死刑1-05 君主の誕生と正義の復活
「国民のみなさま、聞いて下さい。我らが王、ルカ・イリイチ・アシカーギャは永遠にお隠れになりました。王室の規範に定められた通りであれば、わたくし、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが女王に即位すべきでしょう。ですが、わたくしはまだ世を知らぬ青き不肖の身。しばらくはルカ王を名誉国王と定め、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャを王女の身分に置いたままに、ソソン王国とその臣民のためにこの身を捧げます」
名誉国王の制定。『ルカの語らい』、壇上のもとに集まった臣民たちは全員がひざまずきました。立っているのはわたくしと、その横に佇むユーコ・ミナミだけです。
「わたくしにはまだ助けが必要です。国王は……」
言葉を詰まらせ、鼻汁をすすります。王女というよりは女優ですね。
「お父様は、この未熟なサーシャを残して逝ってしまいました。国民のみなさま、わたくしに力をお貸しください……」
震え消え入る語尾。横の毒婦も目尻を拭います。
ふと、雪が止みました。ルカの語らいを暖かな沈黙が包みこみます。ひとびとからすすり泣きや嗚咽が聞こえてそれから……。
「王女陛下万歳!」
「サーシャ王女、頑張ってください!」
「私たちがついています!」
雪崩を引き起こしたかのような、わたくしへの応援です! 国民は立ち上がり、こぶしを振り上げました。
大気を震わす激励がわたくしの胎を痺れさせ、度し難い感覚が込み上げてきて、胸の内を慈愛と使命感で満たします。この愛すべき民のためならば、たとえ世界中を敵に回そうとも恐ろしくはありません。
もちろん、となりに立つ毒婦に敗北することだって!
オリンピアの祭典や愛嬌を売り物にする偶像を囲う文化ですら、これほどの熱気を帯びることはないでしょう。
臣民たちからのサーシャ・コールは小一時間ほど続きました。さすがに疲れが出たのか、しだいに声が小さくなり始めます。そしてわたくしは、その隙を狙ってゆっくりと手を挙げます。
波紋のように広がる静寂。
ここからは、わたくしが主役。これが君主の力です。耳に届く毒婦の驚嘆の声がなんて心地の良い!
「……スパシーバ。みなさま。このサーシャは永遠にルカ名誉国王の娘であり、あなたたちの娘です。さっそく、君主としての最初の仕事に臨みたいと思います」
彼らは静かに待ちます。新たな君主の言葉を。
「ルカ名誉国王は、実のところを申し上げますと、この国の長きに渡る平和と幸福を冒そうとしていました」
動揺の声が聞こえます。横にいる女からも非難混じりにわたくしの名を呼ぶ声がしました。
「それは悪意に依るものではありません。世界とこのソソン王国を繋げ、叡智と技術をもたらし、更なる幸福を追求しようと考えてのことでした。世界では、電気による灯りが夜を照らし、飛行機と呼ばれる鉄の鳥で人を運び、炎を使わずとも暖を取る手段が存在するのです。地球の裏から裏へと情報をいっしゅんに伝達し、何万通りの数式を機械が解き明かし、家畜はおろか人間の生死すらも管理する社会があるのです。ルカ名誉国王はその文明をソソンにもたらす大志を抱いたまま、不幸の事故に見舞われて果てました。この大事業はソソンをまったく別の国に変えてしまうことでしょう。果たしてわたくしは、この事業を引き継ぐべきでしょうか?」
疑問を投げかけると、動揺と困惑の色はより一層濃くなりました。絶対的な君主が国民へ直接政治の是非をたずねるなんてことは、前代未聞ですから。
わたくしは続けます。
「わたくしは彼のそばで世界の一端に触れ、膨大な知識を学びました。世界にも歴史があります。彼らは進歩を遂げながらも、必ずしも幸せとは言い難い歴史を歩んできました。数字に囚われ、紙の金と虚構の価値を増やすためだけに生き続けました。その結果、彼らは我々からみれば遥かに便利な世界を手に入れました。ですが、かわりにその便利さが我々の毛皮と同じ様に手放せないものとなり、暖かなベッドで充分な睡眠をとることや、愛する人々と囲む食卓をも失い、忘れ去ってしまったのです!」
「サーシャ、近代化が必ずしも悪いこととは言えないわ。それに、毛皮と石炭は地球の寿命を縮めるのよ。今のままじゃ、世界に認めて貰うことはできないわ」
先代の君主のアドバイザーが何かを言っています。
「わたくしは、王へ何度も諫言を致しました。ソソンは世界の間違いと戦い続け、常に平和と幸福を維持して来たではないかと。王が国民のためにあり、国民が王を信ずるこの国のやりかたを変えるべきではないと。ソソンの民を世界の奴隷にすべきではないと」
「奴隷なんて後進的な言葉、使うべきではありません。世界人類は繋がっているのですよ。全てが友人なのです。全員が全員の為にあるのです」
