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欲望にまみれた男(アンソニー視点)

※リュカが変態化したころ~本編直前ごろのお話です。コメディ成分&溺愛成分&変態成分マシマシにつき要注意。


ブクマ・評価・感想、どうもありがとうございました。ランキングにも載せていただいて大変嬉しかったです。お礼もかねて番外編を投稿します。のちほどリュカ視点も投稿予定です。

 アンソニーの家に入るや否や、リュカは悲壮な顔で叫んだ。


「僕は人になる呪いにかかったウジ虫なんだ!」

「なに言ってんだお前」


 アンソニーは真っ当な反応を速攻で返してから「まあ座れよ」と椅子を引いてやった。リュカは挨拶もせずにヨロヨロとそこへ倒れ込む。

 呆れていたアンソニーは親友の打ちひしがれた様子を見て真顔になった。リュカが礼儀を欠くほど動揺するのは珍しい。


「どうしたんだ。ダンスですっ転んだか? やっちまったもんは仕方ねえな」


 アンソニーは昨日リュカがセシルを連れてパーティーへ出席したことを知っていた。社交シーズンが始まって久しぶりにセシルに会えると浮かれていた親友が落ち込んでいるのはなにか大失敗をしたからに違いない。そう考えた。

 ゴブレットに蜂蜜酒を入れて渡してやったが、リュカは口をつけることもなくテーブルに突っ伏した。


「んだよ辛気くせえ。それともセシル嬢にフられでもしたか、ん?」

「──っ!!」


 勢いよく顔を上げて狼狽したリュカにアンソニーは息を呑んだ。冗談のつもりが冗談にはならなさそうだ。


「げ。ま、まさか」

「違う、まだフられてはいない! 大丈夫だ!」

「全然大丈夫に聞こえねえんだけど。なにがあった」

「それが……」


 リュカはゴブレットを両手で握りしめて肩を落とした。なかなか話し出そうとしない。アンソニーはリュカの隣に腰掛けて辛抱強く待つ。

 たっぷり時間を置いて、リュカはようやく口を開いた。目には涙が浮かんでいる。


「知ってるだろう、昨日四ヶ月ぶりにセシルに会ったって……それでパーティーの前に家まで迎えに行ったら、セシルが、セシルは…………可愛いんだ!!」


 ぴゅう、と冷たい隙間風が吹いた。


「帰れ」

「アンソニー! 可愛いんだよ、セシルが! いや前から可愛かったけど今や隣国が攻め込んでくるレベルの可愛さなんだよ。なんでなんだ、教えてくれアンソニー!」

「深刻な顔でのろけんなバカ! なにが起きたかと思ったじゃねーか!」

「のろけじゃない、深刻なんだ!」


 アンソニーはテーブルの上に足を乗せて残り少ない蜂蜜酒を飲み始めた。寒い冬には酒がいい。非番で暇だといえどこんなアホらしい悩みに真っ向から付き合うのは無駄である。


「前は普通の可愛さだったのにどうして突然あんなに可愛くなったんだろう。たったの四ヶ月間でだぞ、おかしいだろう!?」

「へえ」

「前よりももっと……あの愛らしくて美味しそうな唇、さらいたくなる細い腰、吸いつきたくなる肌、すべてが魅惑的で…………うう」

「ほーほー」

「あと少しで結婚だというのにこのままじゃ僕はセシルに嫌われてしまう。本当にフられてしまう!!」

「そーかそーか……ってお前、可愛くなったセシル嬢が浮気すると思ってんのか?」


 眉を顰めて非難するように言うと、リュカは力なくかぶりを振った。


「いや。セシルじゃなくて僕のせいなんだ」

「お前は浮気なんてしねえだろ。なんでセシル嬢が可愛くなったらお前が嫌われんだよ」

「だって、だって……僕は、セシルに会うたびに……あの可愛い顔を見るだけでどうしようもないくらい欲情してしまうんだ!!」


 リュカは蜂蜜酒を一気に煽るとゴブレットを叩きつけるようにテーブルに置いた。そして呻きながら髪を掻き毟る。


「僕はどうしようもないんだ! か弱き女性を騙して罠にはめる外道なペテン師と同類なんだ! いやもっとひどい、街を襲って力づくで女性に乱暴する山賊だ! ちがう僕はもはや人ですらないやはりウジ虫がぴったりだ……セシルという美しくも甘い蜜をむさぼり腐らせるウジ虫なんだ……」

「……」


 アンソニーは生暖かい目で頭を抱えるリュカを眺めた。リュカがある種のバカであることはわかっていたが今回は特にひどい。それにここまで自己嫌悪するリュカも珍しい。


 ──こいつ、こんなに性に潔癖だったっけ?


