死刑2-11 地面の狭間で
僕はアキムに連れられて、城下の裏通りにある『秘密のバー』に来た。
ここが活動家や商人たちの隠れ家で、情報交換の場らしい。
『秘密のバー』。笑えるだろう? いい歳こいた大人たちが集まって、こんな冗談みたいなことをしているのだから。
外見はただの民家の勝手口だ。そこから地下への階段を下ると、暗く、汚れた空気の充満した広い部屋へと辿りつく。
調度品の配置はバーらしくしてあったが、色ガラスのランプが鈍くもカラフルに空間を照らしていて気が狂ったようだった。
そこでは、思いのほか多くの人間が酒と会話を楽しんでいた。奥からはビリヤードの音も聞こえてくる。
「どうだ? イカしてるだろ?」
「そうだな」
僕は気のない返事をした。汚い空気だ。これなら東部の病室のほうが余程ましというものだ。
「思ってないだろ」
アキムは見透かして笑った。
「まあな。だが、問題は見てくれなんかじゃない。おまえたちの活動は格好つけなんかじゃないんだろう?」
「俺たちの活動だぞ。ここでは外の世界の良さってもんを教え合ってるんだ」
「外の世界の噂をするだけか?」
「まさか。カウンターへ寄ってみろ」
僕はアキムに連れられてカウンターへ近づいた。グラスを拭く毛皮をまとった男の後ろから“声”が聞こえた。
「これは……」
「メイドちゃんたちのと同じ“ラジオ”だ。演奏家なしに音楽だって聴ける」
ラジオからは二種類の人の声のやり取りが聞こえた。
英語だが、なまりがある。逆か。ソソンのなまりがない。
「マスター、新入りを連れてきた。ラジオの周波数を音楽のチャンネルに合わせてやってくれないか」
アキムが頼むと、マスターはカウンターからこちらを睨んだ。
「トロツキーのところのせがれか。また仲間を増やしたのか。衛兵にバレるようなことにならなきゃいいが」
「前に言ってた医者だよ。あのセルゲイ・キリーロヴィチ・アサエム医師だ」
「おお! あの大先生か」
マスターは急に態度を変えた。グラスは置かれ手が差し出される。
「ドナート・オレーゴヴィチ・クリコフだ。実は昔、あんたに世話になってる」
「昔? オレーゴヴィチさん。すみません、憶えてなくて」
僕は手を握り返しながらたずねた。
「ドナートでいいよ。忘れても仕方がないさ。キミは俺のおふくろを代わりに看取ってくれたんだよ。もう、ずいぶん昔の話だがね。親父が飲んだくれてて、俺が町中の酒場を探してるあいだに、おふくろは死んだんだ」
「患者さんのご家族でしたか」
「ああ。次は俺が患者かもしれない。親父は患者をすっとばして死者になったよ。右脇腹を押さえてね。俺もこういう仕事だから、カウンターに姿が見えなかったら覗き込んでくれ。陰でくたばってるかもしれない」
ドナートさんはそう言って酒を注ぐと僕らへ出した。それから振り返り、何かをいじくった。
うす暗くて分からないが、ラジオだろう。外国人のおしゃべりは急に軽快な歌唱へと切り替わった。
「身体は大事にしてくださいよ」
本気でも冗談でも、ああいう言い回しをされると口をついて出る言葉だ。職業病か。
「先生は何が切っ掛けでここに? トロツキーのせがれとはどういう関係だい?」
「医療の遅れを憂いて。彼とは子供のころからの腐れ縁です」
「それじゃ、苦労したろう。こいつは札付きのワルだったからな」
「今も苦労してますよ」
僕は大まじめに言った。
「ははは。お互いアンラッキーだったな。俺もまさか親父から継いだ秘密のバーがこんなヤバいとこになるとは思ってなかった」
「ここは活動家の隠れ家なんですか?」
「そんな扱いらしい。といっても、本拠地じゃあないが」
危ないところだった。てっきりここがアジトだと思い込んでいた。周りにいる客には違法活動とは無関係の人もいるかもしれない。
「おい、アキム……」
僕は説明不足の仲間へ文句を言おうと横を見た。
彼はグラスとともに忽然と姿を消していた。
「どこ行った?」
辺りを見回すが、奇妙な極彩色の闇では誰が誰なのか分からなかった。
大雑把に言って大人の男女がいる。毛皮だけでなく、ジュストコールの男やとある規格のドレス風アレンジの毛皮を着た女の姿までが見えた。
つまるところ、彼らは“○○室に務める人間”だ。ふたつの意味で油断ができない。
「また女の子でもひっかけに行ったんだろ。秘密バーのお楽しみのひとつさ」
「お楽しみといえば、外国の技術がどうのってアキムが言っていましたが、そのラジオですか?」
