麒麟児
ゾフィは、泣き疲れた彼女の頬を指の背で撫でる。その表情は未だ少女と大人の中間にある。
ゾフィは、まるで実妹でも慰めるかのような、非常に穏やかで優しい表情をしている。
事実、彼女はゾフィよりも、百ほど年下である。予断であるが、レーラとは年が近く、ストームを含め、五人の中では一番の年上である。
自らの欲求に対しては、非常に子供じみたまねをするゾフィだが、それでも彼女は知性高きダークエルフなのである。
「そう、己を責めるでないぞ」
ゾフィは、シーツ一枚しか羽織っていない彼女を、唯見つめている。
が、しかしである。
「レイン殿を見ていると、こう……如何わしいモノを見ている気がしてならんのう」
ゾフィは急にムズムズと、指を宙で蠢かせ始める。一本一本が独立して動くほどの器用さであるが、その運指は、卑猥である。
彼女の名はレインといい、ゾフィは彼女の事を「レイン殿」と呼ぶ。ゾフィはレーラと違い、レインを、自ら仕えるに値する人間だとは思っているが、基本的にあがめ奉っているわけではなく、立ち位置としても矢張り、年上らしいポジションなのである。
勿論それは、成立した関係であり、プライドのなどの拘りは、一切関係のないことだった。
ゾフィが、レインをなんとも如何わしいというのは、彼女の少女と大人の中間的なスタイルを指してのことだ。
上半身は華奢で、下半身は妙に大人びており、肌も非常に瑞々しく、大人の落ち着いた肌合いではなく、矢張り十代特有の質感をしているのだ。
オシリは少々大きめだが、決して無駄に大きい訳ではなく、バランス的にそう見えるのだ。
「相変わらず健康的な代謝よのう。肌に嫌な匂い一つついておらぬ……」
ゾフィは、添い寝をしつつ、レインの肌に鼻を利かせる。レインの肌からは、爽やかで甘い香りが微かに放たれている。それでいて微かにとろみがあるのだ。
強いて言えば、桃の果汁の香りだと言える。それそのものは、レインが元々持っていた香りだと言うよりも、日々の食生活のたまものと言うべきで、彼女に魔性の気があったり、男性を引きつける特別な何かが、元来備わっているというわけではない。
ゾフィが、レインのシーツに潜り込み、あれこれとし始める。
そして、在らぬ所にゾフィの指先が触れた瞬間、レインは顔を真っ赤にして、目を覚ますのだった。
そして、後ろから抱きついているゾフィを、振り返り様に、押し放す。
「ぞぞぞ!ゾフィさん!?」
レインは、自分が何をされているのか気がつき、可成り気を動転させているが、ゾフィは、悪びれることもなく、笑顔を作っている。
「はぁ……、もう……びっくりするよ」
ゾフィはそれほど強引ではない。レインが目を覚ますと、それ以上の事はしない。勿論レインもそれはよく知っているし、ゾフィは日常茶飯事に、レインの貞操を狙っているわけではない。
「いやなに……。相変わらず罪なお方だと思うてのぅ」
「つ……罪ってナニよ……」
「睦み合えるフィル殿に、少々や気持ちを妬きますぞ?」
「ふぃ……フィルは特別なんだよ」
「存じております」
レインは照れている。照れているが関係を否定するわけではない。レインとフィルの付き合いは、それこそ互いが十代の頃からだ。
勿論ゾフィ達との付き合いも、レインから見れば、十代からのことだが、ゾフィからら見ればレインとの付き合いは、人生の半分程度というのが現状である。その分どうしても、レインを子共がちに見てしまうゾフィであった。
手込めにしようとしたその直後、ストーム達と茶を嗜んでいたレーラの耳に、平手打ちの音が聞こえるのであった。
「どうしようもありませんね」
状況を把握しているレーラは、ぽつりと呟く。
「全く。頬を打たなくとも良いではないか」