ミナミはわたくしに詰め寄りました。それをわたくしが押し退けると、数人の臣下が前へ出て、彼女を拘束しました。
「何をするつもりなの!?」
毒婦の顔に狼狽。わたくしはその醜い顔を睨みます。
「名誉国王……いえ、お父様は、わたくしの諫言を受け入れ、この国を世界への捧げものにするのを考え直そうとしていらっしゃりました! ですが世界は、何の価値も無いメダルで褒め称えて彼を惑わしたのです!」
「あの人はそんなこと一言も言ってなかったわ。計画を撤回するなんて!」
わめく毒婦。
「言うはずがありません。撤回の撤回をさせた者がいるのですから。……どこの馬の骨とも知れぬ毒婦が淫らな方法で誑かしたのですから。あまつさえ、その女は我らがソソンの名誉であるルカ・イリイチ・アシカーギャの乗る飛行機を奸計により墜落させたのです!!」
黒いマニキュアの爪先が女の首を指差しました。それを合図に、メイド長がわたくしに駆け寄り、ドレスを脱がせにかかりました。雪が舞い戻り、寒風が吹きすさび始めます。
回雪の狂う宣誓台の上で、わたくしは群衆へ向き直り、一糸まとわぬ姿を曝け出しました。
毛皮をまとった人々からは、見るのをやめるように言い合う声や、わたくしに服を着てくれと懇願する声が聞こえてきます。それでも、刃のような空気に混じって、多くの熱っぽい視線が肌を刺激しましたが。
「わたくしは王族とはいえ、みなさまがたと同じ人間。ただの小娘です。ルカの娘だったのです! まだ父から愛と教育を受ける権利がありました! それをこのユーコ・ミナミが奪い、辱めたのです!」
視線が速やかに毒婦へと移るのが分かりました。
「わ、私はやってないわ! 飛行機の墜落だなんて、そんなこと、できるはずがない! ちょっと調べたら分かることよ!」
狼狽するミナミ。それに応じるは王を奪われた国民たちの罵声。
「ドレスを」
声に応じて、メイドたちがわたくしを囲み、着替えさせます。
この国にはインターネットはおろか、テレビもありません。紙や書物はありますが、新聞の文化はありません。この場にも全ての国民が集まっているわけではありませんし、マイクもないので声は広場の全てには届きません。
そういった国では、何が一番情報として力を持つのかご存じでしょうか?
それは口伝え、噂話です。
「俺たちは知っているぞ! おまえの悪い噂を!」
「酒場ではルカ王を誑かそうとした雌ギツネって評判だぜ!」
「キツネに失礼だよ。あのアジア人は死んだアナグマのような顔じゃないかい!」
メイドの多くは王城に住みますが、外へ買い出しに行く者もあれば、通いで奉公している者もいます。
彼女たちの持ち出した噂が城下にブームを作るのも珍しくない話です。もっとも、今回のゴシップは自然に発生したものではないのですけれど。
わたくしの着替えが終わりました。
漆黒のドレス。血や煤の目立たないまっくろな、この国の色とは正反対の。
真新しい革の手袋をつけたわたくしの手が、ゆっくりと持ち上げられます。断ち切るられたようにおとずれる沈黙。
「国民のみなさま。娘から父を奪い、王の名誉を踏みにじり、ソソン王国を滅亡へと誘おうとした女に相応しい罰は何でしょうか?」
わたくしは声高らかに問います。
「死刑だ!」「首を斬れ!」「殺せー!」
国民たちの怒り。
「みなさまがたの意見もごもっともです。別れの際、王の哀れな姿へキスをしたのですから、誰しもが同じ気持ちでしょう。ですがルカ王は、死刑制度を廃止なさいました。それがもたらしたものはみなさまもご存知ですね。最大の裁きが消えてしまえば、誰しもの心にある悪を制御することは難しくなります。死刑とは、国民の乗せられた平和という車を引く正義の駿馬に結わえられた頸木。みなさまがたの中にも、死刑制度の廃止から不安な思いをなさって暮らしていらっしゃるかたは多いでしょう。王女アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが今ここに、死刑制度の復活を宣言します。加えて、従来の斬首で生じていた不平等を均すために、その罪に応じた死刑方法をとります。みなさまがたに今一度問います。王を墜落に重ね業火で焼いた女に相応しい刑とは何でしょうか?」
「火あぶりだ!」「全身の骨を折って燃やせ!」「火傷に水をかけてやれ!」
「ちょっと待って! おかしいわ、こんなこと! 仮に疑いが本当だとしても、直接は誰の命も奪ってはいないのに!」
怒号の中をかいくぐる女の抗議。
「黙りなさい毒婦。おまえは私人と公人、ふたりのルカを殺したのです。ふたり分の死刑を受けなさい。最後はわたくし自らが火を点けて差し上げます。……刑吏! 支度を!」