「これもそうだな。ラジオはじいさんが拾って来たもんだ。ヨーロッパじゅうが戦場だった時代だ。空からそういうもんが降って来ても不思議じゃないだろ? ときには隣国からソソンへ侵入しようとした人間の落とし物や遺品が見せびらかされたりする」
「そんなものが」
「最近は、ハイテクなものを見せびらかす人がいてね。ええと……ノートパソコンやらスマートフォンやらコンピューターゲーム」
どれもソソンにはない品だ。
存在くらいは知っていたが、あまり興味がなかった。アサエム家の輸入の特権はあくまで任務のためのものだ。医療や学問に関係のない範囲では使われない。
「どこからそんなものが? ああいう道具は精密で壊れやすくて、電気も必要だって聞きますが」
「さすがお医者様。博学だね。ずばり、大臣さんだよ。何大臣だか知らないが、あの、何て言ったか。名誉国王を謀殺したクソッたれがいただろう? あの女から貰ったんだと。ここはもともと、お金に余裕がある商人や城勤めの人間がこっそり“悪さ”をするために使うバーだったのさ。珍しい品を自慢したり、同僚の悪口を言ったり、不倫したりとかな。親父の幼馴染みに副将軍をやってるお人がいてね、彼といっしょにここを始めたんだ。だから摘発もされない」
ユーコ・ミナミはやはりソソンの毒のようだ。アキムたちの活動を後押ししていた可能性もある。そのうえ、重役の存在が見えてきた。
「副将軍。じゃあ、ニコライ将軍もここへ?」
「いや、ないよ。お髭のニコライは陰口を叩かれる側だ。ニコライ将軍のせがれは氷湖隊のエリート。シードル副将軍のせがれは北で万年見張り番。実力主義らしいが、贔屓があったんじゃないかって、副将軍はいつもくだを巻いてる」
「なるほど。大臣はどんな人ですか?」
さっき見かけた城内勤めの連中を盗み見た。二人はキスをしていた。男の顔は若く見えた。だが、髪がなんだか不自然に見えた。
「よくいるオッサンだな。私服の毛皮に着替えて帽子まで被って来るから大臣っぽくは見えない。ただ、自分が大臣だってことをやたらと鼻に掛ける人でね。この店じゃ以前から“大臣さん”ってあだ名で呼ばれてる。酔うと王室の悪口を言う人だったから、嫌われてたよ。だけど、コンピューターやらゲームを持ち込み始めてからは人気になったな。ああいうのが手に入れられるのは特別な立場だけだろうし、今じゃ彼を大臣じゃないと疑う人はいない。それどころか、彼がたずねて来るのを目当てにここに出入りする人が増えたくらいだ」
「ほかには何かしてるんですか? ……違法な行為とか」
「ははは。ただの悪口と秘密の見せ合いをするバーだよ」
「じっさいはイリーガルなお店ではないんですね」
「もとはだけどね。大臣が自慢をはじめたころは、まだ死刑制度が失効してたからよかったんだけどね。いまじゃ、王室の方針を否定するキナ臭い話が出てくるうえに、“あれ”だろう? 見つかったら俺も処刑かも知れない」
“あれ”。ドナートさんは角のテーブル席を指差した。毛皮を着た数人が突っ伏していた。
「酔いつぶれてる?」
「半分正解だが、酒でなくて、こっちだ」
タバコを吸うしぐさをするドナート。
僕は首を傾げた。彼らは静かなものだ。
ソソンではタバコの文化はほぼ死滅していた。建国時にはまだ残っていたが、熱を逃がさない密閉空間が命綱になる風土では、空気を汚したり余計な火を扱うことは好まれないんだ。
王室にはそれがあって、二代前のイリヤ王から譲り受けた城内の者が外で見せびらかしてボヤを起こしたのは有名な話だ。
それ以来、タバコを吸う仕草は騒がせ者をさす意味となった。
「彼ら、何かするんですか?」
「ああ。こっちってのは、騒がせ者の意味じゃない。その通り、タバコを吸うんだ」
「煙や火事の問題がありますね」
大臣とやらが持ち込んだのか。
「そうじゃないんだよ。先生なら分かるんじゃないか? そういう薬、あるだろう?」
そこまで言われて、ようやく合点がいった。僕は思わず手で口と鼻を覆った。
連中は麻薬中毒者だ。室内の空気を尊ぶソソンでは、子供や病人のいる室内で吸えば死罪だ。そうでなくとも重い刑が科せられる。
奇妙な話だが、ラリってしまうこと自体は罪ではないので、人里離れた雪の上で葉っぱを焚いたり、別の方法で摂取すれば咎められない。
「となりの席でも影響はないみたいだけどね。連中も一応端っこでやってるし」
「やめさせなくていいんですか?」
