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死刑1-03 毒婦と父とわたくし

 ユーコ・ミナミ。これがあの女の名前。

 勲章の授与のパーティーの際に“キモノ”をまとって現れたアジア系の女。アメリカ国籍で合衆国の某有名大学を卒業、あまたの環境保全活動団体やNPO法人に所属。

 さまざまな国や団体との関わりを持つわりには、公表されている経歴に彼女のルーツと思われるアジア先進国の名はありません。

 インターネット上に存在する彼女のSNSには、イルカの群れを背に船で笑顔を見せる姿や、疑似肉と有機栽培野菜のサラダの写真が飾られていました。

 その割にはリアルファーで着飾った写真も見当たりました。フェイクファーと記述されていましたが、毛皮と共にあるわたくしの目は誤魔化せません。


 わたくしはお父様に接近する人間に関して、よく調べるようにしていました。とはいえ、大国のように有能な諜報員がいるわけではありませんし、パーティーでの観察と、信憑性に欠けるインターネットによる検索程度のものですが。


 それでも、あの女の異質さにはすぐに気が付きました。

 コーカソイドの中のモンゴロイドは目立ちますし、わたくしたちの多くは色白で、彼女は妙に色黒。

 ドレスコードに違反しそうなほどに華々しく木槿(ムクゲ)を散らしたキモノもあの場に相応しく思えません。

 丸味を帯びた身体と対照的な鋭いメイクも不愉快です。あれが彼女のルーツの民族の正装とのことですが。


 我が国の場合は、王族の正装は中世フランス式で、普段着は国民たちと同じ毛皮。しかし伝統は鼻で嗤われ、ギンギツネの頭は非難の的になりかねないので、外交時のお父様とわたくしは現代の西洋式に従っていました。

 ここだけの話、身体を縛るコルセットや重くて分厚い毛皮、それにスカートを持ち上げるメイドが不要なのは気分が良かったです。


 ユーコ・ミナミはインテリの活動家なだけあって、関心ごとは環境と人道。ルカ王の考える世界へアプローチと合致します。

 加えて、多くのコネクションを持っているようでした。彼女は、国内の犯罪率の増加と、国際的な信用の狭間に揺れる父に、死刑制度廃止の称賛をもって近付き、パーティーの喧騒の中で資金の貸付けを提案しました。

 氷湖に眠る天然ガスの埋蔵量は正確には不明。調査や掘削にも資金が必要です。

 石油石炭の売却が国の寿命を縮めることは当然お父様も理解していましたから、そこから充分な資金は捻出されていませんでしたし、勲章を得たとはいえ、冬眠から醒めたばかりの国に融資や資金援助をする者はありません。


 後進的な煙と毛皮に頼る国の近代化に貢献。ミナミにとってこれ以上の名誉はないでしょう。噂通り、ノーベル賞か何かでも狙っていたのでしょう。


 ともかく、彼女は実際的な利害の面から我が国に飛び込んできました。ここから毒婦とわたしたちの関係が始まります。


 ユーコ・ミナミはソソンの城をたずね、「この()のことを本にしたい」と申し出ました。国際的な認知度がさらに高まれば、父の意向にもかないますし、それはすんなりと承諾されました。書を記すのはこの国の文化ですから、わたくしも強くは反対できませんでした。

 研究と調査のために頻繁に雪山を越えるのは、現代においてもたいへん手間の掛かることです。航空機も入り込めませんし、常に新しい雪が崖を覆い隠します。だから父は、彼女に仮住まいを用意しました。……それも城内に。

 わたくしは身体に異物を入れられたような気持ちになりましたが、こらえました。ひとりの外国人のために国民を風雪に晒して新しい住まいを建築させるよりはマシですから。


 当たり前の話ですが、住まいが同じになれば頻繁に顔を合わせることになります。ああ、思い出すと寒気がします。あの女は、本当に!


「パーティーのときに挨拶をした以来ですね、王女さま。城内ではメイクをしていらっしゃらないのね」

 ミナミはわたくしに微笑んで見せました。表情に反した鋭い化粧はやはり苦手です。

「化粧品は国外からの輸入品で貴重ですから。国民の前に立つときにしか使いません」

 答えたわたくしの声は小さなものでした。父に連れられて世界の役人たち挨拶をするときは、現代衣装やメイクという鎧をまとうことで平静を保つことができていたのに気付きました。

「こうして見ると、素朴な娘さんという感じね。お母様がいらっしゃらないのですってね。全て召使いにやらせているのかしら?」

 彼女のふたこと目に、わたくしは言葉を失いました。

「そんなに固くならないで、サーシャ。仲良くしましょう。長い付き合いになると思うから。この国は小さいわりに調べがいのある歴史をしているわ。まるで古代から近代までが一緒くたになったみたい」


