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死刑1-24 拒絶と崩壊

 団体職員のアレッサは死にました。殺されてしまいました。

 彼女だけではありません。ニコライが選りすぐった護衛兵の二名も殺害されました。

 三人の遺体は綺麗なものでした。特にアレッサは毛皮のコートを剥がされていて、官能的な氷の芸術作品と化していました。

 現場は国境室管理の小屋で、西側の国境に近い山中です。発見者は小屋に詰めていた者で、銃声を切っ掛けに現場へ飛んだそうです。


 アレッサたちは、それぞれ弾丸一発づつで仕留められていました。それも、何重もの防寒具の上からです。

 ニコライが言うには、ソソンで使われるマスケット銃では難しいそうです。

 遺体の中からは精巧に規格化された尖端の尖った金属の弾丸が出てきました。


 それから、アレッサのスマートフォンや、託したはずの手紙などが持ち去られていました。


 犯行は反乱軍か国外の者か、少なくともそれに通じる者。ただの強盗ではないでしょう。

 おそらくはアレッサがわたくしと接触したことを知っていて、彼女が得たものを持ち出されると困る人物。

 ……どこかの国か、反乱軍、あるいはその両方が繋がっているのでしょうか?


 事件直後、お城は閉鎖されました。出入り禁止。全員が詰め所や私室に押し込められ、怒りの将軍と氷のメイド長による徹底的なスパイ探しが行われました。

 一部の大臣へはまっさきに嫌疑の矛先が向きました。ユーコ・ミナミから利益を得ていた前科のある数名です。

 彼女の処刑日にそれにまつわる賄賂の品は全て没収、破棄していたので、証拠品は何も出てきませんでした。それでも、彼らはしばらくは疑いの目に耐えなければならないでしょう。


 調査は数日間にわたり、昼夜を通して行われました。城内に不安と疑念が渦巻き続けます。

 ニコライは部下を殺害された怒りに寝食を忘れました。スヴェトラーナはメイドたちのゴシップネットワークをフル活用します。


 ふたりの持つ執念の星がある星座を導き出しました。


 裁判を担う星室。その変わった名のルーツは、中世イングランド王権の星室裁判所。

 貴族を裁くほどの権限を持つ国王大権のもとにあり、星の間と呼ばれる部屋が使われたことが由来。二代目君主のソソンが中世ヨーロッパの華やかな世界に憧れて名前を拝借しました。


 星室の職員ユスチンの部屋から黒い通信機(トランシーバー?)が発見されました。ラジオのような割れた音声で、遠く離れたものとやりとりのできる品です。


 発見者はレオニートでした。観葉植物の鉢の中まで疑ったのは優秀な彼だけでした。

 ただ惜しいことに、ユスチンは証拠品をニコライに突き付けられたさいにそれをもぎ取り、石床に叩きつけて破壊したのです。あれがあれば黒幕の正体も容易につかめたかもしれません。

 それに、誰かに陥れられたと言い張ることだってできたでしょう。わたくしをはじめ、城の重役や衛兵、メイドの前で行われた通信機の破壊は自白に等しいでしょう。


 君主とともにソソンを支える様々な“部屋”。

 裁判を司る星室は、ルカ王の娘だったころのわたくしには縁遠い場所でした。

 それが死刑制度廃止の撤回からの連続した法整備で、数ヶ月の間にすっかりとその顔ぶれを覚えてしまいました。


 ユスチン・エラストヴィチ・オボレンスキー。三十九歳。年の離れた若い妻と、六歳になる息子を持つ男。

 業務を誠実にこなし、罪人へのジャッジメントでも常に多数派側の判断に属します。

 平凡で勤勉、城下から城へ通う彼は、あまたの制度改正の多忙から城内に一室を借りました。


 常勤の城暮らしになってからは毎朝城門前に立ち、雪の中白い息を吐いてやってくる妻子が届けるお弁当を受け取っていました。

 わたくしもその姿を君主として誇りに思い、長期休暇を与えられる日を楽しみにしていたのに……。


 連日の緊迫した空気、国家を危険に晒すその罪状。そして暴力的な自白。彼を同じソソンの民としてあつかう臣下は皆無でした。

 集まった嘆願書はたったの三枚。ひとつは妻から、もうひとつはつたない文字。きっと書類の意味など知らないのでしょう。

 それからわたくしは星室、巡検室、ニコライの三者から罵倒に近い非難を受けました。もちろん、直属の護衛であるレオニートにも諫言をいただきました。

 わたくしの慈悲はかえってユスチンを苦しめました。しらばっくれていましたが、わたくしの“寝惚けた署名”に怒ったニコライたちの仕業でしょう。

 スパイは“かれ”として壇上に上がったとき、すでに見るも無残な姿になっていたのです。みなさん、それは正義ではありません。


 でも、ユスチンは悪です。大悪です。王城を支える柱の一部でありながら、敵と通じていたのですから。正当な手段でいくらでも提言できる立場だったはずなのに、どうして血の流れうる手段を選んだのでしょうか。

