1。始まり
少し前に日は落ちた。
隣家の明かりが少し向こうに小さく見える。
理髪店の釣り看板がガタガタと音を立てて揺れるほど風の強い中、開け放たれた店のドアから光が煌々と、その前に立つセノオの背中を照らしていた。
箒を片手に目を見開き、蒼白の顔色をした彼女の前には、風の影響を全く受けずにフワフワと浮かぶ白い球体が1つ。
これがセノオとガラタナの出会い。
トルネオ王国西部。カイヅ村。
対岸が見えないほど大きな湖を有するその村は漁業が盛んで、湖の回りにはポツポツと土とレンガで作られた可愛らしい家が点在し、その湖を一望できる小高い丘には羊や牛が放牧されている。
穏やかな気候が似合うその村の日頃の出来事といえば、牛や羊がたまに逃げ出し、村民皆で探し回ることや、八百屋を営む夫妻の下らない夫婦喧嘩の仲裁など……。
特に大きな事など何もない『長閑』の代名詞としても使えるような村。
空と湖が茜色に染まりキラキラと輝き、子ども達が友達同士で明日も遊ぼうねと手を振っているのが窓から見える。
「ありがとうねセノオちゃん! 旦那もまた惚れ直すよ!」
「あれ以上惚れるのは無理なんじゃないの? おばちゃん」
白いケープをバサバサと振りながら、今日最後のお客さんを見送るのはこの村唯一の理容師。セノオ。
14、5歳姿。彼女が笑う度にアッシュブロンドの肩ほどまである髪が楽しげに揺れ、ブラウンの瞳の大きな目が弧を描く。
とても可愛い少女。
お客の女性はアハハと大きな声で笑い、後ろ手で手を振り家路についた。
セノオは手を降り返し、彼女が見えなくなると思いっきり背伸びをした。
「今日も終わった~! さて掃除掃除!」
身を翻せば、髪とワンピースの裾がフワリと楽しそうに浮いた。
お客は変われど、繰り返すこの平和な日常にセノオは満足していた。
「ふぅ。終わった」
セノオ一人で切り盛りする理髪店の掃除が終わったのは、日が落ち、辺りも暗くなってからだった。
外は風が強く吹いているようで、外壁に付けてある理髪店の吊り看板がガタガタと鳴っていた。
壊れてしまっては困ると、箒を持ったまま慌ててドアを開けて外に出ると目を見開いてセノオは止まった。完全に停止した。
……何かが居る。
ドアを開けた真ん前に15センチくらいの白い球体がフワフワ浮いていた。
『……あなたは、セノオ?』
白い球体から声が聞こえた。
「!?」
白い球体は風の影響とは考えにくい、ゆっくりした動きでセノオに近づいてくる。
その奇怪な様子にセノオの肌にはザワザワザワザワザワザワと鳥肌がたつ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
剣豪も青くなる速度で持っていた箒を振り下ろし、白い球体を叩き落とした。
白い球体は叩かれた勢いそのまま地面へと消えた。
「なに、今の」
心臓が破裂しそうなほどバクバクと鳴り、白い球体が消えた場所を呆然と見ていると黒い何かが盛り上がってくる。
「ひっ……影が」
開け放たれていたドアによって出来たセノオの影は、みるみる立体になっていき、影が完全に足元から切り離され人の形になった。
セノオは恐怖でペタンと尻餅をつき、ブルブルと震える腕でそれでも何とか少しずつ後ろに下がる。
セノオと同じポーズで座る黒い人形に徐々に人間のパーツが出来ていく。
背中まである黒い長い髪。長い手足。セノオと同じだが少し大人びた顔。浅黒い肌。黒い瞳。
焦点が定まったソレはセノオを見ると、そっと手を伸ばしてきた。
『セノオ』
「ひっ」
ソレは、か細い悲鳴をあげたセノオに向かい伸びた、自分の手に視線を向けた。
両手を眺めてニギニギと動作の確認をする。
『……体だ、体だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ソレが叫ぶ。セノオも叫ぶ。
嬉々とした表情を浮かべたソレは勢いよくセノオの両手を掴み、
「セノオ!! この体じゃなくて元の俺の体に戻してくれ!」
恐怖の限界を迎えたセノオの視界はブラックアウトした。
読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字等ありましたら申し訳ありません。