死刑1-23 内側への侵入
「どうして?」
処刑ののち、私室のコンピューターの前。わたくしは世界を見つめて首を傾げました。
くだんの動画投稿サイトは平常運転。全世界の事故や事件、テロの動画とともにソソンの処刑映像もアップロードされ続けています。
ですが、映像がギロチンの刃が落ちて刑吏長の合図があった直後に、ぶつりと切れてしまっているのです。いつもなら片付けや、わたくしの演説の様子もくっついているのに。
今回はとりわけ大切なメッセージを、国民とこの映像を見るであろうかたがたへ向けて語ったつもりだったのに……。
――やっぱり後進的だ。まさかギロチンが出てくるなんて。
ガロットやギロチンを用いたのは、これらが人道的な処刑法を目指して開発されていたからです。
世界の唱える人道への寄り添いとしてのメッセージだったのですが、演説がカットされてしまえば、ただの時代遅れな処刑映像です。
わたくしは、檻の中に永久に閉じ込めて死を待たせたり、“人間”を感じられない処刑法を用いることを嫌います。
かと言ってルカ王のように短絡的に処刑の廃止をするつもりもありません。
処刑器具の震えから伝わる人の怒りや悲しみを、“かれ”らに最後に感じて欲しいのです。
これは罰としての意味合いだけでなく、温情でもあります。
重力やレバーに任せられるだけの処刑は、殺されるほうも人間らしくあれないと思うのです。公開処刑であれば、独りで死ぬことも決してないでしょう。
人道的な処刑法を避けると、仕事としてかかわるかたへの心の負担が重くなります。そこで、苦しみを共有するわたくしの存在が必要なのです。
あの二名は国民たちにも赦されなかったので人道処刑の犠牲になってもらうのに適していました。
わたくしがハンドルを回し、刃を支える手を離したのはせめてもの謝罪と感謝です。
しかし、困ったことになりました。これでは人道を求める世界への回答としての役割もあった嘆願書の制度も知ってもらえません。
王室がインターネットの衛星から切り離されていないことから、これは一種のメッセージ交換の意味があると思っていたのですが、わたくしの勘違いだったのでしょうか?
「なにか、別の意図なのかしら……」
単なる批判のため? 興味や娯楽のため? その為にわざわざ他国に不当に侵入して撮影をしたのでしょうか。
世界には暖かな海や森、珍しい娯楽などもたくさんあるはずなのに、どうしてソソンの処刑を?
ちょっと待って……ユーコ・ミナミが処刑復活の契機で、そのタイミングにはすでに準備が整っていたわけですから、時系列が違う。
もしかして、動画のアップロードは外国の人間が始めたことでは……ない?
――死刑姫サーシャは相変わらず先王の行いを穢し続けている。
悔しい……。間違っていたのはルカ王のほうなのに。演説さえカットされていなければ……。
疑問が増えると自然とくちびるへ中指が導かれます。
「アレクサンドラ王女陛下」
唐突に、わたくしを呼ぶ男性の声がしました。肩を跳ねさせて振り返ると、ジュストコールの男がわたくしの部屋の扉を後ろ手に閉めるところでした。
思わず立ち上がり、部屋のすみへと後ずさってしまいます。ふと、ローベルトの指の味を思い出しました。
「牙の幽霊の癖は子供っぽいと申し上げましたが」
「レオニート。勝手に部屋へ入らないでちょうだい!」
「ノックはしましたが。儀礼に従い、トリプルを間を空けて三回。休まれるには早い時間でしたし」
彼は部屋へ入って来てはいるものの、扉の横で直立して言いました。それよりも奥へ侵入されてしまっていたら、悲鳴をあげていたかも知れません。
「……ごめんなさい。気付きませんでした。何の用ですか?」
「ニコライ将軍からの伝言です。スパイを逮捕したと。ソソンの民ではない者です」
「外国人? 気になりますね。会ってみましょう。わざわざわたくしへ伝えるということは、ニコライもそれを望んでいるのでしょう」
コンピューターにシャットダウンの命令を下し部屋を出ます。
レオニートの前を通り過ぎるさいには少し鼓動が早くなりました。いちおうは彼のことを信頼しています。ローベルトとは違います。
単にコンピューターの前から立ち去るときに檀上から降りるときと同じ感覚があったので、彼に気付かれないか心配になったのです。お城の者の多くはフレグランスも使いますし、分かりっこないのですが。