壇上に石の十字架が運び込まれます。ユーコ・ミナミはキリスト教徒だったそうです。もっとも、教義に適った敬虔な神の子あったかは分かりませんが。
刑吏たちが女の服を引き裂いて裸に剥き、その代わりに油をしみ込ませた“可哀想な毛皮”を被せます。
それから有刺鉄線を用いて十字架へ磔に。手首と脚に棘が喰い込み、十字架の根元にはシャベルによって“後進的な燃料”が積まれました。
「ルカ名誉国王は、墜落の際に四肢に十三ヶ所の骨折を負った!」
わたくしが叫ぶと、刑吏たちがハンマーで仕事を始めます。汚らしい絶叫が広場に木霊しました。群衆はわずかに静かになりました。
「……謝罪なさい!」
わたくしが命じます。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が悪かったから、もう赦して!」
あんなに鋭かった化粧も醜く崩れています。わたくしは口元が少し緩みそうになりました。
「……みなさま、お聞きになって? この女、認めましたわ!」
少々声が裏返ってしまった気もしますが、それはすぐに支持者たちの正義と勇気によって掻き消されました。
吹雪をものともしない熱気。ルカの語らいに響き渡るキル・コール。
「みなさま、静粛に! これは正義の行いであり、暴力や狂気の沙汰ではないのです! 君主と国民は一心同体。新たな正義に賛同するとおっしゃるのならば、勇気ある代表者を!」
わたくしは国民へ呼びかけました。
「僕です! サーシャ王女陛下! 僕は両親を殺されたってのに、死刑制度が無くなっちまったせいで、悔しい思いをしているんだ!」
すぐにひとりの若い男の声があがります。勇者の身体は周りの群衆の手によって頭の上へと持ち上げられ、手渡しにこちらへと届けられました。
「みんな、ありがとう! 僕は国民の義務を果たしてくる!」
青年がそう言うと、群衆からは大歓声が起こりました。
青年は刑吏に導かれ、壇上に立ちます。
「あなた、名前は?」
「ローベルトといいます、王女陛下」
ローベルトはひざまずきました。
「ロブ、あなたにこの正義の鉄槌を授けます」
刑吏より受け取った長く重たいハンマーをその両手へと乗せます。金属のヘッドから壇上に、二三滴の赤い脂が落ちました。
「かしこまりました。どこを打てば?」
ハンマーを構える青年がたずねます。無邪気な笑顔です。
「名誉国王は、墜落のショックで腰の骨も折っています」
「おいたわしい……。どの辺りを?」
わたくしは彼のハンマーの頭に手を添え、それを毒婦の胎のあたりへと導きました。
「この辺りです。さあ……」
「そこは、やめて」
どうせ死ぬ人が何かを言いました。父のときも思いましたが、人間って意外と頑丈なものなのですね。
「そこには王……」
「打ちなさい!」
少し締まりの悪い、卑猥で水っぽい音が響きます。
儀式的な一撃には物足りない、情けない音でしたが、青年はすかさずハンマーを持った手を高く上げ、国民のみなさまへとアピールをしました。
勇者の大きくて頼もしい手は、誰かのものに似ている気がしました。彼は喜びの涙と共に群衆の大歓声に包まれています。
「……王女陛下! さあ、私たちにお示しを!」
青年は称賛に酔いつぶれることもなく、ひざまずきました。
わたくしは刑吏から燃え盛るたいまつを受け取ると、それを高く掲げました。
「粉砕刑に続き、火刑を執行します!」
落とされる炎の先が、毛皮に浸み込んだ油に引火し、ぐったりとした毒婦の身体を瞬く間に包み込みました。
先に槌で打ったのは正解でした。呻き声は壇上で耳を澄ましてやっと聞こえるほど小さなものでしたから。
ユーコ・ミナミがいつ息絶えたのかは分かりません。
彼女が炎に身もだえする姿にめまいを憶え、大歓声に頭を酔わせ、石炭の赤熱と暖かな部屋の香りがわたくしを支配していきました。
「執行完了!」
この言葉が刑吏から聞こえたとき、わたくしはメイドや臣下たちに身体を支えられていました。
すっかり腰が砕けてしまっていたのです。
「お見事でした。アレクサンドラ王女陛下」
「お父上の無念は晴らされましたな」
メイド長や将軍がわたくしに声をかけてくれます。
「あとは、私どもが始末をしておきます。王女陛下は身を清めて、ゆっくりとお休みになられてください。本日より、我々は王女陛下の手足でございます」
若い衛兵たちも暖かな言葉をかけてくれました。
ようやく、ソソンは毒婦の魔の手から救われたのです。
ですが、それで終わりではありません。この国の眠りを妨げ、名誉を貶めた世界への復讐が残っています。
ああ、偉大なる君主たちよ、この小さな娘に全てをやり遂げる力をお貸しください!
こうして、わたくし、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャは紅き王道を歩み始めたのでした。