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死刑2-14 ウサギと罠

 まったく憂鬱だった。僕は自身の無力さと醜さに身をよじり続けなければならなかった。


 国は想定以上の汚染。ゲルト=ゲルトは外の世界以上の難敵と言ってもいいかもしれない。

 ソソンは君主と国民、国民と国民同士が支え合って成り立っている。いったん善意や正義に綻びが見えればもろいだろう。

 ゲルトの表の活動はアコギだったが、法には触れていなかった。

 裏の活動は問題だが、ロジオンがあいだに立っているせいで、商人の意見ともども僕の密告も無効だ。ローベルトのせいで直訴も難しいだろう。

 ロジオンを始末して大臣が入れ替わったとして、今より良くなる補償もない。親ゲルト派が後釜に座ればいっぱつアウトだ。


 何より、これ以上の王女の仕事を増やせば、さらに苦しませてしまうのが目に見えていた。

 僕はその姿を見て美しく思うだろう。喜ばしく思うだろう。神だなんだと崇めておきながら、けっきょくは下らない自慰行為に過ぎなかったのだ。

 分かってはいた。だけど、昂ぶってしまえば自制が効かないのだ。病だ。異常性癖だ。


 これまでは、そんな自分を平気で受け入れられてきた。

 『人殺し』の罪と罰についての思考が、正義と悪の問答がそれを誤魔化してくれていた。


 だが、ロジオン巡検大臣が自堕落に耽りながらも王女を実質的に支えているのを見せ付けられてしまえば、信念や忠誠心がどんなに怒張していようとも無意味なのを認めざるをえない。

 大義という衣は毛皮以上に温かく、ドレスよりも華やかだった! だが、真に美しき者は素肌を晒しても美しくなければならない。


 ゲルトはオオカミで、ロジオンがキツネだ。そして僕は言いわけを剥がされてしまえば、ただのウサギだ。しかも、罠にかかりっ放しの間抜けな。


 こんな時だというのに、グレーテは自身の告げていた休暇予定日に、診療所はおろかマルクさんの店をたずねてくれなかった。

 グレーテに慰められたかった。この前まで避けていたくせにこの体たらく。彼女への愛も嘘っぱちかもしれない。

 単に憐れみが好きなだけなのだ。憐れまれるのが、憐れむのが。

 カタルシスに恍惚を覚えるのは正常だ。善人であれば善人であるほどそうかもしれない。

 僕の場合は同じそれでも、ずいぶんと汚らしく思えた。


 患者を殺していたのを父に咎められたときと同じだ。

 だが、黙らせられる相手などどこにもいない。黙らせるべき相手は自分自身だった。


 診療所など閉めて、僕も地下のバーでスモークのご相伴に与ってやろうか!

 いや、ここにもあるぞ。僕は医者だ。大麻だってエチルだってある! 痛み止めには事欠かない!

 僕が欲しいのはそんなものではない! 赦しだ! 象徴や儀式ではない、明確な肉の赦し!

 馬鹿な。与えられるべきは罰なのだ!

 誰も罰してくれないのなら、自分で自分を罰するしかないのか?


 まったく気が狂ってる! また患者が来た! 入り口の明かりは消したんだぞ。本当に医者が必要なのは僕のほうだというのに!


「……って、キミかアキム」

 扉を開ければ見知った顔だ。

「おう。誰だと思ったんだ?」

 アキムは赤ら顔だった。それから、何かへの憎悪を隠そうともしていなかった。

「完全に吐き戻しコースだな。今さら出し惜しみする理由もない。点滴ってのは知ってるか? 針を刺してな、ブドウ糖ってのを身体に直接入れりゃあ、疲れも二日酔いも消えてなくなるぞ」

