婚約破棄の現場で~過去からの復讐者~
魔力を持つ者が通うオール・ド・メルバは主に貴族の学校として認識されている。それは魔力持ちが貴族に多いからだった。
そんなオール・ド・メルバだが、平民にも門戸は開かれている。以前は魔力持ちではなくとも、剣や学問に秀でた者も入学することができ、少年少女たちは平民や貴族の区別なく切磋琢磨し、卒業後は文官や騎士として国に仕えて、この国の繁栄を支えていた。
しかし、今では平民は魔力持ちでも魔術師になれるレベルの魔力を持つものしか入学できないが、貴族なら誰でも入学できる。以前は貴族であろうが、魔力持ちか他の技能に秀でた者しか受け入れなかった学校だったというのに。
現在、魔術師並みの魔力を持たない平民がオール・ド・メルバに通うには、金を積んで貴族の養子にしてもらうしか方法はない。
ディーン王子や騎士団長の令息、宰相補佐の令息、若き公爵などを取り巻きにしている少女は魔力の多さでこのオール・ド・メルバに在籍していた数少ない平民だった。
マウリニウス公爵令嬢は宰相補佐の令息ならともかく、婚約者であるディーン王子がその少女の取り巻きに成り下がっていることが許せなかったので、ディーン王子やその少女に何度もやめるように口を酸っぱくして苦言を呈していた。
だがその甲斐もなく、ディーン王子と平民少女の間柄は変わらなかった。
それどころか、ディーン王子は平民少女とその取り巻きを連れてカフェテラスで寛いでいるマウリニウス公爵令嬢のところに現れた。
「マウリニウス公爵令嬢ラヴィニア。我がディーン・エクウス・マキノーンの名において、そなたとの婚約を破棄する。この旨は既に陛下のご了承を得ておる」
突然の婚約破棄の申し付けにマウリニウス公爵令嬢は驚いた。ディーン王子は平民少女を気に入っているかもしれないが、最終的には自分と結婚するものだと彼女は思っていたのだ。
何故なら、ディーン王子が気に入っている平民少女には秘密があった。これを知ったら、ディーン王子の100年の恋も冷めるというものだ。
にもかかわらず、婚約破棄について王の許しさえもらっているとは、ひどく滑稽だとマウリニウス公爵令嬢は思った。
「お待ちになって、ディーン様。あなた様はその女に騙されておられるのです。その女の実の父親は平民宰相フリン・バロー。国庫の横領に汚職と賄賂で処刑された男でしてよ」
平民宰相とは16年前に処刑された平民出身の宰相フリン・バローの別称だった。元は商人であり、貴族でも珍しいほどの魔力持ちで、魔術師として王宮からスカウトされた経歴の持ち主だ。
しかし、彼のことで有名なのは、その莫大な資産と国庫の横領、汚職や賄賂で処刑されたということだった。フリンの資産は横領された国庫に返還されたそうだが、それでも国庫は元に戻らず、税は上がっていく一方。民衆は税が上がるたびにフリンを罵らずにはいられなかった。
マウリニウス公爵令嬢の目くばせで、お付きの侍女がドロシーに関する報告書を差し出す。
「これが証拠ですわ」
だが、ディーン王子も騎士団長の令息も、宰相補佐の令息も、若き公爵も誰もそれを手に取ろうとはしなかった。
「?」
マウリニウス公爵令嬢はそれを訝し気に思った。
「それがどうかしたのか? それとドロシーは関係ない」
「関係なくはございませんわ。その女は罪人の娘ですのよ」
「だから、それが関係ないというのだ」
ディーン王子の言葉を引き継ぐように宰相補佐の令息が言う。
「罪人の娘かどうかで言うのなら貴女のほうが問題ですからね、マウリニウス公爵令嬢」
「何をおっしゃってるの? わたくしにやましいところなどございません」