ほんの一瞬、部屋にふたりきり。わたくしが先に退室したので、わずかな時間ですが、彼はわたくしの部屋に居残ったことになります。
なんだか不愉快……はあ……。
さて、『ソソンの拒絶』へ。頭を仕事に切り替えましょう。
現在、ソソンの国内では死刑制度の撤廃や諸外国との交易を求めての活動が散見されます。
活動や主義主張は自由ですが、これらがアンケートも試さずに流血沙汰を引き起こしてばかりなために、わたくしやニコライはテロルとして扱っています。
処刑の映像が世界へ流出していることから、スパイや密告者の存在や、近代的な撮影道具の持ち込みは疑うまでもありませんでした。
それをわたくしの中だけに留めて見逃しておいたのは、処刑を通じて世界との対話が行えると考えていたからです。
ですが、あのように演説の黙殺をされてしまった以上、それももうおしまいです。
スパイが映像の拡散に関与しているかは分かりませんが、渡りに船です。問い詰めてやりましょう。
「拷問には掛けていませんね?」
「命令されましたので。そうでなくとも国外の者相手なら、君主へうかがいを立てますな」
ニコライ将軍は不満そうです。
「国外の者という証拠は?」
「自分でそう名乗っております。それと、国外の品と思われるものを何点も所持しておりましたしな」
ニコライに案内されて、押収したスパイの所持品を検めます。
見慣れない製法の財布にはどこかの国の紙幣やカード。何よりパスポートらしき手帳。確かにソソンの者ではないでしょう。
ですが、肝心のカメラが見当たりません。
「これは……」
つるつるしたガラスにおおわれた長方形の物体が目に留まりました。
これが噂のスマートフォンです。小さな通信機器で手のひらに収まるサイズのコンピューターです。
あいにく使用法が分かりません。スイッチもレバーもないのですから。撫でたり押したりしても反応をしませんでした。
聞くところによると、これはカメラの役割も持っているらしいので、出来れば情報を検めたかったのですが。
「王女陛下。遊んでいないでスパイを尋問してくださいませんか? あちらも王女陛下に会わせてくれれば何でも話すと言うもので」
別に遊んでいるわけではないのですが。わたくしはスマートフォンを起動するのを断念しました。ニコライにはこれが何なのか分からないのでしょう。
刑務所地下の拷問部屋へと向かいます。この場所はあの日以来、役目を終えて今はただの尋問室です。
拷問器具は置かれたままなので、少しばかり被疑者や罪人たちの不安をあおるかもしれません。
石造りの部屋にミスマッチな真新しいテーブルと椅子。彼女は手足を縛られて座らせられていました。
ウェーブのかかった長いブロンドに濃い目のメイク。後ろ手に縛られて胸を突き出す格好になっているのですが、それを差し引いてもすごいおっぱい……。
押収品にはソソンでポピュラーな毛皮の防寒具もあったものの、彼女の私服はこの国の気候を舐めているとしか思えない露出度です。
インターネットでスパイについて調べたときに、セクシーなブロンド美女のイメージ画像がでてきたのですが、まさにそれです。
「ソソン王国の国家元首で王女のアレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャです」
「アレッサよ」
彼女は女スパイらしく短く名乗ります。コードネームとかでしょうか。
「ソソンには何をしにいらしたのですか?」
「観光よ。化粧してるだけで逮捕されたんですけど。噂どおりのとんでもない国! ウォシュレットどころか水洗でもないなんて!」
「わざわざたずねてきて文句を言わないでください。本当に観光ですか? どこかの国の諜報員ではないのですか?」
「スパイがスパイですかって聞かれて、ハイって答えないと思うけど。あたしの出身はカナダよ。別に国は関係ないわ。国際的な人道支援団体の企画してるツアーがあってね。それに応募して来たのよ。後進的な国を旅行して、知見を広めて、あわよくば啓発もしてあげたかったんだけど」
「それは遠慮しておきます。ソソンにはソソンの考えかたがあります。諜報員でない証拠は?」