「王女陛下が方針転換してくださるまで、みんな荒れてたからね。息抜きがないとやっていられないんだろう……って思って放っておいたんだ。だけど、忙しくなくなっても連中は消えないし、死刑も復活しちゃっただろ? 処刑に反対はしないが、俺にとってはタイミングが最悪だったよ。中毒者だけじゃなくって、反対に名誉国王の方針に戻そうとする人たちもでてきて不穏な相談もしてるし、もうめちゃくちゃ」
ドナートさんは肩をすくめた。顔は笑っていたが、ショットグラスにウォッカを注いでいっきに飲み干した。
「じいさんの代から、みんなのガス抜きのために店をやってたのに、今じゃ毒のたまり場になっちまった。いちおうは大臣さんたちも噛んでる件だから、王女陛下がなんとかしてくれるのを信じて大人しく待ってるけどさ」
可哀想なマスターだ。活動家連中はほかの国民へ迷惑を掛けている。
王女への忠誠のついでに助けることができるかもしれない。もし駄目でも、『ルカの語らい』で彼へ慈悲の目を向けるひとりになってやれるだろう。
「おっと、ごめんよ。別に先生やご友人の活動を非難してるわけじゃないよ」
「……いえ、僕もアキムに連れられてきただけで。医療に関してはもっと国外の力を借りる必要はあると思いますけど」
「そっか。じゃあ、先生もあの子と一緒なんだね」
ドナートさんが溜め息をついた。
「あの子?」
「いたずら坊主の幼馴染みなら知ってるだろう? ニーナちゃんだよ。ふとっちょのマルクの娘さんの」
……ニーナまで?
僕はもう一度店を見回した。目が慣れたせいか、今度はアキムの姿を見つけることができた。
ヤツはテーブルに腰掛けて、若い女と何やら話をしていた。
僕は席を立ち、彼に詰め寄った。
「ニーナも誘ったのか?」
「ん? もちろんさ。一緒に活動してくれるってさ」
「グレーテは?」
「いや、あいつにはまだだ。王女のことやおまえの親父さんのことでヘコんでたし。だけど、心配するなよ。ちゃんと誘うぞ。俺たちは親友だろ?」
「駄目だ」
「なんでだよグレーテだけ仲間外れにするのかよ?」
この馬鹿は首を傾げた。
「子供の遊びじゃないんだぞ。グレーテは親王女派もいいところだ。個人的に会話もする仲だって話をしていた」
「丁度良いじゃんか。だったら使えるだろ?」
アキムはニヤリと笑った。
「おまえ!」
今度は僕がつかみかかる番だった。
「セルゲイ! 落ち着けよ。子供の遊びじゃないって言ったばかりだろう? おまえは特別な医者で、俺は城に納品もしてる果樹園のせがれ。どっちも使える人間なんだよ。グレーテも同じだろ」
「だったらニーナはなんだ?」
「……そりゃあ、あいつのほうから来たいって言ったし」
言葉を濁すアキム。ドナートさんの言いかたと合致しない。
「本当にそう言ったのか?」
「言ったさ。どこまでもついてくるってな」
「ニーナはどうしてキミの活動のことを知ったんだ?」
「さあ? そこまでは……。もう俺たちは仲間なんだし、直接聞いてきたらいいだろ」
「そうさせてもらう。だが、キミたちの活動には正義が足りない。ドナートさんも困ってるし、あんな連中もいるようだし」
僕はヤク中どもを指差した。
「あれも大臣が持ち込んだものだ。計画のひとつ」
「計画? 何を言っているんだ?」
「まだ説明してなかったな。俺たちは世界じゃ常識になってることを広めるために活動してるんだよ。あの葉っぱはソソンにあるものと違って、大して空気も汚さないし、依存性も低い」
僕は眼鏡を外して連中の顔を見た。
「……ウソだ。医者の僕には重篤な中毒患者の顔に見える」
「俺が平気なんだからそうだって」
「キミも手を出したのか!?」
「まだ三回だけだ。酒ほど気分も悪くならないぜ。ちょっとした遊びだ。アル中のほうがよっぽど悪い。そうそう、大臣が見せてくれるコンピューターのオモチャも良いものだぜ。癖になるが何の害もないんだから。先進諸国じゃ子供だってあたりまえにプレイしている」
「そんなもののためにみんなを巻き込んで、王女陛下を裏切ったのか!?」
僕は大声で怒鳴った。押さえきれなかった。
王女の愛に関してはいまさら天秤にかける気もないが、これは流石に幻滅した。
「声がでかいぞ。ここは全員がシンパというわけじゃないんだぜ。気をつけろよ。それにそんなもののため、じゃない。あくまでハッピーになったり、退屈を殺す手段だ。商売だって大事だし、外の世界を見て回る夢だってあきらめちゃいない。だけど、王女陛下が俺たちの要求をのむか、何か手が見つかるまではこうやってまだ冬眠してるしかないってわけさ」
