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死刑3-02 愛と疑い

 日記に書かれていることは、始めは作り話なんじゃないかって思った。

 処刑人の血筋なんて聞いたこともなかった。

 でも、死刑がある限りは誰かがやってる仕事はずだし、以前に東へセルゲイをたずねに行ったときには留守で、ほかのお医者さんに『ソソンの拒絶』に行ってるって聞かされたこともある。

 そのお医者さんは「たぶん、囚人を診てるんだろう」と言っていたし、私は悪い人も平等に治すセルゲイを自慢に思って深くは考えなかったし、もちろん悪いことをして捕まったなんて全く考えもしなかった。


 お仕事で死刑囚を斬ったのはしょうがない。悪いことじゃない。

 でもお医者さんとしては、たくさんの悪いことをしていた。患者さん自身にお願いされたからって、安楽死をさせていたなんて。


 可哀想だと思っても、たとえ本人が望んでも、私はそうするべきじゃないと思う。つらくても、苦しくても生きられるだけ生きて、いっしょに悩んで苦しんであげるべきだって。


 日記にも何度も書いてたでしょ?

 あなたのお父さんが「人は、誰かに手を握られながら死ねるように生きなければならない」って教えてくれていたのと同じだよ。


 セルゲイが殺した患者さんたちには、そんな風に側にいてくれる人が居ないように書かれていたけど、セルゲイ自身がいちばんの分かってあげていたのだから、そんなことはしてあげる必要なんて、なかったんだよ。


 でも、たくさんの複雑なことが絡んだせいで、そうするのが一番ましなことだってある。


 サーシャさまが処刑のお仕事をなさっているのもそれと同じ。あのかたも本当は処刑なんてない世界を望んでいらっしゃる。

 だけど、ひとりでは抱え切れなくて、みんなの助けが必要になってる。


 セルゲイの悩みもサーシャさまのと似てる気もしたし、やっぱり私がそばに居てあげられてたら良かったのかな。


 ごめんね。私、難しいことは分からないから。目の前にあることしか分からないから……。



 セルゲイにもちょっと変態さんっぽいところがあるから、もしかしたら私を襲ったのも彼なりの愛なのかもしれない……なんて。

 そうだって素直に打ち明けてくれたら、ハンドクリームを返してたくさんお説教をしたあとに、私も日記を盗み読みしたことを謝って、日記帳と交換でハンドクリームを受け取りたいなって思った。


