死刑1-14 君主かサーシャか、あるいは
ソソン王国のファッションについてお話ししましょう。
以前にすこし触れましたが、常冬の雪国であるため、誰しもが衣類を着込むことによって身体を暖める必要があります。
城下の人々は毛皮やウールで作ったコートを身にまとい、帽子や手袋も欠かせません。肌が露出するのは顔だけです。山仕事に就くかたは鼻までカバーし、目元もゴーグルで覆ってしまいます。
こういった事情ですし、原材料の都合もあるので、一般の国民はメイクをしません。
その代わりに、男女ともに霜焼けから護るオイルを塗りますし、汗の臭いを抑えるためにフレグランスを利用します。
城内で国政や王室に関わる人間も、ソソンの作った中世ヨーロッパ風の形式に相応しい格好……ジュストコールやメイド服を着ているのですが、生地の裏側に毛皮が仕込まれていたり、袖や首もとなど、寒気が忍び寄ってくる箇所をもこもこのウールでガードされています。
仮にモデルとなったフランスやイギリスの貴族たちと並んで立っても、意匠の違いは一目瞭然でしょう。
ですが、見掛けを重視すると、その分暖かな生地の使える箇所が減ってしまいますので、身分が高くなれば高くなるほど寒い思いをしなくてはなりません。
わたくしが死刑の執行時に身にまとうドレスに関しては、ほとんどの防寒のしくみが失われています。
開けた広場の檀上はときおり風が強く、拷問のようです。くだんの身体の昂りと、臣民のみなさまの熱気だけが頼りです。
そんなソソンの民がおしゃれをする手段はなんでしょう? 装飾品は世界でよく見られる金属の指輪やネックレスは使えません。霜焼けのあとが一生残ってしまいます。
屋外では帽子、屋内ではヘアメイク。服装ではファーを使います。
本来の防寒の目的とは別に、片方の二の腕に巻きつけてみたり、たすき掛けにしてみたり、腰に重点的にまいてシルエットを調整してみたり。裁縫の腕前の良いかたは、毛皮のコートをドレス風にアレンジしたりもするようです。
思い思いの“ファーメイク”をするのですが、これを毎日変える人はあまりいません。
城下の人々は生身の部分がほとんど覆い隠されているわけですから、その服装で誰なのかを判断しなければならないからです。
せいぜい、瞳やフードから覗く髪の色に個性がありますが、これだけでは不十分でしょう。
古代にさかのぼれば、さまざまな人種の交雑しうるヨーロッパですし、アジアの血までも薄く流れています。瞳と髪の色のバリエーションは世界的に見てもかなり豊かなほうなのではないでしょうか?
そういうわけですから、このアレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャが王女として認識されるのも、王族の服装が一番のキーポイントとなります。
「私の着替え、持って来ましたよう」
グレーテがメイド服を抱えてわたくしの部屋へと入って来ます。最近はもうノックも不要な仲となりました。
「前に取り替えっこをしたときも思ったのだけど、メイド服ってなんだか胸のあたりがきつくないかしら。コルセットがないだけましですけど……」
わたくしは着替えながら愚痴を言います。服の持ち主はノーコメントです。
「あっ、着替えているあいだにお湯をお持ちしますね。メイクを落とさないと」
国民の前に出るさいは、王女らしい服装とメイクアップをしているので、このふたつを取り払えばほぼ別人に見えると踏んでいます。
「髪型はどうしようかしら」
姿見の前で自身のプラチナブロンドをいじくります。王家の血筋にはときおり、濡れ羽色の髪や瞳を持った人が生まれます。初代君主のザハールは黒髪黒瞳でした。
市井にも黒髪黒瞳は皆無ではないのですが、やはり王室と結び付けて考えられやすいので、わたくしがそうでなかったことは幸運です。ちなみにわたくしの瞳はサファイアです。
「首が寒いから下ろしておこうかしら」
「駄目ですよう。ヘッドドレスさえつけられれば髪型は自由ですけど、縛ってないとお仕事の邪魔になります」
「メイドの仕事をしに行くわけじゃないのだけれど」
「給仕室で髪の長い人はみんな縛ってますので、一人だけ変わった髪型にしてると見られやすいです。お城を抜け出すまでは我慢してください」