 人に手をあげたいと思ったのは、生まれて初めてでした。

 ですが、このときにわたくしへ宿った加虐の心はまだ、鞭打ち一発分にも満たないものでした。


 お父様は国外へ出る回数が増え、城内では“お客様”のために時間を割きました。本来なら内務と儀礼の手間に多くの時間を費やすためにそんな暇などなかったのですが、彼はそれを休止してしまったのです。

 いっぽう、わたくしは父の不在時は儀礼の上に自由時間を削って“お客様”の相手。顔見知りのメイドに囲まれているあいだは毒婦の相手をしなくてよかったので、普段は面倒に思っていたソソンのコンプレックスに感謝をしました。


 ミナミは城に王が不在のあいだも、彼女なりには慎ましく振る舞います。わたくしは彼女の綻びを父に報告せしめんと熱心に監視をしましたが、それは徒労に終わりました。

 本来ならば、わたくしも王の補佐として国外へ随行すべきなのですが、城に異物を残したままというわけにも行きませんし、何よりお父様が「おまえも城にひとりぼっちということもなくなったからな」と言って、連れ出してくれなくなったのです。

 お互いに国民のために義務を果たさなければなりません。わたくしは次代の君主です。目下は国王の方針に従い、城内で世界からの刺客であるミナミと国の歴史や社会情勢、正式な立国のために必要なことを議題に、いくつもの論を重ねました。


「一つの国家としてあるのなら、国歌はある? 国旗はあるようだけれど」

 議論の合間、カップを傾けながらミナミがたずねました。

「特に定めてはいません。ソソンには民謡がたくさんあるので、その中からは国民の多数決を採って決定する予定です」

「多数決、だなんて。投票と言いなさいよ。他は? 国鳥や国花とか」

 彼女はこういった言葉じりをよくリフレインし、訂正させようとしてきます。

「我が国には神話めいた伝説や伝承は少ないので、なじみの深いものから多数決(・・・)で決めることになると思います。鳥はホシムクドリ、花はサザンカでしょうか」

 ミナミはわたくしの返答に眉をわずかに動かしました。

 こういった些細なところで力関係を誇示して、後でほくそ笑むのがわたくしの密やかな楽しみとなっていました。はしたない趣味なのは承知しています。


 ですが、この時の彼女はやられっぱなしではいませんでした。


「サザンカ? 意外ね。あれは寒いところで咲く花じゃないのだけれど」

「建国の際に持ち込まれたのが生き残って、寒さに強くなりました。寒気に当てられても花は散りづらく、香りも従来のものよりも強いのですよ」

「そうなの。変わり種なのね。風変わりなこの国に相応しいわ。……でも、ちょっとヘンね。サザンカがヨーロッパに持ち込まれたのは十九世紀の前半らしいのだけど」


 彼女の笑みには明らかな侮蔑と嘲笑。


「ツンベルクよりも先に日本から持ち出した者が居たというだけの話です。この国の研究をなさっているのに、御存じありませんでしたか?」

「ええ、記録には残っていませんでしたから」

「公式に記されたものだけが事実ではないでしょう。世の中には、おおやけの経歴どおりでないかたも、たくさんいらっしゃるようですし。口を利かぬ獣や草花なら、なおさらでしょう」

 わたくしは微笑で返します。

「何が仰りたいのかしら?」

 ミナミの頬がサザンカのように染まりました。

「言葉のままの意味ですけれど。何かお気に触りましたか? こんな気候ですから無理にフィールドワークをしてくださいとは言いませんが、たまには酒場にでも足を運んでみてはいかがでしょうか。酒場は語らいと噂の集まるところ、歴史研究家には良い狩場となるでしょう」

「そうさせてもらいますわ」

 勢いよく立ち上がるエセ研究者。わたくしはその背中に優しく言葉をかけます。


「毛皮で鼻まで覆ったほうが良いんじゃないかしら? すでに頬が霜焼けているようですし」


 それからのユーコ・ミナミは明らかに敵意を向けてくるようになりました。

 お互いに自業自得とはいえ、わたくしは軽率に彼女をやっつけたことを後悔することになります。彼女はわたくしの倍は齢を重ねているだけあって、まだ子供のわたくしに何が効くかをようく心得ていたのですから。


 ミナミはお父様に嘘を吹き込みました。いいえ、完全に嘘といったら語弊かしら。そこが厄介なのですけれど。


 ある時お父様は、帰国した晩にわたくしの部屋をたずね、この身体を強く抱きしめてくださいました。

 初めてのことです。世界への進出を企図する前はずっといっしょでしたし、王族である以上、普段は臣下たちの目もあります。それに、ハグを貰うにはもう、身体が大きくなり過ぎていましたから。


 特にハグの必要性を意識したことはありませんでしたが、あの腕と頼りがいのある胸板に抱かれたとき、わたくしの中で何かの実が弾けて種を散らし、瞬く間に新たな芽を出して花を咲かせたのを感じました。


