子は。恐れを知らぬというか、阿呆というか。
わたくしは思わず黙ってしまいました。メイドたちの噂話は、いやでも耳に入ります。とっくにご存知というものです。
ですが、聞き耳を立てたり、王女がずけずけと会話の輪に入るわけにも参りませんから、それが単なるたわごとなのか、悪意なのか判断に困っていたのです。
この無垢だと信じているそばかす娘の瞳を見るのが恐ろしく思ったのは初めてでした。もしもその輝きに軽蔑の曇りを見つければ、愚王の死以上の痛手になったに違いありませんから。
「みんなカンカンなんですよ。よその国の人は勝手なことばかり言ってるって! サーシャさまは、みんなのためを思って頑張っていらっしゃるのに」
グレーテは怒り、言い終わらないうちに静かに泣き始めました。わたくしは人目を気にして彼女を部屋へと引っ張り込み、扉を閉めました。
「グレーテ、世界のたわごとなどは気にしてはいけません。ラジオから流れてくるものは、子供の作ったおはなしのようなものだと、みんな言っているでしょう?」
震える背中を優しく撫でて諭します。
「そうですけど、デタラメだろうとなんだろうと、私、悔しくって! 友達を悪く言われて嫌な気持ちにならない人なんて、この国にはひとりもいませんよう!」
「そうね、あなたの言う通りです。でも世界の人々には心なき者もいるのです。わたくしとあなたたちは心を共にする者。あとで公式に城内の者で集まって、この噂に対していっしょに腹を立てましょうね」
「そうしてくださると、私の気持ちも晴れます」
グレーテは鼻をすすって言いました。
「でも、メイド長には私が直訴したことは内緒にしてくださいね」
ちらとこちらを見るイタズラな瞳。わたくしは額へのキスで答えます。
「へへへ……身に余る光栄です。それでは、仕事に戻ります」
グレーテは直立すると礼をし、後ろ手でドアノブを探します。慌て者の手が十秒くらいしてようやく目的のものをつかみ、彼女は部屋の外へと出ました。
わたくしがその姿への失笑を吐き出そうとすると、そばかすの顔が閉まる扉の隙間から覗きました。
「……どうしました?」
「あの、ひとつ疑問が」
「なんですか?」
グレーテは声を潜めて言いました。
「世界の人々は、どうやってサーシャさまがユーコ・ミナミを処刑したのを知ったんでしょうね?」
「さあ? どうやってでしょうね? 世界には色々な技術がありますから」
わたくしはそう答えて、みずから扉を閉めました。
グレーテの指摘を受けて、それは大いなる疑問へと変化を遂げました。
ユーコ・ミナミは戸籍上はアメリカ人。先進諸国の技術の中で暮らしていました。スマートフォンやノートパソコンなどの通信機器も所持しており、絶え間なく誰かと連絡を取っていたはずです。
その連絡が途絶えれば、知人が不審に思うのは自然なことでしょう。ですが、あくまで行方不明どまりになるはずですし、わたくしが死刑制度の復活を行いミナミを処刑したことを知るのに直接つながるはずはないのです。
彼女の手の者は処刑時にはソソンに残っていませんでしたし、執筆していたソソンについての本も世界へ羽ばたかず灰と帰していましたから。
わたくしはコンピューターの電源を入れました。部屋の隅で冷えた箱の目覚めが悪いのが酷くもどかしい。オペレーティングシステムが立ち上がると、すかさずインターネットブラウザーをクリックします。
ソソンの名やルカ王の名、そしてわたくしの不名誉な仇名で検索を掛けると、これまで候補に出なかったある『動画投稿サイト』が候補に現れました。
そこは無法地帯に近く、残虐な行為や凄惨な事故を捉えた映像をリークしている人の心の深淵と呼べるものです。
サイトのページに飛ぶと、再生され始めたのは『ユーコ・ミナミの処刑』。