 ……だけど、私は逃げてしまった。事件があった日に、スヴェトラーナさんに見破られて、全部白状したの。


 氷のメイド長(リョート)ことスヴェトラーナさんは厳しいばかりのひとだと思っていたけれど、本当はすっっっっごく優しかった。

 身体のことも心配してくれたけど「友達に裏切られてつらかったでしょう」って言ってくれたのが嬉しかった。

 そのうえ、お父さんやお母さんと喧嘩して揉めていたこともまだ覚えていて、「ご両親に相談しに行くなら言いなさい、付き添いますから」って。

 それでもけっきょく、ふたりはあんな調子だったから、お城に帰るまでにいっしょになって悪口を百回も言ってくれた。

 私が「もしかしたら、セルゲイは本当は悪くないかも」って打ち明けられたのもスヴェトラーナさんにだけ。あの人はそれさえも否定しなかった。


 たぶん、本気にはしていなかったと思う。私がそう思い込むことで楽になるなら……ってことじゃないかな。

 セルゲイの日記を見せれば信じてもらえたかもしれない。だけど、それは親友にしていい仕打ちじゃない。彼を信じたいのならなおさら。


 スヴェトラーナさんは、若いころから優秀な人で、サーシャさまの教育係に任命されたすごい経歴のある人なの。

 サーシャさまが大きくなられてからは給仕室の大臣、メイド長になって、みんなに恐れられている。

 厳しい人だけど、ほかの人の怒りかたと違って、本当に悪いときにしか叱らないし、自分の間違いはちゃんと認めるし、都合の悪いことから目を背けたりは絶対にしない。


 私はお父さんやお母さんがスヴェトラーナさんみたいだったら、どんなに良かっただろうなって思う。

 サーシャさまも、「お姉さんみたいに思うときがあります。お母さんは優しいほうが良いけど!」なんておっしゃってました。


 すっかり甘えてしまって、城外作業のローテーションの全部から外す提案を受け入れてしまった。

 曲がり角や物陰はやっぱり怖い。昼でもときどきドキリとしてしまうことがある。

 それだけなら、まだ休日にはお城からでることができたから、セルゲイを探しに行くことも可能だったのだけれど、やっぱり身体は動かなかった。

 お仕事で外に行ってれば、ばったり会うチャンスもあったのにね。私は逃げたんだ。


 ついでにサーシャさまからも逃げてしまった。

 スヴェトラーナさんは私がサーシャさまと仲良くしていることを「良く思っている」と言っていた。

 ほかの先輩メイドはだいたいひがんだりするのだけれど、「王女陛下にはあなたのような子が、あなたには王女陛下が必要です」なんて言ってくれた。


 それなのに私は、サーシャさまが来てくれるまで部屋にこもりっきりだった。

 相部屋のナージャにも何も話さなかった。

 彼女が「アリスタルフの家がもしかしたら革命活動を手伝っているかも」っていう大事な相談をしてきても、知らんぷりをした。

 あの子だって悩んでいたのに。


 そのあいだに、サーシャさまはつらいつらい処刑に出くわしてしまった。

 子供の処刑。聞いた話だと、私がセルゲイと出逢ったときと同じくらいの年頃の子だ。

 私はその場には居なかったけど、サーシャさまはそんな小さな男の子のお腹をナイフで切り裂かなきゃいけなかった……。

 それなのに私はお力になるどころか、余計に逃げ続けてしまった。


 お父さんやお母さんから逃げれたのをいいことに、逃げることを得意技にしてしまっていたんだと思う。


 セルゲイの日記には色々なことが書かれていた。彼の秘密だけじゃなくって、ニーナの秘密やアキムがテロリストかもしれないことまで。

 みんな悩んでるんだから、友達の私は助けに行かなきゃいけなかった。

 セルゲイには「みんなが悩みを話してくれない」なんて文句を言ったくせに、日記を盗み読んで全部を知ったくせに私はなにもできていなかった。


 つらくて哀しみにくれるいっぽうで、腹が立ってしょうがなかったの。

 セルゲイが私を襲ったこともそうだし、ニーナがみんなの気持ちに気付いておきながら彼を先に“盗った”ことも。

 これまでずっと仲良くしてきたことや、他人に優しくしてきたことまで、全部間違いだったって思えて、私の人生なんだったんだろうって。これから先の人生もこんなのなんだろうなって。


 完全にひとりぼっちになってた。

 だけどね、そんなときにサーシャさまは私を呼び出してくれたの。それから、抱きしめてくれて、私に飛び込んでくるように言ったの。

 こんな汚い、汚れ切ってしまったマルガリータなのに。誰かを愛する資格も、愛される資格もないって思ってたのに。


「……そうです。資格なんてありません。人は誰しも、資格や権利など無しに愛されてよいはずなのです。独りぼっちで取り残されることが許されるなんて、あってはいけないのです」


 あの人は、私やセルゲイたちのことをほとんど知らないのに、まるで全部知ってたみたいだった。

 本当はお父さんやお母さんに言って欲しかったことを言って、やってくれた。


 大好きなサーシャさま。あのかたのおかげで、私は今も私でいられる。


 サーシャさまはお優しいかただ。セルゲイがどんな患者にも心の施しを与えようとしたのと同じで、罪人たちのことまで考えていらっしゃる。

 私はそんな彼女のために尽くそうと思った。つらいことに負けて欲しくないと思った。


 刑務所に入った人や、犯罪の被害にあった人たちとお話をして、これ以上の不幸を作らないようにするための参考にする。

 大変なお仕事だ。私はその補佐と書記に立候補した。


 残念ながら囚人の面会でのお手伝いは却下されてしまった。セルゲイがどうしてあんなことをしなくてはいけなかったのか、私も知りたかったのに。

 初めのうちは我慢をして、あとからもう一度お願いしようと企んでいた。親友同士だからちょっとくらいの我がままも許してもらえるかなって。


 ところが、私たちのあいだに別の人物が割り込んできてしまった。


 レオニート・レヴォーヴィチ・トルストイ。


 背の高い寡黙なボディガード。黒髪と鳶色の瞳。

 顔は別人だったけれど、その身長、髪や瞳がセルゲイと似ていて、私は心臓が凍りつくような気がした。

 それと同時に、やっぱりセルゲイと会えても怖くてまともに話せないんじゃないかって気がして、『ソソンの拒絶』での補佐の仕事は諦めてしまった。

 ちょっと似てるってだけで、本当に情けないなあ。

 諦めてからも、夢の中のセルゲイはずっと「僕じゃない」って叫び続けていたのに。


 レオニートには、ヘンなところがあった。

 表情が硬くて全然変わらないの。私とサーシャさまが談笑してて、それを聞いたほかの従者や大臣が笑っても、彼は決して笑わなかった。


 スヴェトラーナさんは氷のメイド長(リョート)だなんてあだ名されているけど、彼女は休憩中やオフでのお喋りでは笑顔も見せるし、相性の悪い料理長と何かあったときはその氷も割れてしまう。

