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死刑1-20 ふたつのこころ

 胸の中へグレーテが飛び込んで来てから、どのくらいの時間が経ったかはわかりません。

 わたくしたちは夕食も入浴もほったらかして、お互いの震えが治まっていくのをじっくり待ちました。

 これだけで恐怖が上書きされるかはまだ分かりませんが、彼女の中からわたくしが消えることは永遠にないと確信しています。

 わたくしのほうはというと、グレーテが飛び込んできた瞬間に全身を覆っていた薄い膜が消えるのを感じました。もう、赤い手のひらの錯覚や、自分が他人のように感じられることに悩まされはしないでしょう。


「……」

 腕の中の可愛らしい子がわたくしを見てはにかみました。素敵な月明かりです。

「もう平気?」

「はい。もう忘れちゃいました」

 少し目を細めるグレーテ。健気な子。……ゆっくりとやっていきましょう。

「本当に平気? セルゲイを処さなくてもいい? 新しい梨、ボグダンに作らせましょうか?」

「ふふっ。大丈夫ですよう。でも、梨のパイだったら食べたいかもしれません」

「今日のお茶菓子は、ちょうど梨のコンポートパイでした。厨房を漁れば、まだ残っていたりしないかしら」

「どうでしょうか。最近はすっかりお菓子も食べなくなっちゃって」

「グレーテ、少し痩せてましたよ」

「サーシャさまもですよ。せっかくスタイルが良いのに」

「コルセットを締めるから痩せても分からないし、むしろそっちのほうが楽なのよね。あなたはもう少し太ったほうがいいわ……この辺とか!」

「くすぐったいですよう!」


 わたくしたちはしばらくふざけあって、ようやくベッドから抜け出します。それでようやく部屋の空気の全部がカチカチの氷みたいになっていたのに気付き、暖炉を蘇生してから影をひとつに部屋を出ました。

 お城ではたくさんの人が生活をしているはずなのに、まったくのふたりきりです。厨房でネズミのまねごとをして、それから王室専用のお風呂でもう一度身体を暖かくしました。

 実はわたくしたちのお城では、暖かいお風呂がいつでも入りたい放題なのです。

 ソソンを囲む山々にはいくつかの活火山があり、一部の地域ではお湯の流れがあります。

 温泉!(ホットスプリング) おもしろいでしょう? 常冬の国の地下には常に春が息づいているのです。

 この雪に覆われた大地でもいのちたちが立派に生きていける秘密のひとつです。機会があれば獣の巣穴を覗いてみると良いでしょう。たいていその奥は、深くて暖かになっていますから。



 グレーテとの秘密の夜が明けたのち、わたくしはさっそく君主の権利をフル活用することにしました。

 抱いてやっているあいだに考えたのですが、彼女のような被害を受けた者は、服役者や死刑囚よりも遥かに多いはずなんです。狭間に囚われているのは加害者だけでなく、被害者にだっているはずです。

 加害者になるのに理由があるように、被害者になれない(・・・・)のにも理由があるのです。

 グレーテはセルゲイを公式には告発しませんでした。逮捕することも、処刑も望みませんでした。ですが、すべての被害者がそうとは限りません。梨のねじ回しに参加したがるかたは違う考えでしょうし、あるいは別の理由だってあるかもしれません。


 ソソンの未来のためには、これらもやはり見過ごしたままではいけないでしょう。

 わたくしは、囚人との面会に加えて、被害者への面会も計画しました。こちらから被害者宅へ訪問をします。移動は隠密でおこない、面会は正体を明かして話を聞こうと思います。少し強引な手段かもしれませんが、わたくしなら上手くやれるという自信がありましたから。


 今後は城外での仕事が大幅に増えるでしょう。そうなると、これらに専門に付き添う役職が必要になります。給仕室の長であるスヴェトラーナ、それに衛兵の長であるニコライと会議をして、そのポジションが正式に設立されました。


 会議はかなりの長丁場になりました。まず、ニコライが君主の外出を増やすことに大反対したからです。子供の処刑以降、テロルは活発化しています。

 といっても、血や破壊よりも、城への通いの者を脅かすものがメインです。

 ですが、まっとうな権利を使った反対意見は増えていないので、連中はやはりただの危険分子なのでしょう。ニコライはわたくしの身の安全を心配して、お髭の口を結んだまま石像と化してしまいました。


「あのときは不意打ちでしたからな。本当は罪人への面会にも反対なんですぞ!」


 もっとも、頑固者を落とすコツは心得ていました。彼には『正義』や『信頼』といった熱いものがよく響きます。それと、ソソンのすべての民の娘であることを悪用すればいちころです。

