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死刑2-13 愛から程遠き者たち

 しばらくは診療所をたずねる患者が多くなった。言いわけには都合が良かった。

 入院用のベッドは空いたままだったが、実際のところは妙な症状を訴える患者が増えていた。

 原因不明の頭痛や倦怠感、ちょっとした譫妄や混乱。

 なにかの病が流行し始めたかと危惧したが、彼らの症状の多くが時間経過で治ったことと、まさに“使用後すぐ”に診療所をたずねた患者がいたことで、その正体が分かった。


「薬物か……」


 城下町に、ゆっくりと薬物汚染が広がっていた。看破してからは使用者を窘めはしたが、たぶん僕は無力だろう。

 頭痛をもったままの連中は返事だけは更生を誓っていた。


 いっぽうでアキムは相変わらずだった。中毒の様子がないか注意深く確認したが、彼はそうはならなかったようだ。

 そもそものところ自宅で果実酒が手に入れ放題で、アルコール耐性も低い体質だ。無理に違法薬物に手を出す必要はない。

 もっとも、これ見よがしに常にビンを持ち歩いていたが、その中身の減りかたは実につつましやかだったが。


 アキムは看板娘の変化に気付いた。あの熱くて寒い交わりがバレたわけじゃない。口説きかたが少々真剣になっただけだ。本能的なものだろう。

 ニーナは女になったことでいっそう綺麗になっていた。

 少し腹立たしかった。彼女のほうも、以前よりはアキムへつれない返事をしなくなった気がした。これは僕の思い込みかもしれないが。

 正直、彼女のいる店に居たくはなかった。嫌いになったというよりは、自身の慈愛の欠けを思い出さなければいけなかったからだ。なるほど、これが酒や薬を求める心理かと思った。

 それでも普通に振る舞うように求められていたから、日中は医業が忙しいと言いわけをつけながらも夕食を食べに顔を出していた。昼間を避ければ、グレーテはほぼ確実に店へ来ないだろう。

