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死刑2-02 まったくキミは馬鹿だな

 はじめての友達は学校でできたわけじゃなかった。

 僕は父親に頼まれて薬を届けに行く手伝いをしていたんだ。

 ある飲食店の奥さんが病気で伏せっていて、旦那の店主はお店から手が離せないし、薬の配達をしてもらう必要があった。

 そのお店は昼間は家族向けの『パブ』で、夜中は労働者や酒好きのための『バー』に切り替わるという、ちょっと変わったお店だ。

 といっても、何が変わるってわけでもない。店主がそう言ってるだけだ。でも、パブとバーとでは雰囲気や利用目的が違うから、切り替わりの時間帯はどちらを求めるお客さんもあまり寄りつかなかった。


 その家には、僕よりも歳が二つ下の子供がいた。名前はニーナ・マルコヴナ・クシチェンコ。

 ニーナはダークブロンドの長い巻き毛と綺麗な顔立ちの娘で、幼いころからお店の手伝いをしていた。この店は彼女の評判でもっているようなものらしい。

 僕も薬を届けに行くと挨拶くらいはした。でも、あまり仲良くなろうとは思わなかったし、彼女のほうも僕へ近づかなかった。


「食事を出す店だからなあ」

 店主のマルクさんは困っていた。奥さんの病気は梅毒だった。医学の遅れたソソンじゃ、今も死の病だ。

 “余計なこと”をしなければ流行しないはずの病なのだけど、それは毛皮に覆い隠されて静かに存在し続けていた。


 初期症状のできものは特定の場所にできる。奥さんの場合は本人と旦那しか知り得ないはずの場所が始まりだった。ニーナの下に兄弟はいない。

 できものが消えて、しばらくしたら発疹だ。これも奥さんはもともと頬が赤かったし、買い出しに行くだけで霜焼ける人だったから、あまり目立たなかったそうだ。

 僕が薬を届けるようになったのは……というか、彼女がうちに相談に来たのは病がかなり進行してからだ。

 鼻やくちびるに大きな潰瘍ができていた。発疹は全身を赤く染めていて、女性の部分はすでに一部が欠けていた。

 毒が次に襲うのは神経や骨、心臓などになる。発作による死の危険と隣り合わせだ。


 ソソンには梅毒の特効薬はない……。ないのだけれど、うちは処刑人の特権として、城の使う品に紛れ込ませて国外の物品を輸入することができた。

 たいていは医学書や薬だ。父が名医と呼ばれる理由の一つがここにある。

 彼女がどうやってお金を用意したかは知らないけど、父に頼み込んで薬を支度して貰っていた。

 でも、投薬で治すには遅すぎた。初期なら一か月程度薬を飲むか、注射一本で済む話だった。


 旦那のマルクさんにもばれた。そして、病が彼のせいでないことも簡単に見抜かれた。

 マルクさんに病がうつることはなかったけど、彼の心は蝕まれた。それまでそれなりに仲良くやってきた夫婦は言葉を交わさなくなった。

 他人から見て分かるようになれば、店に出ることができなくなる。飲食店ということもあって、彼は彼女に触れもしなかった。

 娘のニーナへも病の原因については伏せておきつつ、接触しないように言いつけた。


 薬を届ける僕だけは口を利き続けた。うちには消毒液もあったし、うつらないようにするコツなども心得ていたから。

 奥さんは後悔していた。マルクさんを裏切ったことや、病を隠し続けたことを。

 もちろん、彼女のとった行動は倫理的にも医学的にも悪手だ。彼女が悪い。自業自得だ。

 だけれど、誰からも隔離されて独りで苦しみ続けるのはあんまりだろう?


