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死刑2-09 愛の連鎖

 愛。愛。愛。

 抑えきれない興奮は日記に書き止めよう。そうでなければ叫び出してしまいそうだから。


 我が愛と慈悲の主アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ王女陛下が花開く。

 連日『ルカの語らい』では執行完了(オンナコンチェン)の響きとともに、罪と罰の暴風雪が渦巻いていた。


 王女陛下がローベルトの仇の執行でふたたび神を体現してみせてから、僕は彼女の忠実なしもべとなっていた。

 急患の居た一回を除いて、全ての処刑と演説に足を運んだ。


 処刑の執行は『ルカの語らい』にて公開で行われる。誰でも見学は自由。

 広場は毎回、毛皮のひとびとの熱気で温められた。


 彼らが広場に集まる理由はさまざまだ。


 単に暇な人間。ソソンじゃ珍しくない。こういった連中の中には、センセーショナルさ、あるいはセンシティヴな場面を愉しむためにあしげく通う輩がいる。

 この国に限ったことじゃないだろう? 古今東西の処刑の歴史を振り返れば、ままあることだ。


 メイドの流すゴシップの中にこういうものがある。

「事故現場に遭遇して、救護をするどころか人垣を作って邪魔をし、面白半分にその凄惨な場面を記録する民族がいる」

 しかも平和を謳う先進国の文化らしい。記録した“動く絵”は複製されて誰でも閲覧できるようにするとか。

 そのていたらくでソソンへ口出ししていたのだから笑えない。もっとも、メイドの噂には尾ひれがついて、ついでに足まで生えて独り歩きを始めるものだから、真偽は不明だが。


 もしもだが、その行為が趣味ではなく、『死や罪の共有』を掲げておこなわれているのであれば、正しい(コレクト)と言えるだろう。

 先進諸国では医療が発達し、大型の病院のベッドに人間が並べられ、個室やカーテンの中で人生が終わるという。

 家畜は人里から離れた田舎で管理され屠られて、処刑や拷問は野蛮だと決めつけられている。

 そんな世の中ならば、無関係な他人の不幸というものが、一般人が死や無常を身近に感じるためのゆいいつの手段といえるからだ。


 ソソンでも、医者以外にはたいてい死が覆い隠されていた。

 毒と病の巣窟である診療所に遊びに来るやつはいないし、病院嫌いはひっそりと家の中で死んで巡検室の者がたずねるまでは隣人にも気付かれない。

 屋外の作業中に事故に遭い雪に埋もれたり、山で獣の餌食になって綺麗に平らげられてしまうことだってある。

 死を知らずしてまっとうに生を歩むことは難しい。人は、誰かに手を握られながら死ななければならない。


 この点においても、処刑公開の決定は英断といえるだろう。

 ただ、一つ気になる噂があった。処刑の様子を記録した“動く絵”が世界に公開されているというものだ。

 ソソンにはそのような技術はない。

 それはラジオに乗って城から女子たちの口伝えで市井にまで流れてきた。

 そして、世界から我らが君主への赦しがたい呼び名が付随していた。


 『死刑姫サーシャ』。


 その不名誉なネーミングも問題だが、くだらない世界の連中が我らの君主にレッテル貼りをした事実が気に入らなかった。

 その名前を聞くたびにいらついたが、平静でいられるように努力した。


 話を戻そう。

 ほかに広場に集まっているのは、公開公務や演説には必ず国民の義務として顔を出す真面目なソソン王国の民だ。

 これまでは、このタイプの参加者が最多だった。

 今は広場に立つ人々は雪を溶かす熱源と化している。王室を肯定するためにやってきている者が大半なのだ。

 僕と同じ王女の熱烈なファンがいるということだ。老若男女問わずに熱い視線とエールを送っている。

 多くの国民と“好き”の共有ができるのは、控えめに言っても楽しいことだ。

 王室の崇拝は僕らの使命であると同時に、娯楽でもあるのだ。とくに今回は若い女性が君主となったために、いっそうの盛り上がりをみせている。


 あとは、“かれ”の起こした事件に関係した人物。被害者やその遺族、そして“かれ”の家族など。

 彼らには三代目君主クジマが処刑の法律を調整したころから刑への参加の権利があり、優遇されなければならない立場だった。

 王女は彼らのために、『希望した場合は正義の一撃に加われる』というルールを作った。


 もしも、僕の親戚縁者やグレーテ、ニーナ、アキム、あるいはその家族が憐れな“かれ”の犠牲者となれば、僕も王女陛下のそばに立つことができるのだろうか。