 彼は、はっきりとしたことは何も語りませんでした。

 尋問されたときにはその平凡のマスクを脱ぎ去り、封建的な制度と王室を嗤い、死刑姫を侮辱し、革命を謳い、息子のための新しい未来が欲しかったと呟いたそうです。

 スパイは処されました。隠し持っていた罪で腹を開かれ、それでも生き長らえた“かれ”は国民たちの怒りと正義の礫に打ちのめされました。またも死刑姫はナイフを握る役をしました。


 逮捕の翌日、わたくしは思わず私室を抜け出し、厳しい警備を強引に突破して城門前へ赴いていました。

 お弁当は雪の上に落ちていました。諜報員の妻も取り調べられることとなりました。


「ごきげんうるわしゅう、王女さま。パパのお仕事はまだ忙しいですか? ママはどこへ連れていかれるんですか?」

 残されたのは尊敬と疑問と不安の瞳です。


 後日、わたくしは視察の名目で孤児院をおとずれました。

 あまたの歓迎の中からこの胸へと放たれた憎しみの一矢は、永遠に抜けることはないでしょう。

 そうです。国があなたのお父様を奪いました。

 君主であるこのわたくしが、死刑姫サーシャがあなたのお父様の腹を裂いたのです! そしてそれを処女の慰みにしたことさえも認めましょう!


 ……正当な手段を用いずに他者を変えようとするテロリズムは悪です。ソソンでも、世界でも。革命を口にしたユスチンが繋がっていたのは、その過激派でしょう。

 そして、アレッサ殺害の件について何も弁解がなかったことからみて、過激派が国外の何者かと繋がっていることも予想されます。

 ユスチンの行いは連鎖をして、多くのソソンの民を不幸にし、最終的には死へ至らしめうるでしょう。拷問を受けても意固地だったスパイは死んで当然です。


 ですが、寒い中お弁当と抱擁を受け取っていた“お父さん”は死すべきだったのでしょうか?


 馬鹿げた疑問なのは承知しています。人間として悲劇を哀しむのは自然です。君主として多くを救うほうを選ぶのも道理です。


 わたくしは、いつか子供を処刑したときと同様に癇癪を起しました。限界でした。

 多くの罪人を処し、それに関わる人々の悲しみや苦悩を受け止めてきたというのに、この件はとりわけわたくしの心を押し潰そうとしたのです。


 アレッサが今のわたくしを見たらなんと言うでしょうか。


 多くの者へ恥を晒しました。グレーテには大泣きに泣きつき、一晩中背中をさすってもらいました。

 ニコライへは命令無視を働いたことへの怒りを叩きつけました。

 スヴェトラーナへも最近のわたくしの仕事とその苦悩を全て吐き出さずにはいられませんでした。


 スヴェトラーナに話したのは正解だったようです。故人に今さら怒る者もいないのでしょう、メイドの噂で『スパイの裏に隠された悲劇』が語られるようになったのです。

 そうでなければ、あの無実の妻子は消えない傷を受けたうえに、疑いの視線のなかを生きることになったでしょうから……。



 ユスチンの処刑後、城へさまざまなメッセージが届けられました。


 他国からの苦々しいアドバイス。武器支援、資源共同開発の打診。これらの手紙は返事も書かずに破り去りました。

 わたくしの書いた手紙もやはり届かなかったようです。国連からも正式に抗議がありました。


 そして、いよいよ革命を掲げる団体が姿を現しました。


 その名は“|CHS《シャルル=アンリ・サンソン》”。


 彼らの声明文には“ソソン王国王女アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ”への痛烈な批判……いわれのない批判が連なっていました。国民の声を無視しているなんて心外です。

 それから、急進的な改革を進めていたルカ名誉国王への賛美。信じられない。あの人の行ったことで、どれだけの罪と哀しみが増えたのかまるっきり分かっていない!

