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死刑1-01 ルカの語らいにて

執行完了!(オンナコンチェン)


 刑吏長の声が、舞い散る六花(リッカ)を吹き流しました。

 わたくしはそれを合図に意識をうつしよへと引き戻し、右手を頭の上へと挙げました。肘は直角、指間を隙間なく詰め、指先はまっすぐと伸ばして。

 儀礼用の血染めの革手袋は冷え固まって、引き締めた指の股へと刺すような痛みを届けます。反して身体の芯には微熱がくすぶっていました。


 わたくしの挙手を見た臣下がメイド長へと言つけ、彼女は本日の役割の者へと繋ぎます。ふたりのメイドが雪に軌跡を作りながら現れ、わたくしの黒いドレスの裾を持ち上げました。

 メイドの若いほうが、ちらと“片付けを待つ残骸”を盗み見て小さく嘔吐(エズ)く音色が風雪を縫って聞こえました。


 わたくしは短い歩幅で歩み、なめらかに滑るのを感じながら『ルカの語らい』をあとにしました。見物に訪れていた民衆からは、わたくしへの称賛のささやきと、刑の短さへの不満が聞こえてきます。



 本日の“かれ”は、実子へとこぶしを振るい続けた男。

 幼き被害者が自ら衛兵へ直訴し、その愛なき行いが発覚。逮捕後の尋問から、一過性のヒステリーではなく日常的な虐待行為が疑われました。

 父親は否認しましたが、何のことはありません。当の被害者の身体に出来た無数の痕跡が最大の証拠です。


 千の殴打には千の殴打を。

 用いた処刑は、人道の世となった今でも中東で行われているという、『鞭打ちの刑』を拝借しました。

 木組みの死刑台に罪人を縛り付け、一糸纏わぬ背へ革紐あつらえの鞭を叩きつける刑です。

 子供の傷は確認できただけでも七十六ヶ所に及びました。完治した分を考慮して、虐待行為の続いた年数を掛け合わせて打つ回数を決定しました。


 合計五百三十二回の鞭打ち。

 本家では鞭打は添え物で、死刑とは分けて扱われる場合もあると聞きます。ですが、回数をこなす前に死に至るものが多いようです。

 今回のケースでは死刑として用いたので、この五百三十二に耐えた場合は見物人たちに石を投げさせる予定でした。

 ですが、ここは常雪(トコユキ)に鎖された世界。冷え縮んだ肉体が受け入れるひと罰ひと罰は、おとめの罪の如くと言っても過言ではなかったのでしょう。

 “かれ”は我が子と同じ齢の分だけ振り下ろされて、早々に果ててしまいました。


 決まりどおりに最初の一撃はわたくしが振り下ろし、悪魔の白く醜い背中に暖かな裂け目を作りました。

 “かれ”は世界へ届くほどの悲鳴を上げたつもりだったのでしょうが、それは群衆の歓声に掻き消けされてしまったようです。

 わたくしは震える手で刑吏へ鞭を返し、思いのほか堅かった感触に痛んだ手首をさすりながら、次のひと鳴きに耳を澄ませました。

 二度目は弱々しく、三度目は呻きが漏れるのみ。群衆の不満を感じとり、「背を暖めて、傷を狙いなさい」と命じます。


 四度目は誰しもが身を縮ませる獣の雄たけびでした。

 このような気候の国ですから、ほぐしてやらなければ痛みも過ぎて感じなくなってしまいます。

 その四度目が“かれ”の何かを狂わせたのでしょう。縮んで消えていたものが拘束台の隙間から醜く首をもたげるのが見えました。

 あまつさえ、自身の赤い背より湧き出た血潮を受けて、冬に映えるぬめりと蒸気を湛えていました。


 憶えているのはそこまでです。引き戻されたのちに、臣下のささやきから鞭打ちの回数の少なさを知りましたが、わたくしは少し安堵しました。

 だってそうでしょう? 聞こえていなかったとはいえ、わたくしへは“響いていた”のですから。これが五百三十二回も続けば、果てていたのはこちらのほうでしょう。


 今回の執行は、死刑囚が犯した罪に対して充分に苦しまなかったために、その死の意味は花びらほどしかありません。

 これが不幸の連鎖から罪を犯した者なら、早い死に安堵したでしょうが。

 まったく、極悪人とはいえ我が国の民なのですから、国民としての義務くらいは全うして欲しいものです。

 ともかく、これで“かれ”の罪も、わずかばかりは雪げたでしょう。



 城へ帰り、まっさきにすることは身清めです。肌を覆い隠す黒き執行のドレスをまとってるとはいえ、何度も穢れたしぶきを受けていますから。それに、秘密の恥じらいも放って置くわけにはいきません。