 彼女の美しい血染めの革手袋に介助されながら、正義の鎚で果てを見る……。なんて素敵なんだ……。

 不謹慎だが、妄想するくらいは許して欲しい。実際にグレーテがそんなひどい目にあったら、僕は壇上に登るどころの話ではなくなってしまうだろう。


 強盗殺人犯、窃盗犯、放火犯。


 死にあたいする罪人たちが次々と処されていく。

 “かれ”らは王女や刑吏たちの手によって、それぞれ専用の処刑をもって終わらされていった。

 それらの処刑はまるで舞台演劇のようだ。演出や小道具もしっかりと作りこまれている。

 刑や処刑具の考案には王女も関わっているのだろうか? もしもそうだとしたら、罪人のくせにいっときでも王女の気持ちを占有できたということであって、非常に妬ましい。


 妬ましいといえば、勇者ローベルトだ。

 始めのうちは感謝をしていた。僕の代わりに『人殺し』の罪へ名乗りを上げたからだ。

 だが、時間が経つにつれて腹が立つようになっていた。なぜ、あいつが特別扱いなんだ? これまで陰でソソンの汚れ役を買っていたのは僕の一族だ。

 僕は自分の勇気のなさを恥じなければならなかった。

 ……もしも、これまで行った『尊厳死』のことを告白すれば、彼女は僕を処刑してくれるだろうか。

 彼女の手で果てるのなら、それもまた一興だろう。行為を肯定されたとしても、それはそれで大いなる赦しなのだから幸せだ。

 どちらにせよ、今の僕は血の鎖から解放されて自由だ。そのせめてその恩に報いるために、残りの人生を使いたい。


 ともかく、あの両親を虐殺された程度の若造が神聖な儀式の巫女となったことが本当に妬ましかった。

 壇上で快楽に腰を砕いた王女をあの薄汚い手で支えたのだ!


 ああ、あのにっくきローベルトの指の爪を一枚一枚はがし、ペニスを切断し、睾丸を潰してやりたい!


 とはいえ、処刑人のさだめを回避した僕は、しばらくはそれなりに幸福に暮らしていた。

 町医者として感謝をされ、広場で神をみつめ、ときどき友人たちと語らった。

 そして、独りの時間ではふたりの少女への夢想に励んだ。ローベルトへの嫉妬もそのときばかりは良いエッセンスになった。


 でも、そんな生活は長くは続かなかった。


 死刑囚のひとりに、頭のおかしいやつが混じっていたんだ。

 他者やその所有物に直接の損害を与えて裁かれる人間は珍しくないが、“かれ”はレアケースだ。

 “かれ”は集会にて民を煽動し、王室の方針に叛逆する国賊だった。


「地面の下から、亡き君主たちの声が聞こえる! ザハール! ソソン! クジマ! アガフォン! 私は英雄の再来だあ! 王としてお前たちに命じる。タイムマシンを作れ! 惑星間航行装置を作れ! 見たまえニコライ! ソソンの民がより豊かになったぞ! 愛しているぞサーシャ! 新しいお母さんを作ったぞお~!! わはははは!!」


 “かれ”の辞世の句だ。

 “かれ”は壇上で騒ぎを起こし、ニコライ将軍を激怒させ、王女はあまりの出来事に卒倒してしまった。

 なんたる不敬なことだとは思うが、昏倒した王女陛下もまた、たまらなく愛おしい。


 いまだに、ルカ名誉国王のとっていた旧方針にこだわる人間がいるが、それに関した騒ぎを起こしたのは“かれ”が初めてだ。

 残念がっていたのはたいていは商人で、彼らは商会と連合を結成して、正当な手順で意見提出や集会をしている。

 アキムもその一人で、実家の果樹園は酒づくりの強化を行うために設備投資をしたばかりだった。

 外国との交易の希望を書いた意見書は絶えず投げ込まれていたが、各部屋からのリアクションは芳しくないらしい。

 国民、城、世界とのバランスとりは非常にデリケートで難儀なものだ。彼らはもう少し慎ましくすべきだろう。

 商機は焦るものではないし、何より王女陛下の邪魔をしてはならない。

 アキムを始めとした先進技術や世界へ熱望のまなざしを向ける連中は“かれ”と隣り合わせといっても過言ではない。


 気の狂った国賊の処刑で起こったパニックによって、王女の体調が心配されて公務の休止が決定してしまった。

 ここのところ処刑を連日で行っていたし、それにともなう心身の負荷も重たいものだろう。

 王女の愛の御業が見れないのは非常に残念だが、僕も君主を休ませてほしいという意見に加担した。


 公務の休止は長く続いた。死刑囚はまだたくさん残ってるはずだ……焦ることはない。

 僕は姿を見せない神に想いを募らせた。それから勇者と狂気の死者へ敵意を募らせた。

 いっぽうで、公務が減るとメイドの仕事も減るらしく、グレーテと友人たちが索漠を埋め、逆立った毛を撫でてくれた。


――ガチャン!