 一番の疑問はそこだった。すまし顔の貴族の男とて外面をはげば庶民の男と似たり寄ったりで、男だけで集まれば当然猥談になることがある。リュカはそんな時も特に嫌悪感を示すでもなく普通に混ざっていたはずだ。アンソニーの女遊びに苦言を呈したこともない。リュカ自身は女遊びはしないにせよ。

 


「好きな女に欲情すんのは当たり前だろうが。セシル嬢と初めてキスしたのは何年前の話だ? セシル嬢であんなことやこんなことを妄想したことも何度もあんだろ?」

「それは……そうなんだけれど……」


 落ち込みようがただ事ではない。

 アンソニーは大きくため息をついた。正直面倒くさい、面倒くさいが放っておくとリュカが暴走してとんでもないことをしそうだった。そしてその暴走に巻き込まれるのはたいていアンソニーなのである。


「リュカ、おごってやる。居酒屋いくぞ」


 もっと酒を飲ませて話させた方が良さそうなのに酒が切れた。それに人前に出ればリュカも少しは落ち着くかもしれない。

 アンソニーはしょぼくれているリュカを無理矢理立たせるともう一度ため息をついた。言葉の足りないリュカから話を聞き出すのは骨が折れるのだ。





 アンソニーが選んだのは下級騎士や庶民がよく使う人気の居酒屋だったが、昼をとうに過ぎた今は客はほとんどいなかった。アンソニーは恰幅の良い女主人に注文を投げた。


「ワインを一杯くれ。ジルモア産の白いやつで」

「僕は……エールを三杯、一番安いのを」

「おい、それたぶんクソまずいぞ。こっちにしろ。遠慮すんなよ」

「まずいのがいいんだ。一番安いのでお願いします、マダム」


 女主人はいぶかしげに眉を上げたが、一つ頷くと安エールを準備し始めた。

 やはり今日のリュカはおかしい、単なる肉欲の問題でもなさそうだ、とアンソニーは勘づいた。アンソニーは居酒屋の隅の席にリュカを押し込んで尋問を開始した。


「一つずつ聞くが、セシル嬢が突然可愛くなったっつうはどういうことだ」

「そんなこと僕が知りたい」

「可愛くなった原因じゃねえ、具体的にどう可愛くなったのか聞いてんだ」


 アンソニーが知るセシルは極めて普通の貴族令嬢だ。不細工ではないが美人でもない。女好きなアンソニーが女の評価を誤ることはない。セシルは決して傾国の可愛い子ちゃんなどではない。

 しかし、現にセシルはリュカを異常に魅了している。どういうことなのか。それがわかればリュカをなだめられるかもしれない。


 ──もしかしたらセシル嬢は大胆に胸元が開いたドレスを着ていたのかもしれない。あるいは胸が大きくなったとか? 彼女は17歳だ、ありえなくはない。リュカは女慣れしていないから、あるいは……