 サーシャさまの処刑のお手伝いのために壇上にあがったときにだって「無表情を維持するのも中々骨が折れますね」と言っていた。


 表情だけじゃない。話しかたもなんだかおかしい。唐突に言いたいことだけ言うし、みょうに気取ったような声の出しかただし……。

 私がレオニートのことを不快に思ってるから、なんでも奇妙に思えてしまうのかもしれない。

 ほかのメイドたちは、そんな気取ったを格好良いと思うらしくて、彼のことをあれやこれやと噂していた。


 給仕室は噂の源泉。ソソンではよく言われること。今や私もその一員で、風に乗って城下に名を馳せたこともある。


 噂の中に、レオニートの城下で暮らしていたころのエピソードがあった。

 もともとはお城御用達の馬車屋の馬鹿息子で、将来を約束された立場とちょっと良い顔を使って女の子と遊び回っているというもの。

 メイドたちはそれを嘘として片付けていた。私もそう思う。静かに王女の横に立つ彼がアキムみたいなタイプには見えなかったもの。

 それに、近くで彼とサーシャさまの話を聞いているぶんには、馬鹿なんかじゃないって分かっている。難しい話してたし。

 そもそも馬鹿息子だったら、あの顔の怖いニコライ将軍が気に入ってサーシャさまの護衛につけるなんてありえない。

 でも、あの賢さはときどきセルゲイを思い出させて、レオニートとサーシャさまが話しているときには滅多に会話に加われなかった。


 もちろん、けっして彼とはふたりきりにならないようにした。


 彼の仕事は護衛でサーシャさまの私室の前に立つものだから、サーシャさまとのお楽しみは無しになってしまった。

 本当は会いに行きたかったけど、彼の横で扉をノックしたり、入室理由を述べるのが苦痛過ぎたから。


 ほんの少し似てるだけ。似てない男の人も苦手になっていたし、本気で彼をセルゲイだなんて思ったことはない。



 だけどある日、それが疑いに変わる出来事があった。



 レオニートはときどき怒る。無表情だけど、サーシャさまへの無礼があると怒鳴ったりもする。

 たいていは無礼な囚人に対して怒るから、私は室外待機で、彼の声は何となくしか聞こえない。

 だけどあるとき、被害者との面会のときに間近で聞く機会があったの。


「ここに居るのが、アレクサンドラ王女陛下だと知ってのことか? いい加減にしろ!」

 心臓が跳ねあがった。

 声が大きかったからじゃない。


「……ここにはグレーテも居るのを忘れたのか? いい加減にしろ!」

 これはいつか、サーシャさまといっしょにニーナのお店に行ってみたときのセルゲイの言葉。

 今でも覚えてる。アキムが調子に乗って、サーシャさまに失礼をして、私がとても困っていたときに言ってくれたんだ。

 セルゲイは怒っても滅多に声を荒げたりはしない。だけどそのときは、私のためにアキムを怒鳴ってくれた。


 そっくりなの。……というか、ほぼいっしょ。

 普段は低い声で話すのに、怒鳴ったときにはセルゲイと同じ声になった。


 私があの人の声を忘れるはずない。


 もしかして、レオニートはセルゲイと同一人物だったりして?


 馬鹿な話だし、そんな疑いを口にしたら、私はサーシャさまの付き人から外されてしまうかもしれない。だから、誰にもそんな話はしなかった。

 その代わり、注意深く彼を観察して「もしもセルゲイだとしたら、どうしてここに来たんだろうなあ」って考えることにした。


 観察を続けていると、一つ怪しいポイントを発見した。


 それは、眼鏡を掛けてないくせに、ときどき眼鏡を直すような仕草をすること。しかも、それを慌ててやめたシーンも目撃してしまった。

 セルゲイは眼鏡を掛けていた。彼は特別で、視力が悪いからではなく、良すぎて疲れるから悪くするために眼鏡を掛けていた。

 だから見るものの距離によって眼鏡をつけたり外したりしていて、そのたびに眼鏡を直す仕草が見られた。

 じっさい、「レオニートはとても目が良いみたい」ってサーシャさまも言っていた。演説や処刑のさいに壇上に向かって投げられた石を見分けて、サーシャさまを護ったことがあるんだとか。


