死刑1-02 君主たちの歴史を
わたくしはレオニートとシナモンのひとときを過ごしました。
静かで清らかで、それでいて胸のうちにはこの上なく騒がしいものが渦巻きます。
死の抱擁のあった日にはよく、メランコリックで眠れぬ夜を迎えます。そんな時は、臣下たちの寝息を縫って湯に身を浸すのが一番です。
湯霧の衣だけをまとい、ひとり天井を仰ぎ溜め息をつきます。何もかもを忘れてしまえるはずの場所。
それなのに、わたくしの頭の中では執拗にこれまでのことが回想されます。
世界とのかけひき、血に塗れた手、親友の悲劇……。
少し前までは無邪気な小娘でいられたのに、いったいどうしてこうなってしまったのでしょうか……。
わたくしの父、ルカ・イリイチ・アシカーギャ。現在の地位は名誉国王。
彼は今、玉座の上ではなく、『ルカの語らい』の凍った土の下にいます。我が国の君主であった彼は、今からおよそ一年前にその命を落としました。
世界からソソン王国へ侵入した、あの毒婦の手によって……。
その話をする前に、誇り高きソソンについて少しおさらいをしましょう。
我が国の建国は忘却の彼方、ヨーロッパ全土混迷の時代にありました。勝ち取った地への植民を行うために、移民団を引き連れてこの地に迷い込んだ“英雄ザハール”が最初の君主です。
山より吹き下ろす吹雪が彼らを惑わし、この地へと誘いました。身動きを取ることもできず、唯一あたたかに感じられた森に小屋を建て、辛抱強く雪解けを待ちました。
しかし、四方を囲む山系が抱くのは万年雪。春が訪れることはなく、彼らは小屋を拠点に村を築き、根を下ろしました。
人の分け入らない厳しい地では、見事な毛皮をまとった獣が雪の中を泳ぎ、厚ぼったい樹皮を手に入れた白樺や樫の木が寒風に負けずに天へと枝を伸ばします。
崩れた崖を掘れば、石炭や鉄を始めとした鉱物資源や石材が豊富に見つかり、移民と開拓の一団が暮らすには不足がありませんでした。
ザハールは、初めは祖国からいつか助けが来るだろうと考えていましたが、幾年か過ごすうちに見捨てられたことを悟りました。
彼は勇敢で献身的な行動とその知性で移民団のために身を砕きましたが、一説によるとその心には外界への怨みで満たされていたそうです。
彼の祖先はどこかアジアの系譜を持つ者で、同じく故郷に見捨てられていたそうなので、思うところもあったのでしょう。
村は町に成長し、小国となりました。ザハールは諸外国に立国を宣言する心積もりだったそうですが、彼の代ではただの一度も外界とコンタクトが取られることはありませんでした。
いくら険しいとはいえ、装備を支度すれば脱出できないことはなかったはずなのですが。
ザハールの真意は不明ですが、彼に付き従った人々は幸福であったと伝えられています。
二代目の領主はザハールの息子ソソン。彼はリーダーを世襲しました。彼の主権では外界とのやり取りが盛んでした。
しかし、それは穏便な交易ではなかったようで、領主と民がそのねぐらの戸を固く閉ざす結末を招きました。
原因は信仰にあったようです。初代の頃に立てられた十字架を頂いた建物や、持ち込まれていた聖書が焼き払われました。
それからこの地は神を棄て、厳しい環境を生き抜いた自分たちと、優れた導き手である領主だけを信じるようになります。
この信仰に関する動乱のさいに、国外から神を信じぬ仲間が加わり、当時ならば大国と呼ぶに充分なほどの人口を得ました。
「宗教とは、侵略と君主の無能への言い訳に過ぎない」
ソソンの遺した言葉はこの国で今もつぶやかれます。主に世界情勢のゴシップをお茶菓子にしてシナモンティーを頂くときにですけれど。
外界への拒絶と嘲笑に反して、ソソンはヨーロッパの貴族への憧れが強かったようで、イギリスやフランスをモデルとしたしきたりや王室儀礼を多く定めました。王室ができたのもその時です。
ただし、王の地位はソソンが自ら名乗り始めたのではなく、その働きを称えた民が作り上げたものだそうです。そのくらいの信がなければ、我が国の名前はソソン王国でなく、ザハールになっていたでしょう。
ソソンで王政が始まると、入れ替わるようにフランスでは革命が起こりました。
三代目。ソソンの息子のクジマ。彼はコンプレックスに囚われない王でした。世界との繋がりは最低限の交易だけにとどめ、領土争いや宗教戦争からは身を離し、つねに中立の立場を取り続けます。
ソソン作った王政は形式こそは『絶対君主制』でしたが、その君主が民へ献身的であったために、当時の諸外国の名君の行ったような『啓蒙専制』に近いものでした。
クジマの代では世界への中立を維持しつつ、ソソンの民の幸福が追及されました。極寒の大地に負けない作物の誕生や、半野生状態での獣や家畜の育成。
狭い山間の国では資源は限られますが、それを目減りさせることなく人間を自然の円環へと組み込むことに成功したのです。