 食器の割れる音が響いた。


「うおっ! セルゲイ、どうした?」

 隣にいたアキムが声をあげた。カウンターにいるニーナも驚かせてしまったようだ。というか叱られる。

「ふっふーん。メイドの私が片付けてあげますねえ」

 メイド服姿のグレーテが僕の粗相の始末を始める。


「ご、ごめん。かたづけは自分でやるから。ニーナ、お皿弁償するよ」

「お皿の一枚や二枚構わないけど。今落っことしたのはグレーテじゃなくてセルゲイだったの?」

 ニーナは首を傾げている。

「うん、ちょっと“今の話”に驚いて……」

「確かに気色の悪い話ではあるな。俺も城の仕事には興味はあるが、メイド服を着たいとは思わねえな。メイド服はこう、脱がすものだな」

 アキムがいやらしい手つきでジェスチャーをした。

「脱がしたら、なんかもったいなくない?」

 ニーナがよく分からない意見を述べた。

「む、確かにそうだな。ニーナ、分かってるじゃねえか。お前ちょっとメイド服着てみねえ?」

「なんか、いやらしいこと企んでるでしょ」

「もちろん! グレーテの借りようぜ」

「あの子のは流石に入んないわよ。背丈も違うし、何より胸がきつそう」


 ……ええと、“今の話”。

 グレーテが聞かせてくれた城での出来事(本当は緘口令が敷かれているらしい)だ。


 最近、熱心に給仕室入りを希望する者が城を何度もたずねているらしい。

 正規ルートならば城が告知した採用試験の日に氷のメイド長(リョート)の審美眼にかけられなければならない。

 だが、その者は応募期間外にしつこく頼み込んで、ひっ捕らえられたうえに、メイド長を折れさせ、王女陛下へ直談判までしたらしい。

 それだけでも不敬な話なのだが、これには不穏当な事実が隠されていた。


 なんと、メイド希望事件を起こしたのは男だったというのだ!


 メイドの仕事には王室のかたがたの肌へじかに触れる仕事もある。

 王室儀礼として肌着を脱がせたり、風呂でその……全部洗うのは彼女たちの仕事だということは誰しもが知るところだ。

 国民は城の華やかさには憧れを抱いているが、王室の不自由とその恥を隠せない儀礼を羨ましがることはない。


 しかも、その男はなんと、あの“勇者ローベルト”だというのだ。


「グレーテ、ごめん、僕が片付けるよ」

 僕は割れた皿の破片をよく探した。毛皮の敷物の中に入りこんでしまうと厄介だ。

「平気ですよう」

 楽し気に返すメイドさん。僕たちはふたりで床にはいつくばって掃除をする。

「……ところでグレーテ。さっきの話は本当なのか?」

「うん、本当だよ。なんてったって、私はサーシャさまのお部屋でその話を聞いたんですからねえ」

 グレーテは声を潜めて言った。

「もう王女の私室に入る仕事を貰えるようになったのかい?」

「ううん、そっちはまだ。買い出しに出される子がお部屋の掃除や着替えのお手伝いなんて無理無理」

「じゃあ、どうして?」

「私ね、サーシャさまと個人的にお話をしたって言ったでしょ?」

 グレーテは懐かしい表情を見せた。いたずらを思いついたときの顔だ。

「うん」

「なんと、仲良くなってしまって、個人的にサーシャさまのお部屋に呼ばれるようになったのです。ふたりきりでお話をしたり、お茶をしたりしてるの」

 そばかすの娘の顔がとろけた。

「実はけっこう前からなんだけどね。みんなには内緒だよ」

 そう付け足すとグレーテは「へへへ」と笑った。

「すごいな。夢がかなったようなものじゃないか」

「もっとすごいかも。最近は城外の公務がないからサーシャさまもお暇で、たびたびお邪魔してたりして」

「羨ましいよ。王女陛下とはどんなお話を?」

 これがローベルトならこの場で八つ裂きにしていたところだが、グレーテだと僕もいっしょにとろけてしまいそうになる。

 いやでも、やはり多少は嫉妬してしまうな。グレーテへもそうだが、王女と同性というアドバンテージが羨ましい。

「サーシャさまは、お城の外の生活に興味をお持ちですねえ。なので、わたくしマルガリータがみんなのことをおはなしさせていただいているのですよう」

「つまり僕たちのことを?」

「そうです。変なことは話してないけどね。小さいころにみんなでいたずらしたり、いっしょにご飯作って食べたり、勉強したりしたことだよ」

「それで王女陛下はなんて?」

「すっごく羨ましいって。それと、セルゲイのことは尊敬するって。眼鏡をかけてる人はやっぱりみんなかしこいんですねっておっしゃってました!」


 僕は思わず折角拾い集めたお皿の破片をまた床に落っことした。手が激しく震えていた。


 ……王女が、義務や責任ではなく、個人的な興味で、僕の話を聞いて、僕を褒めて?