 彼女が僕の前で胸を抑えて苦しみだしたのは不幸中の幸いだった。毒が心臓に届いたんだ。

 本当なら医者を呼ぶのが普通だ。だけど僕は、彼女がどのみち死ぬのは分かっていたし、これまで罪の意識に苦しんできたこともよく知っていた。

 そのときも彼女は苦しみに悶えながらもマルクさんとニーナの名を呼んで謝っていた。


 僕は仕事中のマルクさんに“土下座”をして頼み込んだ。「最期だけは手を握ってあげて欲しい」って。

 奇跡だった。彼女は死ぬ前に最高の薬が貰えたんだ。夫と娘が彼女の手を握って泣いた。

 ほんの一瞬だけど、奥さんは笑ったように見えた。たぶんだけどね。もう化け物のような顔になってしまっていたから。


 マルクさんは奥さんを赦したようだ。だけど、ニーナは打ちのめされた。彼女はこっそり母親に会っていたから、病状がどんなでも驚かない。

 いけなかったのは、梅毒で亡くなった奥さんの触った品を全て焼却しなければならなかったことだ。

 あとに聞かされた話だけど、ニーナは大人になったら母親が大切にしていたドレス風にデザインされた毛皮をおさがりに貰う約束をしていたそうだ。

 そんな思い出の多くが、母親の身体とともに荼毘(ダビ)に付された。


 哀しみにくれるニーナには慰めてくれる友人がいた。

 近所に住む同い年の女の子マルガリータだ。優しい女の子だ。


 それともう一人、男子がいた。


「おいニーナ、泣くなって。死んじまったもんはしょうがないぜ。うちもこの前、弟が死んだしな。それより、うちからこっそりブドウをくすねてきたんだ。おじさんにもワインだ。元気出せよ」


