不意打ち・白羽の矢
旧4,5,6部分の全面改稿の後半部になります。
有り得ない どうして私が 非科研に。
下の句は思い浮かばなかったが、橘花が非科学研究所―略称:非科研―の応接室を出てきたときの心情はそれだった。
東京麻布の国立天文台に勤める彼女、鶴舞橘花はこの日、呼び出しを食らって舎密院一の鼻つまみ部署こと非科学研究所に出向き、今回の非科学研究所主導の調査団派遣への参加を命じられたのである。
冗談ではない。「非科学的事象から国民を守る」などという大層なお題目を掲げておきながら、現在の非科研は舎密院における立派な予算の食いつぶし案件だ。
彼らは舎密院内の極秘組織だが、何か妙な事が起こるとすぐにしゃしゃり出、これは非科学か、説明がつくかを論じるだけ論じて退散する、はっきり言って目障りな奴らである。橘花が知る限り、「非科学」認定されて彼らの領分に入った事件はここ20年では存在しない。おまけに彼らの占星術は自分たち天文学と思い切り業務内容が被っている。とっとと解体して、余った予算で病理研究所のの一件でも造った方がよっぽど国民を守ることになる。
そんな非科研が今度の調査団では主導だ。これはつまり、調査団の殆どは陰陽師どもが占め、自分はその指揮下に収まることになる。非科学的なものは「キツネにはうかつに近づかない方がいい」ぐらいしか信用していない彼女にとって、それは大きな屈辱でしかない。
極めつけは選考理由が「占いで君がいい結果になったから」である。怒髪頂点を衝くには十分な理由であった。
ちょうどそこに、麻布の東京天文台からわざわざご足労、上司の笹島が出迎えてくれていた。
「おかえり。大変だったな。」
最初の言葉から完全に他人事のセリフだった。
「あの笹島さん、これ何かの冗談ですよね。どうして私が欧州なんかに行かなきゃならないんですか。それもよりによって『陰陽寮』主導の調査団で…私が何したっていうんです」
「あちらの研究所直々のご指名だからなぁ。君の気持ちも分かるが…諦めなさい。元気でね」
「もうお別れみたいなこと言わないでください!大体、今までに『陰陽寮』が『海外の事情に関わった』前例なんてあったかしら。内政干渉じゃないの」
橘花がふと気が付くと、笹島は怪訝そうな顔をしている。「お前、さてはろくに話聞いてなかったな」と言いたいのだろう、口に出さなくても分かった。
「鶴舞、良く聞け。今回の件はよく分からない理由により英国が被害を被った。後世の歴史にも、学生の教科書に載る程度には語り継がれるべき『事変』となりかねない」
次に笹島が言った言葉が、この事件の重大さを物語った。
「これは英国政府からの、正式な要請に基づいた派遣だ」
驚きのあまり、どういうことです、と言ったつもりが声にならなかった。
「私も詳しいことは知らんが、英国はわざわざ『オクァルトに詳しい方を寄越せ』と要請してきたらしい。よほどの事情があるんだろな」
「…なぜ英国は極秘のはずの非科研を知ってるんです」
「何か繋がりがあるらしい。機密漏えいなら心配する必要はないぞ。ともかくこれは何も非科研の独断専行だとか、手柄欲しさだとかそういうことではない」
繋がりとやらが何なのかは良く知らんが、国際社会にはあれをご存じで、必要とする存在も居るのだということは分かった。
しかし、もう一つ理解のいかない事が、橘花にはあった。
「で!どうして私が派遣されるんですか!笹島さん、選考理由に何の疑問も抱かないんです?占いですよ占い!私にはサイコロ振って適当に決めたと言われたようにしか思えませんでした!」
「こーら、声がでかいぞ。そして場所も悪い」
笹島にたしなめられ、あわてて橘花は口をつぐんだ。通りすがりの陰陽師らしき人があまり良い印象を抱いているとは思えない顔でこちらを見てくる。一般的ではないとはいえ、自分の職務を蔑まれたのだ、当然であろう。
「私はそういう人選の方法も一つの手段として有りだと思うぞ?足利の何とかいう将軍は跡継ぎの際くじ引きで決まったはずだ」
「反乱起こされてませんでしたっけその人」
「ついでに暗殺もされてるね」
毎度毎度、この人には調子を狂わされる。
「まあ暫くは為政者として権力を振るっていたと思うぞ?なにより彼は『くじ引きで選ばれた』ことを『天からのお導き』だとして利用していた」
「さいですか」
「元気出しなさいよ…何はともあれ『厳正な』占いの結果だろう。とくに彼らはその道に関しては右に出る者の無い、あー、“プロヘッショナル”だ。私がサイコロ振るとかより信頼に足るんじゃないのか?」
まだ煮え切らない点はあるが、そこまで言われては橘花もそろそろ観念するしかない。彼らは研究所のある麻生に帰ることにした。未だに周囲の非科研職員からの視線は怖かった。
「ところで、なんでそんなに詳しく知っている割に、その将軍の名前は出さないんです」
「誰だったかな。義持?義政…」
「義政はさすがに違うでしょう」
予算節約のため陰陽省の位置する内幸町から駐日英国大使館のある半蔵門近辺までは歩きである。わきを走る東京市電は相変わらず激しい混雑で、足を踏み入れれば服があちこち乱れるのは避けられないだろう。
「お待ちしておりました、早速で申し訳ありませんが、例の方はすでにいらしているので、こちらへ」
着くなりエリオット大使からの挨拶があった。歴代の英国大使の例に漏れず大変な知日家であり、仏教に関する研究をしているという。弓削島も彼の著作には一応目を通したことがあった。しばしそれについての話題で盛り上がる。
立ち話も何ですから、という簡単な社交辞令を済まし、案内に従って応接室に通された弓削島を待っていたのは、きちんとした正装に身を包んではいるが、どこかあどけなさの残る一人の少女であった。
「ご紹介します。わが英国の魔法省からの連絡役として配置されました、マージェリー・ベルグソンさん。現役の魔術師です」