永久に眠らせてやろうか。だが、大義よりもくだらない欲求の勝つ連中だ、組織の重役の存在をどうにかすれば容易く崩せるだろう。
「……放してくれ、セルゲイ。俺たちも行き詰ってるんだって」
僕はアキムから手を離した。
連中には国を変える具体的な手がないのか。つまりは、ただのぐれた大人の集団というわけか。
「大臣はどうなんだ。副将軍は? まさか軍事行動を起こすわけじゃないだろうな?」
「ないない。副将軍は軍部じゃお飾りだ。みんなお髭のニコライが好きなのさ。だからこっち側に来た。商会の重役が大臣にアンケートを弄ってくれって頼んでるんだが、副将軍が反対してる。ニコライが嫌いでも基本的には正義の人だからな。それで揉めてるせいで膠着してる」
「アンケートの改変になど正義はない」
「俺もそう思うぜ。みんなの本心から自由への渇望を引き出さなくっちゃな! 既成事実にしちまえってわけにゃはいかない。だから広めてるんだ。ここから徐々に世界の良さを広めていけばみんな気付くはずだし、それからだ」
「だが、中毒患者を増やすなんて馬鹿げてる」
「酒よりゃましだって。お医者さんはこれだから。もっといいのを試させてやるからよ。……マスター! アレ、ある?」
「アレかい? アレはなんか“電池が切れた”らしくて明かりがつかなくなったよ。大臣さんが来るまでお預けだ」
「まじかよ。みんな遊びすぎだろ。せっかくボスまでたどり着けたのに」
アキムは舌打ちをした。
「……そのいらつきが中毒でなければ何だって言うんだ。失望したよ」
僕はアキムに背を向けた。気付けば辺りは静かだった。うす暗い中、居心地の悪い無数の視線がこちらを見ていた。
不愉快な奴らだ。王女の愛以上に救いのあるものなど存在しない。薬物は偽りだ。僕はそれをよく知っている。
「敵に回るのか? セルゲイ」
「いいや。活動が思ったよりしょぼいから落胆してるだけだ」
一度足を突っ込んだゆえに身の危険だってあるが、連中が害悪だとはっきりした以上は、去るわけにはいかない。
大臣や副将軍に会わなくては。商会の重役も気になる。
「だったら、せめて楽しくやろうぜ」
ボトルが傾く音がした。
「遊びじゃないんだろ。大臣か副将軍に会いたい。僕なら何かの役に立てるかもしれない」
「……分かったよ。でも大臣はしばらくは城にカンヅメって言ってたし、副将軍はここへは顔を出さない」
「なんで来ないんだ?」
「葉っぱのせいだよ。彼は衛兵の上に立つ人間だが、マスターの父親とは親友だった。正義と友情のあいだをとって、ここにはあまり来ないようにしたんだ」
「見て見ぬ振りか。じゃあ、僕に出来ることは? 組織なんだ、仕事くらいあるだろう?」
「仕事か。今のところは布教くらいしかねえな。あーあ、俺もカメラマンになりてえな」
「カメラマン?」
「そうだ。城の様子や公務を記録しておいてるんだ。ユーコ・ミナミが本を書くために頼んだのの惰性でやってたが、これはこれでカードになるからな」
「カード?」
「ソソンを開いた国にするには、内部からだけじゃ駄目だ。外部からも圧力をかけてもらわないとな」
「済まないが、ちゃんと説明してくれないか?」
これは不穏だ。
「込み入った説明は大臣たちや商会のお偉いさんにあってからだな。俺は下っ端だから口止めされてる」
「……そうか。わかった。有力者とアポイントが取れたら教えてくれ」
先進技術というものは厄介だ。おはなしに出てくる魔法のようなものだ。
よく知ってから行動をしなければ、王女陛下に迷惑が掛かってしまうかもしれない。ともかく、裏切者たちと会うべきだろう。
「帰るのか?」
「ああ。ニーナとも話がしたい。グレーテにはまだ言うなよ」
「わかったって。じゃあな」
そう言うとアキムはグラスをちびりとやり、若い女とのおしゃべりを再開した。
連中は狂っている。それに、計画も行動もずさんそのものだ。
王女陛下の愛を穢させるわけにはいかない。
グレーテを誘おうとしていることも気に入らない。
彼女がこちらに加われば、確かに連中の計画には有利になるかもしれない。だが、彼女の返事はノーに決まっている。
そうでなくとも、彼女が苦悩して可哀想な目にあうことは避けられないだろう。
「……いや、そうだな」
まずはニーナと会ってみよう。彼女はいったい何を考えているのだろうか。