そして、国民は長き幸福の時代を迎えます。
ソソン王国はいわば、完成されたユートピア。
今の世界から見れば、都市一つぶんほどの小さな規模ですが、その手の届く範囲を護るのすら容易なことではありません。
それなのにあの頃の世界は、奴隷や植民地を得ることに躍起になって、足元もお留守にフロンティア魂だなんてことを口にしていたのですから、首を傾げるばかりです。
世界は間違い、わたくしたちは正しくあった。厳しい自然と共に生き、獣ですらわたくしたちにかしずく。
暖かな食事と毛皮を仕度し、暖炉にこころを灯し身を寄せ語らいあう幾千の夜。
次に世界がわたくしたちと乖離したのは、地球人類の多くを巻き込む戦争の時代でした。
誰しもが知っている通り、鉄と火薬、そして原子力が世界を焼きました。赤と黒の世界。わたくしたちと正反対の色。
もちろん、我が国は余所の土地には興味がありませんし、世界はこの凍てつく山間部を欲しがりもしません。
宗教を棄てて久しい者は迫害の悲劇にも見舞われることはありません。かねてから中立であったことも幸いし、わたくしたちは白く清いままであり続けました。
冷たい鉄を向け合う、悲しく愚かな争いびとたち。片手落ちの王政を敷いた貴族たちですら猟を嗜んで、いのちについて知っていたというのに、彼らは守る為に故郷から遠く離れた地で殺し合わねばなりませんでした。
死にゆく者たちのことを、神や仏はお救いになったのでしょうか? いいえ、彼らは救われておりません。本当に救われたのならば、今もあの惨劇を振り返り平和を祈る必要なんてありませんから。
そのとわに消えない傷痕は悲劇ですが、戦争は文明を発展させます。原子と電子の時代の幕開け。新しく素晴らしい新時代!
便利の為の便利。仕事の為の仕事。どんな世においても、幸福の基準を満たすことが使命なのだから、わざわざ基準を引き上げる行為は愚かとしか思えません。
科学や文明が人の心を救いましたか? 救った? それは錯覚でしょう。そもそもその救いが必要な状況を作り出したのは、当の科学や文明なのですから!
人道を唱えて貧者に井戸を作ってやっても、彼らはそれを解体したお金で飢えた子供に武器を与えることでしょう!
これ以上の世界へのお説教は不要です。我らがソソン王国と世界には決定的な格差がつきました。
彼らは悪化し、衰退し、滅ぼし合うことでしょう。ソソンは永遠に続きます。幸福なままで。
あなたたちが冬眠の王国と笑うこの地から、世界の終末の夢を見続けるのです。
……見続けるはずでした。
第七代君主ルカ・イリイチ・アシカーギャ。わたくしのお父様。彼は愚王でした。この眠りを破ったのは、春の日差しでもなければ侵略者でもありません。
他ならぬ、君主自身だったのです。
ソソン王国は世界からは自治区として認められてはいるものの、正式な国家としては認定されていません。当然、ヨーロッパ連合や国際連合にも加盟していません。
間違った世界からの評価やレッテルが無意味なものだということは、ザハールやソソンの時代がよく証明していますから、問題はないはずです。
ですが、父は何を思ったのか、鎖国を解き、貿易や通貨の交換を広げ、国際的に国家としての認定を得るための計画を練り始めたのです。
世界から見た我が国の通貨価値など、粉雪ひとつぶに等しいものです。
食料自給率こそは百パーセントを超えていますが、質素で味付けの薄いわたくしたちの味覚と世界のそれとは合いませんし、普段着や眠りに欠かせない毛皮は環境問題や動物愛護の観点から見て非難のまとです。
世界が欲しがるものといえば、氷湖に眠らせたままの天然資源や、山や森にある化石燃料くらいです。しかしそれは、この極寒の地で人々が生き抜くために必要なものであり、未来への命綱です。
外貨を得ようと思えば、それを売る他にないのです。父は資源を売ったお金で氷湖の掘削を行い、天然ガスを手に入れる計画を立てていました。
ルカ王はソソンを開かれたものにしようとしていました。外から珍しい電子機器(型落ちの品です!)やこの国の者の誰も見たことも聞いたこともない芸術を持ち込み、国民に披露しました。
物珍しさと便利さで、一部の国民は興味を示しましたが、多くは一過性のお遊び、ダンスやボードゲームのようなものとしてとらえて、その意味と価値を理解しませんでした。
我が国の国民たちの暮らしには、伝令やお触れの看板、アンケート用紙くらいのものはありますが、テレビやインターネットはありません。ルカ王は最新の情報網を普及させようと考えていたようです。
現に、わたくしの部屋にも外国に法外な対価を払って手に入れた、衛星経由の唯一のインターネット設備があります。わたくしも、お勉強のためにそれにはかなりお世話になりましたが、古い書物や、我が国伝統の樹皮を用いて作る紙の手触りもいまだに愛しています。