 次に顔の問題。これはラジオから流れる『整形手術』の話がヒントになった。

 世界には、刃物で切ったり、何かを注入したりして顔の形を変えてしまう方法があるらしい。痛そう。

 ソソンでは世界と違って顔を重要視しないって言われているけど、あくまで二の次って話で、若いメイドにだってその手術に憧れる子もいる。

 私には恐ろしくてそんなことできないし、顔の換えたいところなんて、せいぜいそばかすくらい。


 ようするに、顔が違うからって別人とは限らないってこと。

 推理の続き、レオニートがセルゲイだとしたら、どうして正体を隠して、私やサーシャさまのそばに来たのか。


 考えられるのはふたつ。

 セルゲイは私を襲った。同じことをもう一度私か、サーシャさまへしようとしている。

 似た例から『オンナ漁り』の線も考えたけれど、それはしょんぼりした何人かのメイドが消してくれた。


 もうひとつは……私のただの願望かもしれない。

 セルゲイを信じたいから、こんな馬鹿げたことを考えて、しかも都合よく解釈してるのかもしれない。


 だけど、そう願い続けるのに役立つ出来事があったの。


 ちょうどそのころ、ソソンでは王室のやりかたに反感を持った人たちが危ないこと……テロ行為を活発化させていた。

 私はこっちでも少し肝を冷やした。いつかアキムが逮捕されてしまうんじゃないかって。


 でも、他人の心配をしてる場合じゃなかった。私たちの乗った馬車も狙われた。刑務所に向かってる途中だったから、サーシャさまが乗ってるとは思ってなかったみたいだけど。

 そのとき、レオニートは馬車の扉を身体で塞いで、外から暴漢が入って来ないようにガードした。


「グレーテ。キミは王女陛下を護るんだ!」

 そのときの声は完全にセルゲイだった。しかも、私がそれに驚いて動けないでいたら、扉の反対側、私の座ってる側の外で大きな物音がしたの。

 そしたら彼はいっしゅん、扉から離れて私のほうに来ようとした……気がしたの。


 でも、レオニートがごくまれに私を呼ぶときは「ユーリエヴナ」と呼ぶし、だけど、セルゲイにも一度「王女陛下をお護りするんだ」って言われてたし……。


 駄目、やっぱり自信がない。勘違いかもしれない。


 私は襲われた夜から、頭がおかしくなってしまっているから。

 本当は声もまったく似てなくて、髪や瞳の色が同じってことすらも記憶違いなのかもしれない。

 私は間違いを繰り返してきた悪い子だから、そうやってレオニートをセルゲイにすることで、彼に全部を押し付けようとしているのかも。



 もしもそうでなくて、彼が本当にセルゲイなら……彼は私たちを護るために、ここに来たんじゃないかって思いたい。



 なんて……ははは、馬鹿げてるよね。当たり前の話だよ。ボディガードなんだから。

 仮にそうだとしても、セルゲイは私のことを襲っているし、護衛としても私のことはついでのはず。


 だから私は、良いほうに考えるんじゃなくって、セルゲイが私に抱いてた好意からあんな事件に繋がったのだから、サーシャさまにもそうしてしまうんじゃないかってことを心配しきゃいけない。

 彼がまた繰り返さないように、サーシャさまが酷い目に遭わないように、監視しなくちゃいけない。

 セルゲイでなくレオニートでも同じこと。噂どおりの馬鹿息子ならなおさらだよね。


 難しいことばかり考えてるから、こんがらがっちゃったよ。

 今は身内の心配だけじゃなくて、テロの心配までしなくちゃいけないのに。


 これ以上、悪いことを考えるだけの元気もないよ。


 だから、ちょっとだけ息抜きに妄想してもいいかな?


 私がセルゲイのことを選んだのは間違いじゃなくて、セルゲイは本当は私を襲っていなくて、別ののっぴきならない事情で逃げなくちゃいけなくて、誤解を解くことよりも、私たちのことをこっそりと護ることを選んだナイト様でした……なんてね。


 でも、夢の中に出てきたレオニートは、私を追いかける側でした。残念!

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