 今の僕には、グレーテと顔を合わせる資格はない。


 たいていは、三人でくだらないおしゃべりだ。ニーナはよく笑った。

「俺たちは仲間だろ」

 アキムがたびたびこれを口にしていたから、ニーナには嬉しかったのかもしれない。僕にとっては不快以外のなにものでもなかった。

 ヤツの口から聞きたかったのは、友情でもなければ不義の問い詰めでもなく、活動団体のブレーンたちとのアポイントメントの話だけだ。

 神と天使への貢物を手に入れなければ、僕は不能の烙印から逃れることができない。


 ある日。家へ帰ろうと二人を残して診療所へと暗い雪道を歩いていると、居残ってニーナを口説いていたはずのアキムが白い息を吐きながら追って来た。


「待ってくれよセルゲイ」

「なんだ? もうフラれたのか?」

「その逆だ。親父さんが二階にあがったときに、これよ」

 アキムはくちびるを湿っぽく鳴らした。

「そのくらいでなんだ。キミならもう、とっくに口だけでなく手も出していると思っていたが」

「ニーナはガードが堅いんだよ」

「ニーナ“は”か?」

「そうだ。酒の席じゃ俺はもてるんだぜ。問題はキスをしたってところじゃない。キスをプレゼントされた(・・・・・・・・)ってところだ」

「続きはしなくていいのか?」

「アレが来てるから嫌だって言われた。来てなきゃオッケーってことだ!」

 アキムは完全に浮かれていた。

「分かった分かった。おめでとう。それを伝えるためにわざわざ追って来たのか?」

「おっと、また忘れるところだった。例の大臣との会合がセッティングできたぜ」

「それを先に言えよ! まったく……やるじゃないか」

 僕はアキムを正直に褒めてやった。いよいよ王女に盾突くクズどもの顔が拝める。

「つっても、商人連中に間接的に頼んでもらったんだけどな。次の会合に参加して貰う。会合は次の土曜の夜だ。場所は知らされていない。そういうときは秘密のバーだ」

「分かった。おまえも来るのか?」

「あー……いや、俺はちょっと都合が悪くてな」

 呼ばれたのは僕だけか? そのほうが都合が良いが。

「お互い頑張ろうな」

 そう言ってアキムは肩を組んできた。仕方なしに組み返す。

「ニーナには言うなよ。あいつはおまえが俺を止めるために仲間入りしたと思い込んでるからな。俺ももう、あいつを巻き込むのはやめだ。土曜日に決めてくる!」

 どうやら“そういうこと”らしい。

 その程度のことで国のための仕事を後回しにするのなら、始めからやらなければ良かったんだ。

 王女の批判を懺悔して足を洗えば、慈愛の訓練代わりに赦してやってもいい。


「俺はやるぜ! ニーナのためにもソソンと世界を変える!」

 アキムはこぶしを振り上げて叫んだ。


 彼の宣言は道端の雪に静かに吸い込まれていった。



 土曜日。

 僕は『秘密のバー』へと足を運ぶ。いちおうはあれからも何度か足を運んでいる。大した情報は得られていない。

 むしろ、王室への侮辱的な話はなりを潜めていた。最近、初代の英雄と同名の男が処刑を受けていた。

 “かれ”は自身の正義の名のもとに復讐を執行した戦士だった。

 “かれ”は最期まで両親への感謝と、自ら手を下した仇に対する謝罪、それから王国と王室への忠誠を叫んでいた。


 潔い男だった。もしも僕が処刑されるならば、“かれ”のようにありたいものだ。

 願わくば、革命や変革を謳う連中の末路も、誇り高くあって欲しい。

 これから会う人間も、良くも悪くも王女の黒いドレスにあたいする人物だと良いのだが……。



 『秘密のバー』でよく分からないラジオ放送を耳にグラスを傾けていると、マスターのドナートが声をかけてきた。

「先生、おいでなすったよ」

 僕は階段に意識を向ける。バーの静かな喧噪を縫って、重たい靴音が降りてくるのが分かった。


 毛皮を身にまとった男がふたり。

 片方は背が低く、毛皮の上からでも冬眠に向いた体形だと分かった。派手なファーメイクと帽子。彼は帽子に手をやったが、脱ぐのではなく直しただけだった。

 もう片方は齢六十に近そうな男。ソソンでは立派な老人だが、その顔はまだまだ現役を物語っていた。鼻をひと鳴らししたあと、煙たいボックス席をのひとつを的確に睨んだ。


「あっ、大臣さんだ!」

 誰かが声をあげた。すると、小太りの男は瞬く間に何人かの客に囲まれた。

「これこれ。今日は大事な客人を迎えに来ただけなんだ。ゲームも何も持ってきちゃいないよ」

 “大臣さん”は愉しげに言った。だが、ギャラリーが目当ての物がないのを知ってすぐに去って行ったのを見て、寂しそうな顔になった。