 暖かな白が視界を隠す大理石の風呂場では、七人のメイドがわたくしを待ちます。ドレスを脱がせ、髪を梳かし、洗い場まで導き、清めのシルクに山茶花(サザンカ)と獣脂の香りのする石鹸を溶き、身体を清め、湯へつかるのに付き従い、最後に起毛のタオルをあてて雫を拭う。

 これで七つ。

 ですから、七人もメイドが付き添うのです。彼女たちは一人一役で、毎日ローテーションを組み、メイドたちのあいだで決められた序列に従い行動をしています。

 わたくしは王女の立場でありながら、それを黙って待つほかにないのです。トラブルがあれば、身体が冷えるまで放っておかれることもしばしばです。これは王家創設以来のしきたりなので仕方がありません。

 これでは身体は清められても、心を(タイ)らかにするのはとうてい無理なお話でしょう? 本来の湯あみのありがたさを感じたければ、眠りを削ってこっそり王室専用のお風呂を訪れるしか手はありません。

 『ルカの語らい』はひらけた広場ですから、風の強い日にはギンギツネを十頭かぶっても身体が冷えます。そして黒き執行のドレスは薄手なので、湯の温かさを受けられるだけでも感謝をしなくてはならないでしょう。


 我が『ソソン王国』の王族は、儀礼と手順に固められた暮らしをしています。起床から始まり、朝食、昼食、夕食、入浴、そして国民の目に晒される行事などの多くに定められています。

 そういった事情で、城には百人に近いメイドが詰めています。世界はこれを中世ヨーロッパのようだと馬鹿になさいました。

 ソソン王国のことを世間では『冬眠の王国(スリープキングダム)』と勝手に呼んで笑っているようですが、ソソンの名は二代目君主の名から頂いた伝統あるもの。

 国は王と臣民の所有物であり、部外者が勝手に名付けるものではないのです。無論、世界で正式とされる『ソソン自治区』の呼び名も不服です。


 わたくしからすれば、世界のほうがよっぽど不思議な暮らしをしていると思います。彼らの多くは、見かけには豊かでも心が貧しいのですから。

 他国に食物を頼り、他国の土地を欲しがり、駆け引きにより優位性を示す。そうしなければ維持できない存在が、はたして国家と呼べるのでしょうか? わたくしには分かりません。


 死刑の執行は、今のわたくしの最大の公務で国民の関心ごとです。

 『ルカの語らい』にて行われるそれは、予想される刑の長さに応じて日の高い内に開始し、終わりは日没を過ぎることもあります。処刑を見学するのは自由。処刑内容や立場によっては、部分的な参加も許可されます。

 群衆は鮮やかな刑を好みます。雪を染めるいのち、空へ昇る黒き香り、虹色に光る悲鳴。ひとびとは罪人へ、自身の罪や不安や哀しみを乗せているのでしょう。

 ところで、火あぶりの放置や飢餓刑はいけません。あれらは精彩を欠く上に、時間が掛かりすぎますから。翌日にまた数多のメイドや臣下たちの手のひらを経て広場へ赴き、受刑者の生死を確認しなければなりません。

 ですが、最近は誰かが許可なく投石を行うようで、幾日も同じ死刑囚に関わる手間は省かれています。本来はそれも犯罪行為なのですが、見えぬ怨みを作った者やテロリストはそれでも良いでしょう。


 本日は昼食後すぐの執行でしたから、身清めを済ませてもまだティータイムです。慣れないうちは食事も喉を通らなかったものですが、今は“かれ”の絞り出した香りに拒絶を憶えることもなくなりました。

 ティータイムは本式の食事よりも遥かに自由の利く時間です。臣下からの報告などは受けなければなりませんが、食べたいものは自分で決められるし、毒見や素材の出自についての御高説でカップが冷えることもありません。


「シナモンティーとクグロフを出してちょうだい」

 臣民たちの前よりも、いくぶんか砕けた口調でメイドに命じ、ドイツ生まれの茶菓子の焼き上がりを待つあいだに、ソソンの民の誰しもが理解する英語で記された書物に目を通します。

 茶器はサモワール。我が国の系譜の一つに当たるロシア式のものです。

 ヨーロッパでは珍しいことではありませんが、ソソンも建国までのあいだに、文化や人民のミックスが行われてきました。他国から発祥した文化であろうとも、今やソソンの伝統のひとつで愛すべきものです。


 文字に目を走らせていると、扉から三度のノックが聞こえてきました。読書に没頭していたわけではありませんので、それがクグロフの仕度よりも短いことはすぐに分かりました。

