死刑1-04 おちたお父様
未だに“冬眠の王国”と呼ばれる我らがソソン王国。ルカ王はその汚名を酷く哀しんでいました。
目覚めが欲しいと、夜明けが欲しいと、ユーコ・ミナミの繋げたパイプを使い、何とか資源保有国として着目されようと、もがいていました。
ですが、ドブネズミの下水管の繋がる先など知れたもの。
インターネットでルカ王の名を辿っても、鼻で嗤われるエセ活動家と肩を組んだ写真ばかりが現れます。
ソソンには海もなければ毛皮も手放せない環境です。それなのに、捕鯨の反対や肉食の断絶へのメッセージなんてまったくナンセンスです!
誇り高きソソンの君主とあろう存在がなんということでしょう!
わたくしは、これ以上ソソンの歴史が穢され、王家が貶められるのに我慢がなりませんでした。
いくら、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが王女とはいえ、王が在位している以上は国政へ大した発言力は持ち得ません。
ですから、“搦め手”を使うしかありませんでした。
毒婦を一時的にルカ王から離し、その隙に王の寝室をたずねるのです。
あのような腐りかけた年増の女の身体を抱くことができるのなら、少々すっぱい果実も新鮮に感じるでしょう。
わたくしのほうも、あれはもはや父ではなく、欲に負けたオスの一匹程度にしか思っていませんでしたから、貞操と国民を天秤に掛けるのも不可能ではありませんでした。
我が王家の系譜をたどっても、前例のないことではありませんでしたし。
アシカーギャの家は父系に限定されたものではありませんが、種が同じ王のもので、部外の女の胎から出たものと、正当な王女の胎からでたものであれば、少々生まれが遅くとも後者のほうが圧倒的に価値を持ちます。もちろん、それを宿す母の権力も。
計画は大臣たちには伏せられ、わたくしの心の中で練り込まれました。男の閣僚の何人かにはミナミの連れ込んだ“関係者”をあてがわれた疑惑があるからです。
頼れるのはわたくしの素肌を許すメイドたちのみ。詳細は伏せましたが彼女たちの数名にお手伝いを頼みました。察したのか多少の反対もありましたが、王室の権限で捩じ伏せました。
決行は“ソソン自治区”が初めて国連に特別の末席をあたえられ、その会合から帰った晩です。
わたくしは身を清め、新しい肌着に身を包み、いやに乾く喉と、水を飲むほどにかえって増す尿意に苛立ちながら、臣下が帰国の報せを寄越すのを待ちました。
王は予定時刻を過ぎても戻らず、深夜をまわり、ミナミは引き離すまでもなく先に自身の寝室に引っ込みました。
障害が一つ消えると、尿意がいっそう酷くなった気がします。繰り返しの退席に真新しい肌着がわずかに汚れました。
明朝、計画は持ち越しかと思われたころに臣下の一人がわたくしの部屋をたずねました。
しかしその来訪は、城に仕えて長いはずの彼らしからぬ慌ただしく無礼なもので、持ってこられた報せもまた、儀礼を無視することに足りるほどの内容でした。
わたくしたちが世界へ通じるには、険しい雪山を越えて隣国の空港へ赴き、航空機を借りねばなりません。
隣国の空港のレベルがどの程度のものかは分かりませんが、ここと緯度を同じくする国です、悪天候によりフライトが遅れるのも良くあることでしょう。
ですから、予定外の王の帰還の遅さにも心配はしていませんでした。
父は……国王は全身にやけどを負った酷い状態でした。
ほとんど墜落と言ってもいい高さからの着陸失敗。命を繋げたのはまさに奇跡。彼は生死の狭間を彷徨いました。
それから最後のベッドへ運ばれました。
そこはわたくしたちと寝食をともにした城の寝室ではありませんでした。今の立場が幸いして、最新の設備のある国外の病院を利用できたのです。
もっとも、領分外に手を伸ばさねば始めから炎に巻かれることもなかったのでしょうが。
わたくしをはじめ、多くの臣下が彼の病床へ駆けつけました。もちろんユーコ・ミナミも。わたくしが特別の病室をたずねたとき、入れ違いにあの女が出てきました。
ルカ王と何を話していたのかは聞けませんでしたが、すれ違う際にいつぞやの下腹を撫でる仕草と、わずかな口元の緩みを見せ付けてきたので、おおよその予想はつきます。
まったくの毒婦です。
世界的な活動家とはいえ、この件で糸を引くほどの力は持たないでしょうけども、いずれ似たような“事故”を引き起こしていたに違いありません。
その後のやり取りが、生きた父を見た最後となりました。全身の熱傷はすさまじく、それは教養として学んだ世界の愚かさ……最悪の爆弾の被害者を想起させるものでした。
穴という穴に管を挿され、自身で食事を摂ることも、用を足すこともできず、それでも脳と心臓は機能し続けるのです。
わたくしはその憐れな姿を見て立場さえなければ“終わらせて”あげたい衝動に駆られました。それができない代わりに灼熱の憤怒で身を焼きました。
しかし……なんと驚いたことに彼は呼吸器を外させると、
「泣くな、サーシャよ。火傷の痕は永遠に残るだろう。だが、この悲劇から再起すれば、傷痕と併せて世界にセンセーショナルにアピールすることができる」
と、はっきりとした口調で会話を始めたのです!
