劇団IHATOV 4*挿し絵付き
僕は食堂で、ミルクとグレェプフルゥツのセグメントから始まる本式の朝食を取った。これからアコォディオンの練習をするのだから、しっかり食べた方がいい。
ケンタウリはセルフサァビス式の、紅茶だけを取った。鍵盤楽器を捜すのに早く起きて、朝食は済ませたそうだ。
果肉のとろけたボイルドトマトと脂で光るベェコン、両面焼きの目玉焼きを片付けながら僕は、ケンタウリに聞いてみる。
「彼女っていつもあんふう?」
ケンタウリも消沈気味に、
「演出家が倒れたものだから、張り切ってるんだ」と、言った。
リトルガァルがケンタウリはいつでも困っていると言うから、気落ちしているのも今に限ったことではないのかも知れない。僕は、昨日の可愛そうな男の子のことを思い出し、ケンタウリに聞いた。
「劇団員は何人いるの? まさかみんな子供なの?」
ケンタウリは首を振りながら、
「みんな出たり入ったりするから。夏の間だけとか、休みの間とか。演目によってとか。今は五人。昨日の夜遅くに一人戻って来たから。子供は僕とリトルガァルだけだよ」
「あの小犬座のプロキオン役の、小さい子は?」
ケンタウリは微笑むと、あれはハマり役だよねと言った後、言葉を続けた。
「演出家が風邪を引いた原因。あの子が、小船で流されているのを助けようと冬の川に飛び込んで、彼は風邪を引いたんだ。恩返ししたいって言うから、今回だけ手伝ってくれるよう頼んでるんだ」
男の子の思い詰めたような一生懸命さにも、合点がいくと言うものだ。ハマり役と言うケンタウリの意味は分からなかったが、小犬座のプロキオンもああ言う男の子なのかも知れない。
シリウスは、大人の前ではいい子ぶって真面目に手伝いをして見せるが、実はプロキオンに手伝わせているとか。でもあんな男の子なら、大きなお兄ちゃんの役に立てるのが嬉しくて、喜々として手伝いをしそうな気がする。
僕は、どうして小船で流されたのか聞き、ケンタウリはそれに友達に意地悪されたんだよと返した。僕は意地悪と言う言葉に、双子のことを思い出し、嫌な気分になった。
朝食を終えた後、僕らはアコォディオンを持って宿を出た。寝ている人が多いから、ブカブカプゥプゥやったら、安眠妨害で怒鳴り込まれる。
僕らは、花牧公園の噴水の前のベンチでアコォディオンの練習をした。ケンタウリが宿の人にお弁当を頼んでくれて、お菓子も持って行ったので、ピクニックのようだった。
僕はまず指鳴らしの為に、ケンタウリに蛇腹を引っ張って空気を送り込んで貰いながら、片手で練習曲を弾いてみた。
家を出るまでピアノの練習はしていたし、僕は物心着く前からピアノを弾いていたと言うから、年数だけは結構なものだ。旅に出てからは一度も弾いていないので、指はすっかり鈍っていた。
指の感覚を取り戻してから、僕は首からアコォディオンを下げて、左手で蛇腹を引っ張りながら弾いてみた。
ケンタウリが、悪戦苦闘して引っ張る様子を見ていても、ただ真っ直引っ張ればいいと言うものではないのが分かる。
街頭のアコォディオン弾きの人も、角度を付けて動かしていた。
理論的には分かるのだけれど、なかなかうまく動かせない。鍵盤が身体に対して横になると、それだけで勝手が違う。
ケンタウリは、何種類ものお菓子を持っていた。こう言う仕事をしていていいのは、お菓子に不自由しないことだそうだ。
大サァカスや大きな劇場でやる劇団とは違うので、チケットを売ってお金を稼ぐことは出来ない。
せいぜいチップ代ぐらいしか集まらないそうだが、代わりにお菓子は売るほどあった。
ポランの広場以外でも屋台の出る祭りに行くと、周囲のお店屋さんが安くやタダで食べ物を分けてくれるそうだ。お店屋さんにとっても、客寄せになってちょうどいいからだった。
缶入りのスイィトバジル風味のポップコォンに、ザラメを掛けた玉子カステラ、フキの砂糖漬け、水蜜桃の味の羽二重餅。
僕が気に入ったのは、ピスタチオナッツや胡桃、干し葡萄やオレンジピィル入りのサラミソォセェジだ。
田舎の農場に泊めて貰った時に、お土産に持たされた手作りソォセェジだそうだ。リルケのいる大叔母さんの家の側の農場でも、こんな物を作っていたらいいのに。リルケに頼んで送って貰える。
お弁当は、胡麻を振った香ばしいベェグルサンドだった。パイナップルとハンバァグとサラダ菜が入っていて、最高だ。小さい瓶入りのカフェオレも、二本あった。