 わたしは、はしたないと思いながらもくちびるに微笑を浮かべ、用件を持ち込んできた者を自ら招き入れました。


「アレクサンドラ・ルキーニシュナ・アシカーギャ王女(・・)陛下。レオニートでございます。王女陛下のお耳に入れたいことが」

 声の若々しさに相応しくない老木のような挨拶。相変わらずの仏頂面。裏起毛の紺色ジュストコールに身を包んだ彼は、わたくしの足元へひざまずきました。

「レオニート。今が自由時間なのはご存知ですね? わたくしは、処刑で疲れているのです」

「……サーシャ王女。これは公務です」

「いいわ、続けてちょうだい」

 わたくしは彼の口で呼ばれる愛称だけで不満を抑えつけました。

「先刻の執行においても、群衆の中に不審物を持った者が確認されております。恐らく、新たな撮影者かと。衛兵がつけていますが、どういたしましょうか?」

「捨て置きなさい。世界に見られて困ることはしていません」

「王女陛下。今は人道と平和の世です。公開処刑の映像がまた流出すれば、ルカ王の名誉に泥を塗ることになります。連中のやり口は不当です」

 レオニートは厳しい口調で言いました。

「構いません。故にです。世界やテロリストどもへの拒絶になって丁度良いでしょう。それに、ルカ王ではありません。ルカ名誉国王なのです。彼は死にました」

「差し出がましいようですが、世界が評価をしているのは王女陛下ではなく、彼のほうです。故に、名誉国王の名に瑕疵(カシ)を遺すべきではないでしょう」

 かたくなな従者。

「あれは愚王でした。建前とはいえ、あれのシンパもソソンの毒となります。今日の罪人と同じです。子への虐待は心を歪めます。歪んだ子が親となれば、また悲劇を繰り返すでしょう。あなたの勧めた書物には、四割程度にその傾向がみられるとありました。民を導く者として、毒花の芽を摘んだまでのことです。父にしても、もう死んだ身です。名誉国王の座もわたくしが定めたもの。誰かに口を挟まれるいわれはありません」

「……失礼いたしました。王女の行いを非難しているのではありません。映像が流出することは、諸外国につけ入る隙を与える可能性があると申し上げたかったまでです」

「今さらです。連中の不正が白日のもととなれば憂いは消えます。あなたがそこまでいうのなら、逮捕なさい。押収品に使える物があるかもしれませんし。国賊は死罪。撮影の罪には、恥辱の強い刑を選ばなければいけませんね」

 わたくしは折れ、聡明な従者に判断を投げます。折られるたびに湧き上がる気持ちが、何かを思い出させようとするのですが、それが何かは未だに分かりません。

「撮影器具のみ没収し、泳がせましょう。テロリストは根絶やしにするべきです。連中は世界のどこかと繋がっているようですが」

「どうせロシアかアメリカでしょう」

「どの国にしても同じことです。世界は世界です。世界はソソンに毒を流し込んでいます。汚名を受けているのは名誉国王だけではないのです。あなたもまた……」

 鳶色の瞳がわたくしを射貫きます。矢じりには返しがあるでしょう? わたくしの身体には無数の抜けなくなった矢が突き刺さっているのです。


「あんな、あんな仇名で呼ぶなど。王女陛下が平和を愛する御方でなければ、国ごと焼き払ってやりたいところです」

 聡明な彼の見せる震え。わたくしはそっと肩へ手を掛け宥めます。


――あんな仇名。


 ……今は思い出すのは止しておきましょう。


「国賊の処遇は任せます、レオニート」

 わたくしはアレクサンドラとして命じ、サーシャとして微笑みました。

「了解いたしました。では、私はこれで」

 レオニートは立ち上がった後に腰を直角に曲げ、よく手入れされたジュストコールの背を見せました。本来ならばこれはタブーです。臣下は退出時に王族に背を向けぬよう、扉の横で用件を話さなければなりません。


「レオニート」

 わたくしは椅子から立ち上がり、声をあげました。


「いかがなさいましたか、サーシャ王女陛下」

 彼は背を向けたままで答えました。


「クグロフが焼けるの」

 わたしはそう言いました。


 室内にいっしゅん濃い沈黙が流れ、わたしの胸へと忍び込みます。


「焼き上がりまではどの程度でしょうか?」

 振り返らないレオニート。


「まだ半分程度。ふたり分焼かせて……」


 焼かせています。わたくしはそう言い終わる前に彼の背中へ抱きつきました。柔らかなフレグランス。


 不器用な抱擁。

 抱くほうも、抱かれるほうも。


「お返しは必要でしょうか?」

「……はい」


 わたくしは、自ら仕向けておいて腹の底が彼を拒絶するのを感じました。さかしまに、自身の若く柔らかなものを潰れんばかりに押し付けながら……。

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