死刑2-08 彼女は果たして人殺しなのか?
停滞する改革。疲弊しきった労働者。治安の悪化に怯える弱者たち。
そんな僕らへとどめを刺すかのごとく、愛すべき君主の不幸が伝えられた。
葬儀は盛大でかつ、しめやかだった。
だが、僕は参列しなかった。国民の父の額へキスをする権利など持ち合わせていなかったから。
「国民のみなさま、聞いて下さい。我らが王、ルカ・イリイチ・アシカーギャは永遠にお隠れになりました。王室の規範に定められた通りであれば、わたくし、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが女王に即位すべきでしょう。ですが、わたくしはまだ世を知らぬ青き不肖の身。しばらくはルカ王を名誉国王と定め、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャを王女の身分に置いたままに、ソソン王国とその臣民のためにこの身を捧げます」
アレクサンドラ王女の演説。
彼女は本来なら女王となるべきところを、故ルカ王を名誉国王と位置づけ、自身を王女に据え置いたまま君主の座に就くことを決めた。
僕が永久に“あの人”を越えられないのと同じなのだろう。彼女にとってルカ王は永久に王であり父なのだ。
涙を見せながらも気丈に仕事をこなす王女。みんなは彼女のことを思いやり、心をともにした。
「サーシャ! サーシャ!」
国民の娘を称えるコールが広場を揺るがす。
……センセーショナルに煽ってるだけだ。誰しもが酔っ払いみたいなものだ。馬鹿馬鹿しい。
僕は冷めていた。グレーテの抱擁により、はっきりと自身の行いの間違いと、父の正しさを知ってしまったからだ。王女どころじゃなかった。
二度と患者を送ることもないだろう。心を救う独善的な執行人が去った今、ただ肉を救う道具だけが残されている。
グレーテは何度も仕事の合間や休暇を使って、父を失った僕を慰めに来てくれたが、僕はなんでもないように振る舞った。
本当なら、彼女への愛の告白をするのに相応しい時期だったのだろうけど、彼女への肉の欲求はなりを潜めていた。
自身が不能者に思えて仕方がなかった。ずっと心の中で罪と罰を弄び続けていた。
「ルカ名誉国王は、実のところを申し上げますと、この国の長きに渡る平和と幸福を冒そうとしていました」
王女陛下の口から、意外な言葉が発せられた。
先代君主の行いの否定。僕を含め、誰しもが動揺していた。
「それは悪意に依るものではありません。世界とこのソソン王国を繋げ、叡智と技術をもたらし、更なる幸福を追求しようと考えてのことでした。世界では、電気による灯りが夜を照らし、飛行機と呼ばれる鉄の鳥で人を運び、炎を使わずとも暖を取る手段が存在するのです。地球の裏から裏へと情報をいっしゅんに伝達し、何万通りの数式を機械が解き明かし、家畜はおろか人間の生死すらも管理する社会があるのです。ルカ名誉国王はその文明をソソンにもたらす大志を抱いたまま、不幸の事故に見舞われて果てました。この大事業はソソンをまったく別の国に変えてしまうことでしょう。果たしてわたくしは、この事業を引き継ぐべきでしょうか?」
問い掛け。最初に自分が未熟だから王女の位置に置くと言ったのは、建前ではなかったらしい。
僕たちはアンケートに答えたり意見を記述することには慣れていたが、このような形でリアクションを求められるのは初めてだった。
ルカ名誉国王は決定事項を伝えるばかりだったし、さらに先代のイリヤ王もそうだったはずだ。
「わたくしは彼のそばで世界の一端に触れ、膨大な知識を学びました。世界にも歴史があります。彼らは進歩を遂げながらも、必ずしも幸せとは言い難い歴史を歩んできました。数字に囚われ、紙の金と虚構の価値を増やすためだけに生き続けました。その結果、彼らは我々からみれば遥かに便利な世界を手に入れました。ですが、かわりにその便利さが我々の毛皮と同じ様に手放せないものとなり、暖かなベッドで充分な睡眠をとることや、愛する人々と囲む食卓をも失い、忘れ去ってしまったのです!」
王女陛下は返事を待たずに続けた。教科書どおりの事実の羅列。問い掛けの形は体裁だけか。
これは新たな君主による方向転換の宣言と見ていいだろう。
王女の横に立っている女が何か声をあげた。
あの女はひょっとして、噂になっている“ユーコ・ミナミ”とかいう国外の特使だろうか。
ソソンのことを本にして世界へ向けて出版するようなことを計画していると聞いたことがある。
