新年の上書き保存
日付が変わると新年になるが、至って普通…何なら今年は恋人どころか友人もつかまらずに一人帰路につき、年末らしい番組をみていた。
あ、そうだ。恋人にはフラれたんだった。
「引きずってないようで引きずっていたのは私の方か…」
30手前に長年付き合った人にフラれるというものは結構な心的外傷だ。
フラれた理由も理由で、好きな人が出来たという簡素なもの。
何が本当で何が嘘かもわからないし、考えたくもない。
年内に忘れるためにお酒に逃げて反省も後悔もした。
暫く会社は休みなので寝酒に寝正月と洒落こもう。
カウントダウンがきっと終わったのかテレビのCMが口々に“あけましておめでとうございます”と言い出したのまでは記憶にあるがそのあとは気分よく寝てしまっていたのだろう。
口渇で目が覚め、スマートフォンを眺めたら時刻は8:10だった。
習慣というものは恐ろしい。普段会社に行く時間に目が覚める。
同時に見えた着信履歴の山
どうせ家を空けている両親やその辺からだろうと思っていたところにもう一度鳴ったスマートフォン
寝起き一番の音域の狭い声で必死によそ行きの声を繕った。
「はい、もしもし」
「あー、やっと出た!ごめん、寝てた?」
声の主は近所の人、弟みたいな存在。
学校も違えば職業も違う、近所ってだけで親同士が仲良いってだけの繋がり
思春期やあれこれで一時期会うことも少なかったが20越えるとまた良く会う仲という修正具合だ。
そんな相手だから、よそ行きの声を出した時間が勿体無くなり途端に声色は寝起きモードに戻る
「なに?」
「え、声変わった?ひど…」
「で、どうした。今日は仕事休み、寝正月、まだ布団の中で人前に出れない服です。この後は気が向いたら飲みます、家呑みです。はい、なにかありますか?」
今日の未定な予定を息継ぎなしで声にする
「おっけー、じゃあ飲む前に時間あるし初詣いこう!」
「はい?」
「寒い…早く…」
どうにも室内にいるような声の響き方ではない
「今どこ?」
「カーテン開けたらわかる」
急いで部屋のカーテンを開ける
「信じられない、電話してよ」
「したよ、履歴みてよ!なんで怒られてるの俺。」
寒波の余波が残る正月は外に出るのも億劫だが、この弟にはまるで関係ないみたいで中学生を見ているようだ。
「鍵あいてるから入って」
「え?」
プチッと電話が切られた数秒後に玄関のドアが開き、ドタバタと忙しない足音が響いた
“スリッパ履いてないな…”足音だけで簡単な推理をしてみたが、依然身体は布団の中だ。
「ちょっと!」
ノックより先に大声と共にドアが開いた
「おはよう、あけましておめでとう」
「おめでとう…いやそうじゃない!ちょっと!」
「なによ」
「その一、電話にでなくてもいいけど逆切れ禁止!その二、施錠はする!その三、ちゃんと温かい服装で寝て!特にその二!危ない!」
「でも結果すぐに入ってこられたでしょ?」
私がおかしいことでも言ったのか、大きいため息が聞こえ
「俺も男、警戒しないの?危ないっていったでしょ?」
「そうやってジリジリ詰め寄っても押し倒しても気にしないよ?」
“あのさぁ、どう捉えたらいいのその発言。俺は眼中に無い?気にならない許容ってこと?9割前者だろうけどさ…”
「あのさぁ、まだ忘れられないの?酒に逃げるとか、らしくない」
「依存とでも言いたいの?残念ながら飲んだ3日間が派手だっただけで粗相はありません」
「そうじゃなくてさ、もう年も変わったんだしそっちも新しく更新しようよ」
「そうねー、上書き保存が出来る存在がいたらねー。結構大きいのよ、30手前に長年付き合った人にフラれるってオチは」
「……俺立候補する!」
「なにに?」
「今の流れでわかってよ」
「上書き候補?ネタにしてる?バカにしてる?私もう30手前、余裕ないよ」
「余裕ないなら俺だけ見ていたらいいじゃん。長年って俺の方が長年見てたっての!」
「それどこまで本当?」
「どこまででも本当!」
「急には考えられないし、なんていうか、弟だと思っていたし…その…」
「だから、新年になったし、今日から俺が毎日上書きしていくから、今じゃなくてもいい!でも絶対に忘れるようにするから!」
「でもそれってあんたに失礼にならない?前の男を忘れるために、次ので上書き…って」
「俺がいいって言ってるからいいの!」
新年は寝起きの人前に出られない格好で思わぬ衝撃を受けた
波乱万丈になりそうだけど、放たれた言葉には芯があって、優しさがあって嘘を感じなかった気がして、御都合主義と笑われるかもしれないけど、少しだけ信じてみようかな…
初詣のおみくじを見るのが楽しみになってきた自分がいた。
もう若干上書きされているのかもしれない…。
「おみくじ何だった?」
「大吉、後は秘密ー!」
「なんだそれ」
《恋愛:すぐ近くにいた存在に気づける》