「ドナート君! 彼は来ているかね?」

 大臣さんが声をあげた。

「ここだよ。彼がそうだ」

 彼と目があった。こちらを見て鼻で笑ったのが分かった。僕は眼鏡を外していたし、すでに目も慣れていた。


「セルゲイ・キリーロヴィチ・アサエムです。医師をしています」

「ロジオン・クリメントヴィチ・ウスペンスキー。かの王城が巡検室を統括する者だ」

 この小太りが巡検大臣か。

「シードル・ラヴレンチェヴィチ・ポポヴィッチ。副将軍だ」

 こっちの年寄りが副将軍。そういえば『ルカの語らい』の壇の警備に当たっているのを見たことがある。

 僕はふたりと軽いハグを交わす。

 大臣は臭くて暖かくてブヨブヨした感触だった。副将軍は明確に僕の身体を探っていた。あいにく、医者でないものが気付ける武器は持っていない。

「さっそくで悪いが、ここは空気が悪い。話せることも限られる」

 副将軍はそう言うとすぐに階段を上り始めた。僕はカウンターに水割りの代金を置き、彼についていく。大臣がその後に続いた。


 彼らに挟まれたまま街を歩き、ある商館へと案内された。


 三階建ての大きな館。広い庭付き。城下では丘の上にある城や塔の次に目立つ建物だ。

 個人所有の家屋ではない。普通は暖炉の熱の届く範囲の大きさの家を建てるものだ。


 ここは商人たちにとって重要な施設だ。


 ソソンじゃ、商売そのものは自由だ。

 僕が医療の料金を吊り上げようが、拾った石ころに値段をつけようが法律に触れることはない。客が泣くか離れるか、それだけだ。

 だが、暗黙の了解だけでは商売の世界は成り立たない。ある程度のすり合わせが必要だ。そこで商会が作られた。

 品物の値段や生産具合のデータを提供すれば、引き換えに他人のデータが貰える仕組みだ。そのデータの照合や回収が商会の仕事だ。

 商会そのものは大した権力を持てない。登録者がデータ提供を怠ったり、偽装やミスのあったときくらいしか口を挟めない。自由な商売を妨害してはならないからだ。

 もちろん、商館に務めることができるのは商売をしていない人間だけだ。国からの監査も定期的に行われている。

 商会の仕事はそこまでで、残りは商人や農家などが自身で判断して、値段や次回の作付けなどを考える。

 どこかがイレギュラーを起こせば穴ができる。それは持ち回りで埋められ、そのイレギュラーが不幸な事故や不作であれば次のシーズンでは誰かが甘く取引をしてくれるようになっている。

 助け合い。善意に基づくシステムだが、脱落者が出た場合はさすがにパイの取り合いになる。よそに手を伸ばすだけの野心と金のある者だけが争い、ほかの多くはいつも通りを努める。

 普通ならば、次第に野心家が力を持つようになるシステムだが、ソソンは狭く、商会の登録率が高いために奪い合いに勝ったものは全体から見えない程度に冷ややかな処遇を受けて、けっきょくは突出できなくなるようになっている。

 国内で産業が完結するソソンにおいては完璧なシステムだ。だが、外に出たい者にとっては最悪だろう。


 国外を相手に商売ができるようになれば、このスクラムから脱出することができる。

 野心家連中はそれが狙いだろう。

 出て行きたければ勝手に出て行けばいいものを、この国を巻き込む気に違いない。

 一部の連中だけが交易を始めれば、ソソンの商売は完全に破壊され、国の手の及ばない範囲で貧富の差がどんどんと広がることになる。

 連中は、私利私欲にまみれたカスだ。


 今、長テーブルをともにしている鼻の下に髭をつけたこの男、ゲルト・エゴロヴィチ・ゲルト。

 『ゲルト=ゲルト』の名で知られるソソンいちの豪商。ヤツもそのタイプだろう。


 ゲルトは職人でもなければ農家でもなかった。生粋の商売人。この国じゃ商売人としてはどこかで頭打ちになるが普通だ。

 それでも、ヤツの商館登録事業数がだんとつ一番で多いのは、旧時代的な“あるやりかた”を採用していたからだ。


 それは『政略結婚』だ。農家や商店、慎ましいパブの子供、だいたいは長女を見つけてきては自身の血縁者や息のかかった男をあてがう。あるいはその逆。

 商会のデータを見れば、どこが弱っているかは一目瞭然だ。そこに支援と引き換えに縁談を持ちかけるというわけだ。


 ゲルト=ゲルトの手法は、これまでは噂どまりだった。

 狭い国だし、縁の繋ぎかた自体にもパターンが少ないから偶然とも当然とも言えた。

 だが、あろうことか彼のすえの息子が、どこかのパブの看板娘ニーナではないに強姦未遂を働いて逮捕されたことによって、それがただの縁談以上の意図を孕んだ行為であると明るみになった。