「要らねえよ。酔いたいから飲んだんだ」

「何かあったのか? さてはニーナにフラれたな?」

「馬鹿言え。ちゃんとヤッたさ」

「じゃあ、お祝いか?」

 そういう顔にも見えないが。

「セルゲイ、ちょっとツラ貸せよ」

 彼は僕の白衣の袂を引っつかんで外へ引っ張り出した。

「何をするんだ。たまったもんじゃないな、医者は毛だらけでふわふわした服装なんてできないんだぞ」

 外気が薄い布地を容易く貫いた。

「たまったもんじゃないのは、こっちのセリフだ!」

 僕はそのまま診療所の裏手へと引きずり込まれた。

「なんだ、何があった?」

「しらばっくれやがって!」

 アキムは雪かきの片付け損ないにランタンを置いて、僕を壁に押し付けた。

 背中が冷たい。また霜焼けになりそうだ。酔った顔が間近で光に照らされる。


 土曜日の失態のせいですっかり忘れていたが、アキムはあの日にニーナと会っていたはずだ。

 彼の激怒の理由はだいたい察しが付く。

 ニーナとのあれも、罠のようなものだった。酷く冷たい交わり。


 今の状態で、ニーナとの一件をつつかれたらどうにかなってしまいそうだ。

 いや、もうどうにかなっているか。そもそも、ニーナを知らなければ今の苦悩だって半分程度で済んだかもしれない。

 それなら素直へグレーテを求めて救われる権利はあったはずだ。

 救いが駄目なら、罰しかない。国賊であるこいつに罰せられるのも一興か。


「……」

 アキムは僕を睨みつつ、黙っていた。

「どうした? 遠慮なく言えよ。僕たちの仲だろ」

 僕は胸ぐらをつかむ彼を嘲笑とともに見下ろした。


「馬鹿にしやがって。何が処刑人だ。今は用無しの人殺しじゃねえか」

 そっちの話か。組織で下っ端のアキムが知ったということは、僕の正体はもう、広く知れ渡っていると考えてもいいだろう。

「そうだ。誰かがやらなきゃならなかった。だが、もう用無しだ。今は王女陛下と刑務官たちの仕事だ。蔑むか? 僕を、父を、王室を。もっとも、今は僕もキミも国賊だが」

「……生きた人間を、斬ったことあるのか?」

「一度だけ。失敗して酷く苦しませた。父が始末をつけた」


 僕が怖じずに話すと、アキムは口の中で何か言った。聞き取れなかったが、いっしゅん怒りの色が消えたように見えた。


「……人を殺しておきながら、先生ヅラしやがって!」

 果物の甘ったるい香りを孕んだ呼気が顔にかかる。アルコールは大して感じない。

「練習で死体も斬った。その裏で患者を看て、キミたちと談笑していたんだ」

 僕はなぜか、にやけてしかたがなかった。

「俺は……俺は……」

 アキムが呟く。

「患者もたくさん死なせた。外の医療技術なら救えるのを知っていながらな。今のソソンじゃ、医者も人殺しと大差がない。だから、変化を求めてる」

 建前だが。それにもう、医療のことなどどうでもよくなっていた。正しいことを吐けば、ただ自身に虫唾が走るばかりだ。


「俺は世界に出たかっただけだ……」

 腹の立つなよなよしい男だ。


「やめておくんだな。キミは無能だ」

 自身への侮蔑を憂さ晴らしに彼へとぶつけてやった。殴るなら殴れ。


「そうだよ。俺は無能だ。おまえとは違うよ。人の命を救うお医者様でもなければ、汚れ仕事を引っ被る処刑人でもない。畑を相手にした誰にでもできる仕事をしてるつまんねーヤツだ。学校もろくに出てなきゃ、城に入れるほどの才能も持っちゃいねえ……」

