鴨の親子
一
傍らの舗装道路で多くの車が交通渋滞に嵌って人間たちが苛々しているのを尻目に鴨の親子が人工の池に浮かんで、のんびりと時を過ごしています。
大きな木が投影されたところまで来ますと、母鴨が言いました。
「さあ、さあ、みんな、見上げてごらんなさい!桜の花が綺麗に咲いていますよ!」
「ああ、ほんとだ!」「満開だ!」「お日様に照らされてきらきらしてるね!」
そんな風に口々に言い合う子鴨たちより池辺に近いところにいた子鴨が叫びました。
「ああ、ほとけのざだ!ほとけのざだ!」
真っ先に母鴨がその子の視線の先にある土手を見て、「よくそんなに小さな花を見つけましたね!えらいわ!えらいわ!」と言って褒めてやりますと、他の子鴨たちも菜の花やタンポポやヤマツツジなどを見つけては、はしゃいでいますので母鴨はとても気持ちが華やいで子鴨たちと共に幸せをかみしめるのでした。
その内とっぷりと日が暮れてきましたが、相変わらず人間たちが自分たちの造り出した道と車の所為で騒音と排気ガスをまき散らしながら苛々していますので母鴨は幸福感に加え優越感に浸りながら皮肉な事を言いました。
「私のかわいいかわいい坊やたちや!渋滞に苦しむ人間たちの造ってくれた池は居心地が良いですか?」
すると、「とっても良いですよ!お母さま!」「快適ですよ!お母さま!」「気持ち良いですよ!お母さま!」などなど喜びに満ち溢れた言葉ばかり返って来たものですから母鴨は水面を照らしてくれる電灯の明かりを皮肉を込めて見やりながら、ますます幸福感と優越感に浸るのでした。
ニ
橋の欄干に寄り掛かって人間たちが川を泳ぐ鴨の親子を眺めています。
「人間たちが僕たちを喜んで見てますよ!」
子鴨の一羽が言いますと、母鴨は答えました。
「私たちを観賞して楽しんでるんですね。」
「へえー、何で僕たちを見ると楽しくなるのですか?」
もう一羽の子鴨が言いますと、母鴨は答えました。
「私たちの様子が微笑ましいからでしょうね、それに坊やたちが可愛いからでしょうね。」
「へえー、そうすると僕たちは人間のアイドルですね。」
もう一羽の子鴨が言いますと、母鴨は答えました。
「そうとも言えますね、でもね、人間は観賞する立場になれば、自分の目を楽しませてくれるという理由で私たちを優しそうに見守るけど、猟師の立場になれば、懐を温めてくれるという理由で私たちを鉄砲で撃ち殺して、食す立場になれば、舌包みを打たせてくれるという理由で私たちを食材にするエゴイストなのよ。だから今、優しそうに見てるからって人間に気を許しては駄目ですよ。それに人間にはくれぐれも気を付けなきゃ駄目ですよ!」
「はい、分かりました。お母さま!」
子鴨たちは一斉に口をそろえて返事をしました。
三
池辺で餌をやる人間に他の鴨が群がっているのを横目に鴨の親子が池で泳いでいます。
「何で人間は僕たち鴨に餌をくれるんですか?」
子鴨の一羽が言いますと、母鴨は答えました。
「私たち鴨を気に入ってるからでしょうね。」
「優しいからじゃないんですか?」
子鴨の一羽が言いますと、母鴨は答えました。
「そうじゃないと思うわ。だって私たち鴨は別に飢えてる訳ではありませんから哀れに思って餌をくれるのではないでしょ。現に同じ人間のホームレスに同情して恵むことはしませんからね。」
「そうですか、ということは、つまり、人間はお母さまの理論で言うと、餌をやる立場になれば、自分の目を楽しませてくれるという理由で餌をくれるエゴイストなんですね。」
子鴨の一羽が言いますと、母鴨は答えました。
「そうよ、人間は自分が得になることしかやりたがらないんですよ。」
「でも、人間は被災者に募金したりボランティア活動したりするじゃないですか。」
子鴨の一羽が言いますと、母鴨は答えました。