食事とお菓子のお陰か、僕はアコォディオンを扱い熟せるようになった。嬉しくないけれど、幾通りもの『猫踏んじゃった』も弾ける。
午後になると僕はリトルガァルに呼ばれ、通し稽古に加わって、バックミュウジックを受け持った。
ケンタウリは、今夜の劇に出演させる猫!を何匹か集めに行ったので、稽古には立ち合わなかった。
今夜の演目は、有名な子供の為のお話で、僕も小さい頃本で呼んだことがある。猫が出て来るのは分かるけれど、本物の猫を使うと言うのがスゴイ。
猫ってマイペェスだから、昨日とは別な意味で劇が滅茶苦茶にならないか心配になる。動けって言ってもてこでも動かない子とか、反対に暴れ回る子とか色々だ。
犬と違って言うことを聞かないのは頭が悪いんじゃなく、言われたことを理解していても、自分のやりたいようにしかしないからだ。
生きた猫の所為で、劇がどうなろうと僕には関係ない。僕はただ要所要所で、猫踏んじゃったを弾くだけだ。
今夜の劇にも、小さい男の子は出演する。昨日はプロキオン役で、今夜は人間に化けた猫の男の子の役だ。
男の子は鼻が低くて、真ん丸い目をしているので、確かに小動物のようだ。猫と言うよりは仔犬っぽい。
僕は、大きな犬や元気な仔犬は苦手だけど、大人しくて怖がりな仔犬なら怖くない。役の猫の男の子は、変身がうまく出来なくて耳としっぽが生えている。
玩具の耳を付けているんだけど、途中でどうしても耳が垂れてしまう。スコティッシュホォルドや折れ耳の仔犬みたいな耳だ。
言うまでもなく、先生が主人公だ。普段は、今寝込んでいる脚本家が務める役だそうだ。
劇に参加、しかも主役を射止めたと、先生は張り切っておられる。そう言うところは子供みたいだ。
と言っても実際の子供の僕は、張り切ったりしないだろうが。でもせっかく先生が楽しみにしておられるのだから、僕が足を引っ張ることだけはないようにしたい。
二晩目の劇団イィハトォブの演目は、その名も〈ねこがしや〉。この日の脚本では、こうなっていた。
☆ねこがしや
あるところに猫が好きで、何匹も猫を飼っている男の人がいました。男の人は、猫ほど素敵な生き物はないと思っています。
猫が嫌いな人や、猫のことを良く知らない人は、猫は自分勝手な生き物だと思っています。男の人に言わせれば、猫と言うのは、自立していて甘え上手なのです。
男の人は、猫と暮らす幸せを他の人にも分けて上げたいと常々思っていました。ある時男の人は、餌代や家の都合で猫を飼えない人の為に猫を貸す商売をすることを思い付きました。
男の人は、早速家の前に看板を掛けました。誰にも読めるように平仮名で、〈ねこがしや〉と書きました。
男の人の家にはその頃、三匹の猫がいました。気品があって物静かな毛の長い白い猫。縞のあるしなやかな身体付きで野生的な猫。おかしなブチで愛嬌のあるやんちゃな猫。
看板を掛けても、誰も来ません。表の看板はどう言うことですかと、問い合わせて来る人もありませんでした。
最初のお客さんは、夜に現れました。茶色のむくむくしたセェタァを着た、小さな男の子です。不思議なことに男の子の頭から、三角の耳が生えています。
男の人は、この子はきっと猫が化けたんだなと思いました。男の子は握り締めていた白銅貨を男の人に差し出して、一生懸命に言いました。
「ここは、ねこがしやさんでしょう? これで買えるだけの、猫の為のお菓子を下さい」
ははん、猫用の菓子だと思われたようです。
男の人は、飼い猫達に安全でおいしいお菓子を食べさせようと、色々研究して煮干しや鰹節入りのクッキィやケェキを作っていたので、その男の子には猫達のお菓子を分けて上げました。
男の子は、ズボンから出たしっぽをユルユル振りながら、嬉しそうに帰って行きました。
男の人の店には、猫本人や猫を飼っている人が、猫用のお菓子を求めてちらほらやって来るようになりました。男の人は飼い猫用に作っていたお菓子を、お客さんの為に売って上げるようになりました。
猫のいる家の人に、御宅の猫のお友達にうちの猫をどうですか?と男の人は勧めてみましたが、猫を借りて行く人はありませんでした。
男の人の始めたねこがしやが猫用の菓子屋で定着した頃、夜に客が現れました。その地域で季節の変わり目の、節分と呼ばれる日のことでした。悪い鬼を、大豆で追い払う風習があります。