 あれこれ想像している間にリュカは重い口を開いた。


「そうだな、再会してまず僕が惹かれたのはセシルの目で……あ」


 リュカはハッとした様子で目を見開いた。そしてきょとんとするアンソニーを険しい目で睨みつける。


「アンソニー、貴様! 僕にセシルの魅力を語らせてそれをネタに破廉恥な妄想を楽しむつもりだろう! そんなこと許さないからな!」


 無駄にりりしい顔でとんちんかんなことをのたまうリュカにアンソニーは拳を握った。今なら殴っても許されるはずだ。

 だがそのとき、ちょうど店の男がエールとワインを運んできた。

 リュカはエールをつかむと飲んだくれのように一気に煽った。ぐふっとむせて涙目になったが無理矢理飲み下している。


「うう、酸っぱい。しかもなんかドブ臭い。こんなエールは初めてだ……でもあと二杯ある」

「だから言ったんだ、俺らが呑むもんじゃねえよ」

「いや、いいんだ。これは僕への罰だから」


 キリッとしていたリュカの眉が再び悄然と下がる。

 アンソニーは第一の質問をさっさと諦めた。いずれどこかのパーティーでセシルと出くわすこともあるだろう。セシルの変化は自分の目で確かめればいい。


「……罰の意味がよくわからねえがイヤ説明しなくていい。質問変えるぜ。セシル嬢にお前が欲情した、それのどこに問題があんだ?」

「セシルにバレる、そして嫌われる」

「黙っときゃいいだろ」

「そばにいるだけで我慢できないくらい興奮するんだ! バレるのは時間の問題なんだ。僕の欲望を知ったらセシルはきっと」

「嫌わねえだろ。セシル嬢だってリュカのこと好いてんだ、好きな男に好かれて求められて、むしろイイ気分なんじゃね?」


 アンソニーは再びセシルを思い浮かべた。セシルは大人しいが世間知らずではないし恋に恋する夢見がちなタイプでもない。性的な知識はそれなりにあるはずだ。それに何よりセシルはあの社交界の女傑・マデレインの妹である。あの抜け目ないマデレインが仲の良い妹にそっちの知識を教えないはずはない。無知はかえって危険だからだ。

 だがリュカは首を横に振った。


「昔、セシルに言われたんだ。紳士なあなたが好きだって。僕はそれがとても嬉しくて、彼女に対してはことさら紳士に振る舞ってきたんだ」


 だからいまさら、本当は野獣でしたなんて言えない。


 世の中のあらゆる悲哀を背負ったような顔でつぶやくリュカに、アンソニーは絶句した。痛いほど気持ちが伝わってきた。セシルに対するリュカの深い愛情。……と、欲望が。そこへリュカの真面目さと不器用さとアホさが混ぜ込まれてややこしいことになっている。


 ──これは簡単には解決しねえな。


 アンソニーはリュカの注文したエールを一杯横からさらって同じように一気に飲み干した。想像を絶するまずさだった。



***



 リュカがセシルとともに過ごす時間が積み重なるにつれ、リュカの症状は改善するどころか悪化していった。


「なあリュカ。本当にそれでいいのか? ちゃんとセシルと話し合った方がいいと思うぜ、俺は」

「話しても欲望は止まらないからね。嫌われたくないし」

「婚約者とダンスもしねえって相当だぞ」

「結婚前にセシルの貞操を奪うよりはマシだよ」


 リュカは大柄な貴族を盾にしてホールの隅に立ち、ホールの反対側の隅へギラギラした目を向けている。そこでは壁の花になったセシルがぽつんと立っていた。

 アンソニーは眉間に皺を寄せた。

 最近のリュカはセシルをエスコートして会場まで来るとすぐにセシルを巻いて逃げている。そのくせただ放置するでもなく、こっそりと遠目でセシルを見つめているのだ。壁際で一人セシルは悲しそうにうつむき、それをリュカが劣情にまみれた目で舐め回すように見ている。リュカは他のご令嬢方とダンスをするときも全神経をセシルに注いでいた。その繰り返しだ。


 ──ここは地獄か。色欲地獄か。どうしてこうなった。


 アンソニーは可哀想なものを見る目でセシルを眺めた。確かにセシルは以前より美しくなっていた。髪や肌はよりつややかに、ドレスや宝飾品はより似合うものを身につけるようになった。仕草はよりたおやかになり、なによりリュカを見つめる目は濡れたようで以前よりも深い思慕が宿っているように思える。アンソニーはそれでもセシルを特別可愛いとは思わなかったがリュカには破壊力十分だったのだろう。

 ……が、可愛くなった結果がこれである。哀れすぎる。


 その時アンソニーは誰かの視線を感じた。相手を捜すと、ちらちらと視線を投げてきていたのは社交界の花と名高い美女・クリステンだった。

 彼女はちょうどリュカたちとセシルの間にいる。周りからは、リュカの熱烈な視線はクリステンに向けられているように見えるに違いない。本当はクリステンの奥にいるセシルに向けられているのだが。


