死刑1-13 普通の世界とわたくし
オトコ漁り。
アブノーマルよりノーマルを求めたのは事実ですが、これはこれでインモラルな印象があります。
もちろん、わたくしは遠慮をしました。でも、グレーテが腕を引っ張ったのです。
オトコ漁り……オトコ漁りですか……。
「オトコ漁り……というよりは、恋愛を経験して、もっとサーシャさま自身のことを知るということです。先輩たちが『恋は自分探しだ』って言ってました」
「それでは相手のかたへ失礼では?」
「何もお付き合いをしなくってもいいんですよ。他人を見つめることで『本当のサーシャさま』を探すんです!」
「本当のわたくし……」
「といっても、お城の中を見て回るくらいしか、できることはありませんけどねえ」
わたくしはグレーテとともに王城を闊歩しました。すれ違う給仕や臣下たちがわたくしにあいさつをします。わたくしもあいさつを返します。まったく普段通り。
どのあたりに背徳さんがいらっしゃるのでしょうか。ゴミ箱? 中庭の白い植え込み? あの雪かきで積み上げられた山の中?
しかし、ものの見方を変えてみれば、見慣れた風景も面白いものです。
たとえば、そこの雪かきの仕事をしている下働きの若い男。彼は雪かきを担う交通室務めではなく、ときどき臨時で雇われる城外の者です。
元の係の者が腰の故障で引退してから、他の交通室の者が交代で城の雪かきに参加しているのですが、交通室の城外での作業が多忙であるためにお手伝いをしてくれています。
本来なら公募で正式な職員を増やすべきなのですが、ローベルトの件もあって新規募集は休止中。過去に務めた実績のある彼に声が掛かりました。
しかし、彼はもともとあまりまじめな性分ではなく、城外でもその日暮らしに近い働きかたをしており、あの危なっかしい雪山をこしらえたのも彼なのです。
本来なら城には雪かき専用の排水路があります。これは城内の熱で温められる仕組みになっており、それで雪を解かして流すのですが、あのような場所に積みっぱなしにしていては、いつか事故が起こるでしょう。
そのうちにまた交通室の誰かが注意をしに飛んで来るはずです。
さて、そんな不真面目な彼を『恋愛』という眼鏡を通して見た場合はどうでしょうか?
「なし、ね」
「なしですねえ」
「わたくし一人でも王室の威厳を保つのが大変なのに、あんなだらしのないかたを王室に迎えるのなんて、ありえません。公務にも出せませんね」
「もうちょっと、単純な好き嫌いで見れませんか? おおらかで我がままを許してくれるタイプかもしれませんよ」
「王女のわたくしも、女子のわたくしも、どっちだってわたくしでしょう?」
「ははは、そうですねえ」
ふと思ったのですが、人を雪に埋めて殺した罪で処刑されるとしたら、みんなで“かれ”を雪だるまにして死ぬのを待つことになるのでしょうか。
うーん。グレーテの指摘どおり、仕事のことを考えすぎのようです。
他の者を見てみましょう。
今すれ違ったのは、裁判を司る星室の副大臣です。
彼は異例の若さで今の地位に上り詰めた優秀な青年です。所作のひとつひとつが丁寧で優雅、それでいて容姿端麗。
四六時中、毛皮をまとっているのならば、見てくれはあまり重視されないのですが、王室に近い立場の男性は裏起毛のジュストコールを身に着けていますし、フードや襟巻きの類で顔を隠したりしていません。
彼は城内で「ジュストコールが最も似合う男性ナンバーワン」との評判です。
その姿を初めて見た女性はたいてい彼について深く知りたがります。若いメイドが彼の肘をこっそりと引っ張る姿は、この城の風物詩といっても過言ではないでしょう。
ですが、彼には致命的な弱点があったのです。
大臣は名誉ある職務で、血筋や家柄ではなく、実力いっぽんの厳しい世界です。裁判を司る星室では、真実を見抜く力と“誠実さ”がなによりも求められます。
……そんな星室の副大臣が“自身を偽っている”としたらどうでしょう?