この国での余暇の過ごしかたは、暖炉の奏でる暖かな音のもとペンを走らせるか、誰かの語らいに耳を傾けるかです。
流通する書物は国民の創作した素敵なもので溢れていますし、頭の中だけにあるおはなしを語らうのも立派な娯楽のひとつとされます。日記をつけるのもポピュラーですね。
わたくしたちはまったく引き籠りがちですが、外で何かをするには毛皮をまとっても寒すぎるのです。
わたくしは、国家元首であるルカ王の娘でした。
母はわたくしの誕生と引き換えに落命していますし、兄や姉もおりません。つまりは王の跡継ぎとなります。
次王の候補は、慣例として幼少時より高等な教育を施されます。交易は古来より限定的で、おもに書物と王室の権威の維持のために行われて来ました。
わたくしはインターネットに触れることもできていたので、アメリカのようなハイスクールやカレッジに縁は無いものの、それなりに知識があります。
何より、ソソン伝統のおはなし作りが得意ですから、ものごとを上手く組み立てて理解する力に長けるのです。
故に、父が道を踏み外していっていることはよく分かりました。
世界に認められるためには、こちらから諸外国へ足を運ばなければなりません。わざわざ雪を泳いで田舎へやってくる大国の要人などいませんから。
わたくしは父に連れられて、各国を旅しました。我が国の言語は英語にわずかロシア語が雑駁したものなので、国外のパーティでもあまり不便はしませんでした。訛りは笑われましたけど。
父は交流を重ねて、発展途上でありながらも世界に認められている国を研究しました。そして、発展途上諸国に欠けている点を鋭く見抜きました。
それはモラルです。この国にも犯罪はありますが、人口が無闇に多い国や、植民地支配の歴史を持つ国と比べては圧倒的に平和なものです。
これがひとつの売りになると考えました。
人道的、精神的に先進諸国に褒められれば、技術や資金に乏しくとも独立国家として認めて貰えるのではないか? ということです。
ですが、世界の基準とやらからは、家畜を放し飼いにし、毛皮をまとい、斬首による処刑を用いているソソン王国は劣っているように見えたようです。
暮らしを変えることは容易ではありません。本来は長い長い手順が必要です。
手短に世界に人道的であることをアピールするには、移民の受け入れや死刑の廃止が近道です。
移民に関しては、誰も雪山の隙間なんかに来たがりはしませんし、異文化人の流入が毒であることは世界がすでに証明しています。
わたくしが「知らない人は怖い」と子供を発揮して制止したのも効果があったのでしょう。実現はしませんでした。
いっぽう、死刑の廃止はすぐに決まりました。決まりごとなんて、絶対的な王の一声で塗り替わるのです。
もとは、死刑をなりわいとする一族が刀を振るって罪人の首を斬り落とす『斬首刑』が用いられていました。
初代のザハールは軍人で、父親より受け継いだ東洋の刀を大切に持ち歩き、子孫へと引き継ぎました。
クジマ王の頃に国民から赦し難い犯罪者が出たとき、彼が自ら刀を振るい、一刀の下にその首をはねたことが死刑制度の始まりとされています。
やはり、直接の人の手による処刑は、酷く非人道的なものに見えていたのでしょう。ルカ王がこれを廃止したことを世界は評価しました。
後進的な自治区にモラルの光が! いくつかの国や団体からメダルやトロフィーが贈られました。
しかし、死刑の廃止は国内の犯罪率の増加を招きました。これもいくつかの国が経験したことなのですけれど……。悪いことはそれだけではありません。
これまで、この狭い国土と資源でやってこられたのは、厳しい環境による短い平均寿命と、罪人の間引き、再犯者に対する厳しい法律『再犯死刑制度』による自制の呼びかけだったのです。
厳しいように思えますが、そもそも助け合わなければやっていけない環境ですから仕方の無いことです。
罪人を殺さずに養い続けるとなれば、国民たちからも不満が出ますし、加害者や被害者、その関係者が増えれば暮らしを支える絆にも綻びができてしまうでしょう。
ルカ王は世界への進出よりも先に、国内の問題に心を砕かねばならなくなりました。
死刑制度をもとに戻せば済む話なのですが、かたくなに復活を拒み続けました。世界からの唯一の評価と繋がりですし、あるいは勲章が彼を狂わせたのかも知れません。
そして、悩めるお父様へ近付く者が現れました。
得体の知れない人権団体から送り込まれた“アドバイザー”を名乗る女性。
その団体は国連ともパイプを持つれっきとしたものらしいのですが、わたくしから見れば国連すら無用の長物。その肩書きに価値はありません。
わたくしはあの女が嫌いでした。アジア系の黒髪で、貧相で背が低く醜い容姿。それに何より、あの女のお父様を見る目が、立場をわきまえないものだったのですから。