「サーシャ。寂しい思いをさせてすまないね。私が居ないあいだ、ずいぶんとミナミを困らせたらしいじゃないか」

「えっ?」

 寝耳に水とはこのこと。寂しかったのは確かですが、どうしてあの女の名前が付随するのか。

 てっきり、わたくしの彼女への意地悪がバレたのかと思い、頬を熱くしました。

「彼女とは親子ほどに歳が離れているから、甘えるのも分かるがね。おまえにはずっと母親がいなかったからな。国の外にばかり目を向けて悪いが、もう少し辛抱しておくれ。本が書き上がっても、ミナミには国に残るように頼んでみるから」

 もちろん、わたくしは抗議をしました。誤解だと、ユーコ・ミナミは不要だと。それこそ、彼女と戦いを繰り広げるとき以上に、激しく直接的な言葉で。


 ですが、お父様は提言を受け入れることもなければ、そんなわたくしを叱ることもなく、ただもう一度抱き締めたのでした。


 あの敗北と屈辱は、永遠に忘れることはないでしょう。もしも、お母様がご存命であれば、あのような毒虫が国へ忍び込むことはなかったのでしょうか?


 もうひとつ、わたくしを酷く傷つけたものがありました。


 世界への仲間入りを目指し続ける父の愚行です。

 死刑の廃止や近代化の仕度は、いよいよ国民の暮らしに影響し始めていました。怪我や病気、業務上の事故の増加。

 国民から意見書なども投げ込まれ始め、わたくしも父へ諫言や苦言をしても聞く耳持たずだったのです。


 ミナミが影響しているのは間違いありませんが、彼女と出逢う以前から熱意はありましたし、それ変わってはいません。

 父の抱擁により咲いた花は瞬く間に枯れました。天秤の皿に娘と国民全部をいっしょに乗せて、それが浮き上がるなんてありえないことです。

 歴代の君主にも己の考えや執着はあったでしょうが、それは常に同じ側の皿に乗せられていたはずです。


 ルカ・イリイチ・アシカーギャ。彼が愚王だということが、この時はっきりとしました。

 身体にまだ残っていた抱擁の感触も、あの女の存在以上に汚らわしく思えるものに変わってしまいました。


 ユーコ・ミナミは元よりルカ王へ色目を使っていた気配がありました。

 あの毒婦は抱擁の翌日から、わたくしたち親子の関係にも口出しをするようになり、ときにはメイドや大臣などに向かって、まるでわたくしの保護者であるかように振る舞い始めました。

 控えめに言っても、わたくしは臣下たちに信頼され、愛されています。その絆が毒婦の撒き散らす“可哀想なサーシャ”を実態以上のものに見せ、わたくしの抵抗や正論を全て子供らしい振る舞いに挿げ替えてしまいました。

 あまつさえ、我慢ならずにわたくしが荒れたものですから、あの毒婦はさぞ愉快だったことでしょう。


 屈辱の日々は長く続きました。ミナミは着実にルカ王へ近づいてゆきます。わたくしや臣下よりも帰りを素早く出迎え、食事の席を共にし、人払いのされた王の寝室の扉をくぐりました。


 いっぽう、彼女の約束した天然ガス掘削の資金貸付の件や、各連合への口利きは停滞したままでした。単に難航していたのか、初めからペテンだったのかは分かりません。

 はっきりと分かることは、あの女は父の隣の席、あるいはこの国の全てを手に入れようとしていたことくらいです。


 次第に、彼女の関係者を名乗る者が城を出入りをするようになります。客人の世話のために、王女であるわたくしが寝間着姿で放っておかれたり、食事を冷ましてしまうことが増えました。

 幸い、わたくしは愛すべき臣下たちに救われました。

 彼らの多くもまた、ユーコ・ミナミを不審に思い、嫌っていたからです。

 特ににメイドたちの噂話には何度も笑わせて頂きました。王室に付き従う給仕室は伝統の塊で、彼女たちにもメイドたる矜持がありますからね。


 そして臣下たちの主は、王室に属するわたくしと王だけなのです。

 君主の命令は絶対ですが、国民と城との繋がりを担うのは大臣たちで、城の雑務を切り盛りするのはメイド。キッチンでは料理長が最強なのです。

 毒婦がアドバイザーを名乗ろうとも、権利の及ぶ範囲はしれたものです。


 ユーコ・ミナミもまた、意固地になって偉ぶろうとしました。ルカ王が後ろ盾にある以上、勝利は揺るがないと信じていたのでしょう。

 わたくしも、勝つための戦いというよりは、チェックメイトを遅らせるための抵抗と認識していましたし。

 ああ、ミナミがまだそんな時期でもない癖に、これ見よがしに下腹をさすって微笑んで見せたあの姿がまた思い出されます!


 ……とにかく、あの頃の城内は見えない戦争によってピリピリとしていました。

 しかしこの戦いは、意外な形でゲームセットを迎えました。勝者はなんと、わたくし王女と臣下たちです。


 それは、当のキングが“落ちてしまった”のが原因でした。

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