死刑2-10 叛逆者め
我らが王女アレクサンドラ、勇敢なるメイドマルガリータ。ふたりは噂のまとで、僕の神と天使となった。
悪魔ローベルトは滅ぼされ、僕の世界に平和が訪れたかのように見えた。
だが、僕にとってもソソンにとっても厄介な存在が残っていた。
商人たちだ。それと一部の生産者。彼らは単純に国のためにだけに世界へ出る準備をしていたわけじゃなかった。
自分たちの富と野心の壺を満たすのを楽しみにしていたんだ。閉鎖されたソソンでは流行の変化こそはあれど、市場の広さに限界がある。
早死にと高出生率による回転は商売人のふところを充分に潤してはいたが、新規参入や事業拡大にはまったくの不向きだった。
犯罪被害者の会の直訴は受理されたが、商業団からの直訴は突っぱねられた。
王城はこれまでどおり、国外との貿易は王室の維持品のみにとどめることに決めた。
仕方のない話だ。今のソソンにとって、世界と足並みをそろえることは難しく、危険であることが証明されたばかりだ。
商人の要望は毒でしかなかった。
僕たちはもともと、開拓のために旅をした一団から始まった歴史がある。その開拓者魂を上手くコントロールできていたからこそ、今のソソンがある。
命のために衣食住と潤いが必要で、そのための商売のはずだ。それらを確保するための富は足りているのに、これ以上何を求めるのか。
手段のための手段の繰り返しや、手段と目的のすり替わりは破滅へのいざないだ。
とはいえ僕も仕事柄、最先端とはいかないまでも医療の遅れは取り戻すべきだと考えていたし、名の通った流行り病や現状の問題を羅列した意見書を提出した。
医者としての誇りは一度は自分で汚したが、王女が取り戻させてくれていた。正義と愛の後押しした意見書は、本のような束となっていた。
たいてい、こういうのには返事は来ないのが普通だった。何ページあろうが、国政への意見は、複数人から集まらなければ意味をなさない。当たり前だ。
だが、僕のアサエム家の特権と東部での暮らしから上梓された書物には返事があった。
しかも、その手紙には王女のサインがあった!
「お医者様。ソソンの民の命をいつも救ってくれて、ありがとうございます。わたくしも王室の権利と仕事によって、あなた様の憂慮なさっている事柄を存じております。医療に関する現状や情報も、興味深く読ませて頂きました。ご意見の反映については将来的に否定をいたしません。ですが、今は先代の作った傷を癒すことを優先したいのです。恐らくはお医者様とは対極の方法がとられるでしょう。悪なる者を排除し終えるまで、今しばらくお待ちくださいね。そのときは、お医者様のお力を求めさせていただきたく思います。あなたの娘、アレクサンドラより」
一文字一文字に愛を感じた! この紙を彼女がじかにしたためたのかと思うと……ああ、僕はなんて罪深いんだ!
当然、僕はこの手紙を宝物にした。デザイナブルな毛皮や、国外でも高値がつくであろう宝石よりも素晴らしい品だ。
ひとつもったいなかった点は、ただの医者の投書にしたことだ。ちゃんと友人の友人だと名乗れば良かった。
グレーテが僕の名前と医者の立場を教えてくれていたのだから、それとあの書物が結びつけば、もしかしたら直接の意見交換の場さえ望まれたかもしれなかった。まあ、そうなるにしてもまだ先の話だったろうが。
ともかくこの回答によって、君主には慈愛だけでなく必要なものと不要なものをしっかり見分ける力もあることも証明された。
「俺には返事が来なかったけどな」
アキムがぼやいた。
彼が家族と経営する農園には、空き地に地下室付きの新しい小屋と巨大な醸造タンクが設置されていた。
「思ってたより大事業にする気だったようだな」
僕は並ぶ樽を眺めて言った。
「そうさ。うちの酒を世界へ売り出すつもりだったからな。とんだ災難だぜ」
「無駄になるわけじゃないんだろ? ニーナが言っていたが、アルコールの消費量が伸びているらしいぞ。仕事のあとの一杯は美味いからな。この前までは飲めないほどに忙しかった」
「もともと俺は大して飲めねえけどな。下戸が醸造設備の拡大だなんて、間抜けにも程があるぜ」
「そうでもないさ。ためしにいっぱいもらったが、間違いなく美味かった。城で飲まれてても不思議じゃないレベルだ」
「その城に納めてたナシやブドウを使ったもんだしな。俺は小娘なんかより、ルカ王に飲んで欲しかったぜ……」
小娘? 不敬なヤツだ……。
「ルカ名誉国王のことは本当に残念だった。彼が生きていれば良かったな」
僕は怒りを抑えなければならなかった。アキムにも事情があるのだ。