とほほ……と、残念がるゾフィは、真っ赤な手形の残る頬を撫でつつ、レインの部屋から出ると、今来た廊下を戻っていた。
「ゾフィ様!」
アカデミ職員の一人が、彼女に声を掛ける。可成り狼狽えている様子だ。心拍数も高いようで、緊張の具合を十分表していた。エルフ族の耳には、人間の喜怒哀楽など掌の上である。よって、彼が本当に焦っているということは、直ぐに解る。
「なんじゃ?騒々しい」
ゾフィは、未だ頬を撫でつつ、立ち止まる。
「その……騒動が……」
「またか……なんじゃ!?今度はドワーフ共が鉱山にでも立てこもったか!?」
少々ウンザリとした様子のゾフィだが、こればかりは放っておく訳には行かず、壁にもたれかかり、彼の話を聞くことにする。
「いえ……」
彼は生真面目に応える。
「で?」
全く冗談の通じない状況に、ゾフィの目の色も変わる。普段いい加減な彼女だが、頼られるだけの理由はあるのだ。
「その……どうも、『禁忌』を、犯したものが……」
「禁忌じゃと?」
これには険しい顔をせざるを得ないゾフィだった。禁忌とは単純に言えば、武器及び兵器の所持、持ち出し、譲渡などである。
現状況において、重火器一つで、集落一つを陥れる事が可能であるため、アカデミーが尤も禁じている手段の一つである。戦闘行為も、そもそもは認めているわけではないのだが、いざこざが生じることそのものは、致し方のないことなのだ。
だが、重火器を用いる戦闘行為となると、それは単なる虐殺にしかならない。
勿論エルフやダークエルフなどはそれに対抗するだけの魔法を所持しているが、それでも圧倒的とは言いがたく、少なくとも大がかりな戦闘行為となり、再び前世紀的な多種族間抗争になりかねない。
「で?」
一頻り状況を考えたゾフィは、そう言って再び目配せをする。
「現在、集落には人間、エルフ、ダークエルフ、ドワーフそれから……」
「良い良い……解った」
ゾフィは、ホッとした表情をする。
確かに、問題はありそうだが、人間対デミヒューマンという構図ではなく、それ以外の状況であり、盗賊行為がその基本であるようだ。大がかりな状況ではあるが……。
「ストーム殿は、まだ知らぬのか?」
「あ……はい」
「ならば、先にそちらに報告だろう。順序を間違えるではないぞ」
「わ、解りました」
彼は、急いでストームの待つオフィスへと走って行く。
このように、暴動関連担当の職員が、日々忙しく駆け回る毎日である。
交易関係のイザコザは、基本的にゾフィやレーラでなくとも良いのだ。今回はたまたま暇を持て余していた彼女が顔を出しただけなのだが、本来彼女が担当するのは、戦闘行為に関わる事例が多い。
当に今回のような事例が、それに当たるのだ。
「やれやれ……、何故に人間は、こうも争い事を好むのかのう。尤も数が増えれば、どの種族もそれなりに問題が増えるのも確かな事……か」
ゾフィはため息をつく。ただ、それ自体には、あまり悲壮感がない。
ダークエルフは、エルフと違い、残忍且つ狡猾であり、戦闘的な種族でもある。彼等のそう言った性格の一面は、戦闘になるとより顕著になって表れる。
エルフのように、沈黙を守るということもない。
目には目をというのが基本的な姿勢である。ただ、ゾフィの場合は、少々そう言う域から脱してしまっており、それそのものが少々面倒くさく思っている。
それでも自室に戻り、巨大なサファイアが埋め込まれた、煌びやかな杖を手に取ると、それを軽く両手で持ち、ぐるぐると回してみたりする。
彼女の部屋はこういった類いの道具が多数揃えられており、どれもこれも非常に装飾が凝らされて。テーブルもアンティークだし、棚に飾られているグラスなどもクリスタルだったりと、なかなか凝り性なのである。
「準備は出来ましたか?」
ノックも無しに、ゾフィの部屋にレーラが入ってくる。
