死刑1-18 懺悔のはじまり
キリキリと梨のねじの回る音。“かれ”の絶叫と壇上に広がる海。
国民たちには、先日の残虐行為を忘れ去ったかのように手を叩いて喜ぶ者や、完全なる淫欲の罪人のために涙する者が混在していました。
あなたたちは、どっちが本当なのですか?
死刑姫サーシャは、自身のプラチナが目や口に掛かるのはおろか、恥ずべき潤滑油のことすら気にかけません。
この処刑でもたしかに“なにか”がたずねて通り過ぎていきましたが、震える脚を叱咤し、股へ延びたがる手を戒め肘を直角にしました。刑吏長がお決まりの執行完了を叫びます。
「執行完了!」
わたくしが壇上から去ります。
身を清めて、無味乾燥のクグロフを口へ押し込み、温度も作法もなっていない紅茶を流し込み、方々の部屋の大臣たちとの打ち合わせへ。
廊下で出くわすメイドたちの憐憫の視線。氷の瞳までも色が違いましたが、それはサーシャの胸へは届きませんでした。
なにか、身体中を薄い膜で覆われたような感覚。大臣たちが紙業や狩猟につきものの雪崩や、町の雪害対策や除雪について熱弁するのに短く答え、彼らの望むとおりに会議を進めます。
仕事を終え、哺乳類の死骸を噛み、血の色の飲料を飲み下し、メイドに身体を好きにさせる二度目の入浴。
暖かなベッドの先には、何が待っているでしょうか。そこでサーシャは何を見るのでしょうか。
ふと、部屋の隅の冷たい箱が目に留まります。同じ悪夢であるなら、より一層厳しいものがお似合いでしょう。
――おい、処刑されてるのは子供じゃないか?
そうです。見れば分かるでしょう。
――死刑姫は独裁者だろう。嫌なら、なぜ止めないんだ。
おっしゃるとおりです。わたくしの力不足です。
――あの大男のほうが偉いの? あれは父親?
どちらも違います。あれは将軍です。父は死にました。ご存じないのでしょうか?
――このコメントは本人?
匿名の世界には発言から個人を特定する方法はあるのでしょうか? まあ、どうでもいいでしょう。
動画公開からあまり時間が経っていないのもあるのでしょうが、世界の人々はこの残虐な処刑に対して、もう少し怒るべきではないのでしょうか。
所詮は他人事。遠い雪山で冬眠する獣の見る夢なのです。
あなたたちは知らないでしょう。全身が冷たく滑るような感覚が覆い続けているというのに、手のひらだけ暖かく、硬いナイフのグリップの感触が未だに消えないことの不気味さを。
絶対の権力を持つ君主だろうと、その肉体はもっと大きな権力を有することを。
大悪を処するこの手。ペンを握るこの手。食事を口へ運ぶこの手。ルフィナとして握手を交わしたこの手。栗毛のたんこぶを愛撫したこの手。子供の腹を切り裂いたこの手。
全てのサーシャが地続きだというのなら、この血塗れの手も同じもの。シチューには様々な具材が入っていますが、そこへ一滴毒を垂らして混ぜてしまえばすべて毒です。
わたくしは過ちを犯した罪人です。無能な君主で愚王なのです。わたくしの正義は姿を消してしまいました。
それからのサーシャといえば、酷いものでした。一日中泣いてメイドたちをてこずらせたり、怒りと権力に任せて帽子の権利を剥奪したり。
かと思えば、いっさいの感情を晒すことなく正しく仕事をこなすことができる日もありました。君主なのでこれができて最低ラインですが。
そのうちに臣下たちも愛想を尽かすでしょう。では国民は? 世界は?