 アキムは僕から手を離すと、千鳥足で距離をとった。


「セルゲイてめえ、ゲルトさんや大臣さんにまで気に入られやがって! 俺が誘ってやったのに、俺が取り次いでやったのに!」

「……」

 不快なことを思い出させるな。

 こんなヤツにでも罰して貰えればマシになるかと思ったが、もはやその気は失せてしまった。


「セルゲイ。おまえは昔から俺より頭が良くて、顔も良くって、性格だってまともだった」

 腕をぐるぐると回転させながら、くだを巻くアキム。

「そのうえ、名医のお坊ちゃんでみんなのヒーローだ。俺がヘマして叱られて、おまえが尻拭いだった」 

「殴るなら早く殴れ。殴り返してやるから」

 そっちのほうがスッキリしそうだ。僕は眼鏡を外して、ランタンのそばに置いた。


「俺は妹と弟が死んでんだ。そういうのが嫌で、ソソンを変えたかったんだ。世界を変えたかったんだ」

「僕もそうだ。だが、まだ時期が早い。王室も民衆も、その準備ができていない」

「おまえはガキのころから何人見送ってたってんだ! いつもいつも俺の先を行きやがって!」


 アキムは助走をつけて僕へこぶしを振りかぶった。


 いちおう避けると、彼はそのまま壁に頭から衝突した。


「クソッ。こっちでも勝てねえのかよ」

 うずくまり呻く酔っ払い。


「当たり前だ。ここはバーじゃないんだぞ。殴り合いならシラフで来い。やっぱり点滴が要ったようだな」

「うるせえ。その気になればゲルトさんのツテで点滴だろうと注射だろうと手に入るんだ」

 闇の中に浮かびあがったアキムの顔は赤くぬめっていた。


「何が“ゲルトさん”だ。言っておくが、僕はゲルトを支持しない。ヤツはカスだ」

「俺だって知ってるさ。ヤツは人を人として扱っちゃいねえ。裏では相当あくどいことをしてるらしい。ヤツは武器の輸入を計画してるんだって聞いた」

「武器? 何のためにだ。使えば何人も人間が死ぬことになる。世界からも食い物にされるのがオチだ」

 ヤツは戦争でもしようってのか。ソソンは内戦とも無縁だ。政権対立も宗教対立も存在しない。圧政を敷いてもいない。

「だからさあ……。ゲルトに言っちまったんだ。俺たちの目的は戦争じゃないって。人が死ぬことじゃなくって、みんなが裕福になることだって」

 アキムは鼻をすすった。

「……キミは馬鹿か」

「そしたらなんて返したと思う? 戦争は目的じゃない、金儲けのための手段だって。ソソンで内戦が起これば商人は儲かるって。物が壊れて人が死ねば需要は無限だ。国が亡びるまでに法律は死ぬから、外との商売も手早く開始できるって」

「死の商人ってやつか。しかし、ゲルトも馬鹿だな。なんでそんなことをキミに話すんだ。戦争を望んでるのなんて、商人でもごく一部だけだろう」

「そうだ。だが、あいつに暮らしを握られてる人間は一部どころじゃねえ。俺だって……」

「キミも何か弱みを?」

「西の山の開拓をしてブドウ畑を広げたのは知ってるだろう? 醸造所も増設した。全部ゲルトからの借しだ」

「借金ってやつか。商人以外には縁のないもんだな。返せないのか?」

 金はそこまで重要じゃない。ソソンじゃ、いまだにソソンの代に作られた古びたコインを使っている。

 瀕しようが窮しようが、声さえ上げれば国が助けてくれるし、富を貯めても使い道がない。施しを受けるには、愛される人柄であるか、面の皮が厚いかどうかが重要だ。

「おまえに見せた酒蔵にあるワインも、出荷するにゃまだ数年は寝かさなきゃならねえ。計画中にも稼ぎを増やそうと努力をしたが、二年ぽっちじゃ十分の一も貸しを返せなかった。だが、少しでも手を抜けば“利子”とやらでむしろ借金が増える」

「どうするんだ?」

「ゲルトは、アンダーグラウンドで新しい商売を計画しているらしい。『秘密のバー』みたいに地下に施設を作って“お花売り”だとよ」

「地下娼館か。ソソンじゃ立ちんぼも難しいからな」

「裏路地で有名な売春婦が捕まったらしい。再犯だから近々処刑されるって噂だ。貴重な売春婦が消えた今が商機なんだとよ」

「それがおまえの借金と何の関係がある? これ以上、あのウジ虫野郎にソソンを好きにさせてたまるか。売春もそのあっせんも犯罪だ。はっきりと言ってやる。僕はキミの味方をするために仲間入りしたんじゃない。王女陛下の邪魔をする連中を潰すために手を握ったんだ!」