「そうですね、でも、それも皆がするから私もしないと人でなしみたいに思えてしたり、優越感に浸りたいからしたり、良い暇つぶしになるからしたり、良い運動になるからしたり、良い人になった気分になれるからしたりといった具合に自己満足でしてる場合が多いのですよ。」
「はあ、そうなんですね。」
子鴨たちは一様に納得しました。
四
鴨の親子が下流から上流へ向かって川を泳いでいます。早瀬に差し掛かりますと、坊やたち!波に呑まれないように頑張るのよ!と母鴨が子鴨を励ましながら導いて進んでゆきます。
今日は鴨のチョウメイという名のお爺さん鴨のところへ行って教授してもらうのです。
無事チョウメイさんのいる河原に着きますと、母鴨が言いました。
「こんにちわ、チョウメイさん、今日は坊やたちに色々教えてもらいたいと思いまして参りましたの。」「おう、そうかい。それは丁度よかった。実はわしは今、随想録を頭の中でしたためておったところじゃからの、それを掻い摘んで語ってやろうかの。」とチョウメイさんは言いました。「えーと坊たちは人間の家を見たことがあるじゃろ。」
「はい、あります!」と子鴨たちが答えますと、チョウメイさんは言いました。
「わしらから見ると大層、大きくて立派な物じゃが、実はな、この絶えず流れる川のように、また、あの川面に浮かぶ泡のように留まる事無く時が経てば移り変わってゆく儚い物なのじゃ。何もかも無常ということじゃな。」
「どんなにお金持ちの家でもですか?」と子鴨の一羽が聞きますと、チョウメイさんは言いました。
「そうじゃ、火事で焼けたり、地震で崩れたり、台風で壊れたり、その度に建て直したり、落ちぶれれば小さくなったりと絶えず変わるのじゃ。」
「住んでる人間もですか?」と子鴨の一羽が聞きますと、チョウメイさんは言いました。
「そうじゃ、人間は長生きしようと無駄な足掻きをして無駄に余計に生きるようになって高齢化社会の弊害を招いておるが、所詮、地球の歴史、宇宙の歴史から見れば、取るに足らないことで朝に誰かが死に夕に誰かが生まれ、朝に誰かが生まれ、夕に誰かが死ぬ、宛ら消えては浮かび浮かんでは消える水の泡のように代わる代わる住人が変わるのじゃ。全く人間の命はあの土手に咲く朝顔の花の如く、はたまた、それに宿る露の如く儚い。その短い間しか住まない家を、而もいつ災害に遭うかもしれない家を何故にあんなにまで苦労して作り、何故にあんなにまで飾り立てるのか、自然の猛威に対する無力を自覚しても忘却して煩悩を捨て去る事が出来ず、また破損したらどうしようと心配の種を態々増やすのじゃから全く無駄なことじゃ。その点わしらは賢い。」
「そうですわね。」と母鴨が言いました。「私たちは巣作りにいたしましても必要以上のことはしませんものね。それに引き替え、或る人間の老夫婦なんぞは、そんなに色あせてもいない壁を態々業者を呼んでお金をかけて塗り直させたりしていますからね、余命いくばくもないというのに・・・オホホ!」
「ハッハッハ!全く馬鹿げとるわい。」とチョウメイさんは言いました。「人間は見栄を張るという悪癖があるからじゃろうな。」
「見栄を張るってどういうことですか?」と子鴨の一羽が聞きますと、チョウメイさんは言いました。
「他人から良いように見てもらうために上辺を飾ることじゃ。そのように人間は上辺を重視するもんじゃ
から友を求める場合もじゃな、愚かにも親切を装う偽善者を選んだりするのじゃ。」
「それに人間はエゴイストですから自分の得になる様な財力の有る者を崇めて友にしようともしますわね。」と母鴨が言いますと、チョウメイさんは言いました。
「そうなんじゃ、深い情を持った人や正直な人こそが誠の友情を持っておるのに必ずしもそういう人を友として愛さないのじゃ。いざという時はそういう人しか助けてくれたり役に立ったりしないのにじゃ。じゃから坊たちも深い情を持った者や正直な者を友とするのじゃよ。」
