死刑4-01 広い世界で手を!
拝啓、十年後のわたくしへ。
こんにちは。お元気ですか? 今、どちらに居ますか?
わたくしたちの国へ帰ることはできましたか? ソソンのみなさんは幸せになれましたでしょうか?
もちろん、あなたが幸せになったかどうかも気になります。友達と喧嘩をしていませんか? 恋人はできましたか? 家族はできましたか?
……なんて、心の中でたずね続けたことの繰り返しになりますね。
わたくしがソソン王国を出てから一年。色々なことがありました。
あの晩、マルクさんとニーナさんの店を出て、雪の舞う中、灯りも無しに国境を目指しました。
夜にもかかわらず、多くの国民がいまだ眠らず、路に出ていらっしゃりました。
革命を望んだかたがたはお酒を飲んでお祭り騒ぎ。わたくしの死を望んでいたかたがたも、死んだはずの王女へ敬意を払う言葉を述べていらっしゃりました。
望まなかったかたがたは、わたくしが処刑されたとの報を受けて嘆き悲しんでいらっしゃりました。
死人に口無しということで、もっと好き勝手に罵倒されるのかと思いましたが、やはりソソンの国民には他者を思いやる心が根付いているようで安心しました。
処刑も済んで混乱が落ち着けば、わたくしを王女ではないかと疑う者はひとりもいなかったようです。
町を抜け、森に入り、ゆいいつ獣に怯えながら国境へ。
その先で待ち受けていたかたは意外な人物でした。
国外脱出を手伝ってくれたのは、以前から王室の品の輸入を手伝ってくれていた隣国のかたと、なんとあのユーコ・ミナミの所属する団体の職員でした。
彼らが身分を明かしたとき、わたくしはやはり処刑や報復をされてしまうのではないかと思いました。
他者を赦し、罪に寄り添い続けるなんて言ったものの、やはり自身に非があると信じるのは難しいことです。わたくしはまだ未熟者のようです。
ですが、交易を拒否した隣国も一枚岩ではありませんし、確執のある団体とはいえ、あの団体は国連との繋がりもあるれっきとした支援と慈善の団体。
わたくしの犯してきた罪は横において大使館まで移送して頂くことができました。
基本的人権の尊重。処刑によって死刑姫がたくさん踏みにじってきたはずのそれによって、生き長らえたのです。
亡命についてはもちろん、隣国のかたにはこれまでお世話になったことのお礼も述べ、団体のかたには謝罪をする機会をいただきました。
現時点では難しいですが、ソソンが落ち着いたら必ずユーコ・ミナミの遺骨を親族のかたへお返しすることを誓いました。
こうして、わたくしたちはソソンを発ちました。
国外では驚くことの連続でした。
世界のかたがたは、ソソン自治区がこうなるのではないかとあらかじめ予測していたそうです。
亡命の要請をしたのはわたくしの臣下たちでしたが、世界は初めからその手はずを整えてくれていました。
インターネットと歴史書で世界のことを全て知った気でいましたが、どうやらそうではなかったようです。
次に、わたくしたち三人は手厚い……というよりはソソンからみれば贅沢過ぎる保護を受けることになったこと。
これは受け入れ先の国の税金や、亡命者や難民のかたのために設置された基金からの出資だそうです。
当然ですが、目に映る何もかもがソソンにない物珍しい品物です。
わたくしも王室の特権や外交パーティで多少は目にしていましたが、あの頃は細々としたものまでは意識していませんでした。
紙一枚にしたって製法も質も違いますし、ライトのオン・オフだけでも文明の利器を実感します。
お食事は美味しかったり、ソソンの文化を誇りに思ったりとさまざまでしたが、包装や使い捨ての容器、食品廃棄などには不安を覚えました。
ゴミの課題もいまだ山積みだそうですが、それでもリサイクルやリユースは広まっているそうです。
ソソンも狭い国土と限られた資源で暮らすのに苦労を重ねてきた国ですから、そういったことへの努力をする世界には好感が持てました。
革命が達せられたとはいえ、ソソンの実質的な暮らしの変化はまだまだ先でしょう。
それなのに革命家のいちばんの敵だったはずのわたくしが最初にこれを享受してしまうのは、破壊をもたらした革命の発起人たちへ皮肉が効いているとともに、真剣に未来を考えていたかたがたへとても申し訳なく思います。
グレーテはそういうのをまったく気にしていなかったようで、食事は何でも楽しみにしていましたし、ベッドのスプリングや電灯のスイッチで遊ぶのを叱らなければいけませんでした。
いちばんヤバいのは電子レンジです。グレーテ、金物の器を電子レンジに入れるのはやめなさい。
付き人としていっしょに来たはずなのに、わたくしが保護者みたいで、まったくもう!
