ウィッシュ・ド・ノエル 1*挿し絵付き
ノエルの願いは一つだけです。
それは大好きなお兄ちゃんと、一緒に過ごすこと。ノエルには五人の兄さんがいますが、ノエルが知っているのは四人だけです。
そっくりな顔をした二人はどちらがどちらか分からなくて、何だか好きじゃありませんし、ママにくっついて回っていたリルケ兄ちゃんも、ノエルにはあまり関係がありませんでした。
ノエルがお兄ちゃんと言うのは、ラジニ兄ちゃんだけを指しています。
ラジニ兄ちゃんだけが、いつもノエルの側にいてくれました。
ラジニ兄ちゃんは無口だけれど、ノエルが遊んでいるのを見守ってくれていて、兄ちゃんがノエルの方をぼんやり見ているのを感じると、ノエルは何より安心出来ました。
それなのに兄ちゃんは、ノエルを置いて家を出て行ってしまったのです。ママが兄ちゃんは旅に出たのだと言うのを聞いたノエルは、兄ちゃんは死んじゃったんだと泣きました。
ノエルにはまだ、死と言うものが良く分かりませんが、何となく分かる気もするのです。
死んだことを隠す為にママはそんなことを言ったんだと思いましたが、兄ちゃんからの絵葉書や手紙が舞い込んで来る為、ノエルにも兄ちゃんが本当に旅をしているのだと分かりました。
兄ちゃんは旅に出てもノエルのことを忘れずに、毎日のように手紙を送ってくれます。手紙が届く度に、遠くから兄ちゃんが見守ってくれているような気がします。
郵便屋さんが、今日のお手紙を届けに来ました。明日はクリスマス当日。日頃は離れているだけでなく音信不通の家族からすら、便りが続々と集まっています。
クリスマスの午後には大叔母さんと小兄さんが来て、一泊する予定です。
ラジニ兄ちゃん言うところの双子は、クリスマスパァティに出席するので帰って来るのは大晦日だそうです。ラジニ兄ちゃんが心配したような、双子と大叔母さんが出食わして大騒ぎ!にはならないようです。
一番上にいるらしいクレイン、クレイル?兄さんからすら手紙が来たと言うのに、肝心のラジニ兄ちゃんからのプレゼントだけがまだでした。
クレイル兄さんとやらは局止め郵便の住所を書き忘れていたかも知れないから、手紙の二枚目に書き記しておくと書いてあったそうです。
それを見たママは、二枚目はどこ?煙になって消えたのと大声を出し、お手上げのポォズをして頭を振っていました。二枚目を手紙に入れるのを、どうやら忘れたようです。
クレイズ兄さんとやらは、とんだ間抜けです。
今日郵便屋さんが届けてくれたのは、待ちに待ったラジニ兄ちゃんからの小包でした。箱の中には、更に二つの箱が入っていました。
一つは、いと気高きママへ。そしてもう一つは、僕のちっちゃなノエルへ。
包装紙ではなく動物柄の布の張った箱に、葉っぱと実の付いたヒイラギの本物の枝が、リボンで止めてあります。
ノエルは早速、箱を開けました。箱の中には、色付きのティッシュが詰めてあり、間には木で出来た汽車が入っています。
ノエルは汽車と箱に入っていた金色の封筒を握り締め、ママの許に駆けて行きます。
「ママ見て、お兄ちゃんからのクリスマスプレゼントだよ」
クリスマス用の御馳走の下ごしらえをしていたママは、ノエルを見ると、
「あら。ノエル。プレゼントはクリスマスの朝まで、取っておく約束だったでしょう」と、言います。
ノエルは固まりました。そんなことすっかり忘れていました。ノエルは恥ずかしくなって、謝ります。
「ママ、ごめんなさい」
ママはそれ以上怒らず、
「遊ぶのは明日の朝までなしよ。見るだけにしなさい」と、言いました。
ノエルははいママと言って、
「ベッドの枕元に置いて寝てもいいでしょう?」
と、ねだります。ママはいいわよと言ってくれました。
ノエルは自分用の椅子によじ登ると、テェブルに汽車を丁寧に置きました。家には殆ど壊れているとは言えオモチャは沢山あります。お兄ちゃん達のお古です。
船に電車に、救急車すらありましたが、木製の汽車は初めてです。ノエルは嬉しくなって、指で滑らかな汽車の屋根を撫でながら、
「お兄ちゃんの乗っている汽車とおんなじだね」
ノエルは汽車から目を離すのが惜しい気もしましたが、お兄ちゃんからの手紙も無視出来ず、シィルの貼っていない封筒を開けました。中には長方形の紙が一枚入っています。
まだ殆ど字の読めないノエルにも、一つだけ目に飛び込んでくる字がありました。
「ここにノエルってあるよ。他は何て書いてあるの?」
ノエルは椅子に立ち上がって、ママに手紙を見せます。手紙はお兄ちゃんの自筆ではなく印刷です。
ママは、ほらお行儀お行儀とノエルの不作法を咎めながら、手紙の文字を読んでくれました。
「幻影鉄道ノエル特別切符」
ノエルは座り掛けていたものの再び立ち上がって、万歳をして椅子の上で飛び上がります。
「僕の為の切符だ」
ママは怖い顔をして、ノエルの名前を呼びます。ノエルは慌ててちゃんと椅子に座り直しました。ノエルはいい子に椅子に座って見せながら、もう一度僕の為の切符だと言います。ママは今度は微笑んで、
「教えて上げたでしょう。あなたの名前にもしたノエルは、降誕祭と言う意味だって」
ノエルは切符を持った手を振り回しながら、
「うん。でもこれは僕用だよ」と、言います。
ママは笑って、
「そうね。お兄ちゃんもそう思って送ってくれたのね」
と、言いました。ノエルは切符を目の前にかざし、うっとりと息を吐くと、胸に押し付けました。
ノエルだけの切符だなんて!