「わたくしは、王へ何度も諫言を致しました。ソソンは世界の間違いと戦い続け、常に平和と幸福を維持して来たではないかと。王が国民のためにあり、国民が王を信ずるこの国のやりかたを変えるべきではないと。ソソンの民を世界の奴隷にすべきではないと」
王女は女の批判を無視し、演説を続けた。本来のソソンのあるべき形。事実、みんなは奴隷となりかかっていた。
ルカ名誉国王にくっついて外遊するか、城に閉じこもりきりだったはずの彼女は、僕たちのことを完全に理解していた。
「奴隷なんて後進的な言葉、使うべきではありません。世界人類は繋がっているのですよ。全てが友人なのです。全員が全員の為にあるのです」
ユーコ・ミナミが声を張り上げた。そのうえ、王女陛下へと詰め寄った。
こいつは何も分かっちゃいない。
僕たちはまだ繋がっていないからこそ愛を尊び、互いを重ね合わせ、憐れむんじゃないか。
誰しもが友人だというのなら、“かれ”はなぜ首を斬られた? 患者はなぜ孤独のうちに死ななければならなかった? 僕はどうして『人殺し』にならなければいけなかった!?
王女陛下が言うには、ルカ名誉国王は彼女の諫言を受け入れて国策の転換をする用意があったらしい。
僕と父とは真逆だ。それが上手くいけば僕は嫉妬をしただろう。だけど、その計画は完遂されることはなかった。
可哀想なサーシャ王女陛下。僕たちと同じ、みんなと同じ。
我らが君主が、どうしてそうならなくちゃいけないんだ? そうなったのはいったい、誰のせいだ?
「……どこの馬の骨とも知れぬ毒婦が淫らな方法で誑かしたのですから。あまつさえ、その女は我らがソソンの名誉であるルカ・イリイチ・アシカーギャの乗る飛行機を奸計により墜落させたのです!!」
王女陛下はユーコ・ミナミを指差した。かねてから毒婦の噂はあった。国を狙っているだの、世界からのスパイだの。
だがそれは、改革の行き詰まりへの労働者たちの八つ当たりだと思っていた。
それから僕たちは大仰天をした。
急にメイドたちが王女のドレスを脱がせにかかったのだ。瞬く間に気高き裸体が衆目に晒された。
ありえない。もしもこれが王女本人の意図しないところなら、見た者全員が首を斬られても不思議じゃない。
周りからは動揺の声が上がっていた。
敵を罵倒する正義漢。身体を隠すように懇願する中年の女性。王女の恥じらいに興奮する不敬者。
カオスの様相だ。
空からもそれに答えるかのように雪が激しく舞い始めた。
でも僕には、王女陛下の突拍子もない行為の意味が理解できた。
「わたくしは王族とはいえ、みなさまがたと同じ人間。ただの小娘です。ルカの娘だったのです! まだ彼から愛と教育を受ける権利がありました! それをこのユーコ・ミナミが奪い、辱めたのです!」
彼女は身体だけでなく、心も隠さないつもりなのだろう。自身に心を重ねろと言っているのだ。
王女の言うとおりだ。僕も父から教えられるべきだった。そうすれば、不要な罪を背負うことも、グレーテの愛への不感もなかったはずだ。
ユーコ・ミナミは首を振った。何か言いわけを叫んでいたが、みんなの罵声とブーイングに掻き消されていた。
メイドたちが再び王女を囲った。
白黒のスカートの壁が立ち去ったあとに現れたのは、回雪の中に咲き誇る一輪の黒花。哀しみで織られたブラックベルベット。
――黒きドレスに身を包んだ我らがアレクサンドラ王女陛下は、とても美しかった。
広場は沈黙に包まれた。彼女の行った合図の仕草よりも、その姿に息を呑んだからだろう。
「国民のみなさま。娘から父を奪い、王の名誉を踏みにじり、ソソン王国を滅亡へと誘おうとした女に相応しい罰は何でしょうか?」
王女は問うた。
「死だ。冷たい拒絶を」
国民たちの殺害を要求する嵐の中、僕は独り、答えた。
「みなさまがたの意見もごもっともです。別れの際、王の哀れな姿にキスをしたのですから、誰しもが同じ気持ちでしょう。ですがルカ王は、死刑制度を廃止なさいました。それがもたらしたものはみなさまもご存知ですね。最大の裁きが消えてしまえば、誰しもの心にある悪を制御することは難しくなります。死刑とは、国民の乗せられた平和という車を引く正義の駿馬に結わえられた頸木。みなさまがたの中にも、死刑制度の廃止から不安な思いをなさって暮らしていらっしゃるかたは多いでしょう。王女アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが今ここに、死刑制度の復活を宣言します。加えて、従来の斬首で生じていた不平等を均すために、その罪に応じた死刑方法をとります。みなさまがたに今一度問います。王を墜落に重ね業火で焼いた女に相応しい刑とは何でしょうか?」
死刑制度の復活!?
