死刑2-01 その男は人殺し
――ごろんごろん。
まだ、生きてる気がする。
初めて見たときの印象はそれだ。
あの人が腕を振り上げたときにはもう、“彼は終わった”だった。
“かれ”が何をしたのかは知らない。“あの人”が何をするかを見に来させられたんだ。
“あの人”の仕事はほんとうに見事だった。
だけど、暖かな毛皮から薄手の服に着替えさせられて、雪の降る寒い広場に立たされた“かれ”は可哀想に思えた。
本来、斬首刑というものは、ギロチンに固定するとか、ひざまずかせたり、胸を台座などに押し付けて安定を得た状態で行われるべきらしい。
そうしないと上手く斬れないんだ。だけど、この処刑では“かれ”は胸の高さほどの柱に縛り付けられて、自由になっている首へ剣が振られる。難しい仕事だ。
どの斬首にも共通するのは、死を届ける人間は“かれ”へじかに手を触れないこと。人として扱わないような、拒絶するような殺しかただということ。
“かれ”はひとりぼっちで逝ってしまうんだ。僕にはこれが、とても哀しいことに思えて仕方がない。
僕には大好きな母がいた。
母は身体が弱くて、一日のほとんどをベッドを暖めて暮らしていた。
でも、おはなしを語り合ったり、横で勉強を見てもらったり、家事の手伝いや、稽古でつけた傷に薬を塗ってもらったり、ときには父に内緒でいっしょのベッドに入れてもらったりをしていた。
あのころの僕からしたら、このソソン王国では決して手放せない毛皮よりも、母のほうが暖かいものだったんだ。
父は医療の道の人で、母はいずれ死ぬだろうと言っていた。物心ついたときから、ずっと言い聞かされていた。
母もそれを知っていたし、「最期はふたりで私の手を握って看取ってね」って約束をしていたんだ。
……あの日のことは、今でもよく覚えている。
父と王室の演説用の広場に行ったんだ。
ソソン王国の君主、ルカ・イリイチ・アシカーギャ国王陛下が壇上に立った理由は、演説ではなく、『お姫様のお披露目』だった。
僕より少し年下の、小さくて可愛らしいドレスを着た女の子。
雪を被った街並みによく映える赤いドレスで、肌は雪よりもまっしろ。ドレスは壇上に立つにはいささか寒すぎるようで、その小さな身体は震えていた。
髪の毛はほんのりと色づいた白金で、その瞳は遠くから見ても分かるほどに深いブルーだった。
彼女の名前は、アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ。ルカ王のたった一人の血縁者だ。
ルカ王は愛娘の自慢をした。父親や臣下をよく想い、動物や草花を愛する素敵な子供なんだと言った。
お城や王室は、僕たちしもじもの者とは違って優雅な暮らしをしている。毛皮じゃなくってドレスやジュストコールに身を包み、外国から取り寄せた本を読んだり、珍しい食べ物を口にすることができる。
土や家畜に触る仕事には就かないで、みんなのためになるやりかたを考えたり、意見を集めたりするのが仕事だ。
いっけん、楽で贅沢な暮らしに見えるけど、メイドさんたちが言うにはわずらわしい作法がたくさんあって大変らしい。
朝起きても勝手に部屋から出ちゃ駄目で、お手洗いやお風呂も付き添われて、食事のたびに素材の出自について長々と聞かされるんだとか。当然、外出だってままならない。
うちのルールといえば、食事のときに「いただきます」と手を合わせて、食べ終わったさいに同じく「ごちそうさま」で終わり。でも、これはよそのうちじゃやらないらしい。
まあ、ルカ王も別にたんなる親馬鹿(不敬!)でアレクサンドラ王女の自慢をしに壇上へ出られたわけでなく、『三歳になったら国民へ姿を見せる』という王室儀礼があったからだ。
それまでは、お話の中でしか王女の存在は語られなかったってことだね。
それで、初めてお披露目されたアレクサンドラ王女……通称サーシャ王女は、壇上の前へ出てスカートを両手でつまんで持ち上げて、首を傾げる会釈をした。
会釈は効果抜群で、それまで静かにルカ王の話を聞いていたみんながうっとりとした溜め息をついたり、彼女を褒め称えたりした。
恥ずかしかったのだろうね。彼女のほっぺたは熟れた梨のようにまっかになっていた。
サーシャ王女は何も言わない。照れていたせいじゃない。
これも王室のルールで『五歳になったら国民へ初めて声を聞かせる』なんてのがあって、『十歳になったら単独で演説を行う』とも定められている。
サーシャ王女が急ににっこりと笑うと、どこかへ向かって手を小さく振ったんだ。誰かが手を振ったんだと思う。
でも、これはやっちゃ駄目だったらしくて、王女は壇上の端へ連れていかれると、メイド服を着たお姉さんに叱られてしまった。
わざわざ国民の前で叱るのもルールだったのだろうか? それは分からなかったけど、みんなはメイドのお姉さんに大ブーイングだ。
王女は顔をまっかにして、瞳を涙でキラキラさせながらこちらに向かって小刻みに両手を振っていた。メイドを怒らないでってことかな?