「ほんと後進的。ない証拠は無いわよ。魔女狩りでもするつもり? でも、身分証はあるわよ。パスポートと財布の中に団体の登録カードが」
わたくしはいちおう押収品を再点検しました。
パスポートはソソンにはない文化です。入国証や滞在許可証すらありません。写真と記述は彼女の顔と名前と一致はしています。
カードには見覚えのある団体の名前がありました。……ルカ王を誑かした毒婦と同じ所属。
「ユーコ・ミナミと同じ団体。本当にあなたたちは他人に干渉するのが大好きなのね」
わたくしは溜め息をつきます。
「ユーコ・ミナミ! あの人とは一度、難民キャンプでいっしょに活動をしたわ。インターネットに処刑の動画が上がってたけど、あれは本当に彼女だったの? 団体はそれを確かめたがってるわ。生きてるなら彼女を帰してあげて。そうでないなら、せめて遺体だけでも」
「処刑しました。事実です。彼女の遺体を返すことは不可能です。ルカ名誉国王を謀殺した大罪人には永遠に凍土の下で眠ってもらいます」
「なんてこと! 本当に冬眠の王国なのね! それじゃ彼女の魂が可哀想だわ。……ちょっと待って? じゃあ、あたしも処刑されるってこと? ああ、神様!!」
気丈だったアレッサの目の色が変わりました。
「王家や国家への叛逆はソソンでは死罪だ」
ニコライ将軍が言います。
「あたし、何も反することはしてないわ。ただ山を越えて街を見て回っただけなのに!」
「啓発するなどと言ってなかったか?」
「あわよくばよ。あたしたちは活動家よ。アフリカの餓えた子供に学校を作って勉強を教えてやるのが悪事なの? 死刑制度には反対よ。処刑方法も野蛮だし、それを一般公開だなんてありえない。止めろって声を大にして言えるわ。だけど、力付くで処刑を妨害するわけでもないじゃない。この国には思想や発言の自由すらないわけ?」
「何を馬鹿なことを! ソソンの民は誰しもが自由な思想を持つことを許されておるわ。巡検室が常に国民の言葉を拾って王室へと届けているのだ。それをまっとうな手段を通じず暴力やスパイ活動を通じて変えようとするから……」
将軍はアレッサに詰め寄ると、彼女の頭へ手を伸ばそうとしました。
「ニコライ、落ち着いて。乱暴は絶対に止して」
わたくしが止めなければ髪をつかんでいたのでしょうか。彼は長く息を吐くと壁際まで下がりました。それから同じく壁際で待っているレオニートへなにごとか愚痴をこぼしました。
「……そういう制度がある話は聞いたことがなかったわ。絶対王政時代の化石みたいな国だとしか聞いてなかったのよ。でも、まさかギロチンだなんて」
「あの処刑を見たのですか?」
「あれと、その前のハンドルを回すのしか見てない。滞在できる期間が短いのよ。サポートがないの。野宿だし、山は国境から先は独りで越えたわ」
見かけによらずタフなかたです。
「命懸けですね。ソソンまでは誰の協力を受けたのですか?」
「団体職員といっしょだったわ。国内に入ってから一人の協力者に会ったけど、多少の案内くらいで宿すらも用意して貰えなかった。この国にはホームレスもいないから街で休んでられないし、自分で森にキャンプを張らないといけなかった」
「ソソンは国民を見捨てませんからね。ところで協力者とは誰ですか?」
「分からない。毛皮と防寒具でさっぱり。男だったとしか」
そっちが本物のスパイでしょうか。
「あの処刑を見たのなら、その後の演説も聞きましたか?」
「もちろん。広場であれだけの人間に挟まれて抜け出るのは無理よ。日本の満員電車も真っ青だわ。アイドルでもああはいかない。でも、首なし死体の前であんなきれいごとを並べるなんて。神への冒涜だわ」
「冒涜はあなたたちのほうでしょう。愛や平和を唱えながら、戦争を繰り返して。隣人愛とは遠くの国の人へ冷たくすることなのですか?」
「うちもカソリックだったけど、それほど熱心じゃないわ。日曜日の習慣くらいにはしたがっていたけど」
「神の名を口にしていましたけど」
「慣用句みたいなもんよ。だいたい、本当に神様が救ってくれるのなら、あたしたちが活動する必要なんてないわ。熱心な宗教家が団体に入ることもあるけど、活動してるうちに神様を疑うようになっちゃうのよ。世界中で酷いことがいっぱい起きてるの。……ここはあなたが神様だから安心みたいだけど」