国民からの声は、わたくしへの同情と、怒りの声が半々でした。怒りに関しては法制度や君主の宿命に向けられたものが主で、わたくしが執行を停止しなかったことへの批判は意見書の山のいちばん上と二枚目にあっただけです。
子供への残酷な処刑ということで、いよいよ世界各国の首脳陣も重い口を開きました。インターネットで警告めいた声明のニュース。ラジオにも流れたでしょう。国境室が届けてくれる輸入品の中にも同様の手紙が届いていました。改めなければ国交断絶だと。
かつてユーコ・ミナミが所属していたという団体が『死刑姫を赦すな!』と書かれた看板を掲げて行進している写真つきの記事もみつけました。
いっぽうで、ソソンへの支援表明や、ソソンに干渉しようとする国への牽制の言葉も聞かれました。
同志? まさか。
だいたいが民衆を押さえ付けるのが得意なお国と、内戦やテロの問題を抱えた国です。
わたくしを愚王だ独裁者だと蔑むのは勝手ですが、ソソンをあなたたちと並べるのは止してください!
愚王であろうとも、独裁者であろうとも、国なくしては君主なし。わたくしはソソンのために働かねばなりません。
目下、『再犯死刑制度』の見直し。これは具体的な基準を決める段階までこぎつけました。国民からの反対意見もほぼありません。
以前のアンケートは何だったのでしょうか。巡検大臣ロジオンには室内では帽子を取るように命じました。
それから、別の法律の調整も始まりました。これは怒りの日のサーシャの手柄です。成人と未成年で裁きのルールを分けるのを決めたことです。
すべての法律においての見直しです。ソソンの未成年の能力や精神状態なども全て調査させます。誰が何と言おうが、大臣たちが全員禿げ上がろうが、わたくしの権力をもって断行します。
これを成し遂げ公表すれば、世界からの勝手な干渉も避けられるでしょう。正義が死に、愛が卑しい欲望に呑まれた今は利害関係という冷たい指標も少しありがたく感じられます。
これらの法を定めるためには、もっと情報を得るべきです。インターネットで他国の情報を集める? いいえ。ただの数字と他人事の世界は参考になりません。実際に行い、見聞きしなければ真の博識には至れません。
わたくしはあることを決意しました。
「しゅ、囚人たちと面会するですと!?」
我が国の刑務所『ソソンの拒絶』。所長が声をあげました。ここは彼の仕事部屋です。
「そうです」
「待遇改善以降は囚人も意見書やアンケートの対象になっております。なにもわざわざ王女陛下が会われなくとも」
「王女としてではなく、単なるひとりの役人のふりをしてです。直接、忌憚のない意見を手に入れるのにはそれが一番です」
グレーテと城下へ繰り出したときの応用です。
「……ううむ。おっしゃるとおり。たしかに、世間のもつ刑務所のイメージと実情には未だにズレがありますが。ニコライのやつが黙っていないでしょう。あやつは王女陛下のことを自分の娘のように思ってますから。息子のロマンを失って間もない今は、特に好ましく思わないでしょう」
刑務所は厳密には軍部とは別の扱いです。ですが、将軍は所長に指示を出すことができる立場です。物言いが不適切なのは彼らが友人関係でもあるからです。
「……将軍には知らせないでください」
「どうしたって知られますぞ。ここのところ、ニコライは反逆者やらスパイやらのあぶり出しに躍起になってますからな。ここへもよく足を運びますし、今も地下の尋問室を利用しているはずですから」
「でしたら、あらかじめ話しておきましょう」
「止められるのがおちです。王女陛下を罪人と面会させるなど。まさかケチな窃盗犯だけに会うとおっしゃるわけでもないのでしょう? ここにはアルコールの幻影を断つために壁へこぶしを振るう者もいれば……ローベルトよりたちの悪い輩や、子供専門に興奮する狂人だっていますぞ。刑務官に対する態度の悪い者や、不穏当な発言を平気でする者も珍しくありません!」
所長は怖い顔をして両手を持ち上げ、指をあやしげに動かしました。子供じゃないんですから。
「承知しています。流石に護衛はつけます。ニコライには、君主の絶対の命令をもって話をつけます」
「ううむ。頑固ですな」
唸る所長。わたくしは席を立ちました。