映像は、ちょうどわたくしがメイドたちに囲まれて執行用のドレスに着替えさせられるシーンから始まっていました。アングルからして撮影は群衆の中、比較的前列から行われているようです。その映像には、わたくしの死刑廃止宣言や毒婦が死んでいく姿がしっかりと収められていました。
「いったい、誰が?」
思わず口をついて出る疑問。
いかなソソン王国が死の山々に囲まれているとはいえ、厳重な監視や高い壁が隔てているわけではありません。
とはいえ、目立たぬように入国しようと思えば、滑落やオオカミの恐怖に勝たねばなりませんし、ミナミの関係者は王の死と同時に国外へと引き上げていきました。
中には臣下とつながりを持ったと思われる者もいましたが、連中は大義を隠れみのに私欲でソソンに関わっていただけでしょうし……。
薬指に“いつもの痛み”が走りました。わたくしには、考え込むと無意識のうちに右手を口へやり、中指に歯を立ててその先に舌を触れさせる悪癖があります。お父様によく「またクリークの幽霊がでているよ」と笑われたものです。
クリークとはファング。牙のことです。
この国の民話には、「手仕事をさぼってぼんやりとしていると目に見えない牙の怪物がやって来て指先を噛む」というものがあります。子供に凍傷の怖さを教えるためのおはなしです。
せっかく箱を目覚めさせたのです。頭の中の乏しい情報を漁るよりは、きちんと調べたほうが良いでしょう。わたくしは情報の空を飛び回りました。
やはり、“死刑姫サーシャ”の噂はこの動画が大もとだと分かりました。
公的な機関はこの動画の信憑性は低いとしているのか、個人運営レベルのサイトやソーシャルネットワークサービスで無責任に流されている程度です。
たわごとだと分かってはいますが、動画に対してのコメントにも目を通しました。
それらでは、ほとんどが映像の真偽に関しての話題でしたが、わたくしにはそれが本物だとはっきりと分かります。あのとき、一度止んだ雪が吹雪へと変わったのはよく覚えています。
映像を信じている者たちはわたくしに対して辛辣なメッセージを送っていました。非人道的だの、中世の貴族にコンプレックスでもあるのではないかだの、異常性癖だの、サイコパスだの。
つまらない言葉に手順を踏まずコンピューターの電源を落とそうかという考えがよぎったとき、あるコメントが目に付きました。
――王女は、ルカ・イリイチ・アシカーギャ国王の行ったことを踏みにじり、ソソン王国どころか世界の歴史に泥を塗っている。
頭では理解していたつもりでしたが、有象無象の匿名人にこれを言われたとき、ある感情が沸きあがりました。
それは、あの女の悲鳴を聞いたときと同じものでした。ルカの語らいで気を失ったときほどのものではありませんが、気持ちが弱いぶん、その正体を自分自身ではっきりと捉えることができました。
あの時は、場の雰囲気や精神的な過労で気を失ったと思っていました。ゆえに、臣下に身体を支えられ、壇上をあとにした後の身清めで、王女に有るまじき恥じらいをメイドたちに励まされるはめになったのだと考えていました。
しかし、このときにはっきりと自身の中に眠っていた“なにか”が目覚めていたのに気がついたのです。
わたくしは、急いで画面から目を背け、思考をシャットアウトしなければなりませんでした。それから、注意深く肌着を調べました。
もしもソソンに宗教、とりわけ聖書が残っていれば、これを罪だと感じたことでしょう。ですが、わたくしはこれを善だと、使命の正しさを証明するしるしなのだと感じました。
わたくしがあの愚王と世界へ復讐する方法。それは『拒絶』が答えだと考えていました。
ですが、それは間違い! 本当の復讐、本当の正義とは、父が世界に媚びて行ったものを踏み潰し、塗り替えることに違いないのです!
公開処刑はその手段にうってつけでしょう。
「まずは、ローベルトの仇からにしましょう」
わたくしは、奇妙な味のする指先を舐めながら微笑みました。