「なんじゃ?汝も行くのか?」
「重火器を持って集落を襲うということは、ただ闇雲にというわけでもないでしょう?恐らく、後方に何らかの供給源を持っているはずです」
「無論じゃろう。ただ、今はきりが無いぞ?」
「そうですね。ですから、少々抑止力というものを見せる必要も、あると思いまして」
「フム……それも一理ある……か」
ゾフィは妙に納得する。抑止力というならば、自分達が使える尤も効率的な方法を使えば良いのだが、それならば逆にレーラが付いてくる必要は無いと、ゾフィは思う。だが、彼女がついて来ると言うことは、要するにゾフィに対するお目付役でもあるのである。
では、ストームがそれを命じたのか?といえば、そうではなく、長年付き合いのあるレーラの判断である。
勿論他の事件があればそちらへ向かうのだが、基本的に防衛だけならば、集落を警護している、エルフやダークエルフに負かせれば良いのだ。
オークと違い、エルフは魔法に長けているため、彼等は主に、そういった所で外貨を化k篤している。
エルフとダークエルフは基本的に、犬猿の仲であるが、レーラとゾフィが、所謂一つの友好的象徴となり、今は両者もそれほぞ、いがみ合うことはない。
この世界は、実は混沌としつつも、これでなかなか上手い具合に回っているのである。
ただ、数的に優位な人間は、時折このバランスを崩しかねないのだ。この種族ほど、多種多様で自由なものはないと、気ままなダークエルフをもってしても、そう思わせるほどだ。
そして、その自由は何とも自分勝手で、自滅的だ。
尤も、どの種族にもこうした無頼者はいるため、一概に人間だけが―――とは、言えない。要は母数の問題なのだ。
レーラも身支度を調える。
ゾフィがローブであるのに対して、エルフは衣である。一見ギリシャ神話に出てくる神々が纏うような衣だが、胸元が大胆に開いており、その背中も露わになり、厳格さのある種族にしては、露出度の高い服装である。
ただ、非常にシンプルで動きやすいという合理性もある。
そして、エルフが尤も得意としているのは、弓術である。
剣術も使いこなせるが、デミヒューマンの中でも、比較的腕力のないエルフは、あまり接近戦を得意とはしていない。
力の強さで言えばドワーフが一番であり、次いでオークとなる。
ただ、武器を持たせての戦闘となると、オークの方がより攻撃的で、ドワーフは守備的といえた。
エルフ族は俊敏であり、特にピュアエルフは弓術を得意としている。接近戦に於いては、魔法の助力無しでは、前二者に及ばない。勿論魔法も得意としており、特に守備系の魔法を、より得意としている。
エルフは基本的に個人の個性で、ファイターになるか、アーチャーとなるか、または、エルヴンウィザード、シャーマン、ヒーラーと自らの得意分野に進む。
これに対してダークエルフは、シャーマン系と、戦士であるバーサーカーと、明確に分かれており、シャーマンが攻撃魔法を得意としているのに対して、バーサーカーは、力が強く接近戦に長けている。
身体能力を生かし、エルフと同じくアーチャーとしても戦えるが、単純に物理戦闘はどれをおいても、一流である。
シャーマンは、攻撃魔法を得意とし、防御魔法もそれなりに使いこなせる、魔法のエキスパートだが、ヒーリングスキルは極めて低い。
そして、好戦的な性行もあり、絶対数そのものが、エルフよりも遙かに少ない。
ゾフィのように、高位ダークエルヴンウィザードとなると、可成りのレアといえる。
二人は、アカデミーの所有している飛空船で、問題の地域まで行く。飛空艇は小型で高速のもので、その性能は通常の飛空艇の比ではなく、最高速は音速に達する。当然機密性にも優れている。
ゾフィとレーラは、改めて集落に関する情報に目を通す。勿論紙などではない、空間に投影されたスクリーンに、目を通しているのだ。