 手の届かないところで、事態はもっと悪くなっているようだ。

 現時点では地団太で雪を踏み固める以外にできることがない。通報できるとしても、実際に娼館ができて、たくさんの人が型にハメられてからになる。

 僕はつくづく無能だ。


「やっぱり、おまえはいつも俺の一歩先を行ってるよ」

 アキムは鼻声だった。


「おまえが遅すぎるんだ!」

 友情が復活したのか、怒りだったのか、はたまた八つ当たりか。僕は彼の胸倉をつかんで立たせて、一発ぶん殴った。


「そうだ。あの晩ニーナにも言われたんだ。来るのが遅いって」

 この馬鹿はとうとう泣き出した。頭を抱え、雪にうずくまって子供のように声をあげた。


「おい、情けないぞ。男だろう。立て。僕とゲルトを潰そう。大臣や副将軍もヤツを気に入っていない。ヤツが消えれば借金も帳消しだ」

 僕は苦悩するアキムを立たせようとした。だが、彼は頑なに抵抗した。腹が立った。まるでさっきまでの僕を見ているようだった。


「……娼館の話をされたときに、ヤツの口から俺の妹の名前が出てきたんだ。まだ生きてるほうのな。順当に行けば今年で学校も卒業だ。……それに、それにニーナの名前も出しやがった! あいつ、世界の良さを広めるから知り合いを誘えって、みんなに言ってたんだ……!」

 ユキウサギは自身の身を隠すために雪の中を移動するが、狩人はそれを知って罠を仕掛けるものだ。

 狩人だけじゃない。獣たちが雪を掘るのを好むのを知って、ドクニンジンまでもがそこに根を張る。

「それで、お前をどうしようってんだ。おまえが代わりに花売りをするわけじゃないだろ」

「案外そうかもしれねえな。特別な仕事を任せるって言ってた。何をやらされるやら。一歩遅れて俺も人殺しの仲間入りかもしれねえ」

 アキムは力無く笑った。

「反吐がでるな。そうなる前に城へ駆け込め。おまえがクズにならず、ニーナたちを売春婦にしないのはそれしかない」

「俺たちが逃げちまったら果樹園はどうなるんだよ? おまえが医者を止めたら困る患者がいるのと同じだ。うちはルカ王の改革以来、人手もたくさん増やしてるんだ」

「手伝い人がなんだ。順序を考えろ。おまえはもっと身勝手な男だっただろう?」

「そうでもなかったらしい。それに男どころか玉無しじゃねえか……。はは、ニーナはきっと、良い売春婦になるぜ」

「何を馬鹿なことを。頭を冷やせ」

「とっくに冷えてるさ。頭に上った血も落ち着いたし、酒もすっかり抜けた」

 アキムは静かに通りのほうを見ていた。何もない、闇だ。

 僕は黙って彼の横へ座った。いちおう医者のズボンも普段着と同じ毛皮だが、ほとんど拷問だった。


「おまえは、ニーナにキスされたことをあれだけ喜んでたんだろう。彼女のこと、護り通せよ」

 少しだが、罪の意識があった。こいつに同情も何もなかったときは気にも掛けなかったが。

 アキムもまた憐れだった。だが、あまりにも僕自身に似ていた。彼の可哀想には興奮ひとつできなかった。

「ニーナ。ニーナかあ。あいつな、処女じゃなかったんだ」

 そう言ってアキムはまた泣き出した。

「つまらないことを。キミだって童貞じゃないだろうに」


「……ははは」

 アキムは空笑いだ。


「……は? あれだけ街でのべつまくなしに女性へ声をかけていたのにか?」

 僕は笑ってしまった。やはり、ニーナの仕掛けた罠だったとはいえ、彼には悪いことをしたらしい。

「うるせえよ。俺はマジだったんだよ。ガキの頃から。ニーナ以外の裸に興味はねえ」

「そうか、じゃあまた僕が一歩先だな。僕はガキの頃から治療や出産で汚いものを何回も見せられてきた」

「羨ましい話だな。俺は女子の毛皮の下が気になってしょうがなかったってのに」

「どっちだよ。見たと言っても、勉強として無理矢理だぞ。ま、医者としての知見を使って慰めてやるとするなら、初めてだからって確実に血が出るわけじゃない。局部の先天的な形状の問題に過ぎない」