大臣は激務でストレスにさらされやすく、その地位に就く頃にはそれなりの年齢になっているため、どの部屋の大臣にもよく見られる身体的な傾向があります。
それは毛髪の量です。それを恥じる、あるいは冷えると感じる場合は、『帽子を脱がないでよい特権』を君主から得ることができます。
ですが、副大臣にはまだその権利はありません。なので、“高額な偽りの毛髪”で肌色を隠すかたがしばしば現れます。
「まさか、生えぎわまで若くして上り詰めていたとは」
これは給仕室の中堅メイドの名言です。彼女は若きエースのハートを見事に射止めて城中の女たちから嫉妬の的となったのですが、ウィッグが原因であっさりと破局してしまったのです。
毛髪が少ないことは悪ではありません。それを隠したことも犯罪ではないでしょう。恋人に見抜かれたことを頑なに認めなかったことがいけなかったのです。
「ずっと付き合っていくかもしれない相手への隠しごと。するほうも、されるほうも不幸です」
「そうですねえ。私はつるっつるでも全然構いません」
「えっ、本当に!? ……わたくしは毛髪は豊かなほうが好きね」
これはあくまでわたくしの好みの話。男性がいうところの「女の子はロングが良いかショートが良いか。ストレートかカールか。栗毛かゴールドか」そんなところです。
インターネットで知って驚いたのですが、世界のいくつかの国では頭の禿げたかたが罪人のように扱われる傾向があるということ。
ソソンの女子にはそのような低俗は偏見はありません。だって、誰しもが赤ん坊のころから獣の毛を借りて生きているのですから。それでも、男性ご本人はけっこう気にしていらっしゃるようですけど……。
抜け毛にしても霜焼けや赤切れにしても、その者の苦労と努力を示すうつくしい証なのです。世界のくれる勲章なんかよりも遥かに尊い。
我が祖父イリヤの格言に「帽子を被せてやりたくなる者を旦那にしろ、手先を暖めてやりたくなる者を女房にしろ」というものがあります。
ソソンにはプロポーズのさいに男性から女性へハンドクリームを贈り、女性から男性の場合では帽子を贈る文化があるのです。素敵でしょう?
わたくしは仕事がら手先を暖めて貰う必要はありませんので、心を暖かく抱いてくれるようなかたが良いかも知れません。それでいて、王室に相応しい厳しさと正しさを持ったかたが。
こうして他者を批評することで、自身の好みというものが見えてきた気がします。
ですが、お城勤めの者はやっぱりお城勤めの者。似たり寄ったりです。親密になればウィッグの下も見えてくるのでしょうが、大抵は真面目で国や王室への忠義に篤く、向上心のあるものが集まります。
君主の帰る場所として相応しい男性など、わたくしの手の届く範疇には居ないのかもしれません……。
「うーん。サーシャさまの言う通りかもしれませんねえ。私の知り合いでお城勤めを目指してた子たちも、みんなそういうタイプでしたし」
グレーテが腕を組んで唸ります。彼女は城下の平凡な家庭の生まれで、給仕室に入るまではありふれた女の子として学校に通っていたそうです。
「グレーテはどうしてメイドになろうと思ったの? ……というか、おっちょこちょいなあなたが、どうしてメイドになれたの?」
ほんとうにこれは疑問。城の雑務に加えて、堅苦しい王室儀礼、それに氷のメイド長の目もあるのです。スヴェトラーナが首を縦に振らなければ給仕室に入ることは許されません。
「酷いですよう! 私、たしかにドジですけど、採用試験のときにはメイド長に褒められたんですよ!」
「それは初耳ですね。何をやらかしたの?」
「やらかした……えーっとですね。やらかしたのは私じゃなくって、メイド長のほうなんです。一連の作法の動作をチェックするとき、メイド長がティーカップをうっかり落としてしまったんです」
「まあ、スヴェトラーナが?」
「それでですね。私って、とっさに身体が動いちゃうタイプで。そのカップが床につくまでに見事にキャッチしてしまいまして。それをベタ褒めされたんです。指示された基本作法については、ガタガタの評価だったんですけどねえ」
そばかすの頬が緩みます。
「でも、今思えばあのカップ、中身が入ってなかったどころか使った形跡もなかったので、あれも試験の一つだったのかもしれませんねえ」