アレッサは皮肉たっぷりに鼻で笑いました。ユーコ・ミナミとも似たようなやりとりをしたことがあります。やはり、似たような者が集まるのですね。
「否定はしません。ソソンは宗教を捨てた国です。君主を絶対とし、王室には君主は国民のためにあれという帝王学があります。あなたたちの神はあなたたちのためをどれほど思ってくれているのでしょうか?」
「知らないわよ。でも、神様だって間違うことがあるのは知ってるわ。自分たちのやってることが正しいと思うなら、あたしを処刑するといいわ。これが最後の活動で平和への叫びよ。ここへ来るときに死ぬ可能性があるって覚悟してたし……。さあ、早く殺しなさい!」
噛みつくような視線。わたくしは呆れて溜め息がでました。
「死刑が決まるにはそれなりの理由がありますし、処刑内容は罪に沿ったものを選んでいます。あなたは殺されるほどのことをしたのですか? 例えば、処刑の映像を故意に切り取って、ソソンを貶める情報を世界に拡散したとか」
「何それ? してないわ! あれをアップロードしてるのはあたしたちじゃないのよ。あたしのこと、処刑しないの?」
やはり口では何と言っても、死にたくはないようです。
「そのつもりです。動画をリークしている人物に心当たりは?」
「知らないわ。どこか国の機関でしょ? ああいうのがずっとデリートされないのは不審だもの。リークしたのは身内じゃないの? あなたたちの城の中にもすでにスパイがいるって言われてるんだから。処刑するならそっちが先でしょ」
「順序を間違えてるのは世界のほうです。自分の身内の全てが幸せになるまえに、よそのことに首を突っ込もうなんて」
やはり城内にもスパイが? 彼女の口から出たとなれば気になります。実際のところ、ユーコ・ミナミから、なんらかの利益を得た臣下もいました。
「あたしは……はっきり言うわ。あたしはマザーテレサでもナイチンゲールでもないのよ。ただのアレッサ! 誰かの役に立ってるって実感が欲しいから、他人を助けてるだけ。距離なんて関係ない。目に映った苦しんでる人を助けてるの。それがあたしを助けることに繋がるのよ。死刑廃止に核廃絶! ワクチンと食べ物の寄付! 人種や性別の差別をなくす! 女性に権利を! それの何がいけないの? 自分のためなんだから、あなたの言う順序だって間違ってないわ」
「そうですか……」
可哀想な人。自分のために自ら危険に身を置かなければならないなんて。身近で隠れたところにも、救うべき人がたくさんいるでしょうに。
「わたくしは、あなたのことは否定しません。ですが、国としては拒絶させていただきます」
「やっぱり殺すのね!」
「もう、落ち着いて。殺しませんって。動画も撮影していないのでしょう? ソソンは世界が思ってるほど冷たい国ではないのです。無用なトラブルを招くから出て行って欲しい。あなたの活動はよそでやって欲しい。それだけです」
わたくしとアレッサの視線が交わります。彼女にも彼女の世界と物語があるのです。
「スマホのバッテリーがあがっちゃったのよ。これじゃ連絡がとれない。ここの人に不審がられるくらい街に長くぶらついたのもそのせいよ。だけど、コンセントも電話もないんだから」
「隣国とは多少の交易があります。国境室のかたに言って、あなたを国外へ送り届けさせましょう」
「本当に言ってるの?」
やわらかで正直な笑顔。このほうが美人です。
「なりませんぞ、サーシャ王女!」
やれやれ、予想通りの叫びがきました。
「ニコライ、少し黙っていて。まだ続きがあるの。アレッサ、交換条件です。世界は、わたくしたちを誤解しています。あなたの所属する団体は国連の認可も受けているのでしょう? わたくしが公式の手紙を記します。死刑制度への考えや、近代化を拒む理由についても。それと、処刑動画が作為的にカットされていたことへの抗議も」
「あたしたちを通じてそれを世界に届けろってことね。素直に聞き入れてもらえないと思うけど」
「それでもやります。……あなたも、わたくしの話を聞いてください」
わたくしは手紙をしたためながら、アレッサに自身の考えとソソンの歴史を掻い摘んで説明しました。
……。
「若いのに真剣なのね。感心しちゃう。ただのお姫様なんだと思ってた」