この辺りは特に、古代科学というよりは、投影の魔法スキルに該当する。術式を物質に付与し、そこにエネルギーを与えてやれば良いのだ。
ただ、現在、現地からの連絡は途絶えてしまっているため詳細は不明だ。
集落そのものが没してしまった可能性も否めないが、大体は、何らかのジャミングである可能性が高い。
大抵は、通信途絶という条件は、事前処理の過程であり、事後に発覚するものではない。早まった戦闘行為が行われたかどうかにもよるが、兎に角今は状況が解らない。
「しかしまぁ、少しすると直ぐに集落を作りたがるのう。街でよかろうに……」
「矢張り、街は異常なのですよ。世界と隔絶していた『壁』は、人間達にとっても、抑圧の象徴なのでしょう」
「難儀だのう。つい百年ほど前まで、己等の命を守っていた一線だというのに……」
「レイン様も、壁の上は好きだが、壁の内側は空気が悪いとおっしゃっておりますし、私もそう思います」
「そんなもんかのぅ」
ゾフィは、高速で流れる、雲を見てから地上を眺める。
海岸線沿いの向こうに鬱蒼とした森が広がり、その中に微かに見える、壁に囲まれた街が見える。
この世界の地上は、圧倒的に森林が多い。
一つは、人間が開拓をしてこなかったと言うこと。二つ目は、ルシファー復活と同時に、世界が大きくねじ曲がってしまい、本来隔絶されていた、デミヒューマンと人間の世界が、一色単になってしまったこと。
三つ目は、デミヒューマンの住む世界の植物達は、生命力旺盛だということ。
ただ、それが極端な自然破壊に繋がっているノか?というわけでもなく、皮肉なことに彼等は貧弱な栄養でも、良質で沢山の果実を身につけるため、それが数百年も続いた現在では、大地は非常に肥沃なものとなっているのだ。
勿論環境としての砂漠も存在しているが、基本的にそれほど多くはない。それが必要であると知っているかのように、必要な分だけ残されているといった感じだ。
世界は人間に厳しくとも、彼等の食物連鎖においては、決して残酷な決断を下してはいないのだ。
二人は、集落上空に到達すると、飛空船から飛び降りる。
高位魔術師ともなれば、飛翔の魔法を用いるくらいは余裕といった所だ。
ただ、永続的にそれを使用し続けられる者と言えば、本当に一握りの存在で、ゾフィもレーラも、その一握りの人種ということになる。
正直に言ってしまえば、二人にとって、飛空船でやってくる必要も、そもそも無いのだ。
ただ、適切な場所へ来る必要性と、無駄な浪費を控えるといった意味で、そうした手段を用いているに過ぎない。
「集落はあまり大きくはないようですね」
上空から見るに、拠点としての重要性はあまりないようだ。高い建物でも、精々五階もあればいいところだし、道路なども、特に舗装されている様子も無く、集落の外周も五百メートルもないだろう。周囲は、砦で囲まれており、幾つかの櫓が組まれている。
規模として、確かに手頃な集落なのかもしれない。
ただ、話に聞く重火器を用いて襲うにしては、あまりにリスクが高い。
この場合、リスクというのは、ゾフィやレーラのような存在が駆けつけるという意味であり、
彼女達に目をつけられると言うことは、組織そのものが一網打尽にされかねないということである。
「それに、誰が張ったかは知らぬが、見事な結界だのぅ。思いの外、集落そのものは無事のようだが?」
「ですね。見たところ、ダークエルヴンシャーマンの技のようですが?」
「ふむ……。都合が良すぎるが……良かろう」
二人は集落の中央広場に降り立つことにする。何故二人が集落に降り立つことが出来たのか?と、その理由は単純で、防御結界が張られているのは、側面だけだからだ。