外の世界ではわたくしの立場は弱いので、親友のそそっかしさに微笑ましく思う余裕がありませんでした。
セルゲイさんがいらっしゃらなかったら、グレーテと喧嘩をしていたかも知れません。
保護者といえば、わたくしたち三人ともが保護されている立場なのですが、それとは別に世界から見てはまだまだちゃんとした大人として見てもらえない年齢らしく、元・王女という立場もスルーで子供扱いをされることもしばしばです。
ソソンではとっくに大人で、世界の平均的な成人年齢にも届くかと思うのですが……その温かさは心に深く沁みました。
わたくしが世界に出たのち、ソソンの国内情勢は混迷を窮めました。
亡命の公表を先送りにしていたのにも関わらず、今度は親王室派がテロリストになってしまったのです。
あべこべです。やりかたや考えかたに違いがありますが、どちらもいちばんの願いはソソンの幸せのはずです。
わたくしにもそうだったように、国民のみなさまにも安寧と休息が必要だったはずなのです。
それなのに間をおかず血が流れてしまったのは、やはり|CHS《シャルル=アンリ・サンソン》の実質的なボス、ゲルト・エゴロヴィチ・ゲルトのやりかたが寛容されず、それがみんなのためでなく私利私欲だったからでしょう。
いったん国が開かれてしまえば、ソソンの内情は筒抜けです。メイドの口を塞ぐ以上に一般国民の口を塞ぐのは難しいのでしょう。
ゲルトへの不満とかつての君主制への追慕の念が聞こえてきました。
わたくしは早々に生存を発表し、内紛を治めるためにメッセージを発信しました。
親王室派のかたがたには特に強く、自戒と自粛をお願いいたしました。
ソソンの国民同士で争って血を流すなんて悲しいことです。
将来、ソソンが落ち着いたときにお互いへの憎しみが根付いてしまったら、いくら暮らしが良くなろうとけっして幸せにはなれません。
具体的な軍事介入は世界にお願いすることになりました。歯痒くもありましたが、これがソソンのためなのです。
血筋を自慢にするのはソソンでは好まれませんが、わたくしの縁戚のかたがゲルト派との対抗馬として他の国民をまとめてくださりました。
ソソンの紛争が小康状態をみたころ、ようやくわたくしたちも落ち着くことができました。
セルゲイさんは世界の新しい医学を学び始めました。その力をソソンだけでなく、正体の善悪を問わず、すべての苦しむかたがたに使いたいんだそうです。
グレーテはあいかわらず、わたくしと彼とのあいだを行ったり来たりです。
彼女はなんでも話してしまうので、セルゲイさんとの仲が未だにプラトニックなのも承知しています。
彼がもしも勉学や患者さんにかまけてグレーテをほったらかしにしたら、そのときは攫ってしまうので覚悟をするとよいでしょう。
グレーテが第二のサーシャになってはいけませんから!
ええと、その後のサーシャは本の執筆に取り掛かりました。
ソソンのこれまでの歴史と、わたくしが生まれてからのことを書き記します。日記そのものの公開については見送りました。
グレーテが「自らの口で」と言ったのもありますが、あの日記をあとから読み返すと、これが世界に大公開! されてしまうのはやっぱり無理です。
恥ずかしくて死んでしまいます!
ところが、あの子は未だにわたくしたちの日記を人質にしているのです。非人道的です!