 商会の者が調べたところ、ゲルトを仲立ちに縁を結んだ者の多くは、所帯を持って半年以内に第一子をもうけていた。

 子供はある種の人質だ。妊婦の選べる選択肢は多いが、国の援助を受けるためには自宅から出ねばならないし、親はゲルトの助けが要る状況。

 そんな中で働くのは困難で、けっきょくはゲルトに宛がわれた男の労働力と縁に頼るほかにないというわけだ。

 もっとも、訴えがない以上、真実は闇の中だ。

 ゲルトの息子は再犯死刑制度の復活により、再び星室裁判を待つ身となっている。それ以上でも、それ以下でもない。


 ちなみに、調査員はのちに急な心臓発作で死亡して、それ以降の続報はない。


「そういうわけでロジオン君。うちの者を何とかして王室に近付けたいを思うんだが」

 ゲルト=ゲルトは言った。


 僕はポケットに忍ばせていた毒入りカプセルの数に落胆を覚えた。

 長テーブルについているのは僕らだけじゃない。ほかに見知らぬ男が数人いた。

 茶が供されれば根絶やしにするチャンスがあるかと思ったが、甘かったようだ。

 僕を含めてほどんどの者は聞き手だ。会議では主にゲルト=ゲルトと巡検大臣ロジオン、それから“撮影係”とやらが発言をしていた。


「王女を手籠めになさりたいので? 新しい者を入れるのは難しいですな。ローベルトの件から城内職員の一般公募は停止したままですから。アンケートの書き換えくらいならできますがね。書きますか? 王女さまが商人と御結婚なさればソソンも安泰です! とか」

 ロジオン巡検大臣も薬の候補でいいだろう。

「馬鹿馬鹿しい。衛兵はどうだ? あれは城内勤務の職員とは別枠なのだろう?」

 ゲルト=ゲルトが鼻で笑う。

「別枠ですが、軍部は実力主義。城内の警護へまわるには、評価を得るために活躍をするか、長い時間による信用が必要です。無意味ですな」

 シードル副将軍が答えた。

「特別推薦枠みたいなのはないのかね」

「ありませんな」

「ないなら作りたまえ。副将軍だろうに。キミの息子がうちの可愛いフェオドラに手を出したことをニコライ将軍に直訴してもいいんだぞ」

「……再三申し上げますが、うちの息子からは自由恋愛だったと聞いています」

「ははは! そうだといいね。ニコライ君の息子のフィアンセも、うちが目を掛けてるファーデザイナーの卵でね。誰が悪人か善人か……。商人にはそれを見極める審美眼があるのさ」

「……」

 副将軍は黙り込んだ。

「“サーシャちゃん”もいい年頃だろう? それに君主としても頑張っていらっしゃるようだし。我々商人との関係こそがソソンの基盤だと気付かせれば、不可能ではない」

 この場で殺すか悩んだ。あいにく素手でやれる自信はなかった。シードル副将軍が剣を貸してくれれば可能かもしれないが。

「それもまだ早いでしょうな。あの小娘はまだねんねちゃんですぞ。部屋に同じ年頃のメイドを連れ込んでおままごとをしてますから」

 ロジオンは愉快そうに言った。サーベルでこの脂樽を両断するのは難しいだろう。デブには薬の効きが悪いことも多い。

「メイドか。メイドなら城の外で商人と繋がる者もいるだろうな」

 ゲルト=ゲルトは薄汚い笑いを浮かべた。


「メイドは結婚すれば多くは城から去るものだと聞きます。子が出来れば使えなくなります。それに、給仕室には女子しかいませんから、王女と関係を結ぶのに遠回りです」

 僕は思わず口を挟んでいた。


「そうだが、ほかに使い道も……こいつは誰だ? 優男だな。うちの関係者か?」

「いいえ。僕は医者です。医者には商館へ登録する習わしはありません」

「こいつが噂のセルゲイ大先生か」

 ゲルト=ゲルトは指を舐め鼻の下の髭で拭った。


「紹介が遅れましたな。セルゲイ・キリーロヴィチ・アサエム。アサエム家はやはり、例の処刑人でしたな。国境室と星室に口を割らせるのは苦労しましたぞ。革命に興味を示しながら、関わり合いがあることを容易く漏らさないもので」