「どこに行かれるので? ニコライが戻るのを待たないのですか?」
「下に降ります。すぐに決めたいのです。色々と仕度もいりますから」
「なりません! 今は拷問の真っ最中ですぞ! 王女陛下にそのようなものを見せるわけには……」
わたくしは所長室のドアノブに伸ばした手を止めて振り返りました。
「拷問を見せたくない? 所長さんは、おかしなことを言うのですね。わたくしは死刑姫サーシャなのですよ」
自然に漏れた笑み。所長は「ああ……」と声を漏らすと着席し、頭を抱えました。
『ソソンの拒絶』は教会の焼け跡に建てられました。地上の建物はすっかり焼け落ちてしまいましたが、地下の納骨堂は今でも原型を留めており、隔離施設や尋問室として利用されています。
ちなみに所長室の位置は、教会の長であったシスター・ビジタシオンの部屋と同じ位置だそうです。ビジタシオンは宗教という繋がりを使い国外勢力に手引きをしていたとされ、強姦されたのちに火あぶりになりました。
わざわざ心を殺してから焼いたのは当時の君主ソソンが惨忍だったからではありません。
教会の連中が異端者に向けて行った方法を模倣しただけなんですから。処女のままの処刑は教義に反するからだとか。ナンセンス。
外出に付き添って来ていた侍女と衛兵を待たせて(これも義務と儀礼のためについて来ようとしましたが命令で捩じ伏せました)石の階段を下ります。
靴の音が反響し、降りるにしたがってじめじめした嫌な空気がメイクを痛めつけていくのを感じます。
「さっさと吐いたらどうだ! おまえが反乱軍と繋がっていることは分かっているのだ!」
エコーするニコライ将軍の声。それから水をぶちまけるような音。苦し気な女性のうめき声。
かつて納骨堂だった部屋へ踏み入ります。扉はつけられていません。
石造りの部屋の中にはニコライ将軍と女性の姿。女性は仰向けにされており、腰の位置に金床のような小さな台座があり、それを支えに宙に浮くように寝かされています。
一応は手足に鎖を繋がれ、壁や支柱に伸びていますが、それらは体重を支えるのには不十分でしょう。台座の角が丸いのか鋭いのかは肉に隠され不明です。
口には真鍮の漏斗が差し込まれており、そこからは水とともに不気味な魔物のうなりが溢れています。なお、彼女のすべての丘や谷は明らかになっています。
「なんだ? 交代は不要だと言ったはずだぞ。私自らが逆賊どもを根絶やしにしてロマンへの手向けにしてやる!」
彼は振り返らず、床に置いてあった大きな水差しを手に取りました。
「ニコライ。話があります」
将軍は振り返りました。彼は自分の目を疑ったようです。それから水差しを床へ戻しました。
「サーシャ王女陛下。なぜこのようなところへ!?」
「あなたに用事があったからです。簡潔に言います。意見は聞きません。命令で決定事項です」
わたくしは、ニコライへ計画を伝えました。彼が意見しようとするたびに、「君主の命令です」と釘を刺しました。
全てを言わせませんでしたが、一応はニコライは心配と反対をしながらも計画の意図と目的には賛成をしていたようです。
「ニコライ将軍。その女性は何者ですか?」
決定を伝え終え、ほったらかしにされていた囚人に話題を移します。彼女はニコライがわたくしの名を呼んでからずっとこちらを睨んでいました。その瞳の力からして、拷問まだまだ長くなると予想されます。
「反抗団体の女です。それも重要な役を持った。荷馬車の野菜の中に大量の剣や斧を隠し持っていました」
「武器……。反抗団体の者だという証拠は?」
「近所住民からの匿名のリークがあったのです。危険物を持っているから反乱軍かもしれないと」
「武器の大量所持での逮捕は妥当ですが、その嫌疑だけで拷問を? 何か具体的に王室や国家に対する侮辱をしたのですか?」
「……いいえ」
「だったら不当でしょう。罪人であっても最低限の権利は保証されるべきです」
「ですが、このタイミングで武器を集めるなど、反乱軍以外に考えられないでしょう。この女の家や交友関係を洗っても何もでてこないので口を割らせるしかなく」
女がわたくしを睨んでいます。わたくしの親の歳ほどは長く生きているようですが、まだ人生を終えるには早いでしょう。
女と視線が重なり合います。あなたの世界は、どんな世界だったのでしょうか。