マウリニウス公爵令嬢は宰相補佐の令息のほうを見て言った。彼はマウリニウス公爵令嬢にとって、父親の部下の息子でしかない。父親同士が上司と部下なら、自分と彼にもその身分差は変わらないと思っていた彼女にとって、宰相補佐の令息の一言は飼い犬に手を噛まれたような気分だった。
小鳥が飛んで来て、騎士団長の令息の耳元に何かを囁くと消える。伝所鳥の魔法だ。
騎士団長の令息は父親からの知らせをマウリニウス公爵令嬢に告げた。
「残念ですが、マウリニウス公爵はたった今、反逆罪で騎士団が拘束することになりました」
「?!! お父様がそのようなことをするはずがございません!!」
マウリニウス公爵令嬢は騎士団長の令息に言うが、彼は取り付く島もなかった。
「ですが、罪は罪です。罪に変わりはありません。申し開きは取調べの時にしてください」
「・・・!」
「ああ、それと。マウリニウス公爵とそのご家族は拘束の際に抵抗されて、やむを得なく亡くなったそうです」
言葉は痛ましげだが、その声に同情は一欠けらもなかった。
マウリニウス公爵令嬢は家族が亡くなったという報せに身体の力を失い、その場に座り込んでしまう。
「ああ!! お父様・・・、お母様・・・、お兄様・・・!」
「貴女は我々が拘束するように指示が出ています」
騎士団長の令息は呆然としているマウリニウス公爵令嬢にそう宣告して近付く。
マウリニウス公爵令嬢は涙もそのままに近付こうとする騎士団長の令息を睨みつけて牽制した。
「触らないでくださいませ! わたくしは逃げませんわ! 信じてください、ディーン殿下。マウリニウス公爵家は無実ですわ! 下賤なその女に誑かされたあなた方が我が家を陥れたのでしょう!!」
だが、彼女は知らない。
フリン・バローが拘束された時、彼の下で働いていた文官や彼に協力的だった貴族たちの多くが平民宰相の共犯として暗殺されたり、蟄居幽閉させられたりしたことを。
そして、復讐が既に行われていたこともマウリニウス公爵令嬢は知らなかった。この十数年の貴族の死亡率の高さを。ある者は落馬で。ある者は食中毒で。ある者は病気で。ある者は暴漢に襲われて。ある者は任務中に。ドロシーの取り巻きとなっている男たちの婚約者たちの家もまたそのような経緯で、兄や父親を亡くしていることに。多くの貴族とその令息が亡くなり、傍系や婿養子を迎えていたことに。
マウリニウス公爵家以外では着々と復讐が進んでいたのだ。
「私はあなたの言う罪人の娘かもしれませんが、あなたもまた私の父親やその友人たちを殺した罪人の娘」
ドロシーは辛そうに顔を俯ける。しかし、すぐに挑むように上げて言葉を続けた。
「私が父親の罪を問われるのなら、あなたもまた父親の罪を問われないといけません。そうでしょう? あなたが公爵家の令嬢で私が平民の娘だから違うとでも? 私の父親は宰相にする為に伯爵にされたそうです。ですから庶子とは言え、私は伯爵家の令嬢なのです。これでもまだご不満ですか?」
「あなたの父親が国庫を横領しましたことをお忘れになって?」
「私の父親はこの国で有数の商会を持っておりました。国庫を横領する必要もありません。ですが、マウリニウス公爵家はどうだったのでしょう? マウリニウス公爵令嬢、あなたが身に付けているそのドレスやアクセサリー。私の父親から取り上げた資産と横領されたはずの国庫から出ていないとおっしゃることができますか?」
「我が家を馬鹿にするおつもり?」
「馬鹿にするなんてそんなつもりはございません。横領された国庫に返還されたはずの資産が途中で消えた時期にマウリニウス公爵家の資産が増えたことを指摘しただけです。それとも、国のものになるはずだった私の父親が作った商会をマウリニウス公爵家が所有していることを知らないでおっしゃってるんですか?」
「!!」