 ロジオンが言った。どうやら僕の正体についても知っているらしい。


「忌むべき存在だからな。死を届ける一族か。国境室とのパイプはすでに繋がっている。ほかの手もある。こいつは死刑をふたたび廃止に持って行かせたあとに王室を潰すために使えるな。小僧、おまえはなぜこちら側に来た?」

 商売人の目だ。敵でも味方でもない。品定めをする視線。


「……うちは代々、一部の限られた者だけに存在を知らされる処刑人でした。死刑の廃止で僕たちは仕事を失いました。表向きは医者で食うには困りません。それでも代々受け継いだ仕事には誇りをもっていました。復活したかと思えば、それは王女によって奪われてしまったのです。僕はあなたたち商人と同じです。斬首という均一規格の処刑をもって、人間を物としてあつかう商売です。死は商品で、この身体は商売道具だ。医業もまた、同じことです」

 虫唾が走る。だがここでへたを打つわけにはいかない。


「ほう。ただの青二才かと思っていたが気に入った。聞くところによると、おまえは医者としての手腕もよく、かねてから利用していた国外の技術や薬の知識に長けているという。その力はなにかと役に立つはずだ」

「ありがとうございます。何かあれば呼びつけてください」

「ま、しばらくはただの医者でいてくれ。うちの傘下なら、レオニートの代わりに候補にしたんだがな。おまえはレオニートよりも頭も立場も良い」

「レオニート?」

「うちの手の者に馬車業がいてな。城の馬車の整備にも関わっている。そこのせがれが、王女と同じくらいの年頃で顔が良いと言うから城へ送り込む予定だった。それが、城が公募を締め切ったせいで足止めを喰ってな。城にもすでに内通者は居るが、やはりもともとがこちら側でないと信用出来んのだ」

「そうでしたか」

「城の担当医だったら、部外者でも試す価値はあったんだが」

「処刑人の家系が城に入り込むことはありません。法や儀礼ではありませんが、一族は自粛をしています」

「そうか、残念だ。おまえならそれなりの格好をすれば、王女の横に立っていても不思議じゃあないがな。おっと、これは誇りを奪われたアサエム家へは侮辱だったな。すまない」

 ゲルト=ゲルトは立ち上がった。

「もう帰られるので?」

「こっちに報告すべき進展は何もないからな。別の大物との仕事があるんだ」

 そう言って黒い商人は部屋を出て行った。彼の退場にあわせて、有象無象の連中も席を立ち始める。


「ふう、やっといなくなった。商売人の分際で偉そうにしおって」

 閉じられた扉を見て巡検大臣が溜め息をついた。

 ゲルト=ゲルトは、いちばんのがん細胞だ。何らかの手段をもって必ず排除しなければならない。だが敵は多く、大きすぎる。

 本当に解決したければ彼の息のかかった者を根絶やしにしなければならないだろう。しかし、それではソソンは平和にならないどころか壊滅だ。

 ヤツ自身に法的なブラックが出ない限りは告発も効果は薄いか。ヤツは告発され馴れている。そのうえ、星室にも密偵がいるだろう。


 商会や商人が噛んでいるのは聞いていたが、ここまでだとは思わなかった。それに巡検大臣も下手に出ているし、副将軍は弱みを握られている。


「ま、でもセルゲイ君が気に入られてくれて良かったよ」

 ロジオンは、アンケートの書き換えが可能だと言っていた。こいつが毒の流れのバルブ役だ。

「アンケートの書き換えなんて行ってるんですか?」

「いや、面倒臭いよ。実際にやったのは書き換えというよりは、すり替えだね。全国民の意見に目を通すだけでどれだけ大変か。目を通す前にランダムに白紙をすり替えるくらいだ。手抜きのためだよ。悪意はないよ」

 悪意がないだと? よくもぬけぬけと。

「不真面目なのは困る。商人の意見を忍び込ませないでくれるのはありがたいが」

 シードル副将軍も立ち上がった。商人の意見を喰い止めてる? ロジオンはどっち側だ?