 ニコライは「自らの誇りと命を掛けて、娘たちを守るのに最高の人材を探し出しますぞ」と息巻いて席を立ちました。


 スヴェトラーナのほうはメイドたちのローテーションを調整するだけで済むので、固定の付き人は容易に承諾されました。問題は人選です。わたくしはグレーテの名を挙げました。


 これは、グレーテ自身が希望したことです。被害経験のある彼女が被害者との面会を手伝ってくれるのは非常に心強いことです。ですが、「囚人との面接でも記録官として使って欲しい」と言いだしたのには面くらいました。

 スヴェトラーナも、ニコライ将軍が去ってふたりきりになると心配を露わにしました。

 被害者との面会はグレーテ自身を癒す薬になるでしょうが、囚人には性犯罪者も少なくありません。トラウマや憎しみを再燃させる懸念があります。


「私は囚人との面会には反対です。グレーテだけでなく、王女陛下もです」

「それはもう、決定したことですから。再犯防止の策を練る必要があります。反省させるだけでは不十分なのです。悪事をする必要をなくすのです」

 ソソンの再犯のほとんどは暴力と性犯罪です。

 窃盗は三位ですが、ほかに比べては可愛いものです。生活保障の制度ができるまえは窃盗が群を抜いてのトップだったというデータがあります。心の飢えがなくなれば、ほかのふたつも減るはずです。

「一度、身体に染み付いたものが簡単に抜けるとは思えませんが。悪事も儀礼の作法のように癖になるかと」

「そうかもしれません。そういったものの更生を待っていたら、やはり国は被害者だらけになってしまうでしょう。それを防止するのが再犯死刑制度です。ですが、全てのものにそれを適応するべきだとは考えられないのです」

「被害者に決めさせれば良いのではないですか? お互いに頭が冷えてから話し合えば済むでしょう」

「それでは被害者に罪の意識を抱えさせるケースが出てしまいます」

「確かに。パンを盗られたうえに手癖の悪い者の命まで背負わされるのはごめんですね。難しい問題のようですので、私はこれ以上口を挟まないことにいたします。ですが、王女陛下なら必ず良い考えを思いつかれるでしょう」

「そう思いますか?」

「ええ。先程、久し振りにグレーテを叱りましたから。洗濯物を抱えたまま談笑をしていたのです」

 そう言ってスヴェトラーナは眼鏡を直しました。

「そう。それは良かった」

 わたくしは思わず手を合わせて喜びます。

「良くはありません! 法に関して専門外ですが、私はメイドたちを束ねる立場にある人間です。我々は王室に仕える誇り高きプロフェッショナルでなくてはなりません。そのためには礼節を身につけ、性根は派手無く芯を通し、涙よりも微笑みを浮かべ、背を丸めるよりも胸を張るべき! ……なのはもちろんですが、あの子の場合は度が過ぎております!」

 あらあら。お説教が始まってしまいました。


 わたくしはこのあとたっぷりと作法やレディとしての在りかたを聞かされました。グレーテの失敗が発端ですから、あとで苦情を言っておかなくては。


 ともあれ、グレーテが囚人と接触するのはわたくしも反対なので、そのときは衛兵と外で待って貰うことに決定しました。

 正直なところ、あの寒くて熱い夜に出た話ですから、わたくしも断りづらかった節もありますし、本人も気が変わるかもしれません。

 スヴェトラーナの反対意見はわたくしたちを素直に変えてくれることでしょう。


 これでようやく準備が整いました。愛と正義がより正しい方向へ進めば、わたくしもソソンの民も、世界も、革命家たちだって嬉しいはずです。



 それから数日後、いくつかの処刑をこなし、臣下を伴ってまずは被害者のほうを訪問することにしました。しばらくは暴行被害にあった女性のお宅をたずねます。加害者よりも被害者のケアが先なのは当然です。

 そして、これはスヴェトラーナから出されたグレーテを付き人に採用するための試験でもありました。彼女が候補になれた正当な理由は、『経験の価値』だけです。

 ここでグレーテがわたくしの補佐や被害者への寄り添いも務められないようでしたら、この仕事から外れて貰うことになっています。わたくしもそうすべきだと思います。

 ここからは公務です。友人ではなく君主と臣下。不公平な愛はベッドへ残して城を出ました。


 さて、被害者たちの体験に関しては、グレーテの件の繰り返しになりますし、プライバシーもあるので割愛します。


 あるかたは、加害者の処遇などどうでもよく、自身の苦しみとの戦いを優先していました(グレーテと同じタイプです)。

 またあるかたは、とにかく自身の苦しみを受けるべき者へ仕返すことを願いました。


 わたくしが正体を明かすと、それだけで「もう何も望まない、王女さまの力になれればむしろ幸せだ」と仰るかたもいれば、暗に、ときには堂々と政治の不足を責めるかたもいらっしゃりました。