「それもそうね」
ドレスからメイド服へ着替え、メイクを落として髪をアップ気味のポニーテールに。
ルカ王と国外のパーティーによく出かけていたころは髪の毛をいろいろ弄っていたのですが、最近はストレートに下ろしているのがたいていです。
鏡を見ると、わたくしとはまったくの別の娘が映っていました。これなら完璧でしょう。
「では、早く行きましょう」
「あっ、サーシャさま! オイルを塗り忘れてますよ!」
グレーテが慌ててわたくしの顔に手を伸ばしました。彼女の手のひらがなめらかに肌を滑ります。
さて、こうしてわたくしは“ただのメイド”に成りすまし、グレーテとともに城外を目指しました。
本日はわたくしの公務はオフですし、グレーテは買い出しの担当日です。
角を曲がるさいに、グレーテが給仕室の人間がいないかチェックをして進みます。それを小走りに追いかけると、馴れないポニーテールが揺れて頭が引っ張られる感じがします。
「おや、マルガリータ。その子は新人かい? えらく美人じゃないか」
「え!? いやですよ。この子はナージャですよう! 忘れちゃったんですか?」
「ああ、ナージャだったか。そりゃ失礼した」
なんて危ない一幕もありましたが、何とか城外へ脱出です。衛兵は見張っていますが、メイド服やジュストコールを身に着けた者が呼び止められることはまずありません。
もしも呼び止められたら、「新人に買い出しの仕事を教える」という言いわけをする予定でした。
石造りのお城を離れ、凍った土と雪化粧の城前へ。狭い国土ですから、長ーい庭園の道ですとか、大仰な城門などはありません。
土地は贅沢には使えませんし、戦争とも無縁でしたから、お城はあまりヨーロッパ然としていないかも知れません。
城外へ出ると、さっそく知らない一般の男性が雪かきをしているのを見つけました。交通室の者に聞いたことがあるのですが、お城の前の路の雪かきは公務として片付けるべきなのに、いつも誰かがやってくれているそうです。
親切心や忠誠心ということもあるのでしょうが、この東西にのびる路がソソンの大動脈だというのも大きな理由でしょう。
お城は小高い丘の上にあります。どこを見てもまっしろな国ですから、お城を基準に各地への移動をするのです。
お城の西側には背の高い塔があって、その上からは国土のほぼ全てを見渡すことができます。それは雪や森におおわれているので細かいことは分かりませんが、火事があればまず見逃すことはないでしょう。
移動手段は徒歩と馬、馬車が一般的で、氷湖では犬ぞりが用いられています。また、山間部での仕事でも犬の鼻が極めて重要になります。
「お城を出れたのは良かったけど、どこに行けばいいのかしら?」
「私はお買い物がありますから、酒場と八百屋には行かなきゃいけませんね。それに、サーシャさまが部屋に戻って着替え直す時間も計算しないと駄目なので、あまり時間はありませんよ」
「それでは、グレーテのお仕事を済ませましょう」
グレーテについて街の中を行きます。犬の散歩をする少年、路ばたで談笑するおばさん、露天商もいます。彼らは毛皮に護られていてこの寒い屋外でもへっちゃらです。
「寒い……」
いっぽう、わたくしは腕をさすらねばなりませんでした。
「メイド服は薄手ですからねえ。肩掛けだけじゃ慣れないとつらいかもしれません。……“ちょうど良いの”があるので買ってきますね」
グレーテは近くの屋台へと小走りに駆けて行きました。
屋台からは絶えず白い湯気が上がっています。看板には『ふかしクジマ』と書いてあります。
三代目君主の名を頂いた我が国自慢の芋です。グレーテは屋台の男性に銅貨を数枚渡すと、いっそう白いもやをまとったものを受け取りました。
「よく買い食いするんですよ」
わたくしの手に暖かな芋が手渡されます。お礼を言う前にグレーテは歩き始めてしまいました。
「歩きながら食べるの?」
「そうですよ。時間がもったいないですし、外じゃ誰にも叱られませんからねえ」
わたくしは先輩メイドの作法に従い、お芋をいただきながら石畳の路を行きます。食べ歩きは“一般の女の子らしい”ので頬が緩んでしまいます。
お芋は特に味付けのされたものではありませんが、芋は柔らかく、噛むほどに甘みが口に広がります。