当のメイドは、ちらとこちらを見たものの、特に表情は変えなかった。尖った眼鏡が印象的な綺麗な人だった。
そんな不思議な王室と僕たちの距離感。アレクサンドラ王女は誰からも愛されて、誰でも愛する素敵なお姫様だ。
だけも、とても可哀想な子だと僕は思っていた。
なぜって? 彼女はこの世に生まれ落ちたのと同時に、いちばん大切な人を失ってしまったから。
お妃様が死んでしまった。本当は、国中が王女誕生を祝わうのを楽しみにしてて、お祭りの仕度をしていたらしいんだ。
でも、みんな作りかけのお祝いの料理を放って国葬へ出かけ、とっておきのお酒は涙のために使われた。
王女を取り上げた産婆さんは、自ら腹を切って死んだ。王室への侮辱や冒涜は死罪だけど、お妃様の死は彼女の責任にはされていなかった。
本当なら、国中のみんなに祝福されて、母に抱っこされているべきだった王女は、メイドに押し付けられてひとりぼっちだったんだ。
メイドも順番を取り決めて世話をしていたから、誰かが特別に乳母がいたということもなかったようだ。
僕は母の暖かさをよく知っていたから、本当に可哀想だと思った。
王女さまから話を戻すね。父とお披露目から帰ったらね、母が死んでいたんだ。
しかも、すぐには気付けなかったんだ。まだ暖かかったし、眠っているだけだと思ったから。
母は死んだ。独りで死んだ。そばにいて欲しかったはずの僕と父が王女を見ているあいだに、ひとりぼっちで。
いったい、どんな気持ちだったんだろう……。
僕も父も、母も、サーシャ王女も、みんな可哀想だ。
うちは、三代目君主クジマの代からずっと続いている町医者だ。
父はほかの医者よりも医学に明るくて、街では引っ張りだこの名医。自宅兼診療所のベッドはいつも埋まっていた。
だから僕は、幼いころから病人や怪我人の世話を手伝っていたし、母の看病だって得意だった。
「人は、誰かに手を握られながら死ねるように生きなければならない」
それが父の口癖だ。
父が言うには、ソソンの医学は未熟らしい。ペニシリンとかレントゲンとか、そういうのがないせいだって言ってた。
だから、名医といわれていても、ベッドで終わりを迎える人があとを絶たないんだ。
患者たちの“終わり”が分かったときは、助手の誰かが走って家族や知り合いを呼びに行く。
それが間に合わない場合や、そもそも親しい人がいない患者さんだっている。
そのときは、僕の出番だ。
僕はまだ、父と違って難しい医療の技は身につけていない。だけど、両親の教えをよく知っているから、それを実行した。
「セルゲイ坊や、君は小さいのに偉いね。ずっとお世話をしてくれて、ありがとうね」
亡くなった人たちは手を握り返して僕へお礼を言ってくれた。
たいていはそれを合図に、握り合った手の力が抜けていった。
父は治療に手を抜かない。当たりまえといえば当たりまえ。
僕もいっしょに患者さんたちが苦しくないように、「何かして欲しいことはないか」っていつも聞いて回っていた。
だけど、死んでしまった患者さんの家族や知り合いには心ない人がたまにいて、父のことを酷く悪く言ったり、僕にまで怒鳴ったりしてきたりする。
「人殺し!」
「おまえたちのせいで死んだんだ!」
「こんなことなら他の医者に見せれば良かった!」
こういうことを言う人は、たいていはあまりお見舞いに来ない人だった。
でも、父は黙って耐えた。
反論できなかったんだ。
ソソンの医学が後進的なことをよく知っていたし、何より本当に『人殺し』だったから。
僕の父、キリル・イヴァノヴィチ・アサエムは処刑人でもあった。
ソソン王国では、死罪になった人間を、刑務所『ソソンの拒絶』で斬首刑をもって処刑するのが法となっている。
柱に括りつけられた“かれ”の首を、遥か遠くの島国で使われていた昔の剣を使ってはね飛ばすんだ。
それには卓越した『剣技』と、相手の体格や姿勢からどこにやいばを入れるのが最適か見抜く『解剖学の眼』が必要だ。