 厳密には王室への叛逆ではなく、わたくし個人への批判ということになりますが、どちらにせよこの国の根幹へ刃を向けるつもりなのでしょう。


 臣下たちはわたくしの努力を知っています。苦しみを共有しています。国の危機に誰しもが大車輪でそれぞれの役目をこなしました。

 わたくしも働こう、働こうと思いました。しかし、気持ちとは裏腹に身体の動かない日が増えてしまいました。


 グレーテは本当に良く尽くしてくれました。わたくしの部屋の扉と一体化したレオニートを潜り抜けて、何度も愛と励ましの蜜月を与えてくれました。

 それから、約束してあった被害者や囚人との面接の代理までも行ったのです。止めても聞きませんでした。彼女自身も大きな傷を負っているはずなのに……。


 独りで居ると、自身の信念を疑うようなことばかりが思い浮かびます。実際にその疑いは、心の多くの部分を崩壊へと導いていると思います。


「正しかったのはお父様のほうなの?」


 暗い部屋。いつの間にか暖炉が消えて、独りぼっちの空気が窓の隙間から漂ってきました。

 わたくしは今日まで両手で数え切れないほどの人を処断してきました。大罪人も、正義の信者も、狂った人間も、子供さえも。

 本当にそうすべきだったのでしょうか。吹きすさぶ風はまるで彼らのささやきです。


 わたくしはたまらなくなって、闇から逃げるように扉へすがりつき、その外に居るであろう者へと呼びかけました。


「レオニート!」

「いかがなさいましたか、アレクサンドラ王女陛下」

 彼は居ました。グレーテはもう夢の中でしょう。ニコライはまだ働いているかもしれませんが、スヴェトラーナは時間に厳格です。


「少し、話がしたいの」

「私で宜しければ」


 レオニートを部屋へ招き、ランプをつけ、暖炉にも命を吹き込みます。

「そこへ掛けてちょうだい」

 わたくしはお茶用のテーブルにつきます。テーブルの上には今日の係の給仕が持って来てくれたクグロフとシナモンティーが待ちぼうけを食っていました。

「ここでもお話は聞けます」

 レオニートは入室こそはしたものの、扉の横で壁を背に立ったままでした。

「向かいへ掛けて……お願いします」


 彼は返事をしませんでした。「ノー」でしょうか? 部屋はまだ酷く寒いです。股の間に手を挟んで、彼の出方をうかがいます。


 急に昔の記憶が蘇りました。


 いつだったか、お城のサザンカに珍しい色の花が咲いたんです。たしか……紫だったかしら?

 それをお父様が取り木にして、大きくなるまでと暖かな城内で手ずから大切に育ていたんです。幼かったわたくしもそれを眺めるのが大好きでした。

 でもある日、その大切なつぼみの上に、何かの虫がとまっていたんです。

 わたくしはそれを追い払おうとして、鉢ごと引っくり返してしまいました。

 そうです。それでお父様と顔を合わせるまで、こうやってじっと座って待っていたことがありました。

 でも、お父様はわたくしを叱りませんでした。

 もしかしたら給仕の誰かが内々に処理をしてくれたのかもしれません。翌日にはサザンカは何ごともなかったかのようにそこにありましたから。


「王女の部屋の奥へ踏み入るのは気が引けますが……」

 視界に紺色のジュストコール。椅子が静かに引かれました。


「スパシーバ。レオニートは、死後のことについて考えたことはありますか?」

「死後? ソソンの信仰は王室だけです。天国もなければヴァルハラもありません」

「違うの、そっちじゃなくって。自分が死んだあとに何が起こるかです」

「それは、感覚的な話ですか? それとも影響という意味ですか」

「後者です。あなたにも家族はいるでしょう?」

「いません。両親はもう死にました。兄弟もありませんでしたし」

「そう。ごめんなさい。わたくしと一緒ですね……」


 気まずくなり、テーブルの上の茶器(サモワール)に手を伸ばします。氷のような感触を指先に感じ、計画を断念します。


「……王女陛下の処刑のお役目は、とても意義深いものであるかと存じます」

「“かれ”を愛する者を泣かせていてもですか?」

「たとえ一つ一つの涙が等価でも、数がつり合いません。ニコライ将軍閣下が仰っていましたが、殺された兵士の片方には恋人と年老いた母親が、もう片方にはユスチンよりも多い三人の子供がいたそうです。もちろん妻もいたでしょう」