この世界で、上空からの侵入方法を持っている時点で、それはもう軍隊である。そう言う適切な判断をしての結界で、エネルギーの浪費も避けられる。
上空から、二人が現れた瞬間、デミヒューマンの混成部隊が、わらわらと集落の広場に集まり、彼等に武器を向ける。
これだけ緊張した現場に、何の知らせもなく現れたのだから、それは確かに警戒の対象となり得る。そもそもこの集落に対する通信手段がない。
この世界における通信手段は、基本的に無線である。有線ではないから無線であり、トランシーバーの意味ではない。
「まぁまてまて!ほれ見てみぃ」
ゾフィーはアカデミーのIDカードを取り出し、周囲にそれを見せる。
それから、一応武器となる杖も、地面に置き、レーラも弓を地面に置き、両手を挙げる。
エルフの兵隊が一人、二人に近づき、ゾフィのIDカードに魔力を注ぐと、宙に彼女の個人情報が出力される。このように凝った構造になっているのは、当に偽造防止のためであり、そのテクノロジーがアカデミーのものであるという証拠にもなる。
そして、個人情報欄の一番下に、「認証」という文字がポップアップする。
「どうやら、本物のようですね」
エルフの口調は、基本的に丁寧である。
「ウム。で、この見事な結界を張り巡らせた当人に会いたいのだが?」
ゾフィは、周囲を見回す。
「ゾフィ様!」
そのとき、驚嘆と感嘆の入り混じった声がする。女性のものであるが、同時に慌ただしく彼女の所へと駆け寄ってくる。
「なんじゃ!エルザではないか!それに、ヴェルヘルミナ!何故主等がここにおるのじゃ!?」
ゾフィの方こそ驚きであった。何せ、この二人は元々彼女が村長をしていたダークエルフの集落の幹部であり、エルザは現在村長代理であり、ゾフィの右腕であった女だ。
エルザは、ダークエルヴンファイターで、バーサーカーである。非常に高い身体能力を持ったダークエルフで、シャーマンクラスとは異なり、その瞳の色は深紅に染まっている。
そして、この二人が村を離れる事など殆どあり得なず、当に遠路はるばると言ったところなのだが―――。
エルザもヴェルヘルミナも何だかモジモジと言いづらそうにしている。だが、ゾフィには直ぐに解る。
尤も彼女達とて、隠し通せるものではないことくらい、よく理解していた。
しかし、口にするにはあまりに恥ずかしいらしい。
「スイートポテトの香りがしますね。それに可成り濃厚な香りで、香ばしいです」
言えない事実を、レーラがつらつらと流暢に答えると、二人は面目なさそうに頭を下げて、尚モジモジとしている。
「主等のう……」
流石にこれにはゾフィも呆れてしまう。
「ダ……ダークエルフにとって甘味は……」
エルザは、相変わらずモジモジとしながら、懸命の言い訳をする、
「甘味は貴重である……解っておるわ……」
ダークエルフは、基本的に農耕や牧畜を行わないため、その食生活は、非常に不安定で保存食に頼ることが多い。野生の植物は手入れがされていないため、人間の作る果実や菓子のように、濃度の高い甘味を得る機会はほぼない。
何より好奇心旺盛で、食欲旺盛なダークエルフは、エルフと違い、質素倹約とは、縁遠い本質をしている。勉学は得意でも、生活という意味では、勤勉とは言いがたいのが実情だ。
よって、そのギャップがたまに、こういう行動を起こさせるのだ。
人間と交流を持つようになった今では、ダークエルフのスイーツ好きは、よく知られる所となっている。
いや、もっと単純な言葉がある。
要するに、食いしん坊なのだ。
ゾフィが手を出すと、エルザが彼女に渡したのは、焼きたての石焼き芋である。
「こ……これは!」
ゾフィの鼻がひくひくと匂いをかぎ始める。
「シンプル且つ絶妙……こんなものがあってよいのか!のう!」