ソソンでは王室以外は血統というものを重視しないのが普通だ。
この国は大人も子供も早く死んでしまうし、孤児院に入れられたり里子に出されることも珍しくないからだ。
でも、うちのアサエムの家系に伝わる医療の技術や、首はねの技は門外不出となっている。
僕たちは最初に斬首を行ったクジマ王に剣技を教えた男の子孫で、その男は初代君主ザハールの祖先とともに島国から落ちのびてきた人の一人だ。
だから僕も、医者の勉強だけでなく、剣の稽古もしなくちゃいけないし、将来の仕事場を見に行かなければいけなかった。
要するに、僕は将来の『人殺し』を約束された人間ってことだ。
“あの人”……父は剣の達人だ。
立たされた罪人の前にすっと出たかと思うと、すでに腕は振り上げられていて、いっぱくおいてから首が転がる。地面に血の海ができるのはもっと後だ。
目にも止まらぬ早業。正直なところ、そんなものを見せられても剣の腕なんて上達しない。
見学において大切なのは、「“かれ”が被害者や遺族の憎しみに包まれて、誰にも触れられずに絶命するのを知る」こと。
“かれ”は最期の瞬間には、誰にも手を取ってもらえないんだ。だから、その哀しみが少しでも短くなるように、必ず一撃で終わらせなければならない。
『憐れみの心』が大切なんだそうだ。これはアサエム家の教えだ。
後継ぎになるための訓練には順番がある。先ずは一般の学校を出て、次に別の地方に住む親戚から医学を学ぶ。それが済んだらようやく斬首の本格的な訓練が始まる。
もちろん、正式な訓練を始めるまでにも医者の助手は体験するし、剣術の稽古や処刑の見学もやる。学問だってあれこれ学ばなければいけない。
でも、僕は目がすぐに疲れてしまうから読書が苦手だった。目をつぶって母や患者さんの手を握りながらおはなしをするのが好きだった。
学校へあがったらそうも言ってられない。
書物に目を通すのに慣れなきゃいけなかった。だけど、どうしても目が疲れてしまうから、父に症状を説明した。
簡単な検査の結果、目を悪くする眼鏡をかければいいと分かった。
よく見えすぎだったわけだ。ソソンは狭いし、まっしろだ。見えすぎても何も特はない。
その不格好な眼鏡のせいで、学校ではいじめられた。理由がそれだったのは、まだ幸いだ。
父の『人殺し』の任務は、星室などの刑務所関係者の一部と王室だけの知る極秘事項となっている。ゴシップの泉であるメイドすらも知らない情報だ。
これがばれたらきっと、いじめられるどころじゃ済まないだろう。
首切り人は、中世ヨーロッパでギロチンが使われる前に活躍していた役人だ。
彼らは穢れた血に触れる死の役人として恐れられた。
不名誉と引き換えに国から十分な報酬を受け取り、貴族並みの生活もできた。
だけど、彼らは医学に長けていて、暮らしを削ってまで貧しい人たちを助けていたんだという。
かの有名な処刑人シャルル=アンリ・サンソンの一族がそうだった。
ヨーロッパかぶれのソソン王の意思を継いだクジマは首切り人のポジションを設立した。
でも、人々のあいだに蔑みという病を蔓延させるのはソソンの君主のやりかたじゃない。
だから、処刑人の素性は隠され、クジマ王は最初に首を斬っただけなのに、まるで彼が処刑人だったかのように語られた。ソソンの君主は慈悲深いんだ。
僕は勉強や稽古にかこつけて、学校が終わってからは逃げるように走って帰宅していた。
いじめから逃げていたってこともあったけど、いちばんの理由は「誰とも友達にならないように」だ。
将来『人殺し』になるのが決まっているのだから、そんなやつと友達になんか、ならないほうが良いでしょ?
そうやって、“眼鏡のセルゲイ”として四年間をやり過ごした。
そのまま残り数年をやり過ごして、医学の勉強を始めれば逃げ切りだ。
母は死んでしまったけれど、父とは仲が良いし、小さな助手としての僕はみんなに好かれていたから、ちっとも寂しくはなかったさ。
……だけどあるとき、僕にも友達ができたんだ。できてしまったんだ。