「国民が思考しないでくれると、こっちは大助かりなんだがね。あんたがた軍部もそうだろ?」

「確かに、大衆の多くは無知で愚かだ。それは我々軍人にも言える。だが、どんなに稚拙でも、己を守ろうとしないことは本能を放棄しているに等しい」

「それが軍人の言いわけかね。あんたが防衛本能なら、私は快楽の享受と復讐だね。これもまた原始的な思考のプロセスだよ。社会的なつくろいでそれを隠したつもりのゲルト君は、いったいどんな信念を持ってるんだろうねえ?」

 巡検大臣はゲルトの席に置かれていたお茶菓子を鷲づかみにすると口へ放り込んだ。

 シードルはまた何も言わずに出て行った。


「ばいばい。負け犬さん。そんなんじゃニコライに一生へつらったままだね」

 ロジオンはしまった扉に向かって手を振って笑った。


「……あなたは、どういった理由でこちら側に?」

 こいつなら食い物に毒を仕込めばすぐに終わりだ。診察してやるふりして遅効性の毒で病死を狙うのも可能だろう。

 もう殺す。明確な革命の意思は感じないが、怠慢はときに毒となる。一人で勝手に死刑になる程度なら放置するが、こいつのポジションではそうはいかない。


「今の話を聞いて“こちら側”だと思ったのかね? 処刑人キリル・イヴァノヴィチ・アサエムのせがれ」

 小太り中年の眼光が鋭くなった。

「でも、復讐とかなんとか言ってましたが……」

 実は、彼も僕と同じで国を護るために入り込んだのか? 考えてみれば、副将軍とのやり取りもそれらしいか。

「意見書。私が目を通さないと思ってるのかね? 目立つのくらいはちゃんと読んでるよ。束にして持ってきた上に、その辺の医者じゃ知り得ないことまで書いちゃって。王女陛下が不審がってたよ」

「……」

「堅くならないでけっこう。キミが憂国の士であることは知っている。あの“ちょび髭野郎”に会って、どう思った?」

 試されているのか。


「……控えめに言ってカスだと思いました」

 今はふたりきりだ。答えを誤っても何とかできるかもしれない。


「同感だ。それに、ソソンと世界を繋げられちゃ個人的にも困るね」

「個人的に?」

「一つ勘違いしないで欲しいのはね。私は国を維持するためにここに入り込んだが、それはあくまで手段だってことだ。私は自分が裕福でいたいだけなのだよ。ソソンの偉い大臣さんであるには、これ以上民衆の視界を広げてもらっちゃ困るんだ。自分よりお金持ちは嫌いなのさ」

 ずいぶんと矮小な理由だな。だが、完全な敵よりはマシか。


「もちろん、復讐ってのは反ルカ王って意味だ。だから私は、親アレクサンドラ派ってことだね。王女の贅沢は豪遊することじゃなくって、メイドちゃんと女の子をすることだから可愛いもんさ」

「不敬だ」

 ロジオンを睨みつける。

「睨まないでよ。キミは処刑人の立場を追われて怨んでるって言ってたじゃないか?」

 ロジオンは笑った。

「それは建前だ。僕は王女陛下を敬愛している!」

「やっぱりねえ」

「だが、巡検大臣とあろうものがそのような体たらくでは王女陛下に相応しいとは言えない!」

「若いね。私も志があったさ。だから大臣まで上り詰めれたんだしね。もっとも、理由は裕福になりたいって思ったからだけど。今じゃソソンでいちばん良い思いをしてる。外の品を持ってるぶん、王女よりも幸せかもしれない。だから、今のソソンを維持したいのさ」