 彼なりの励ましのつもりなんだろうけど、隣に座っていっしょに泣いているマルガリータに軍配があがった。僕も彼女のやりかたのほうが正しいと思う。


 僕がその現場に遭遇したのは、マルクさんから最後の薬代を受け取るためにおとずれたときだった。

 マルクさんは支払いを済ませて「セルゲイ君もニーナのことを慰めてやってくれないか」と言った。

 僕は気乗りしなかった。彼女たちが同じ学校に通っていたからじゃない。

 ニーナとマルガリータは僕とは年齢が違う。それに、気立ての良いふたりが、ほかの連中のように眼鏡をからかうことは考えられなかった。

 ニーナの母親を延命する仕事を放棄したことが引っ掛かっていた。父のように罵倒されるんじゃないかって思っていた。

 けっきょく、今の今までこの件について咎められたことはないのだけど。


 だけど、もう一人の男子が問題だった。


「おまえ、どっかであったことなかったっけ?」


 彼の名前はアキム・パンチェレイモノヴィチ・トロツキー。


「……パンチェレイモノヴィチ。去年まで同じクラスだったろう」

 僕はしぶしぶ答えた。


「あ、あーっ! “眼鏡のセルゲイ”か!? 俺、落第しちゃったからなー!」

 アキムは馬鹿だ。僕と同年齢で同じ年に入学したのに。

「せっかく学校に入れてもらったのに、ちゃんと勉強しないのはもったいないよ」

 僕は溜め息をついた。

「母ちゃんみたいなこと言うなよ。父ちゃんが勉強なんてやめてうちの仕事を覚えろって言うからイーブンだ」

 何がイーブンだ。

「いいよな。ニーナやマルガリータの母ちゃんはうるさくなくてよ」

「お母さん……お母さん!」

 ニーナは激しく泣きだしてしまった。


 そう、アキムはまったくの馬鹿だった。


 アキムは城下から西へ離れた果樹園の息子だ。果物やお酒の配達にくっ付いて街を見て回るのが好きだった。

 ニーナやマルガリータとの付き合いも、この店がお得意様だったことが始まりだそうだ。

 ソソンの西側は農業が盛んで、城下に次いで暮らしやすい環境だ。城下からあえてそっちに移る人もいるくらいだ。

 だけど、アキムはことあるごとに「毛むくじゃらのウシやヒツジに囲まれてナシやブドウの木を相手にしているのは退屈だ」と愚痴をこぼしていた。

 学校に入ったのも城下へ行くための口実で、わざわざ西部からここまで通って来て、あまつさえ、ろくに授業に出ないで落第ってわけだった。


「パンチェレイモノヴィチ。キミにはデリカシーがないのか」

「そーいうのは、子供だからわかんねえ。っつーか、何でそんな堅苦しい呼びかたなんだよ。クラスメイトじゃん」

 アキムは鼻をすすりながら言った。泣いてるんじゃない。ただの鼻水だ。

「クラスメイトじゃなくなっただろう……」

「そうだった! どっちにしろ長いから、アキムで呼んでくれよ」

 そう言って彼は手を出して笑った。

「セルゲイ・キリーロヴィチ・アサエム。セルゲイでいい」

 僕はしぶしぶ手を握った。……が、「ニーナを放って何してるの?」とマルガリータに非難をされた。


 アキムとは、意外なことに大きな抵抗もなく会話ができた。

 彼は授業に来なかったことが多かったし、クラスも変わってしまっていた。

 成績の悪い彼を見下していたというのもあったけれど、こいつは周りの連中の嫌がらせに加担したことはなかったのが大きい。

 アキムは馬鹿だったが、“見舞いには来るタイプ”に思えた。


 それから僕たちは、マルクさんに料理を作ってもらって『ニーナを励ます会』をやった。

 僕はしめやかにすべきだと思ったのだけれど、アキムが強引に盛り上げた。


 ……マルクさんのために持って来たはずの酒をあけて。


「馬鹿野郎! 子供がこんなもん飲むんじゃない!」

「おっちゃん、双子だっけ?」


 当時の僕たちは両手で数え切れるような年齢だった。こうなるのも無理がない。

 止めなかったという理由で僕までも叱られた。飲んだのはアキムだけだ。

 マルクさんは表立って誰かを非難するタイプじゃない。裏切った奥さんとの喧嘩も静かなものだったそうだし、ふだんはよく笑うパブのマスターだ。


 そんな父親が激怒している光景があまりにも珍しかったのか、ニーナは両手で顔を覆うのをやめた。

 それから、アキムが叱られながらおどけて下手糞なコサックダンス(ホパーク)を披露しはじめたものだから、とうとう彼女は吹き出して笑い転げたんだ。


 ニーナが笑えば、マルガリータもマルクさんも釣られて笑った。僕も笑った。正直なところ、楽しかった。

 だけど、「こいつといっしょに何かをするのはごめんだ」とも思った。


 アキムは翌日も『続・ニーナを励ます会』を開催した。

 僕は商売の関係が清算されたからマルクさんの店に行く必要はなかったし、行かないつもりだった。


 それなのに、アキムはわざわざうちの診療所をたずねて僕を呼び出したんだ。

 彼が一人で来たのなら応じなかっただろう。

 アキムの隣にはマルガリータがいた。彼女は僕にも来て欲しいと言った。


 僕は、マルガリータがニーナに対して寄り添っていっしょに泣いていたのを思い出した。だから、彼女の求めに応じるのは悪くないと思った。

 翌日も、翌々日も来た。ニーナが立ち直ってからもだ。僕はそうこうしているうちに三人と友人になった。



 マルガリータ・ユーリエヴナ・チャロアイト。愛称はグレーテ。

 栗毛の三つ編みとそばかすの女の子だ。ソソン城下の平凡な家庭の生まれだ。


 グレーテはニーナの大親友で、その縁でアキムとも友人関係だ。感受性が豊かで、誰にでも親切で優しい子だった。

 だけど、いくつか弱点があった。


 まず一つ。彼女はアキムとは違う方向で馬鹿だった。難しい話をされるとすぐにこんがらがってしまう。

 それからあまり学習しない。いちばんまずかったのはアキムに騙されてしまうことだった。

 アキムはいたずら好きで、町で見知らぬ人に雪玉をぶつけたり、馬を脅かしたりしてひとびとのひんしゅくを買っている。

 あいつの悪行をすべて紹介するのは骨だから省略するけど、ようするにグレーテは巻き込まれていっしょに叱られる立ち位置だった。

 