まさか、口が利けるとは思いもしませんでした。彼は医者に止められるまで、今後のソソンと世界とのヴィジョンを話し続けたのです。
わたくしは開いた口が塞がりませんでした。涙も止めどなく零れ続けました。できればあの間抜けな口と、この耳を塞いでしまいたかった。
王が「世界は広かったぞ……」と何か言いかけたところで、無理矢理に呼吸器を戻され、そのたわごとはようやく消えました。
病室をあとにし、ある決心をしました。それはわたくしにしか出来ないことで、娘の義務、臣民の上に立つ君主の義務です。
少なくとも彼が退院するまでは実権はわたくしの手にあると考えてもいいはずです。今のうちにあの毒婦と疲れ切った国をなんとなしなくては。
雄弁だったルカ王を病院に残し、早々に帰国をしました。あんなにお元気そうでしたし、国民たちへこの悲劇を伝えないわけにはいきませんでしたから。
それに急いで新たな戦いの仕度を始めねばなりません。彼が公務へ戻るときがくれば助けが必要になるでしょうし、その用意も要ります。
ですが……火傷というものは、一見元気そうに見えても、容態が急変することも珍しくありません。わたくしは心のどこかで彼の死を予感していたのでしょう。
今わの際に立ち会うことよりも国務を優先したということは、やはり父としてではなく、愚王として見ていたということでしょうね。
病院を去る前に、わたくしは涙ながらにユーコ・ミナミに訴えました。
リノリウムの床にドレスの膝をつき、臣下が女王にするかのようにその手を取って懇願したのです! お父様をよろしくお願いしますと、わたくしを見捨てないで下さいと、国民はあなたをお待ちしていますと!
あなたがノーベル賞や権威ある国際環境賞を望むのならば、こちらはアカデミー賞を狙います。
これから先、わたくしが歩くのは紅いカーペット。もっともそれは、血染めの赤ですが。
わたくしが帰国してから一週間後に、ユーコ・ミナミと、亡骸となったルカ王が城へ戻って来ました。
きっとその数日のあいだに新たなやり取りと感情の変化があったに違いありません。
ミナミはわたくしを一目見るなり涙をこぼし、まるであのときに愚王がしたような熱く柔らかな抱擁をしたのです。ハグにアナフィラキシーショックがなくて本当に良かった!
国王の葬儀はしめやかに、数日に渡って営まれました。
この国では、よそのような黒い喪服はありません。誰しもが普段着でも許されます。お祈りもなければ、読み上げる経典もありません。
その代わり、王の国葬では全ての国民が列をなして城内を歩き、玉座に座らせた王の亡骸にキスをするのです。
吹雪であろうとも、腰の立たない老人や、すぐに後を追う病人であろうとも、別れの接吻には必ず城へ足を運びます。
強制という意味ではありません。したがらない者は居ないということです。
その時点では、ルカ王のこの国を世界に開く計画が早くに頓挫していたことは国民たちに伝わっておりませんでした。
彼らが知るのは、世界から表彰されたということと道半ばで倒れた無念のみ。まっしろな、穢れなき経歴。
その白いページには、紙魚が一匹這いまわっていますけれど。
我が国の慣例では、君主が死去すると、その者と関連の深い地や品に名前が与えられます。最初に村を築いた地『ザハールの始まり』。宗教戦争により焼き払われ、教会から建て替えられた刑務所『ソソンの拒絶』。王自らが凍った土を掘り育てた、強く甘く育つ根菜『クジマ芋』。
そして、話好きだった王が若い頃の誕生祭に、儀礼を破ってまで一般の国民たちとおしゃべりに興じたという広場『ルカの語らい』。
みなに愛された彼は、その地に葬られました。天国も地獄も、輪廻転生も幽霊もないソソンでは、墓標を建てて参る習慣も重視されません。
そしてわたくしは、その王の上に木組みの檀を設けさせて臣下と臣民たちを集めました。
王が死んでしまった以上、玉座を継がねばなりませんから。
今でも鮮やかに思い出せます。わたくしの君主の座への即位は、実に華々しく、まるで風に舞い踊るサザンカの花弁のようでした。