「そういやお前、最近クリステン嬢とよく踊ってるよな」

「え、そうだっけ?」


 リュカは呑気な返事をした。


「覚えてねえのか。彼女と踊るのが好きなんだと思ったぜ」

「いや、別に。踊る相手は誰でもいいし一々気にしていないよ」

「じゃあなんでクリステン嬢とはよく踊るんだ」

「たぶんたまたま近くにいることが多かったからじゃないかな。……ああ、そういえば彼女は続けて踊るのが好きみたいで二曲目をねだられることもあるから、だからだろうね」


 アンソニーはもう一度クリステンに目をやった。リュカを見つめるクリステンの目は獲物を狙う肉食女のソレだった。


 ──これはまずい。


 あの女はたまたまリュカの近くにいるのではない。リュカに近寄っているのだ。続けて踊るのが好きなのではない。リュカとたくさん踊りたいのだ。

 直感的に危険を悟ったアンソニーはさりげなくリュカに囁いた。


「リュカ、セシル嬢と踊らないなら他の女とも踊らない方がいいんじゃねえか? セシル嬢が傷つくだろ」

「それも考えたんだけどね、女性からの誘いをあまり断ると僕の紳士さに傷がつくだろう? 不名誉を背負いすぎたら僕はセシルにふさわしくない男になってしまうからダメなんだ」

「……。…………。……婚約者とダンスもしねえ時点で紳士では……いやなんでもない。それで、ダンス中に告白されたり誘惑されたりしてねえか?」

「覚えてない。どうでもいいし。それに誘惑されたところで僕はセシル以外には興奮しないから。ふふっ」

「いやのろけが聞きたいんじゃねえよ」

「心配しなくて大丈夫さ、僕がモテないのはアンソニーも知ってるだろう?」


 穏やかに笑うリュカの言葉にアンソニーは一瞬詰まった。確かにアンソニーに比べるとリュカはモテない。数々の女性と浮き名を流すアンソニーは女性に惜しみなく甘い言葉を囁くことができるタイプで、しかも華々しい騎士である。一方のリュカは小さな田舎の領地の跡取り息子で、だいたい言葉が足りないやつで、紳士だが地味だ。

 しかし実のところ、恋人ではなく結婚相手としては、貴族の五男で軍人で女たらしのアンソニーよりも次期領主で紳士なリュカの方がはるかに優良株である。それをわかっているクリステンはリュカを狙い、わかってないリュカ本人は呑気にしているというわけだ。


「なあリュカ、お前な──」

「ああっ、なんだあの男! 僕のセシルに無断で話しかけて!」


 突然リュカの目が険しくなった。日頃穏やかなリュカとは打って変わって、鬼のような形相になっている。


「婚約者の僕だって話しかけられないというのに! なんで見ずしらずのあの男が」

「落ち着け、あれはマクファーデン伯爵だ。紳士として名高いから大丈夫だ」

「紳士なんて信用できるか! 若手随一の紳士と言われた僕だって中身は欲望にまみれた野獣なんだぞ! 壮年の男があの妖精のようなセシルに惹かれないわけが──」


 二人ですったもんだしている間にマクファーデンはセシルに挨拶をして去っていった。

 リュカは口元を押さえてため息をついた。


「よかった、マクファーデン伯爵は女性に興味がないみたいだ。知らなかったな」

「……お前ってやつは……うげ!」


 なにげなくクリステンに目を戻したアンソニーは顔をひきつらせた。クリステンはちょうどハンサムな優男に口説かれている最中で、しかしまだ視線をチラチラとリュカに投げていた。妙に嬉しそうな顔をして。


 ──やばい。


 アンソニーの背中に冷や汗が伝った。もしかしたら勘違いされたかもしれない。タイミングが良すぎた。これでは、クリステンを愛するリュカが嫉妬して優男を睨みつけているようにも見えてしまう。


「どうしたんだい、アンソニー」

「なんでもない。とにかくあっち行こうぜ」

「待ってくれ、そっちじゃセシルが見えな──」

「いいから」


 アンソニーは強引にリュカを引きずってその場を後にした。もうこれ以上ややこしくなるのはごめんだった。


 ……が、事態は坂を転げ落ちるようにややこしくなる一方で。

 ある舞踏会の後、リュカは妙にスッキリした顔でアンソニーにこんなことを言い出した。


「名案がある。僕は──婚約破棄すればいいんだ!」

 本編でクリステンがあれほど誤解をしてしまった理由は、次に投稿するリュカ視点の番外編で明らかにする予定です。主にリュカが悪い。


<役者紹介・補足> ※ネタバレあり


○マデレイン

 セシルの姉。社交界の女傑。世の中を飄々と楽しむ自由人。セシルを美しくしたのは実はこの人。


○マクファーデン伯爵

 今回だけ登場する壮年の男性。壁の花になっているセシルを気遣って話しかけた、ココロ優しきジェントルメン。

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