 もう一つの弱点。とてもそそっかしいこと。

 急ぎでもないのに通りを早足で移動して、踏み固められた雪に滑ってすっ転ぶ。両手に何かを持ったまま扉を開けようとして、ドアノブと十分間も格闘する。

 そばかすが増えたかと思ったら食べかすだったりするのはほとんど毎日だ。

 それから、怒られればとにかく謝ってしまうものだから、アキムのいたずらが隣にいた彼女のせいにされたこともあった。

 そういうときは、僕やニーナが行って弁解したり、いっしょに怒られるしかなかった。


 僕とニーナが保護者で、アキムは馬鹿で、グレーテは妹みたいなものだ。

 僕たちのあいだにはそんな関係ができあがった。


 放課後にニーナの家……マルクさんの店に集まって、それから“面白い遊び”を企むのが日課だった。

 大人しく遊んでいるときはいいけど、たいていはアキムのせいで誰かが泣きをみた。


 僕が勉強や診療所の手伝いで来られないときは、彼女たちがうちへ来た。

 勉強のときはむしろ僕が教えなければいけなかったのでいい迷惑だったけれど、そのおかげでグレーテは落第を逃れた。アキムは駄目だった。


 父が拒まなかったので、診療所の手伝いもいっしょにやった。

 普通は健康な人間にとっての病院は毒のようなものだ。病気がうつりかねないし、その場の雰囲気に気が滅入ってしまう。大人たちは露骨に嫌がる。でも、みんなは気にしなかった。

 僕は、「診療所に出入りしてることはできるだけ秘密にしよう」と提案した。そのうち噂になってしまうだろうけど、いちおうだ。

 僕たちは“秘密”に満足した。


 みんなの働きぶりは見事だった。


 ニーナは手際が良く、勉強もできたので、父は「医者を目指さないか」と本気で勧めたようだった。だけどニーナは、「お父さんがひとりぼっちになっちゃうから駄目です」と言って断ってしまった。


 アキムは無駄口が多くておしゃべりだ。患者を怒らせることもよくあった。

 だけど、誰も見舞いに来なくて、医者の質問以外にはいっさい口を開かないような患者さえも怒らせることができた。

 「黙り込むより口を開いたほうが身体が良くなる」と父が言っていた。

 たいていは、アキムのおしゃべりを切っ掛けに診療所が明るくなった。


 グレーテは……グレーテはそそっかしいのでアキムと同じおしゃべり係だ。だけど、彼とは方向性が違った。

 気遣いが良かった。心配の声をかけて、病気に関係のない愚痴や悩みも聞いてやっていた。

 彼女の憐れみは、ときに死の淵に瀕した患者を救った。心だけのときもあれば、本当に命を救ってしまうことまで。


 でも、ここは病院だ。どうしても哀しい場面に遭遇することがある。


 ニーナは母親との死別の経験のせいだろう、危篤の患者がいるときは診療所へ近付きたがらなかった。

 とくに母親くらいの年齢の女性が苦しみ始めたときは、彼女は逃げ出した。

 アキムはおしゃべりな少年だったが、死の匂いを嗅ぐと静かになる。ニーナが飛び出したときはそのあとを追い掛けた。


 だけどグレーテは、患者を看取るに相応しい人間が現れるまでは絶対にその場を去らなかった。

 死に瀕した患者たちはグレーテへ礼を言った。

 その役は、もとは僕のものだったけれど、いつしか僕は父の仕事を本格的に手伝うようになっていて、それができなくなっていた。

 僕の手はガーゼや針、患者の汚物の相手で忙しかったんだ。


 グレーテの手には死にゆく者の手があった。使いの者が間に合わなかったり、そもそも然るべき人物が存在しない場合はやはり、最期までそのままだった。


「人は、誰かに手を握られながら死ねるように生きなければならない」


 でもグレーテのそれは、僕や父のアドバイスから始めたものじゃなかったんだ。


 ……僕はそれをとても美しいと思った。

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