「ええ……なんで落っことすの。私でもしないよ……」

 グレーテがふたたび散らばった破片を見て溜め息をついている。


 王女陛下が神だとすれば、この困り顔の娘は天使に相違ない。部屋に二人きりだったら抱きしめてキスをしていたぞ。


「ちょっと、セルゲイ? セルゲイさん? セルゲイ先生!」


 はあ、尊い。王女もグレーテも尊い。


「グレーテ。王女陛下のおそばにしっかり仕えて、絶対に彼女を護るんだよ」

「う、うん。どうしたの急に?」

「……」

 彼女は僕の代理人だ。国賊どもから王室を護り、過酷なさだめにある王女の心を癒し続けて欲しい。

「な、なんで見つめるの……?」

 グレーテは少し頬を染めた。


「……はっ!? さては! お片付けの邪魔をしてる!?」

 僕は何も言わなかった。彼女のころころと変わる表情は王女陛下も気に入っているだろう。


「あんたたち、お皿拾うのにどんだけ時間かけてるの?」

「こりゃ駄目メイドだな」

 上から声がした。


「違うの! セルゲイが意地悪して片付けの邪魔したの!」

 メイドさんが反論とともに勢いよく立ち上がる。


 ……そして身体をテーブルに引っ掛けて大惨事を引き起こした。


「ああああ! メイド長に怒られるう!」

 駄目メイドが頭を抱えた。

「ここはお城じゃないでしょ! っていうか私が怒る! もう、しっかりしてよね!」

 ニーナがカウンターから出て来て、テーブルの上を片付け始める。食器や火のついてない燭台が散乱している。いくつかのグラスも犠牲になっていた。

「違うんです。セルゲイが悪いんです。セルゲイが!」

「人のせいにしないの。ほら、アキムも手伝って」

「やだよめんどくせえ。俺は散らかっててもへーき」

 アキムはそっぽを向いた。

「お客さんが来たら困るでしょ。あんたも商売人なんだったら、そういうところもしっかり直しなさいよ」

「商売はお流れだけどな。そーいえば、世界には割れないお皿があるらしいな」

 アキムも皿の片付けに加わった。

「ははは。だったらお城に意見書を書かないといけないね。グレーテのために割れないお皿を輸入してくださいって」

 僕は愉快だった。これからはあの愚者ローベルトに嫉妬することも無いだろう。

「それは良いわね。木の器は高いし、匂いうつりしちゃうのよね」

「王女が方針転換したら真っ先に俺が仕入れて来てやるよ。城にも献上してやる。グレーテがいつも迷惑かけて申し訳ありませんってな」

「そんな失礼な意見は通りません! お皿はよく割るけど」

「割るな。あなたのせいで王女陛下が怪我したら処刑されちゃうかもよ」

「ええ……。どんな処刑だろう……」

「そりゃ、あれだろ。国民全員で割れた皿を持ち寄って、それでおまえを埋めるとか。それじゃ死ねないから、実質のところは餓死だな、餓死」


 そういえば、『飢餓刑』での処刑も一度行われていた。試されていたといったほうがいいか。

 ふたりの子供に食事を与えないで死なせた父親に与えられた刑で“かれ”は三日耐えたが、僕の見立てでは餓死というよりは脱水と体温調整の不具合からの凍死だった。

 そのうえ、処刑のあいだはほかの公務で広場が使えなくなるし、見物人も退屈をしていた。

 王女陛下の加えた一撃は『腹をすかせた“かれ”の横で湯気の上がるスープを食べる』というものだった。

 王女の貴重な食事シーンについては眼福だったが、やはり飢餓刑に関しては期限を設けて石打ちあたりで手を打つべきだろう。


「やだ! ご飯食べられないのはやだ! どうせならお皿食べて死んでやる!」

 グレーテは皿の破片をかじった。


 友人たちとの団欒が過ぎ、その晩は僕は幸せな夢を見た。幸福な夢は久しぶりだった。

 夢なんてものはたいてい斬首のシーンか、多忙な東での治療の日々のリピートだったから。



 だが、僕が夢の娘たちと踊っているあいだ、現実の少女たちは恐怖の一夜と戦っていたのだ。



 グレーテがローベルトの狼藉を漏らしたように、メイドたちを黙らせるのは口に雪をねじ込もうが何をねじ込もうが不可能だ。