お客は、コォトを着て帽子を目深かに被った大柄な男の人です。男の客は、低いボソボソした声で言いました。
「猫菓子一つ」
男の人は何か妙な胸騒ぎがしながらも、謝りました。
「今日はもう終わりなんです。作っていた物は売り切れてしまって」
男の人の飼い猫達は、部屋の中で不安そうに鳴き喚いています。猫達が危険を知らせていることが、男の人には分かりました。客は猫達を示して、
「材料ならあるじゃないか。時間は掛かっても構わない。どうせ今夜はどこからも締め出しを食っているんだから。一つと言わず三つでいい」と、言いました。
成程、こいつは節分で、豆持て追われた鬼に違いない。猫の肉で作った菓子だと思われたようです。生でもいいと猫を寄越せと言われたら大変なので、男の人は鬼をうまく騙して追い払うことにしました。
男の人はこれから作りますので出来るまでお待ち下さいと言って、猫達を台所に閉じ込めました。
静かにして鳴いてはいけないよと言う男の人の言葉を、この時ばかりは猫達も守りました。
男の人は何を出そうか考えた結果、ちょっとした悪戯心もあって、大豆の粉とメザシと挽き肉を混ぜて作った団子を揚げました。
男の人は、客がどんな反応を示すか興味津津で、カレェパンのような丸々とした団子を渡しました。
客はその場で一つぱくりと口に放り込むと、あっと言う間に食べて、旨い旨いと言いました。客が顔を上げた時に帽子がずれて、額から生えた二本の角が見えました。
客は男の人の言ったお金を払い、熱々の団子を食べ食べ、立ち去りました。後でお腹を壊しても知りません。それともいつか、大豆の味に気付くでしょうか。
男の人は試しに、鬼が食べた猫菓子と銘打って、その団子を売りに出してみることにしました。勿論人間にも食べ易いように、大きさは小さくしましたがね。
人間用の猫菓子もぽつぽつ売れるようになった頃、暗くなり掛けた時分にお客がありました。女の子です。男の人はついつい、耳やしっぽや角がないか確かめてしまいました。
どう見ても可愛らしい普通の女の子は男の人に、
「猫を貸して下さい」と、言いました。
そもそも猫を貸すお店を始めたのに、ずっとお客さんがなかったものですから、男の人には咄嗟に何を言われたか分かりませんでした。思わず、
「えっ、何ですって?」
と、聞き返します。
「今夜はパパとママがお出かけするから、家に一人でお留守番をしなきゃならないの。だから猫にいて欲しいの」
男の人はようやく現れたお客さんに、恭々しく尋ねました。
「どの猫に致しましょう。物静かでお姉さんのような白猫? 凜々しいお兄さんのような縞猫? それとも一緒に悪戯してくれる友達のブチ猫?」
猫達も初めてのお客さんだと言うことが分かり、それぞれの性格にあった様子で、女の子が選んでくれるのを待ちました。
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お話の中では、女の子がどの猫を選んだかは書いていない。一緒に悪戯したい時もあるし、のんびりしたい時もある。その日の気分に合わせて、僕もお話の猫を選んでいた。女の子の役はリトルガァル。
鬼の役をするのは、大柄だけれど実際は女の人だ。声が低いのが恥ずかしいのか、殆ど話さない。イィハトォブ劇団には、大人の団員もちゃんといるのだ。
借りた猫の性格に合わせて、ナレェションは替える。猫の種類も手に入った時々の猫で変わるのだ。猫達は、家にいる時や練習の時とは違った。
沢山のお客さんを前にすると白猫は興奮して騒ぎ、縞猫は疲れたのか眠ってぴくりとも動かず、ブチ猫は怯えて椅子の下から出て来なかった。
僕は舞台の端の半分影になったところに立っていたから、殆ど緊張しなかったけど、練習のし過ぎで腕がだるくなって、何度も指が縺れた。
ピアノのコンクゥルなら、絶対落選間違いなしだ。元々完璧には弾かなくていいから、僕は自棄になって曲を奏でていた。
飼い主さんが舞台に向かって一生懸命声を掛けていたけれど、効果はなかった。
まぁ、猫だから仕方がない。大人のお客さんは笑っていたし、小さい子供は猫がいるだけで喜んだ。脚本通りに出来るかどうかより、お客さんが楽しんでくれるかどうかが大切だ。それで言うと、昨夜の双子が出て来た劇も大成功と言うことになる。
勿論全てのお客さんが、滅茶苦茶な劇を見たがっている訳ではないだろう。