「……」

 それが、何の慰めになるでしょう。

「ルカ名誉国王の行動は世界に評価されていらっしゃりました。それを汚す行為にはリスクがともなうでしょう」

「そうですね。しかしテロリズムに屈して方針を変えたとなれば、大義を与えてしまいます。意見書を通さなければ正義ではありません。ルカ王のあやまちは、死刑の廃止そのものではないのです。時期です。それに耐えうるだけ、国民が愛で満たされて友情で繋がれなければならなかったのです」


 愛で溢れていると信じていた国民。でもそれは、わたくしが与えたから返されたものであり、無償のものではなかったのです。

 目に見える者同士のあいだだけでしかやり取りがされず、ときに彼らは盲目でした。


「レオニート、あなたも護衛についていたのですから聞いていたでしょう? 数々の事件に関係してきたひとびとの苦悩を。加害者だって、被害者だって、どちらの家族だって、それぞれの想いと世界を抱えているのです。それを永遠に断ち切ってしまうのは、やはり冷徹なのではないでしょうか?」

「君主の務めです。あなたの正義です」

「でも……」


「でも、ではありません!」

 レオニートが勢いよく立ち上がりました。ああ、怒らせてしまったようです。彼も出て行ってしまうでしょう。


「表面が雪で覆われていても、地下水脈が暖かであるからソソンは幸せであり続けられるのです。故郷を恨んだザハールも、神の愛を拒絶したソソンも、罪人の首を切ったクジマも、だれしも冷たい戦いに身を投じながら、民への愛を持ち続けたでしょう。あなたもまた、世界の欺瞞とひずみに立ち向かいながら、ソソン王国の愛そのものでなくてはなりません。あなたは君主です。国の頭脳です。民を手足に、ともに幸せへ導くことが存在意義です。あなたの心が折れてしまったら、私たち臣下を支えるのはいったい誰でしょうか!?」


 ……叱られてしまいました。でも彼は退室することなく、わたくしの前に立ったままです。


「王女、何を笑っておられるのですか?」

 怒っても疑っても同じような顔。彼もまた雪と水脈の人物なのでしょう。

「わたくしは、たしかに君主です。実質的には王と同義の地位で、ソソンすべての民の娘であり、そして父でもあります。ですが、血筋や立場でどんなに繕おうと、サーシャはただの小娘に過ぎないのです。ここのところ夢を見ます。処刑してきた者たちにわたくしの黒いドレスを破り取られる夢です。夢の中では、どんなに助けを呼ぼうと誰も返事をしてくれないのです。独りぼっちなのです」


 わたくしも立ち上がりました。

 目の高さにレオニートの胸があります。彼はこれほど背が高かったのですね。王女として出歩くときは、かかとがいくぶんか高いものですから、気付きませんでした。


「護衛の私はずっとついております。サーシャ王女陛下」

 彼はそう言うと、一歩下がりました。わたくしの身体は自然にそれを追いかけ……なんということでしょう。その胸へと抱き着いてしまったのです。


 突き放されるかもしれません。驚き? 嫌悪? あるいは処罰を恐れて?


 わたくしたちはしばらくそのままの姿勢でいました。彼に触れた頬や胸は暖かですが、背中と、首筋に入り込む闇の恐怖は依然としてそこにあります。


「レオニート、わたくしを抱き返していただけませんか?」


 こんなこと、言わなければ良かったのに。

 どうしてでしょうか? レオニートへは何かを求めるたびに怖い思いをしなければいけません。

 せっかく、かかえた温もりも腕の中で溶けてなくなってしまうように思えました。


「……王女陛下のご命令とあらば」


 それは、君主と臣下として以上のものではなかったのでしょう。あるいは表情以外も不器用だったか。

 ともかく、わたくしの背へと伸ばされた手は酷くぎこちなかったのです。


 ですが、抱かれた瞬間……“なにか”……処刑のエクスタシーが現れて、この可哀想なサーシャを嘲笑ったのです!


 わたくしは、自分で求めておきながら、レオニートのことを酷く不快に思いました。

 それでも拒絶を実行に移さなかったのは、いつかグレーテに突き飛ばされたことがすぐに思い浮かんだからです。


 暖かで不器用な抱擁は、たしかにわたくしの身体と胸の内を暖めました。それなのに、胎は恐怖に逃げ、頭は恐ろしいほどに冷静なのです。


 なんて心地良く、なんて不快な抱擁なのでしょうか。まったく、わけがわかりません。

 とうとうわたくしはおかしくなってしまった。花弁が散るようにばらばらに崩壊してしまったに違いありません……。


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