ともあれ、これで世界にソソンを正しく知ってもらえることでしょう。
すでに上梓も済んで、世界の本屋さんにわたくしの著書が並んでいます。ベストセラーだそうです。
ソソンの民は日記を記すのもおはなし作りも得意なのです。
得たお金の多くは、あえてソソンではなく、世界の苦しみを助けるために寄付をする予定です。
ソソンの民として、これからつきあっていく世界への寄り添いのしるしです。
わたくしが手を伸ばすことを望んでくれた彼らへ、少しでもお礼とやつあたりの罪滅ぼしができたらなと思います。
世界の多くの政治家や活動家、果ては軍人さんの協力。
わたくしは彼らとソソンを良くするための議論をし、それから握手を交わしました。
その場にスヴェトラーナやニコライがいなかったのは非常に残念です。ですが、きっと遠い空からわたくしたちのことを見守っていてくれていると信じましょう。
道はまだ半ば。
常冬の国は暖かな夢ではなく、悪夢にうなされ続けています。
それでも春告げ鳥は、必ずソソンへといざなわれるでしょう。わたしたちの国の誇るサザンカの蜜はとても甘いのですから。
「サーシャさま! 海ですよ、泳ぎましょう!」
見渡す限りのエメラルド。サファイアの空と、眩しいダイアモンド。
「今日はお仕事でこの国を訪問させて頂いたのですが……」
とある暖かな島国へお邪魔しています。独立や独裁の経験を持つ国で、その国のトップのかたと会談をしました。
この国もまた、近年に長きに渡って隣の大国と敵対と断交をなさっていたのですが、最近は方針が変わりつつあるという話です。
ちなみに、年間を通して暖かで、かつ暑くなり過ぎないというソソン垂涎の気候で、カラフルな街並みや自動車がユニークです。
「せっかくですから、ソソンのみんなが将来、旅行をするときの参考になるようにレビューをしましょう! おいしい名物も制覇!」
ビーチボールを脇に抱えたグレーテは鼻息を荒くして言いました。
「公私混同はよくありませんよ!」
「とか言いながら、僕たちも水着なんですけどね」
眼鏡のセルゲイさんが苦笑いです。彼は未だにレオニートの顔のままです。
手術で顔を変えることができるなら、戻すこともできる気がしますが、思うところがあってそのままにしているようです。
わたくしは付き合いの長さ的にはどちらの顔でも良いのですが、恋人のはずのグレーテにまったく気にした様子がないのは尊敬に値します。
「私、ひとりで行っちゃいますよう!」
グレーテが海に向かって駆け出します。
「あっ! 待ちなさい! あなた泳げないでしょう?」
「お風呂で特訓してたので平気です!」
とか何とか……彼女はそう宣いましたが、海につく前に砂浜で転んで顔がえらいことになりました。いつものことなので放置です。
「まったく、そそっかしい子」
「本当に」
わたくしとセルゲイさんが笑います。
「ほら、サーシャ王女も行ってきてください」
「でも、こんなときにはしゃぐのはちょっと……」
「こんなときだからですよ。しっかりと休息は取ってください。来週には大切なお役目があるんですから」
そう言ってセルゲイさんが微笑みました。
そうです、革命以降で初めてソソンに足を踏み入れる日がおとずれるのです。
とうとう、ゲルトが倒されました。革命家のかたがたと結託した王室派の手によって。
とは言え、わたくしが戻れば誹られることもあるでしょう。見たくない現実もあるでしょう。
ですが、ソソンの君主の教えは忘れていません。君主の目と耳は常に開かれ続けなければならないのです。
誰かの手を握るために。
その手が冷たかろうが、暖かろうが、繋ぎ続ければいつかその体温は近付きます。
革命派と親王室派。かつて憎しみあっていた彼らは、わたくしよりも一足先に手を繋ぎ合いました。
わたくしもその輪に早く加わりたくて仕方がないのです。
「サーシャさま! 早くう!」
グレーテが手を振っています。
「呼んでいますよ」
「セルゲイさんは行かないの?」
「混ざるより、おふたりが楽しそうにしてるのを眺めるほうが好みなので。それに三人ともが溺れたら困るでしょう?」
彼は眼鏡を外してビーチパラソルの影に腰をおろしました。
「なるほど。しっかり護衛と救護をしてくださいね。では、行ってまいります!」
わたくしは彼にそう告げて駆け出しました。
広い広い世界へ!