 悩みに関しては、繰り返しの夢や幻、恐怖や思考のフリーズがよく聞かれました。トラウマというものですね。

 これは克服しか道がないのでしょうか。それは外から襲ってくるものなのでしょうか。守りのために発露するものなのでしょうか。

 わたくしのローベルト事件に関しては、大した爪痕が残っていないので、分かってあげることができません。


 ただ、一番つらそうに思えたのは、「逆に自分が悪いみたいだ」という意見です。短い面会の時間を利用してわたくしとグレーテが肩を抱いてやること以外、なにもしてやれませんでした。

 この件については宗教を追放したソソンの功罪の大きさを感じました。


「宗教とは、侵略と君主の無能への言い訳に過ぎない」


 たしかにそうですが、この狭間の苦しみはひとびとのあいだに愛の浸透が足りていない証左なのです。追放されたキリスト教は、愛を説くらしいですね。

 いっぽうでは、誰しもに罪を着せる宗教らしいので、彼女たちの不当な加害意識を加速させたかもしれません。

 あるいは、毛皮におおわれた肌色が行き過ぎた潔癖と無神経を生むのかもしれません。だとすれば厳格な宗教規律は更に悪影響を及ぼすでしょうから、やはりソソンに宗教はなくて良かったのでしょうか。


 過去のことを考えても仕方がありません。


 わたくしにはすがるべき神はいませんが、友人と国民たちがいます。むしろ君主が神でなければなりません。わたくしは愛の権化を目指します。

 そして、神は裁きます。加害者の処刑に関しても興味深いコメントをいくつかいただいております。


「自分は参加しなかったが、刑が執行されたとき、すべてが終わったんだと思って気が楽になった」


 そもそもの処刑の始まりはこのためだったとわたくしは思います。

 殺しても飽き足らない大罪は古今東西に存在するでしょうが、ことの終わりとけじめとしての意味合いは強いでしょう。


「私の居ないところで盛り上がって、馬鹿みたい。今だってまだ苦しんでいるのに。終わった風にされて」


 あくまで加害者の生死は手段、刑の執行は儀式的なもの。こちらのかたにとっての救いには不適切だったのでしょう。

 いちばんの問題は、盛り上がっている周囲との距離感だと見ます。彼女のそばで待つ者や、ともに広場へ行く者がいれば少しはマシになったかもしれません。

 わたくしもローベルトの毒牙に掛けられるピンチがありましたが、グレーテを始め、駆け付けてくれたかたがたや、怒ってくれたかたのおかげで、憎しみにはとらわれずに済んでいます。個人的に別の事情で苦しみはしましたが……。


「ヤツの玉が破裂したとき、やってやったと思いましたね。これが正義です。あれ以来、全部の処刑に見学へ行って、必ず石を持ち歩くようにしています」

「死刑よりも、不能にしたままずっと生き苦しませて欲しかったです。私と同じ苦しみを味わい続けて欲しかった」

 エトセトラ。

 ……なるほど、どれも大切な意見です。

 望み通りにしてやるのがベストでしょうか?

 仮に被害者の主張を強く刑に反映させるとしても、問題が多いでしょう。性犯罪の死刑判決は、被害者を死に至らしめたケースと再犯者に当てはまります。

 再犯や常習の場合は被害者が二人以上ということになりそうですし、被害者のあいだで意見の食い違いがあれば複雑になってくるでしょう。

 一部のかたは執行を境に意見がひるがえったと言います。かえって消えない傷を負ったように見えるかたもいらっしゃりました。彼女たちが本当に自身の望みに気付いているかさえも疑わしさが残ります。


 グレーテも彼女たちの話に頷き、面会後に自分の意見の揺らぎを何度も口にしていました。わたくしに至っては、今となってはローベルトには感謝しているくらいですが……。


 すべてのかたの再出発まで寄り添ってあげたいのですが、目指すべき地平へ至れるケースはひとにぎりでしょう。平等が難しいのなら公平に徹するしかありません。刑罰は国が与えるものですから。


 起きてしまったことは変えられないのです。残念ながら、被害者は永久に被害者であり続けるしかないように思えます。

 ならばせめて、彼女たちが自身の生を少しでも肯定できるようにしてやらなければいけません。


 それが絶対者の目指すいただきであり、すべての涙と、これまで殺してきた囚人たちへの手向けでもあるのですから。


 “かれ”らはいかにして“かれ”らへと至ったのか。次はいよいよ『ソソンの拒絶』へと足を運びます。

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