 その話を聞いたとき、僕は早急に“かれ”を殺さねばならないと思った。『人殺し』で悩んでいたことなんて人生の無駄だったと悟った。

 街中が怒りと落胆に飲まれていた。王女へ変革を求める商人やアキムでさえもだ。


 もはや憐れみを込めて“かれ”などと呼ぶべきではないだろう。ほかの死刑囚に失礼だ。獣と呼んでも自然への冒涜だ。

 王女を神とし、君主の教えを教典とするのなら、あの男、ローベルトは悪魔と呼ぶのが相応しい。


 王城への不法侵入。さらに深く。王女の私室へ押し入った悪魔。

 あまつさえ王女を羽交い絞めにし、その毛皮へと手を掛けた!! あの悪魔はもっと深くへ入り込むことを望んでいた!!


 君主を強姦しようとしたのだ! レイプ! レイプだぞ!? それはソソンのあらゆるものを蹂躙することに等しい。神を否定する行為だ!! 宇宙の破壊者め!!


 僕は医者と処刑人としての経験値の全てをつぎ込んで、ありとあらゆる方法でローベルトを殺す方法を夢想した。

 衝動を抑え込むのに、壁や床へ頭を叩きつけなければならなかった。

 抑え込むのは王室への忠誠だけでは不十分だった。

 今すぐ『ソソンの拒絶』へ駆け込んで、ローベルトのペニスを食い千切ってやりたかった!!


 ……それでも僕が何も事件を起こさずに済んだのは、やはりあの天使のおかげだった。


 グレーテだ。グレーテが我らが神を、あの悪魔の手から護ったというのだ!!


 僕は無数の激情の嵐に巻き込まれて錯乱状態に陥りそうだった。

 愛と憎しみ、妬みと称賛。賢者と絶頂。


 グレーテは素晴らしい。そして僕もまた素晴らしかった。

 彼女には「王女陛下を護って欲しい」と言っておいた。そして彼女は忠実にそれを実行した。

 僕とグレーテは精神……たましいを共有した同一の存在に違いなかった。



 ああ、なんて誇らしいんだ。



 そして処刑も当然、これまでで一番素敵なものとなった。

 素敵すぎて、思わず勘違いしそうになった。まるで王女とグレーテ(僕)の結婚式のようだった。ローベルトはメインディッシュのチキンだ。


 メイドたちに繰り返し繰り返し局部を痛めつけられるさまは酷く笑えた。となりで見ていたアキムは吐いていた。これが楽しめないなんて可哀想だ。

 それから、王女のこともつぶさに観察した。ローベルトが損壊していくにつれて、王女の目がうつろになっていくのがよく分かった。

 彼女の女性の部分がどうなっているのかは、黒き処刑のベルベットの上からでも手に取るように分かった。

 耐えかねてグレーテの身体を抱きしめ、それから崩れ落ちたのをみたとき、僕も同じく解き放たれた。


 精神の性交! あるいは涅槃(ニルヴァーナ)! 素晴らしきたましいの交歓!


 ひとつ残念だったのは、ローベルトへのとどめに参加できなかったことだ。


 今回は見学者による投石によって処刑が終わることになっていた。

 僕はこのときのために石を投げる練習をしていたし、恋人への贈り物を探すかのごとくローベルトのための石を求めて寒い雪の中をうろついていた。

 だが、それは無駄になってしまった。お楽しみタイムのときには僕は気絶をしていた。気持ち良すぎたのだ。


 そのうえ、壇上えなにか事件があったらしく、それを見た民衆の一部が暴徒化したらしい。

 王女へも処刑の流れ弾が当たりかけたらしいし、勝手に壇上へよじ登りローベルトへ手を下したものがいたらしい。

 それは王室の権威を傷つける行為だ。僕は幸運なことに守護天使のおかげでそうならずに済んでいたのだから、彼らを責めるのはよしておいた。

 なんと言ったか? 「石を投げてもよいのは罪なき者だけ」だったか? ははは。

 

 ともかく、素晴らしい儀式だった。またこのような機会があればと切に願う。


 ああ、美しき娘たち。恐ろしい運命と責務を背負わされた可哀想な娘たち。


 僕はグレーテとサーシャ王女を愛している。

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