クジマ芋を寒風に晒して干すと、表面に結晶ができます。それがソソンのお砂糖になるのです。最初は歯を立てるのも戸惑うほどに熱かったのですが、尻尾のほうを口に入れるころにはもう氷のようになっていました。
「おはようございます。メイドさん」
「おはようございます!」
グレーテの元気な挨拶。彼女から聞かされていたことですが、お城勤めの者は国民の中では敬意を払われます(地位として公式に定められているわけではありません)。
「やあやあ、マルガリータさんご機嫌麗しゅう」
「やあやあ」
わたくしも王女として城を歩けば全員が挨拶をしてくれるのですが、それを髣髴とさせます。彼女のあとについているわたくしも、オマケに挨拶をされました。
なんだか恥ずかしくて声が出せず、会釈だけになってしまいます。
ところで、グレーテは気が付いていないようですが、これはわたくしの思う“普通の女の子”ではないようです。
いちおう、“オトコ漁り”として城下へ出たつもりでしたが、メイドはちょっと偉い扱いですし、他人は他人なので結局は人の内面まで見るのは難しそうです。
人々がかしずかない景色が新鮮で気持ちの良いものでしたから、不満ではありませんでしたが。
大通りを折れて、少し狭い道へ入ります。公務で移動するさいは『ルカの語らい』へは大通りをまっすぐ歩くだけで、それ以上遠い場所へは馬車を用います。なので、お城から近いこの場所でも、路を一つ曲がれば知らない世界が広がっているはずです。
立ち並ぶ石の住宅。ちょっと歩くだけでイベントが目白押しです。
庭に積んだ雪を解かすついでに焚き火で暖を取る男性へあいさつをし、鼻を垂らしながら追いかけ合う子供たちとすれ違い、荷車を引く人を避けて路のはしに避けてあげたり。
なかなかに楽しいことです。
「給仕室の者が買い物をするときには、お店の表からはたずねません。必ず勝手口から声をかけます。お店が混雑しているとおしゃべりに巻き込まれて動けなくなってしまいますから」
グレーテがドアベルを三度叩くと、すぐに人が出てきました。聞くところによると、城外でのメイドの作法には王室儀礼を模したものが多いのだそうです。
「なんだ。グレーテさんか」
出てきたのは金髪の青年。彼は白い息を吐きました。
「ナージャじゃなくて悪かったね。パースニップは余ってませんか?」
「あるよ。この前ナージャが来たときもパースニップだったな」
「お城と契約してる農家さん、今年はいまひとつだったみたい。明日もまたお願いできる? 夕食までに七本と明日に二十本手配できない?」
「控えめだね。今日の分はまず平気。父さんに言っておくよ」
「ありがとう。刻んでボルシチにちょっと入れるだけだから」
「ね、グレーテさん。明日は誰が来るの?」
「ナージャの買い物当番は、当分は火曜日と金曜日です! 前も聞いた!」
「だいぶん先だな。来週も白ニンジンがいまいちだといいんだけど」
「酷いこというなあ。農家の人だって一所懸命なのに。ところでアリスタルフ。こちらの……こっちの人についてコメントは?」
こっちの人。グレーテはわたくしのことを言っているようです。
アリスタルフなる青年は勝手口の階段から首を伸ばし、グレーテの肩越しにわたくしを見下ろしました。
「ちょっとドキッとしたよ。ナージャと髪の毛の色も瞳の色もおんなじだ。ナージャよりも美人だし……」
「もう、ナージャのことはいいから!」
「買い物について来てるってことは、新人さん?」
青年はこちらへやって来て、右手を差し出しました。
「八百屋の息子のアリスタルフです」
グレーテが「あっ」と声をあげます。
「ルフィナです」
わたくしは手袋を外して、彼の手を握りました。肌が触れる瞬間、少し緊張しました。
ルカ王を除いて友好的な肌の触れ合いをした男性はほとんどいません。外国のパーティーではあまり目に掛けて貰えませんでしたから、握手もほとんどしていませんでした。
アリスタルフさんは握手が済むと、すぐに勝手口のほうへ踵を返しました。
「ねえ、グレーテさん。新人ってことは、彼女も買い物のローテーションに?」
彼はグレーテへささやきます。
「ルフィナに変な気を起こしちゃ駄目ですよ!」
