輝く瞳
翌日は宿で朝食を済ませ、散策をしようと外に出た。
肩から下げている小さな革の鞄には、宿の女将が作ってくれた手作りのマフィンが3つ入っている。
おやつ代わりに食べなさいと、出かける前に親切な女将が持たせてくれたのだ。
そういえば、女将は他の宿泊客にもマフィンを渡していたな。
ちょっとサービスしすぎではないだろうか。
まだ朝は早い。
太陽は上まで昇り切っておらず、地平線から顔を覗かせながらちらちらと赤い光を揺らしている。
通りを歩く男性や自宅前を箒で掃除する婦人のほかは、誰も通りに出ていない。
シャレイドスコロプの朝は実に静かだ。
家や建物の色は白・黒・青で統一され、より一層しんとした静けさが引き立っているような気がする。
東に向かって歩いていくと、おしゃれな円形の広場に着いた。
中心には、勢いよく水を噴き出している白い石造りの噴水。
その周りには金色のモニュメントが数体設置されており、朝日を浴びてきらきらと輝いている。
金剛石の欠片が舞い散っているようでとても美しい。
広場のあちこちには黒い金属製のベンチも用意され、人々の憩いの場として利用されているのが伺えた。
ふと端にあるベンチのひとつに目を向けると、小さな影が丸まっているのが見えた。
近づくにつれて、それは大きな帽子を被った少年が寝ている姿であることが分かった。
昨日の、星くず拾いの少年だ。
「きみ、こんなところで寝ていては風邪を引いてしまうよ。」
できるだけ不安がらせないように声をかけた。
少年はぱちっと目を開けて、私を見る。
しぱしぱと瞬きをした後、眠たそうな響きを含みながら丁寧に言葉を返した。
「大丈夫です、もうじき鑑定屋が開くので。それまで待ってるんです。」
丸いビンを大事そうに抱え、少年は姿勢を行儀よく整えてベンチに座り直した。
「そうか、休憩を邪魔して悪かったね。」
きっと夜通し星くずを拾って、疲れているのだろう。
先ほどきちんと整えていたはずの少年の姿勢はいつの間にか、ふにゃんと崩れていた。
たくさん聞きたいことはあるが、寝かせてあげる方が賢明だ。
「ねえ、お兄さんは何を書いているんですか?作家さん、なんでしょう?」
背を向けて歩き始めたとき、背中から少年の弾むような声が飛んできた。どうして知っているのだろう。
「もし、迷惑じゃなかったら、いろいろお話してくれませんか?」
ふにゃんとした姿勢のまま、少年はぽんぽんと自分の隣を叩く。
疲れていそうな身体と対称的に、真ん丸な目は好奇心の輝きに満ちていた。
「眠らなくていいのかい。」
「ええ、鑑定屋が開くまでほんとにもう少しですから。それに、僕、本を読むのが好きなんです。」
つかの間の暇つぶし程度なら、身体に障らないだろう。
それに、星くず拾いのことについて話を聞いてみるのも面白そうだ。
「そうか、それじゃ、失礼するよ。」
若干申し訳ない気はしたが、ここはせっかくの好意に甘えることにしよう。
私は少年の隣に腰かけた。
さて、何から話したものか。
きらきらとした瞳で私を見つめながら横に座る少年に、楽しんでもらえるような話題を考えてみる。
しかし、なぜ少年は私が作家だと分かったのだろう?