国庫を横領したフリン・バローの資産は国に戻されるべきものだった。それは貨幣だけでなく、土地や商会といった資産もすべてだ。
マウリニウス公爵令嬢はドロシーの言った商会に心当たりがある。今、着ているドレスやアクセサリー、お気に入りのお茶もマウリニウス公爵家が所有するある商会の取り扱っている品だ。社主であるフリン・バローと共に信用を失くしたその商会は国のものになったが、失った信用を立て直す為にマウリニウス公爵が社主になるように任せられているとマウリニウス公爵令嬢は聞いていた。
それが国が管理すべき商会だとしたら、マウリニウス公爵家こそが国の資産を横領していることになる。
思い当たった真実に衝撃を受けているマウリニウス公爵令嬢にディーン王子は言った。
「聡明なそなただ。私が申したいこともわかろう」
マウリニウス公爵が任せられた商会は任せられたものではなかった。もしくは、任せられた商会を私物化して利益を国に納めていないと、ディーン王子は言いたいのだろう。そのどちらも国の資産の横領に違いはない。
「・・・」
マウリニウス公爵令嬢はガクリと肩を落として、騎士団長の令息に連れられて行った。
彼の父親はフリン・バローの昔からの友人で、某伯爵の遠縁に養子縁組され、某伯爵令嬢と結婚した有能な平民だった。平民宰相の死後、妻の兄や父親が相次いで亡くなり、騎士団長の座に就くにふさわしい爵位を手に入れた。
「これで父も溜飲が下がることでしょう」
宰相補佐の令息はそう言って、無表情な顔を綻ばせた。
彼の父親にはフリン・バローの下で働いていた為に殺された親友がいた。
「そうですね。父の汚名もこれでようやく、雪がれることでしょう」
若き公爵はいつものように甘い笑みを浮かべていた。
彼の父親は国庫が傾いても貴族たちが汚職や不正をやめない義憤からフリン・バローに協力し、領地に蟄居させられていた。
「ですが、ディーン様。こんなことをしてよかったのでしょうか?」
「ここまで国を荒らしておいて、その自覚がない者たちを野放しにしておくことはできぬ。絶大な権力を持っていたマウリニウス公爵を排除することは陛下でも困難だったから、気にしなくともよい」
貴族たちを使ってフリン・バローを冤罪で処刑し、フリン・バローを宰相にした王ですら排除することのできないほどの力を得たマウリニウス公爵は、己が娘を王妃にしようとディーン王子の婚約者にねじ込んできていたのだ。
その強引な歪みが正されたことにディーン王子は安堵こそおぼえても悔いはない。
フリン・バローが拘束された後、マウリニウス公爵に従おうとしなかった商会の人間は容赦なく排除され、中には命を奪われた者すらいたが、王家はそれに対して何もできなかった。
王家にとって、16年前の事件で命を落としたすべての人物に何もできなかったことは大きな苦悩だった。
だから、ディーン王子はフリン・バローの娘の存在に気付いた時にこの計画を思いついたのだ。
フリン・バローの娘に心奪われた振りをして、マウリニウス公爵を倒す仲間を集め、その彼の家の失墜を成功させる計画を。傍から見たら、平民の少女の取り巻き。しかし、その実態はマウリニウス公爵家から権力を取り上げ、16年前の復讐をして、この国をあるべき元の姿に戻すことを目的とした集り。
「これでこの学校も設立当初の姿を取り戻すことでしょう」
そう言って現れたのは、今までの婚約破棄騒ぎが周りの生徒たちにわからないように幻で覆っていたオール・ド・メルバの魔術教師。
彼もまた16年前のフリン・バローの事件の関係者だった。彼はフリンに魔力を見出されて、オール・ド・メルバに通った平民だ。フリンを兄のように慕っていた彼は、入学してきたドロシーがフリンの娘であることを即座に見抜いた人物でもあった。
「私の父親はこんなことを望まなかったかもしれないわ」
