プロローグのその後
「バイエルン級に似た戦艦」はその後、立ちはだかる障害―われらが英国艦隊の事だ―をものともせず、有ろうことかケルト海を横切り、セントジョージズ海峡からアイリッシュ海に侵入する針路を取った。道中で民間貨物船を一隻沈め、さらに二隻に砲撃を加えている。本土沿岸部にもその砲門が向けられることは容易に想像がつく。
そんなことをされては困る。アイリッシュ海沿岸にはマンチェスター・リヴァプールほか重要な工業地帯が位置するのである。何をしでかすかも分からない戦艦をそのような場所にハイハイどうぞと通す訳にはいかぬ。
〈ルックアウト〉からの通信を受けた英国海軍は北緯52度線を絶対防衛線と定め、もてる艦隊を全て投入し、3重にもわたる戦列を構成。その最前線に立たされたのは、速力では若干不足だが一級の戦力であるリヴェンジ級3隻を擁する艦隊であった。
彼女らが22ktまでしか発揮できない低速戦艦とはいえ、迎撃戦という性格上相手取るには十分であった。もちろんより優速なQ.エリザベス級ならなお良かったのは否定しないが、これには海軍上層部がリヴェンジ級を若干能力が劣る分使いやすく思っていたから、という面もある。
6月21日午前09時ごろ、先遣の偵察巡洋艦〈アクティブ〉が件の不明艦を発見。約1時間後には本隊が到着。旗艦レジスタンス座乗の戦隊司令より全艦攻撃開始が下令された。
もともと戦隊は不明艦に向け理想的なT字戦となる事を予想して布陣していたものの、不明艦は事前に察知したのか急速取り舵。かくしてアイルランド島向きの同航戦となった戦闘は苛烈を極めた。
相手の砲撃は人間業とは思えぬ正確無比さを誇り、3斉射目にして早くも至近弾を得られてしまった。狙われたのは二番艦〈ロイヤル・オーク〉。必死に回避を試みるも、更に2斉射後、とうとうY砲塔に被弾。迅速な注水により弾薬庫への誘爆こそ避けられたものの、何とY砲塔は跡形もなく吹っ飛ぶばかりか、隣のX砲塔の側壁までも損傷、使用不能に陥れ、おまけに左舷側プロペラシャフトを歪め、速力を16ktまで低下させた。
しかしやたら正確な砲撃を行うとはいえ相手はたった一隻、こちらには数の理があった。
最初に命中弾を与えたのは戦艦〈レゾリュ―ション〉である。彼女の第8斉射は不明艦の第一砲塔を捉え、基部で爆発した。少なくともバーベットを歪めるくらいの仕事はしたらしい。〈レゾリュ―ション〉の士気は絶頂に達し、その後もメインマストををなぎ倒すなどの戦果を挙げた。
不明艦はそれでもその攻撃の正確さを衰えさせることはなく、〈ロイヤル・オーク〉は第二砲塔と一部の副砲を除いて戦闘能力を喪失し、よろよろと戦線を離脱していた。しかし、そんな苦境ももうすぐ終わるだろう。〈レジスタンス〉座乗のチャットフィールド少将は内心そう思っていた。
〈レジスタンス〉は前もって巡洋艦4隻を中心とする水雷戦隊をアイルランド島沿岸に伏せており、頃合いを見計らって左舷側から雷撃支援を要請する手はずであった(このとき魚雷は不明艦の背にいる自分たちにも向かってくることになるが、射程が余り長くないため不明艦とある程度の距離を保っていれば安全である)。もう5分もすれば支援隊が到着し、この海域は魚雷で満たされることになるだろう…
ところが、あれだけ盛んに砲火を打ち上げていた不明艦の様子がおかしい。あたかも突然興味が失せたかのように取り舵で離脱しようとしている。あいつ、伏兵を察したか。
そしてチャットフィールドはあることに気が付いた。相手の行動から察するに、奴は支援戦隊の戦列を強行突破する気だ!
〈レジスタンス〉を追撃に移行させようとするが、相手の後部砲塔からの攻撃で牽制を受けた。艦尾の兵員室をつぶされたようだ。
止める間もなく不明艦は23kt程度まで加速し、セントジョージズ海峡から急速離脱していた。行く先には、雷撃体制を整えようとしている巡洋艦部隊が…
C級巡洋艦〈カンブリア〉に率いられた支援戦隊は、目標のいきなりの突進に一時的なパニック状態に陥った。慌てて魚雷発射管を旋回させ、準備のできた備砲を撃ちはじめるものの、もはや自暴自棄としか思えない敵艦は多少の被弾では動じない。それどころか副砲を(かなり正確に)乱射され、一部の駆逐艦は落伍しはじめていた。目標は前向きであるため的が小さく狙いにくい。
「全艦魚雷、発射準備よし!」
「打ち方はじめ!」
相手がやけくそならこちらもやけくそである。本来それなりの遠方から発射される予定だった40を超える魚雷たちは、ろくな狙いもつけず―それでもこの至近距離からなら数本は当たるだろう―海原に放たれた。今日の午前中いっぱいに渡りブリテン島南側海域を引っ掻き回してくれた正体不明戦艦さんよ、いざさらば、死なばもろとも。
次の瞬間にわかに信じがたい現象が起こった。前進する敵艦は第二砲塔を最大俯角にし、発射。砲弾を、ではない。「砲身を」…
「着弾」地点の海水の色がこちらから見て明らかに分かるほど、扇状に変わった。そして、魚雷の引っ張る白い航跡がその扇形のベルトに差し掛かろうとして…例外なく全て、水中爆発した。
あまりの出来事に唖然としている戦列に、間一髪命拾いした戦艦は猛然と突っ込んだ。不幸にも進路上にいた巡洋艦〈コンケスト〉が、正体不明艦の艦首―旧式戦艦の象徴たる「衝角」―に喫水線下を抉られ、23ktで進む180m弱の大型艦の織り成す運動エネルギーの前に成すすべもなく折れ曲がり、横倒しになり、沈んで行った。
戦艦は速度を緩めることなく、支援戦隊の戦列を尻目に去って行った。
一連の戦闘で巡洋艦〈コンケスト〉沈没、戦艦〈ロイヤル・オーク〉が大破、戦艦〈レジスタンス〉と巡洋艦〈アクティブ〉、他3隻が中破、駆逐艦にも8隻に被害が及び、うち4隻が沈没している。
英国海軍にとって恐怖の象徴となった正体不明の戦艦。いや、その戦い方を見るに、「戦艦のような化け物」…その艦影について目撃者は議論を繰り広げたが、いずれの艦でも誰かが「バイエルン級」の名を出すと、次第に「確かに似ていた」と同調する者が増えて行った。
英国が落ち着きを取り戻し、軍縮会議中のワシントンD.C.を含む全世界に詳しい情報を打電したのは英国標準時10時15分ごろの事。時差を4時間引いて、ワシントンD.C.に電文が届いたのは午前7時16分のことである。
ただ、この日の午後4時ごろミゼン岬沖で目撃されて以来、「バイエルン級に似た戦艦」の目撃情報はぱったりと途絶えることになる。
次回から本編に入りますが、だんだんファンタジックな内容になってきます。
暫くの間戦艦同士のドンパチはないです。多分。
なお戦艦「レジスタンス」は建造中止になったR級(リヴェンジ級)の6番艦ですが、この世界ではしれっと完成、就役しています。レナウンとレパルスは史実通り巡洋戦艦の予定ですのでご安心を。