 味方のアピールをしながらこの仕打ち。

 残念ながら僕の脳は、この部屋から外へ脱出するまでのルートを計算し始めていた。それと僕の指が脂ぎった首の動脈を締めることができるかどうかも。


「だったら、もう充分じゃないですか? あなたの力を使ってゲルトの野望を打ち砕くんです」

「いやだよ面倒臭い。というか無理でしょ。汚染され過ぎてる。連中を潰せばソソンの経済はめちゃめちゃだ。ストレスで大臣は全員つるっぱげになるよ」


 僕の両手が早く殺させろと催促している。


「まあ、真面目にやっても良いんだけどね。王女は生意気だけど自分でやりたがるから、その気になれば私は楽ができるしね。だけど……あの小娘が、サーシャ王女が困ってるところを見ると、ついね、意地悪をしたくなっちゃうんだ」


 ロジオンは目を細め、口もとをめいっぱい吊り上げた。


 ……。


「綺麗で気高い女性が困ってるところ、最高だよね。あの華奢な腕を、罪人に向かって振り下ろさなきゃいけないなんてさ。穢れを知らないだろう処女の身体が悪人の血で汚れるんだよ。その様子を国民に公開するとかさ、本当に可哀想。私はそれを見ると可哀想で可哀想でたまらないんだよ。私には“そういうクセ”があってね。公開処刑だなんて無茶な意見に最初に賛成したのも、私だったりしてね」


 ……。


「ゲルトはどうも、処刑の映像を国外に動画を売ってるみたいだ。かなりまずいし、王女も知ってるはずなんだけど、彼女が何も言わない以上はどうしようもないだろう? 彼女が困ってる姿を見たいんだけれどねえ」


 ……。


「可哀想だけどね、愛おしいよね。王女には可哀想でいて欲しい。あの子は自身の思い描く理想を目指せば目指すほどに苦悩するに違いないよ。彼女は優しくて真面目だしね。だからここでゲルトの邪魔をして王女の手伝いをしているのさ。……ふふ、キミには分からないかな?」


 こいつに信念はない。


「軽蔑した? ポケットに隠したこぶしが震えてるよ? でも、私は大臣だし、キミの味方だからね。私の仕事次第でキミだけじゃなくて、この国が左右されることは忘れないでね」


 情けなかった。僕は握ったこぶしを振り上げることも、ヤツの醜い首へ回すこともできなかった。僕は不能のままだ。


「良ぃいね! なかなかの可哀想っぷりだよ。憐れみを感じるよ。私は老若男女問わずに可哀想なのが大好きだ!」


 悔しいことに、こいつの言い分が理解できた。できてしまった。

 僕も多分、誰かが“憐れ”なのが好きなのだ。あるいは、憐れんでいる自分が、その慈悲を褒め称えられるのが。

 そのくせ酷く臆病で、正義の隠れ蓑が必須だった。


 そして何より、グレーテや王女陛下が苦難にぶつかっている瞬間、彼女たちの輝きが太陽をも超えるのを知っていた。

 王女を褒めそやし、心配する者は多い。それは自分のための慈悲であって、相手を受け入れ分け与える愛とは違うのだ。

 ロジオンは醜いが、ストレートに表現できているぶん、国民よりも王女を愛していると言えたし、臆病者の僕よりも見事だった。


「じゃあね、セルゲイ君。王女を敬愛してるのなら、ゲルト君に取り入ってみるのも良いんじゃない?」


 僕の背中が厚ぼったい手に叩かれる。


 完全に負けた。牙を抜かれたオオカミだった。

 僕は失意の中の帰宅をし、忠義が果たせなかったことを土下座をもって百八回謝った。

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