その答えを言うように、少年がぽつりと口を開いた。
「鞄に大きな染みが付いていたから…インク瓶を持ち歩く職業の人なのかなって思ったんです。」
そう言われ、肩から下げている鞄を見た。
少し前に付けてしまった大きなインクの染みが、少年がじっと見つめる視線の先にある。
「ご明察。その染みはインク瓶の蓋をうっかり閉め忘れたときに付いたものだよ。外出時はインク補充型のペンを使っているんだけどね、原稿を書く用事があるときは瓶ごと持ち歩くようにしているんだ。」
洗濯屋で染みを消してもらうこともできたが、ちょうどよい感じに味わい深くなっているのでそのままにしていた。
「あぁ、やっぱり!作家さんてやっぱり格好いいなあ。」
少年は丸い目をキラキラさせながら私を見つめた。
子どもに憧れられるのは嬉しいが、なんだかこそばゆい。
「いや、大したものは書いていないよ。いろんな街を訪れて聞いた話や出来事を、小説にまとめているんだ。」
きみの書いたものは事実ばかりで心がない…そんな声が過去の記憶から聞こえてきたような気がして、慌てて思い出すのを止めた。
「ところで、きみはどんな本が好きなんだい?」
質問を投げかけられた少年はくるんと膝を抱え、少し恥ずかしそうに笑った。
「不思議なお話の本が好きなんです…誰も知らない世界のお話とか、ちょっと不気味な生き物のお話とか。」
照れくさそうにえへへと笑い、少年は再び足をぽんと投げ出した。
空想の世界に浸れるファンタジーが好きだなんて、しっかりと仕事をしているのに意外と子どもらしいところがあるのだな。
「夜の街を歩いていると、建物の影とか暗闇の奥から、不思議な生き物が飛び出してくるような気がするんです。僕を脅かそうとしているお化けかもしれないし、迷い込んでしまった妖精かもしれない…そんなことを考えながら星くずを探すと、すごく楽しいんです。」
「一人で夜の街を歩いていて、怖くないのかい?」
「ちっとも怖くありませんよ。家やお店から漏れてくる明かりがとても温かいから…僕は一人ぼっちじゃないんだって思えるんです。」
見た目や振る舞いは小さな子どもだが、その内にはしっかり自分を持っている。
子どもらしいのに、どうも子どもらしくない。
はて、私が子どもだったときはどんな感じだったろうか…
少年に今まで訪れた街の話や伝承をいくつか聞かせたところで、あることがふと気になった。
「そういえば、きみはまだ子どもだろう?学校と仕事の両方があって大変じゃないのかい?」
「学校…?まだぼくは学校に行ってません。」
少年はふるふると小さく首を振る。
この少年はどう見ても就学すべき年齢を超えている。
子どもは学校に行っていろいろな知識を勉強するものではないのか?
怪訝そうな顔をしているのが伝わったのか、少年はぽんと手を打って話し始めた。
「この街の学校は、勉強をしたいと思ったときに行く決まりになっているんですよ。その年齢のときにしかできないことって、たくさんあるし……だから、とても小さな子からおじいちゃんおばあちゃんまで、学校にはいろんな人が通っています。」
年齢に制限されることなく、知識を得たいときに得られる。
シャレイドスコロプはなんて自由な街なのだろうか。
「なるほど、そうなんだね…」
「あっ、でも、僕は勉強をしたくないから学校に行かないわけじゃないですよ!この街では昔から頭の勉強より心の勉強の方が大切だって言われてるし……あと、子どもの星くず拾いは大人よりたくさん星くずを見つけられるんで、重宝されるんです。」
少年は慌ててそう言ったあと、にっこりと満足そうに笑った。
「それに、夜にたくさん星くずを探して暗闇に疲れたあと、お日様が昇りはじめた眩しい空を見るとすごく清々しい気持ちになれるんですよ!」
きっと少年は毎日毎日、それを繰り返してきたのだろう。少しずつ積み重ねてきたプライドが、笑顔とともに輝いている。
私は、自分に自信を持ちながら笑ったことが今まであっただろうか。
「あっ、ワゴンが来たからそろそろ時間だ!お兄さん、お話してくれてありがとうございました。引き留めちゃってごめんなさい。僕はこれから鑑定屋に行ってきます。」
広場に入ってきた菓子売りのワゴンを見て、少年はぴょいと身軽に地面へ飛び降りた。
眠気はすっかりなくなったのか、素早く手荷物を確認し私に向かってぺこりとお辞儀をする。
「お話、ほんとに面白かったです。もしまた会えたら、別のお話も聞かせてください。」
「ああ、そのときを楽しみにしてるよ。」
ふと我に返り言葉を返したそのとき、脇に抱えていた鞄の重みを思い出した。
「そうだ、よかったらこれを。夜通し頑張ったんだし、お腹も空いてるだろう?」
鞄から女将の手作りマフィンを2つ取り出すと、少年の顔がぱあっと明るくなった。
「わあ!女将さんのマフィンだ!僕、女将さんが作ったお菓子大好きなんです!」
少年は嬉しそうにマフィンを受け取ると、お礼を言ってもう一度丁寧にお辞儀をした。
そしてくるっと向きを変え、軽やかに走っていく。揺れる大きな帽子が米粒くらいに小さくなった頃、ようやく私もベンチから腰を上げた。
なんだか心の中に太陽の光が差し込んだようでとてもよい気分だ。
人通りも多くなってきたことだし、店が集まっている場所にでも行ってみよう。
菓子売りの歌うような呼び込みを聞きながら、私は広場を後にした。