『彼女』
「冬のあしあと」企画
東京ローズに
王都を護る防壁は冬の弱い陽の光を背に黒くそびえていた。
防壁の足許に広がる耕作地には攻め手の軍勢がひしめき、王都を囲んでいる。
真冬の電撃侵攻という奇策に、王都陥落は時間の問題と謂っていい。
一面の雪は昼間兵どもの足によって泥と捏ねられ、陽が落ちると共に凍りつき、その上に雪がまた積もる。
兵どもの死体を飾る様に。
攻め手には勝算があった。それは今でも変わらない。
誤算は戦が長引いてしまった事、それも一人の女の為だった。
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──貴方は今夜何処で眠るの?
雪の積った塹壕の底かしら?
それとも後方の簡易テントの中で娼婦と一緒に?
……どちらにしても貴方の奥方は他の殿方とベッドにいるわ。
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「まったく忌々しい!」
初老と呼ばれる歳になりながら未だ血気に満ちたレスター将軍が、唸りながらうろつく。
司令部として利用されている天幕の中には他にラウル将軍、バーモント伯爵の姿があった。
通常行われる事の無い冬期侵攻、そして速やかな部隊連携を可能とする『通信宝珠』の利用。それがこの戦を短期間に終わらせるはずだった。
まさか通信宝珠をこの様な形で逆手にとられるとは。
「通信宝珠は少ない消費魔力で扱える、一般人でも難しくない。それが仇となっていますな」
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──少し考えてみて欲しいわ。
何故貴方はそこにいるのかしら?
こんな冬の夜に塹壕の底で凍えてるのは何故かしら?
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三人の間にある卓の上には、目の前にある王都の地図や資料、三人分の珈琲茶碗の他に、通信宝珠が一つ、転がっている。
声は宝珠から流れていた。
艶かしくも上品な発音で、厭な言葉を紡いでいる。
「こんなものを兵どもは一晩中聴いておる!士気があがらんはずだ!」
「まぁ……睡眠不足にはなりますな」
苛つくレスター将軍の言葉にバーモント伯爵が嘆息する。
「とはいえ、兵どもにとっては数少ない娯楽になってもいますから……禁止にする訳にも」
「ラウル殿!情けない事を云うな、没収してしまえばよいのだ」
だいたい通信宝珠は部隊間連絡の為にある。個人で持つ理由は無いのだ。
「没収の仕様がありませんぞレスター将軍」
バーモント伯爵が天幕の向こうを見る様な仕草をする。
通信宝珠を造るのに使う材料はそこらに転がっているのだ。
音と映像の両方を相互に通信し合う感度の高い宝珠を造るなら、水晶の塊が必要になる。
が、映像など映さず声を聴くだけならただの石ころに簡単な魔方陣を刻むだけで出来てしまう。
没収してもすぐに造れるのだ。
「……また雪が降ってきましたな」
身体を暖める術が無い兵には、敵の策と解っていても聴かずにはいられまい。
バーモント伯爵はまた嘆息した。