「ちぇっ、余裕ぶりやがって」

 アキムは笑った。

「余裕じゃなきゃ、今ごろインポテンツか性転換さ。キミはニーナの股のことで悩んでるようだが、僕はその母親の腐り落ちたものまで見てるんだぞ」

「梅毒だっけか。だから心配なんだよ。ニーナの母親も“そういう女”だったんだろう? 直接聞いたことはないが、亡くなったあとに噂になってた」

「それは正しくない。ニーナの母親“は”だ。それに浮気であって売春ではないかもしれない」

 ニーナの母は薬を届けた僕に色々話したが、娘や夫への懺悔ばかりで、そこへ至った経緯に関しては聞いた記憶がない。

 今となってはただの憶測だが、ニーナと同じで理由は「寂しかったから」なのかもしれない。


「ニーナも、いずれ同じになるさ。俺のせいでな」

「だったら責任を取るべきだな。世界への夢も、農場主としての義務も捨てて、大切なものを取れよ。おまえの言ってた順序だ。グレーテに給仕室に入るのを後押ししたのと同じだ」

「いや、しばらくは距離をとる。ニーナに迷惑はかけられねえ」

「キミは本当に馬鹿か。ニーナはキミが思ってる以上に寂しがりやだ。手放したらどこへ行くか分からないぞ」

「なんでお前にそんなことが言える?」

「長い付き合いだからだ。グレーテがメイドになったときも寂しがってただろう?」

「……知らねえ」

 いっしゅん睨まれた気がした。

「あの頃のおまえは遊び歩いていたんだっけか? だいたい、ニーナの心配の種はおまえだったからな。おまえ本人に寂しいと言うこともないか」

 慌てて誤魔化した。


「……ニーナは俺の女だ」


「そうだ。今からでも行って抱いてこい。なんなら事情をすべて話してしまってもいいだろう」

「そうかもな。大体、最初に巻き込んだのは俺だしな」

「僕も巻き込まれたんだぞ。僕たちは親友だろ。大昔からの共犯者だろう?」

 僕はアキムに笑いかけた。

「そうだったな。スパシーバ、セルゲイ」

 彼は笑い返し、立ち上がるとランタンを手に取り、眼鏡をこちらへよこした。

「女に会いに行く前に、ちょいと一仕事頼めないか? ドクター」

 血みどろの頭を指差すアキム。

「ニーナにやってもらえ。僕はキミのせいで手がまったくかじかんでしまってる。ヘンなところに針を刺すかもしれないぞ」

 友人の尻を叩いてやる。

「それは勘弁だな。とりあえず……階段から落ちたことにするか」

「酒を禁止にされるんじゃないか?」

 僕は笑った。ニーナなら言いかねない。こいつは従わないだろうが。

「たまには束縛されるのも悪くないさ。自由を捨てるなら、これも訓練だぜ」

「じゃあな。風邪ひくなよ」

「おまえもな。あばよ、セルゲイ」

 そう言ってアキムはランタンを高く上げて降った。闇と雪を照らして小さくなっていく友人の姿。


「……まったく。どいつもこいつも勝手だな」


 みんな、僕と同じだった。アキムもニーナも憐れだ。

 そして、同じはずの二人は、勝手に僕を使って、勝手に納得して行ってしまった。


 僕には誰も慰めてくれる人は居ないというのに。せめてグレーテが居てくれれば。だけど、僕はもう愛されるには汚れすぎていた。


 早く部屋へ戻ろう。ここは寒すぎる。

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