僕は喜びと恐怖の雑駁した感情に支配された。
父を追うのをふたたび許されることは、それと同時に永久に罪を重ね続けるさだめに引き戻されることを意味していたからだ。
だが、彼女は斬首ではない方法をとると言った。
あの、直接触れてもらえない、冷たく憐れな、“ごろんごろん”を取り止めると言った。
僕は処刑人の息子だ。だが、何も知らされていない。
じゃあ、誰が刑を執行するんだ?
壇上に石の十字架が運び込まれた。
ルカ王を殺した女は裸に剥かれ、教科書のシスター・ビジタシオンよろしく十字架へ磔にされた。
固定に使われた鉄のいばらがひと足早く、女の身体から罪を流させていた。
彼女の足元にはシャベルを使って石炭が積まれた。
「ルカ名誉国王は、墜落の際に四肢に十三ヶ所の骨折を負った!」
王女自らの執行の合図。
罪人は呪いの数字のぶんだけハンマーで殴られた。執行をしたのは刑務官の連中だ。何人かは顔見知りだった。
ユーコ・ミナミの両の前腕は砕けていた。橈骨と尺骨の両方が駄目になっただろう。有刺鉄線の支えは完璧じゃないらしく、その折れた骨に負荷がかかっているのが見て取れた。
ぐにゃり、骨などまるで最初からなかったかのようだ。
両足も折れているかもしれないが、まだはた目からは判別できない。
大悪に相応しい冷たい処刑だ。だが、数人がかりの執行のうえに、多くの目が見ているぶん、未公開の斬首よりも平等に近付くだろう。
罪人の罪状に酌量の余地があれば憐れみの視線をいただけるし、真の悪ならば死で足りないぶんを罵倒で補うことができる。
世界や歴史から見れば野蛮で後進的に見える方法をとったのは、二代目君主ソソンが行った偽りの教義への拒絶に重ねたものだ。
これは世界への強烈なメッセージとなるだろう。
アレクサンドラ王女は、愛と哀の両方を識る切れ者だ。
ただ可愛らしくて、可哀想な娘なのだと思っていた。君主を継承するだけの能力も備わっている。
僕は感心して彼女の顔を見た。
……?
広場は広い。壇上は高い。
いや、当たり前だが、つまりは後方では、みんなが静かでも声は聞き取りづらいし、場合によっては前方の人に壇上の出来事を教えてもらわなければならいことも多い。
言葉がリレーするにつれて感情が乗せられ、誰しもが気持ちを共にしやすくなる。熱心な人のほうが前に集まるから、つまり王室への尊敬を高めるための仕掛けともいえる。
耳のほうはそれでいい、だが、視覚的には刑の細かな所作は分からないし、むろん壇上に立つ者の表情まで判別できるはずもない。
だが、僕は極端に視力が良かった。普段つけている眼鏡は、目を悪くするためのものだ。
この頭や目が痛くなるばかりの長所は、演説を見に来るときには役立っていた。
ここはやや後方の端っこだが、王女が脱いだときも彼女のふたつのピンクサーモンの花弁も見えたし、メイドたちに処理されているであろう白い丘や谷も全て認識できていた。
回りくどい話は止めよう。
僕にははっきりと見えた。
ユーコ・ミナミがハンマーで砕かれているのを眺めている王女は、じつに愉快そうだった。いや、気持ち良さそうと言ったほうが正しい。
彼女は国民から声援を受けているときも同じような顔をしていた。それは当然だ。国民と愛を交換するのは、君主と僕たちの何よりの交歓でなければならない。
だが、残虐な行為を眺めている彼女の表情はそれをも超えていた。
「“あの人”と同じ……いや、僕と同じ、なのか?」
尊敬すべき君主が『人殺し』?