ノエルに読めない文字は、まるで魔法の呪文のようです。ノエルにも素敵な出来事を運んでくれそうでした。
その夜はノエルは、なかなか寝付けませんでした。枕元のベッドボォドに、汽車と切符を乗せてあります。
ラジニ兄ちゃんのことを考えている間に、あっと言う間に時間が過ぎて、真夜中の鐘が鳴りました。
クリスマスです。
ベッドボォドの上の汽車が、カタカタと動き始めました。ノエルは思わず、切符をひっさらって胸に押し当てます。ママに怒られないよう、
「僕が動かしてるんじゃないからね」と、言います。
汽車だけではありません。ボォドに置かれた大好きなネズミのチミィも動いています。地震でしょうか。嵐に煽られた時のように、窓が激しく音を立てます。
掛け金が外れて窓が開き、カァテンが風で押し開けられました。
真っ黒な鉄の塊が窓の外にあります。そんなおかしなところに見えていても、汽車は汽車だとノエルにはすぐに分かりました。
家の窓の外には汽車が停まっていて、汽車の窓の向こうには何とラジニ兄ちゃんの姿がありました。
「ノエル、オゥバァ着て、おいでよ」
笑顔でラジニ兄ちゃんが、手を差しのべます。ノエルは何度も夢見たように、兄さんの許へ駆け寄りました。ラジニ兄ちゃんが優しくノエルを促します。
「ほら。切符を忘れないで。先に渡してごらん」
ノエルは無意識の内に振り捨てそうになった切符を、改めて兄さんに渡しました。大切な切符ですが、本物の兄さんと比べたら切符は物に過ぎません。
ノエルが窓枠をよじ登ると、ラジニ兄ちゃんが汽車の窓の中に引きずり込んでくれました。二人とも座席に縺れるように倒れます。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん」
ノエルは嬉しさと興奮で、兄さんにしっかり抱きつきました。兄さんが笑いながら、
「僕は消えたりしないよ」
と、ノエルのくしゃくしゃの巻き毛を撫でてくれました。ノエルは頭がグルグルして、咄嗟には言葉も出てきません。
「これって、これって何?」
兄さんがイカした笑みでニヤリと笑い。
「今夜だけの特別列車さ」
ああ、ノエルは天にも上る気持ちでした。辛うじてこれだけ聞きます。
「ママは?」
あんな騒ぎが、隣室にいるママには聞こえなかったのでしょうか。ノエルと二人のイブの用意と、大叔母さんとリルケ兄ィの帰って来る明日の為に、昼間大忙しで疲れて眠り込んでいるからかも知れません。
「大人は無理なんだ。だって切符にあったのはノエルの名前だけだろう?」
ああやっぱりこれは、ノエルの特別切符なのです。
ラジニ兄ちゃんは、ノエルを席にちゃんと座らせます。ラジニ兄ちゃんは、部屋の窓を閉めると列車の窓も閉めました。
汽車はゆっくりと動き出します。ノエルはキョロキョロと辺りを見回します。
モスグリンの天鵞絨の座席。肘置きや窓枠、床などは飴色の木。硝子の覆いの付いた車内灯。みんな兄さんが話してくれた通りです。
ノエルは裸足の足で座席に立ち上がって、車内を見回します。客車は空っぽです。兄さんがノエルの不作法を嗜めます。
「昨日までのいい子は種切れかい?」
ノエルはしまったと思って、慌てて座り直します。ノエルは不思議に思うと同時に、ほんの少し残念な気がして、聞きます。
「お兄ちゃんの先生は?」
「駅で待ってるよ。せっかくだから兄弟水入らずで会えるようにってね」
ノエルの隣に座った兄さんが、ノエルの頭にコツンと自分の頭をぶつけました。ノエルは擽ったがって笑いながら、目を輝かせて聞きます。
「観測所は見える?」
「今日通るのは『白鳥の停車場』と、別名お化け峡谷アレドの谷と、氷の町シュバルツヘルツだよ。どこもかしこもお祭りさ。ノエルに極月の祭りに、新年の祭りに」
汽車は、空と地上、昼と夜、夢と現実の隙間を走り抜けて行きます。
ノエルは兄さんの手をしっかり握って、窓の外の景色を食い入るように見つめます。ラジニ兄さんもノエルに頬を寄せて、見えた景色に就いて色々お喋りしました。
土曜日まで四日連続投稿します。
これが最終話です。