「そうではありませんよ、ドロシー。あなたのお父上は王の命令に従って、この国を元の繁栄した国に戻そうとなさっていたのです。それを役立たずな貴族共が邪魔をして、あなたのお父上が殺したのです」
「私の父はフリン・バローじゃないわ」
「あなたのお父上はフリン・バローです」
「フリン・バローは私の父親かもしれないけど、私の父は一人だけよ。父さんが私をフリン・バローの娘だと言っても、私の父は父さんだけなの。母さんも私もあいつを父だなんて認めていないわ」
ドロシーは自分が母親に望まれて生まれたわけではないこと知っている。父から実の父親のことを聞かされたドロシーが母に真偽を訪ねた時にフリン・バローに監禁された時にできたことを言われたのだ。
「それでも、あなたはフリン・バローの娘なのです。お母上と出会われた頃には、お父上は身の危険を感じてらっしゃっていました。そうでなければ、あなたのお母上にあのような真似はしていなかったでしょう」
ドロシーの父はドロシーが生まれる前にもフリン・バローに会いに行ったことがあったらしいが、フリン・バローはドロシーを父の子どもとして育てることをすんなり了承したらしい。そのくらい、フリン・バローにとってドロシーもドロシーの母もその程度の価値しかなかったのだと思っていた。
フリン・バローは国庫の横領など処刑された罪状に関して無実だったかもしれないが、どんな理由があろうと、フリン・バローがドロシーの母を監禁していた事実は変わらない。
フリン・バローを処刑した貴族たちがどんなに憎まれていようと、フリン・バローが彼を知る多くの人に慕われていたとしても、フリン・バローの愛した女性とその娘だからと彼をよく知る者たちに守られていたとしても、ドロシーはフリン・バローを好きになることはできなかった。彼は想いの通じなかったドロシーの母を攫い、監禁したのだから。
ドロシーの母はドロシーのことを今の夫の子どもだと思うことでフリン・バローのことを忘れて生きてきた。攫われて地獄の日々を過ごし、攫われた時と同様にいきなり解放され、信頼している人物との結婚でようやく悪夢を振り切ったのだ。これからも、人に言われない限り忘れて生きていこうとするだろう。
マウリニウス公爵の反逆が起こって以降、平民・貴族の区別なくオール・ド・メルバに通えるようになり、才能のある者を登用するようになったおかげでディーン王の治世は繁栄したといわれている。その歴史が刑死したフリン・バローやマウリニウス公爵の犠牲者たちの復讐の上にあったことを知る者は少ない。
歴史に国庫の横領で悪名を残したフリン・バローが、実は篤信家で各地の孤児院を支援していたことや従業員に慕われていたことはあまり知られていない。そして、彼に娘がいたことはどのような資料にも残されていない。
ドロシー・・・実の父親が有名人でディーン王子の計画に役に立つからと隠れ蓑兼人材ホイホイにされた少女。この話の後は普通の学生として卒業して、普通に暮らして行く。多分、実父を知る商人を親に持つ人物に押しかけられて困る日々を送る。
ドロシーの取り巻き・・・のふりをして復讐に走る人々。
ラヴィニア・・・公爵令嬢。親が犯罪者だということを知らなかった少女。その後は修道院で暮らしている。
フリン・・・ドロシーの実父。仕事を頑張ってるのに命を狙われるわ、邪魔されて成果は出ないわ、そろそろ国を見捨てて逃げ出したいと思うぐらいストレス過多の時に初恋をして犯罪に走ってしまった結果、娘からも自分の父ではないと言われてしまった人。時間があったら、「おじさんって、昔からお母さんのこと好きだよね~」と言われてしまうようなタイプ。だからといって、犯罪はいけない。ドロシーの母の件以外ではまとも。