“あの人”的な正しさと、僕が患者へ行い続けた間違いへ感じていたディオソニス的な興奮の両方が彼女にはあった。
いや、自己完結的な世界で終わっていないぶん、聖女テレジアの法悦と呼ぶほうが相応しい。
彼女は間違っているのか? それとも正しいのか?
どちらにせよ、グレーテ以上に僕に寄り添っており、近しい存在と言えた。
「サーシャさまは素敵なおかたなんですよう」
そうか、グレーテは無意識のうちに感じていたんだ。王女の御心に秘められたそれを。
グレーテはひょっとして王女を救うために近付いたのか?
あの子がそこまで計算深い人間でないことは僕はよく知っている。仮にたずねても首を傾げるだけだろう。
何とかして確かめなければならない。
見極めなければ。
君主が僕を罪から救い導く存在であるかどうかを。
「みなさま、静粛に! これは正義の行いであり、暴力や狂気の沙汰ではないのです! 君主と国民は一心同体。新たな正義に賛同するとおっしゃるのならば、勇気ある代表者を!」
代表者……?
僕が呼ばれた気がした。立場的にも不思議ではない。彼女は救い主ではなく、死神か? 僕を全国民の前で公式に『人殺し』にしようっていうのか!?
「僕です! サーシャ王女陛下! 僕は両親を殺されたってのに、死刑制度が無くなっちまったせいで、悔しい思いをしているんだ!」
名乗りを上げたのは別の男だ。
彼は周りのひとびとに物理的にも精神的にも持ち上げられ、多くの国民の手を介して壇上へと運ばれた。
そして彼……ミスター・ローベルトは王女からハンマーを受け取り、瀕死の女の腹を潰した。
大歓声の中、僕はさらに混乱をしていた。
ユーコ・ミナミの胎が、なんとなく大きくなっているように見えたからだ。
それは誰の子だ? 王女はローベルトにあえて腹を指し示して打たせたのだ。
個人的な復讐ならば、それは慈悲でも正義でもないだろう。大いなる罪だ。
だが、僕へ任せず、国民から代表を選び、あまつさえ自身もそれを負った。
「粉砕刑に続き、火刑を執行します!」
それから火が放たれた。
王女が自らやった。驚くべきことに王女の革手袋に握られたたいまつが石炭へ火をつけたのだ!
燃え上がった女は、叫びをあげる元気もないようだった。
炎の十字架。本来の火あぶりのようにじっくりではなく、油を使った大炎上だった。
ああ、サーシャ王女陛下……。
「おいおい、こんなひとごみのなかで座ってるんじゃねえよ」
見知らぬ男に抱き起された。僕はいつの間にかへたりこんでいた。
「ゆ、赦されてしまった」
僕は呟いた。
「は? 兄ちゃん、大丈夫か? あいつは赦されてねえだろ。まる焦げだ。うちのかかあが焦がしたラム肉みてえになるぞ。ざまあみやがれってんだ!」
いいや、赦されたのだ。あの毒婦のことではない。
我らが娘アレクサンドラが復讐者かどうかは置いておこう。
彼女は自ら国民の前で『人殺し』となり、その罪を国民と共有した。僕だって国民だ。
だが、どこに彼女の行いを批判する者がいる? あの残虐な刑をいとう者がいる?
いいや、いない。彼女は殺人を犯しながらも赦されたのだ。同時に、国民たちを苦しみから解放した。
友人との語らいのそばにある暖炉のような、小気味の良い音色が聞こえる。
ああ、名誉国王の仇の肉体とともに、僕の罪も浄化の炎により滅されていくのだ……。
君主として国民を救い、娘として父の愛を求め、『人殺し』として罪を犯し、グレーテを越えて僕を赦した彼女は究極だった。
僕は涙を流していた。
そして、グレーテのときには得られなかった肉の快感をも得た。“におい”が隣の男に感づかれないか少々不安だった。
処刑が終わり、広場は『ルカの語らい』という名前を与えられた。
……何度思い返しても究極だ。
僕とグレーテを結合させたかのような存在だ。
アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ王女陛下はまさに神だった。
あのおかたは、猟奇的な拒絶と同時に、愛と哀を重ねた真の憐れみを体現してみせたのだ!
僕はその日一日じゅう、涙と絶頂が止まらなかった。