「違うよ。ナージャの来る回数が減るんじゃないかって」
「それなら平気です! じゃ、私たちは次のところがあるので」
「良かった。じゃあね、グレーテさん。ダスヴィダーニャ」
八百屋の息子は気取った挨拶をすると、扉の向こうへと消えていきました。
ところで、ソソンは英語文化ですが、名前はロシア式。そして挨拶や慣用句などにロシア語がときおり忍び込みます。わざわざロシア語を使用するときは、格好つけの場合が多いです。
いちばん聞かれるのは「スパシーバ」。つまりは「ありがとう」がよく拝借されます。わたくしたちの遠い祖先が母国からモスクワへ落ちのびたさいに、最初に覚えた言葉だそうです。
「どうでしたか? 握手平気でした?」
グレーテが申し訳なさそうに言います。
「平気です。思ったより冷たい手でした。彼は店主ではありませんよね?」
「ええ。お父さんのお手伝いで野菜をいじっていたんでしょう。彼は男性としてはどうですか?」
「正直なかただなって。お父様のお手伝いをしているところはプラスポイントですね……。ナージャってどんな子でしたっけ?」
「あの子はあまりしゃべらない子ですし、偉い人と会うのが苦手で、自由時間も部屋にこもりっきりですねえ。彼がみんなにナージャの当番の日を聞くから噂になってますけど、本人は買い物の帰りが遅いってことはありませんねえ」
「ふうん。脈なしってやつかしら?」
「いやそれが。私、ナージャと相部屋なんですけど、手紙や“野菜で作った飾り”を見つめてにこにこしてる現場をばっちり押さえてますよ」
グレーテが笑いました。
「そうなの。来週も何かお野菜が足りなくなればいいですね」
「そうですねえ。でも、進展はないかも。ナージャが積極的な子になれれば面白いと思うんですけどね」
そうかもしれないし、そうではないかもしれません。アリスタルフさんが好きなナージャは、控えめなナージャなのかもしれません。
その性格は、本当のナージャなのか、メイドの立場がそうさせているものかは分かりません。それが彼に明らかになったときも、彼は彼女を好きでい続けられるのでしょうか?
わたくしも、美人と褒められたりして悪い気はしませんでしたが、挨拶にしてもお褒めの言葉にしても、普段と違った響きがしました。
“王女のサーシャ”であることがいかに重要な意味を持つかを感じます。新人メイドのルフィナには、先輩のグレーテ以外にはなにも繋がりもなければ、重ねた時間も存在しません。
肩書きは、切って切れるものではありません。王の一人娘として生まれてしまった以上、死ぬまで王族です。君主としての権利の移動は、君主が死したときのみに起こるものですから、最期まで王女、あるいは女王となるでしょう。
君主として、王女として、性別カテゴリーの女として。そして、世界に晒された死刑姫として。
それらは意味が違いますが、すべて繋がっており、まとめて全部でサーシャなのです。
それでも、叫びと血の海に下着を汚す自分を認めることはできません。
楽になるためには、むしろ受け入れるしかないと思います。認めず抗い続ける心と、悦びを覚える身体をどちらも丸ごと。
ウィッグを認めない副大臣はメイドに見捨てられましたが、身体の反応ととさかしまに“なにか”を拒絶し続けるわたくしを、国民は愛してくれるでしょうか? ……言いだす勇気も、政治的な必要性もありませんけど。
もしも、恋人が見つかった場合、わたくしはその人に全てを話さなければなりません。そんな包容力のあるかたは、簡単には見つからないでしょうね。
これでは本当に、おはなしのお姫様のように王子様を待つことになりそうです。
「ルフィナさん! クリークは手袋をしてると現れないはずですよ!」
グレーテがわたくしを叱る声。また、無意識に中指をくわえていました。
「わたくしのこの癖を国民のみなさまは知ってるのかしら?」
「どうでしょう? どちらにしろ、人前でしてはいけませんよ。さあ、新人メイドのルフィナさん。次は酒場に行きますよ!」
グレーテに手を引かれ、わたくしは未知なるわたくしの国を駆けます。
酒場は噂話の集まるスポットです。初めての酒場ではきっと、わたくしにとっても、君主の仕事にとっても、実りある経験ができるに違いないでしょう。