なるほど、氷の審美眼は確かなもののようです。素敵で頼もしい友人を与えてくれたメイド長に感謝を。
わたくしは楽しくなってグレーテの腕を抱きました。
「なんですか、サーシャさま? やっぱり“こっち”にしておきます?」
「それも良いかも。あなたって本当に魅力的なんですから!」
「照れくさいなあ。でも、メイドの中じゃ失敗だらけの下っ端ですし、学校でも成績も悪いほうでしたよ。家族や友達のあいだでもミス・マルガリータだって言われてましたし」
「面白いあだ名! 普段、あなたの学生時代のおはなしを聞いてるぶんには、城下の男性のほうが魅力的に聞こえるのよね」
そそっかしいグレーテは城下の男の子にはモテなかったのでしょうか? 気になりましたが、聞かずにおくことにします。
「そうですか? こっちでは逆ですね。お城勤めがモテます。私が買い出しのときに知り合いに会うと、お城の人の話をせがまれるんですよ。男の子に給仕室に可愛い子はいないか? って聞かれることも多いんですけど、あれ、私もメイドなんですけど? ってなります。そのうえ、おしゃべりで遅くなって先輩に怒られるんで散々です」
口を尖らせるグレーテ。
互いへの憧れ。城と城下が暖め合える距離。
グレーテはこんなにも近いし、誰よりもお互いを知る仲だけれど、知らない世界のことを話されると遠く感じてしまいます。
「外の世界、良いなあ……」
わたくしの目線の先には、衛兵がふたり立っています。こうして同じ格好で職務についている彼らは無個性に見えますが、休憩室や自宅へ行けば彼らの違いや真の姿を見ることができるのでしょう。
お城はわたくしの家。でも、多くの者にとっては職場なのです。
「お城の外の人たちは、もっといろいろな一面を持っているのでしょうけれど」
「そうですねえ。公務で出られたときに観察してみてはどうですか?」
「それじゃ駄目です。王女のわたくしがいると、みんな“臣民”になってしまうんですから」
あるいは暴徒。それも一面ですが、群衆としてであり、個人ではないでしょう。
「もしも、わたくしが立場を捨てて、一人の女の子として、城の外に出られたら……」
長い長い溜め息。この妄想は物心がついたころから何度も繰り返しています。先代や先々代さえも、脱走の妄想や企みをしたことがあったと聞かされています。
「うーん。やってみますか? バレたらまた書庫にカンヅメですけど」
さらりととんでもないことを口走るグレーテ。わたくしは慌てて彼女を引っ張って冷たい壁へと寄ります。
「……そんなこと。カンヅメどころか罪に問われますよ!」
「誰がですか?」
「それは……」
この場合、悪事を働いているのは王室のルールを破っているわたくしだけです。儀礼は王家やメイドたちのプライドではありますが、ソソン王国の法律ではないので裁判にかけられることはありません(正確には教唆しているグレーテは死罪に等しいのですが)。
かつて夢想していた幼いころと違って、わたくしよりも権力の強い者はこの国にいません。強いて言うならば“国民感情”くらいのものです。それにお城を抜け出すお姫様のおはなしなんて、どんな子供だって知っています。
つまりはセーフ?
「やってみたいですか?」
わたくしにたずねる友人の瞳は、いたずら娘でも、粗忽者のものでもありませんでした。
「やりたい……やってみたい」
「やりましょう。本当のサーシャさまが見つかるかもしれません」
「もしもばれてしまったら、わたくしは命を懸けてでもあなたを守ります」
わたくしもグレーテを見つめ返します。
「へへへ……こちらのセリフですよう。私の暮らしていた城下が危険だとは思いませんが、サーシャさまにとってはお城よりは遥かに危ない場所ですから」
「“王女にとって”の話です。普通の女子として行かなくては意味がないのですから。しっかりと計画を練りましょう」
こうして、わたくしは“王女の普通の世界”から“国民の普通の世界”へと小旅行することになりました。
さきほども申し上げましたが、お互いには暖め合うのに適した距離というものがあります。遠すぎれば冷めてしまい、近すぎれば火傷をしてしまう。
普通とはなにか。本当のわたくしとはなにか。わたくしの肌にとって、城下の熱はどれほどのものか。
わたくしたちは期待と不安を胸に、秘密の計画を練り始めたのでした。