「スパシーバ。こうあることはソソンの君主の義務です。抱えられるだけの範囲を護るべきなのです。先代の君主のルカ王は間違ってしまいましたが」
「でも、それだけ他人のことを考えれるのなら、ユーコ・ミナミさんの遺骨は返してあげるべきだわ。揉めるわよ」
「家族や所属国が言いだしたら考えましょう」
骨は骨。もう死んだ者です。最後はせめて外交カードとしてソソンの役に立ってもらいましょう。
「王女さまの考えには半分賛成で半分反対。あたしだって、誰かに死んだほうが良いって思ったことがあるし。それでも、死刑はいけないことだと思う。更生の余地がないって百パーセントの証明ができるなら、ありかもしれないけど」
「そのための再犯死刑制度と、確度をあげるための改正だったのですが。世界にはちゃんと伝わっていなかったようです」
「手紙は届ける。約束する。でも、人は死んだら終わりってわけじゃないのよ。あなたも分かってるでしょ。その処刑や死刑囚がなにかに影響をするのだから」
「そうですね。人はその生きた痕跡が消えたときにはじめて本当の死を迎えるのでしょう。なおさら被害者の傷痕を消せるように努めなくてはなりません。処刑はその手段でもあるのです。傷は早く塞がなければ痕が残ります。毒が入り、全身を蝕むことだって」
「弱者を支援するあたしが言うのもなんだけど、あなたの考え通りなら、加害者の家族や友人だって配慮されるべきよ。誰かにとっての悪いヤツは、誰かにとっては良いヤツかもしれない。それでもあなたは処刑を続けるのね?」
「……分かりません。いつかはやめるかもしれません。必要があるかないかです。配慮するにしても優先順位はありますから。苦しみの輪はどこかで断ち切らなければいけません」
「わっかどころか平行線ね。考えは分かった。納得はしないけど。あたしもせっかく拾った命を使うなら、別のところに使うことにするわ。そのほうがお互いに幸せそうだし」
「そうしていただけると幸いです。お手紙、確かに託しましたよ。ニコライ、彼女を送ってさしあげて」
わたくしは彼女の拘束を解いてやります。小さく、ありがとうをいただきました。
「納得をしていないのは私も同じですぞ。順序があるというのなら、スパイの嫌疑のある者よりも、このニコライを信じて配慮して欲しいところですな」
「ニコライ、拗ねないで。アレッサよりも、スパイが城内に入り込んでるという話のほうが気掛かりです。彼女のことを他の者へ引き継いだら、あなたは城内を調べて。可哀想だけど、スヴェトラーナと抜き打ちで全員の荷物検査と私室の調査をしてください」
「私としては、この女が手紙を放り出して逃げ出さないかのほうが心配なんですが」
「抜き打ち検査は信用と信頼のあるあなたたちでなければ務まらない仕事です。スパイ本人はともかく、愛すべき臣下たちのプライバシーを預けるのですから」
わたくしがそう言うと、ニコライの表情が緩みました。彼がスパイということはないでしょう。心配もしていません。調査で何も出ないことを願いたいのですけど……。
「それでは、御目通り叶って幸いでした、アレクサンドラ王女陛下。この国のかたがたに幸せな未来があることを願っています」
刑務所の出口でアレッサが頭を下げます。
「あなたも。一人でも多くの人を幸せにしてくださいね」
ニコライに連れられて去って行くアレッサ。彼女は立ち止まり、振り返りました。
「そうそう。この国に来てね、ひとつ感動したことがあったのよ」
「なんですか?」
「自然よ。景色はまぶしくて厳しいけど、よく見ると動物もたくさん居るし、植物も立派。それに、まさかその辺に湧きっぱなしの温泉があるなんてね。おかげでお風呂だけは困らなかったわ。観光事業でも考えてみたら?」
アレッサがほほえみました。
「我が国の自慢です。万が一そうなったら、今度は正式な手続きをしてたずねに来てください」
わたくしもほほえみ返します。
話し合えば多少はわかりあえるのですね。それが罪人であっても、世界の人であっても。諸外国との公式のやりとりを復活させても良いかもしれません。
今はまだ、ソソンのだけのことで頭がいっぱいですが。
……しかし、アレッサは翌日にはわたくしのもとへ帰ってくることとなりました。それも、物言わぬ骸となって。