「生きていらっしゃっても、これは無駄になったろうがな。王女が偉大な事業の邪魔を企んでいたみたいだし」
アキムは空き樽を蹴った。薄ら寒い貯蔵庫に怒りが響く。
「新しい君主を悪く言うもんじゃない」
僕は努めて、努めて平静を装って言った。
「あんな子供に何が分かるってんだ!」
「グレーテやニーナと同い年だ。僕は東部で紙業の連中の怪我を見ていたが、あそこはソソンの底だったよ。いつもみんな忙しくしていて、疲れていた。そのせいで風邪や怪我が酷かった。それでもみんな、働かなければいけなかった」
「国王陛下の方針に従うのは当然だろ」
「今はアレクサンドラ王女陛下が君主だ」
「そうだ王女だ。女王じゃない。俺たちのキングはまだルカ・イリイチ・アシカーギャ国王陛下だ」
「それは建前上の話だろう。王女の方針転換は労働者たちを救ったし、治安も回復させた。彼女は立派に君主を務めていらっしゃるよ」
「んなこと分かってる!」
ふたたび樽が蹴りつけられた。彼が暴れる気持ちが少しでも理解出来なかったら、僕が彼を樽のようにしていただろう。
「やめろよ。この樽を作る木のために、誰かが命を落としているかも知れない」
「ふん、有意義な死だろ。処刑されたあの女の死と違って」
「ユーコ・ミナミは死んで当然の女だろう。キミの敬愛するルカ王を殺したんだぞ?」
「だからこそ、無駄にするべきじゃなかった。国内で裁かずに、世界に訴え出るべきだったんだ。メイドの噂によると、ユーコ・ミナミはアメリカ合衆国の国籍を持っていたそうじゃねえか。アメリカと言えば、俺たちでも知ってる世界最大最強の国だ。女一匹で揺さぶれるとは思わないが、ルカ国王陛下の遺志を継ぐのに役立つものが引き出せたに違いないぜ」
「ほう。キミでもそういうことを考えるんだな」
これは素直に感心した。
「今さらになって、ちゃんと学校を出ていれば良かったと思うぜ。俺も城勤めで王室に直接意見をできる立場になるべきだった」
「後悔先に立たずだ。今からガキンチョたちと机を並べるか? キミなら放課後も楽しくやれると思うが」
「セルゲイ。勘弁してくれよ。俺は冗談で言ってるんじゃないんだ」
アキムは笑顔の影も見せていなかった。
「……どうする気だったんだ? まだなにかする気なのか?」
「やっぱり、ルカ国王陛下のご遺志は継ぐべきだと思うんだ。俺だけじゃない、商人連中はみんな同じ想いだ。この国を変えなきゃならねえ」
「意見書はつっぱねられたんだろ?」
「意見書が駄目なら実力行使だ」
「アキム、まさかテロルでも企てるんじゃないだろうな? キミにはもともとそういうところがあったが、今や再犯死刑制度も復活してるんだぞ」
「革命って呼べよ。そもそも、テロリズムなんて馬鹿げてるだろ。自分たちのための運動なのに、関係ない人間が傷付くなんて馬鹿馬鹿しい」
……何を企んでいる? こいつは子供のころから悪ふざけ好きだったが、どうもそういった次元ではないらしい。たぶん、彼のためにも国のためにもならないだろう。
「国民に何もしないってんなら、君主への叛逆者か?」
「そんなんじゃない。ルカ国王陛下は敬愛している。その娘であるアレクサンドラ王女も大切に思ってる。だけど、やりかたが気に入らないんだ。労働者が苦労してたってのは東に居たおまえが言うんだから間違いないだろう。死刑制度の廃止が誰の得にもならなかったことも肌で感じてる。だけど、ああいう後進的な方法で処刑なんかしたら、世界から睨まれちまう」
「お互いに拒絶すべきものだと分かっただろう。世界との関係は夢だったのさ。僕たちは目覚めた」
無能ではないようだが、アキムからは危険な匂いを感じる。
「そうだ、俺たちは目覚めた。ソソンは“冬眠の王国”だなんて呼ばれてるそうじゃないか。でも、もうそれも終わりだ。電気もない夜、隣国で起こってることすら碌に知らない無知。そのうえ俺たちは引き籠って退屈な雪かきの繰り返し!」
「ルカ王ですら成し得なかったことなんだ。今はまだ時期じゃない。国が落ち着けば王女陛下もまた考え直されるかもしれない。僕への手紙にもそう書いてあった。大人になれよ」
「大人になれないやつだってたくさんいる! 俺は弟と妹が死んだ。おまえだって、たくさんの人を看取ってきただろう!? 死ななくてもいい人間が死んでるんだ!!」
僕はアキムにつかみかかられ、揺さぶられた。
ああ……。
こいつはこの程度のことで王女の愛を否定するのか。
そうだ。僕が何人看取って何人殺してきたと思っているんだ。それを赦した愛。多くの労働者を解放した正しき政治。そのために君主の負った巨大な罪。
自由とはき違えた身勝手と、ガキ二人の命なんかで釣り合うとでも思っているのか?