「はい!分かりました!チョウメイさん!」
子鴨たちは一斉に答えました。
五
「それにつけても我々は身分の差も貧富の差もないが、人間の世界にはこの両方が歴然とあってな、その為に世渡りが世知辛くなるのじゃよ。」
チョウメイさんが言いますと、子鴨の一羽が聞きました。
「どういう風にですか?」
「身分が高くて富める者、取りも直さず強者は、身分が低くて貧しい者、取りも直さず弱者より偉いから幅を利かすことになるじゃろ、じゃから弱者は強者の傍に住むと、何かと遠慮がちになり、立ち居振る舞いの自由が利かなくなり、時には強者に対し、びくびくと恐れることになり、我々に置き換えて言えば、獰猛な鷹の傍に住むのと同じことになってしまうのじゃ。尤も我々は態々そんな剣呑な立場を選んで住むという愚かしいことはせんが、ガッハッハッハ!また、強者は弱者と違って金を一杯持っておるから贅沢な暮らしが出来るじゃろ、じゃから弱者が強者の傍に住むと、弱者は朝夕、強者に対し引け目を感じ劣等感を感じなければならなくなる。おまけに強者にあわよくば、おこぼれをもらおうとおもねりへつらうことになってしまうのじゃ。糅てて加えて自分の家族が強者を羨ましがる様を見たり、強者に自分が等閑にされたり軽視されたりして、その度に嫌な気がしたり落ち込んだりして心の平安を望むべくもないのじゃ。」
チョウメイさんが言いますと、子鴨の一羽が聞きました。
「平等じゃないからですか?」
「そうじゃ、そして弱者は、強者に対し自分の無力を感じて遂には憤り、怨恨、憎悪、非難の感情、取りも直さずルサンチマンを抱くことになるのじゃ。一方、強者は強者で足るを知ることが出来ず限りなく貪欲になってしまうから幾ら金があっても幾ら弱者から搾取しても欲が満たされずに苦しむのじゃ。まあ、中庸を心得ればええんじゃが、格差が広がったことも有って中々そう心掛けられる者もおらんから斯様に人間はどっちみち心の平安を得ることが出来んのじゃ。」
チョウメイさんが言いますと、子鴨の一羽が聞きました。
「住む場所を変えてもですか?」
「そうじゃ、人間は建物が櫛比する都会に住むと、近所で火事が起こった時に火災の被害から逃れることができないし、田舎に住んでも交通の便が悪くて不便じゃし、強盗の被害に遭う恐れが高くなってしまうから矢張り心の平安を得ることが出来んのじゃ。」
チョウメイさんが言いますと、子鴨の一羽が聞きました。
「そうなると、友達との友好に心の平安を求めるしかないですか?」
「しかし、他の者を頼ると、その者に感化され、その者の所有物になってしまう。逆に他の者を感化しようとしても力量がないから単なるお節介になる。だからと言って他が正しいとして世間に合わせると、自由が利かなくなって苦しくなる。逆に世間に合わせないと、異質な者として扱われてしまう。一体全体、何処に住んで、どんな身の上になれば、心が落ち着いて心の平安を得られるのじゃろうか、人間という奴は・・・」
チョウメイさんが呆れ返って沈黙してしまいますと、鴨の親子も沈黙してしまいました。
六
「まあ、わしの言うことは今よりもっともっと野蛮だった戦乱動乱の世に生きた大昔の世捨て人、鴨長明の方丈記に基づいておるから現代には当てはまらん部分もある。じゃから人間がわしの言うことを聞いたら鼻で笑うじゃろうがの、しかしじゃ、鴨長明は核心をついておって、わしの言うことには一理もニ理もあるから心の底では否定しきれぬ悲哀を感じるに違いないのじゃ。」
チョウメイさんはそう言いますと、自分の住まいを鴨の親子に紹介しました。