「サーシャ王女。同情なさっているのですか。あのときの子供のように。……あれは、今更ですが、申し訳なく思っております」
ニコライの謝罪から逃げるように、わたくしは憐れな女を見つめ続けました。
ふと気付くと、女の目から怒りが消えていました。わたくしはその視線からも逃げるように瞳を閉じます。
「……あのときの子供とは違います。彼女が何者であろうと、剣の使い道は他者を害すること。それが公式の手順を踏んだものでないのならば、悪でしょう。芽は早くつむのが国家のため。ですが、武力による反乱を企てる思想は生まれついてのものでもないでしょう。組織が潰えて、ソソンがより良いものになれば自称革命家たちにも更生の可能性があるかもしれません」
目を開くと女の足がありました。赤黒く腫れ上がっている……。彼女のそばには山型の連なった形状を持った石板が積まれていました。
「繋がりが証明されれば、どのみち処刑です。こやつは生きて路を歩くことはもうないのです。王女陛下は反乱軍と意見の交換ができると考えておるのではありませんな? これまでの王室は盲目ではなかったでしょうに」
よもやこの拷問の様子が録画や放映ということはないでしょうが。ちなみに処刑動画が世界で拡散されているのを知っているのはわたくしだけです。
ラジオからの断片的な情報ではメイドたちはそこまで理解できないでしょう。そこを根源とした噂を聞く者もしかり。“動画”とか“インターネット”は異世界の言葉ですから。
それでも……。
「そうですね。戯言です。ですが、拷問制度は廃止にします。スパイや王家打倒を謳う者に対してもです。敵側にこんなことをしているのを知られたら勢いを与えます」
「何を馬鹿な!?」
「この場で即決。逆らうなら更迭や罷免があるものと思いなさい」
わたくしはニコライを睨みました。
「それでは、どうやって連中の尻尾をつかめとおっしゃるのですか!?」
「軍部に疑い薄き国民の所持品や自宅をも捜査する権限を与えます。ソソンはあなたたちの手に負えないほど広くはありません。直接見る以上の証拠はないでしょう」
「国民のプライバシーは? 罪人ではないのですぞ」
「もちろん、事前許可は取りなさい。拒否した者はリストアップすればいいでしょう。国民感情に関しては、正義の心を高めることで対処します」
「正義の心? つまり?」
「これまで通り。演説と公開処刑です。正義を煽り石を投げさせ、悪をくさして糾弾の叫びをあげさせるのです。捜査に協力し、身の潔白を証明することに歓びを憶えるように仕向けます。あの子供を悪に仕立て上げた者をルカの語らいに立たせることができれば、より効果が高いはずです。本当の国賊はごく一部です。知らずに協力している者やグレーの者を啓蒙できれば、すぐに孤立するはず。そうなれば強硬手段に出るかもしれませんが、そのときはあなたの剣が善良な者を守るのです」
「なるほど……」
ニコライが唸ります。
「まずはこの女を処刑します。拷問も証拠も不要です。武器運搬の罪でおもりで押しつぶし、国家への加害を企図した罪で国民による石打ちです」
わたくしがそう言うと、女が身をよじり、鎖の音とともに長い長い唸り声があがりました。
……分かっています。確かにわたくしはあなたへ同情しました。伝わっていたのでしょう。あなたにもあなたの世界があったのに……ごめんなさい。
わたくしは狭間に落ちた罪人のことも思って法整備も進めています。真の平和が手に入れば、いつか公開処刑はおろか、死刑すらも手放す日も来るはずと考えています。
パラドキシカルな行動だと思われるかもしれませんが、パンを与えるためには農家が必要なのです。善良な民があってこその救済の制度なのです。
センチメンタルやセンセーショナルは確かに強力なものです。弱者が、あるいは弱者のために声をあげればうつくしいでしょう。ですがそのために普通の民が放っておかれれば、ただの誤魔化しに過ぎないのです。
心の中に居たはずの大切な正義。それが力不足の今、利害や理屈で動かねばなりません。
たとえそれが、倫理を置き去りにした、わたくしの心や君主の精神へ泥を塗る行為であったとしても。
わたくしは死刑姫サーシャ。罪へ向かって正義を懺悔し、愛をもって罰を与える者なのだから。