……落ち着け。
「気持ちは分かる。子供も何人か看取ってきた。何も知らない彼らが死ぬのは不幸としか言いようがない。だが、物事には順序がある。長い目で見て手を打つべきだ」
「子供が死んじまったら、いったい誰が未来の君主を支えるってんだ!?」
「今を生きる人たちがいるだろう。僕やキミ、グレーテやニーナだってその一員だ」
「ニーナやグレーテだって、誰かが死んだら哀しむだろうが。そんな姿を見て放っておけるのかよ! 順序だって言うなら、知らねえやつや遠い未来なんて後回しだ。俺たちは飢えや寒さと戦って歴史を作ってきた。その日その日を必死に生きてきたんだ!」
他者を憐れみ、哀しみの同化を目指すことは美しい。生き穢なくあるよりも潔くあれ。
「アキム。キミは少し混乱している。ソソンは今、ようやく落ち着いたんだ。休息が必要なんだ。僕にも、キミにも」
僕はアキムの腕を振り払った。
「僕は帰る。ご家族は元気そうだし、これからもそうだ。キミたちの作った酒も無駄にはならない。誰かが病気になったら、今度こそはうちをたずねろ。キミの言うとおり、ほかの患者を後回しにしてでも診てやる。僕だって人間だし、キミたちの友人だ。だから言ってやる。馬鹿なことは考えるな」
僕はそう言って彼に背を向けた。
少し頭を冷やす必要があった。
これ以上話を聞いていると、怒りのもとに殺してしまいそうだったから。それは正しくない。
「……セルゲイ」
アキムが呼んだ。僕は背を向けたまま黙って立ち止まる。
「商人たちから噂を聞いたことがある。国境室を秘密裏に利用できる人間がいるって」
「……いるわけないだろ」
「そうだ。商人たちも馬鹿じゃない。すでに個人的に隣国とやりとりをしている連中がいる」
「イリーガルだ」
「違法でも、もとはルカ王支援のためだった。どのみち将来的に解放されるルートだしな。既成事実ってヤツだ」
……。
「それが言っていた国を変える手段か? もう一度言う、それはもうただの反逆行為だ」
「名医セルゲイ・キリーロヴィチ・アサエム。その父キリル・イヴァノヴィチ・アサエムもまた名医だった」
……こいつ。
「俺は覚えてるぞ。親父さんの診療所を手伝ったときに、見たこともない道具や、妙な形の薬があった」
「子供のころの記憶だろう」
「セルゲイ、隠すなよ。別におまえたち親子を告発するって言ってるわけじゃない。親父さんも病で死んだ。意見書だって出しただろう。今の医療が不十分なことを、この国で一番知っているのはお前だ」
……どこまで知ってる? 僕らが国境室を利用できる理由は? 『人殺し』であることは?
まあ、彼女たちの愛の免罪符を受けた今、それはどうでもいいだろう。
だがこいつらは、アキムと商人たちはなにかを企んでいる。
その行為が、我が主の愛を成す偉業に差し支えるものなら、徹底的に破壊しなければならない。
王室への反逆行為には、物証や具体的な事件がなければ衛兵も動けないだろう。
グレーテが表から王女を支えるのだから、僕は彼女たちの影となるべきだ。
ならば……。
「特権があったことを認めるよ。それで、国境室とのパイプが欲しいのか?」
「要らないね。すでに違法にやってるって話したろう。城勤めの連中だって人間だ。腹も減れば眠たくもなるし、女とやりたい」
城内にスパイが?
「じゃあ、なぜ僕に声をかけた?」
僕は振り返る。
「おまえなら分かってくれると思ったからだ。俺はおまえと世界を変えたい」
アキムは笑っていた。幼いころにいたずらを企んだときのように。本当に、迷惑なヤツだよ。
……そして、彼の右手には銀色に光るナイフが握られていた。
「ふたつにひとつだ、セルゲイ。俺を国賊として処罰するか、この手を取るかだ。スリリングなゲームだろ?」
彼は両手を差し出した。
「どちらも取らない」
「まじめなおまえなら、衛兵に通報するか?」
友人はまだ笑っていた。本当に笑顔だった。
脅すような真似を……。殺せばグレーテやニーナが哀しむだろう。だが、こいつ一人殺したところで事態は解決しない。
逮捕されても処刑で同じことだ。黙殺すれば王女の偉業に害するかもしれない。
「来いよ、セルゲイ。俺といっしょに世界を変えようぜ」
愚者はまだ笑う。
「……いいだろう。この、叛逆者め」
僕は手を伸ばした。親友然とした笑顔を装って。
「へへっ! 決まりだな、共謀者! こっそりとソソンを良くしような!」
「ああ、任せろ」
握手。温かな結合。
さかしまに心、湖底まで凍らせて。
罪人どもめ……。この僕が正体を暴いてくれよう。
君主は国民のために、国民は君主のために。
アレクサンドラ王女陛下。
あなた様からはすでに愛を頂きました。次は僕が忠誠を示し、愛を返す番です。