「兎に角、狭いからの、君たちを招待するという訳には行かんが、極力、質素にシンプルにして無駄を省いた結果こうなったのじゃ。これでも全く不足はないが、普段はだ~れも来んよ。孤独を愛してるから自分から会いに行きもせん。謂わば、隠遁生活じゃな。まあ、俗な者から見れば、不幸に見えるかもしれんが、ええもんじゃよ。煩わしいことがないし、こんな住まいでも恥ずかしい思いもせんしね、只々四季折々の変化に富んだ自然の風景の無常を楽しんで飽きることがない。台風や地震に襲われたって何も損なう物はなくて、な~んも心配せんでよいから気楽なもんじゃよ。世の虚しさ、儚さを知り尽くしておるし、人間みたいに名声も富も求めんし見栄を張らんから煩悩もない。よって心の平安をいつも味わっておるのじゃ。」
「人間より全然幸せですわね。」と母鴨が言いますと、チョウメイさんは答えました。
「ああ、宜なるかな。」
「でも、失礼ですが、チョウメイさんは友達がいるんですか?」
子鴨の一羽が聞きますと、チョウメイさんは答えました。
「いないよ。悲しい哉、正直な者、情の深い者、そういった見上げた人物と出会えないしね。じゃからって嘆いてばかりおる訳ではない。何たって、さっきも言ったようにわしは孤独を愛しておる。係累なき自由、これを愛しておる。じゃから、わしは孤独じゃからって卑下せん。却って孤高じゃから孤独になるのじゃと誇っておるくらいじゃが、結局はみんな孤独なのじゃよ。一遍上人の言葉を借りて言えば、『生ぜしも独りなり、死するも独りなり、然れば鴨(人)と共に住するも独りなり、そいはつべき鴨(人)なき故なり』つまり、生まれる時も死ぬ時もお供はなく独り、それと同様に同じ釜の飯を食う者がおっても陳亮が同床異夢と言ったように、また、道元が他は己ならずと言ったように独り、とまあ、そんな訳で猫も杓子も一生孤独なんじゃから頼りにすべきは自分なんじゃ。仏法でも主体性の重要性を色々説いておって『己こそ自信の拠り所』としておる。よって自分で何でも出来るようにしにゃな。出来なくなったら死ぬまでじゃ。まあ、わしみたいに孤独になれとは言わんが、坊たちも何でも自分で出来るようにせなな。世渡りは厳しいからのう。」
「分かりましたか?」
母鴨が聞きますと、子鴨たちは悲壮感を漂わせて頷きました。
七
人がこの世を生き抜くことが厳しいのとは別の意味で鴨も生き抜くことが厳しいのです。そして人生に離愁が付き物のように鴨の一生にも離愁が付き物です。
母鴨は子鴨たちを外敵から守り通し、到頭、飛翔能力を身に着けた子鴨たちとの別れの日がやって来ました。因みに父鴨は鴨狩に遭って殺されたのでこの場にはいません。
「さあ、みんな、私たち親子にも親離れ子離れの時が来ました。とても辛いことですけど、これが私たちの宿命なのですよ!分かりますね!」
母鴨が言いますと、子鴨たちはみんな力いっぱい答えました。
「はい!お母さま!」
「チョウメイさんが仰ってたでしょ、みんな孤独なんだって!だから私たちも離れ離れになるのですよ!
分かりますね!」
母鴨が言いますと、子鴨たちはみんな力いっぱい答えました。
「はい!お母さま!」
「また、どこかで逢うことも有るでしょうから、さよならは言いませんからね!」
母鴨が言いますと、子鴨たちはみんな力いっぱい答えました。
「はい!お母さま!」
「さあ、みんな、明るい未来に向かって一斉に飛び立ちましょう!」
母鴨が言いますと、子鴨たちはみんな力いっぱい答えました。
「はい!お母さま!」
それを聞くなり母鴨が真っ先に飛び立ち、続いて子鴨たちも翼を勢いよく羽ばたかせ、水面から潔く離れて行き、それぞれ違う方角へ向かって旅立って行きました。
鴨の親子が去った後の水面は、立つ鳥跡を濁さずでエメラルドのように澄んでいて瑪瑙のような波紋を幾重にも広げながら、お日様の光を浴びてきらきら輝いていました。