興奮を隠しきれず、普段憎まれ口ばかりを聞いているレーラにすら、その半分をお裾分けしてしまうほどである。
エルフは、ダークエルフと違い、非常に高い理性を持っているが、ほっくりと湯気の立つ、黄色く色づいた割口から発せられる香りは、殺人的なほどに食欲をそそる。
レーラは羞恥心に頬を赤くしながらも、上品な口で、端の方を一口食べる。すると、香ばしく妬かれた皮としっとりとした内側が渾然一体となって、絶妙な味わいになる。
その味は、普段紳士なエルフですら、蕩けさせてしまうほどだった。
「ま……これはやむを得ぬな。主等がいてくれたことで、集落は守られているのだ。不問としておこう」
ゾフィは妙に気取りながら、咳払いを一つ入れ、一口二口と焼き芋を食べる。
しかし、ゾフィの許しを得たのもつかの間、エルザの表情が少し神妙になる。焼き芋の誘惑に負けてはいられない状況らしい。
「どうした?」
「もう、お気づきかも知れませんが、族の所持している重火器は、数丁程度ではなく、恐らく一個師団程度は、揃えていると思われます」
「なるほどのう……」
ゾフィはその意味をすぐに理解する。
いくら精鋭が揃っていたとしても、集落を守りながら戦うとなると、戦闘をしている間に、集落が襲撃されてしまうと、どうにもならない。
そのこと自体は想定していたが、重火器そのものが一戸師団分となると、防衛側にも相当数の犠牲を強いることになる。
そもそも、それほどの物量をどこから入手したのか?ということが気になる。
この結界を、よく一瞬で張れたものだと、言うことも関心するところだ。ヴェルヘルミナは。エルザの良い片腕となったようだと、ゾフィは思わず頷いてしまう。
ただ、それだけの結界を張れる理由も当然あるのだ、そもそもそれだけの人数が同時に動くと言うことは、それだけの音を立てると言うことである。
エルフ族にとって、それを聞き分けることなど造作もないことなのだ。だから警戒をしたまでのことなのだろう。
「なぁ、あんた等、アカデミーの人たちかい?」
たまりかねた一人の村人が、ゾフィに話しかける。見たところ、特に変わった所もない一般人のようだが―――。
「まぁそうだが?」
「どうにかしてくれないと、商売あがったりだよ」
「まぁそう急くでないわ。事と次第によっては、上の許可も取らんとならん。我らも唯の圧力団体ではないのだ」
「いえ、圧力団体でもありませんから」
ゾフィはこれでも真剣なのだ。ただ、言葉が不用意だ。そんなゾフィの適当さ加減を、素早くフォローするのは、レーラの日常でもある。
ただ、確かに文明の流量をコントロールしたり、鎮圧行動を取ったりしているのだから、圧力団体と言われても、仕方のない部分はあるし、少なくともそう捉えている人間達もいる。
「困ったなぁ。ナルトGTの収穫時期が過ぎちまうよ」
どうやら彼は農夫のようだ。
「何だ?そのナルトGTというのは……」
アカデミー職員たるもの、こうした市民の声にも耳を傾けておかなければならない。というのは建前で、聞き慣れない名前に、少々興味を持ったまでのことである。
「ゾフィ様が手になさっておられるそれです」
ゾフィが手にしているものといえば、地面に於かれたままの杖ではなく…………。
焼き芋である。
その瞬間。ゾフィの頭の中が、まるでスーパーコンピューターのように、目まぐるしく稼働する。いや、それほど稼働させるほどのものでもないのだが、それでも回転するものは、回転するらしい。
「何をもたもたしておる!一大事ではないか!宿で作戦会議をするぞ!」
ゾフィは拳を振り上げて、力強く積極的になる。異常なほど真剣だ。
「食いしん坊……」
少白けた視線のレーラが、思わずツッコミを入れる。
「だーまーれ!」
急に張り切り、颯爽と歩くゾフィの後ろを一同がついて行くのであった。