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裏庭 2

 僕は食事の後、頃合いを見て、リジィに上げる絵葉書をポケットに入れて、家を訪ねて行った。

 リジィの家は、すぐに見つかると思ったのに、なかなか見つけられなかった。どの家も古びていて、前にペンキを塗ったのが、二十年や三十年では利かないように見えた。

 暫くウロウロして、方向と場所から宿の僕と先生の部屋の正面に当たる、リジィの家を割り出すことが出来た。

 その家なら、もう何度も通っていた。それなのに気が付かなかったのは、裏から見た様子が、せいぜい外装に手を入れて四、五年にしか見えないのに、正面は他の家と見分けがつかないぐらい、古色蒼然としていたからだ。

 そんなことって、あるだろうか。但し聞くところによれば、街の景観を壊すような外観の建物は、建てられないよう法律で決められているところもあるそうだ。

 ここでも街並み保存条例なんてものがあって、目に着く場所は手を入れてはいけないのかも知れない。

 そう思うと納得出来るが、表と裏でこれだけ違うと全く違う家のようで、なかなか訪ねて行くのに勇気がいる。

 どうせ庭で遊ぶんだから、裏庭から回っても失礼ではないだろうかと思いながら、裏庭に出る道を探したが、その時はどうしても見つけることが出来なかった。 

 さっきは宿の裏に行こうと思って出た訳ではないので、きっと僕の探し方がまずかったのだと思う。それでも僕は、それらしい路地の入口を塞ぐ、古びた煉瓦の壁を訝しい思いで見た。

 僕は何度も家の前を行ったり来たりした後で、勇気を出してノッカァを叩いてみた。済みませんと声を張り上げて、二度三度とノックする。

 留守かと思った時、嫌な音を立てながらドアが細めに開かれた。扉を開けたのは、年とった女の人だった。女の人は落ち凹んだ目で、ジロリと僕を睨んだ。

「騒がしくしないでおくれよ。子供が、一体何の用だと言うんだい?」

 僕は、やっぱり家を間違えたんだろうかと思って、しどろもどろになった。

「リジィは、いますか? これから遊ぶ約束をしたんですけど」

 女の人はすげない調子で、

「家をお間違いでしょう。この家には、年寄りしかおりません」

 と言うと、ドアを閉めようとした。僕は慌ててドアノブを掴んで、必死で言った。

「でも、ここの裏庭で会ったんです」

 女の人は、それ以上ドアを閉めるのは止めたが、突樫貪な態度は崩さなかった。

「なら、家をお間違いでしょう。奥様はお加減が悪いので、騒ぎはごめんです。勝手に庭に入って遊んでいるのを見かけたら、叩き出しますからね。その子にも、言っておきなさい」

 僕はスゴスゴと引き下がり、ドアノブから手を離した。女の人は、用が終わったのならとっとと向こうに行けと言うように、腕を腰に当てて僕を見下ろしている。僕は逃げ出したくなる気持ちを押さえて、

「あの、それでは近所に、僕より少し年下の女の子がいる家はありませんか。赤ちゃんもいるんです」

と、最後にそれだけ聞いてみた。

「子供のいる家なんてあるもんですか。小さい子供がいるなら、すぐに分かります。子供はただでさえ騒がしい。赤ん坊なんて、とんでもない」

 女の人は、さも不愉快そうに言った。僕は騒いだりしないと思ったが、何も言えなかった。女の人はドアを閉めて僕を閉め出し、途方に暮れた僕だけが扉の前に残された。

 その日は夕方までリジィの家を探し歩いたが、ついにそれらしい家は見つけられなかった。勿論、リジィにも会えなかった。

  *

 僕はリジィとの約束が反故になった日、しょんぼりとして宿に帰った。喧嘩でもしましたかと先生に聞かれて、僕はその日のことを洗い浚い話した。昨日見かけたスゥのことも、一緒に話した。

 女の人の態度は僕をとても嫌な気持ちにさせたが、先生は看病疲れで参っているのですよと、僕の固くなった心も溶かして下さった。

 何がどうなっているのか僕には、さっぱり分からなかった。リジィが嘘を吐いたのか、あの女の人が嘘を吐いたのか。

 どちらも嘘を吐いたのじゃなかったら、僕がリジィと会った裏庭は、何処にあるのか。

 ブランコが揺れて、赤ちゃんの泣き声の聞こえる、あの居心地のいい小さな庭は。

 先生は暫く考えた後、もしかしたらと何か言おうとされた。しかし続きの言葉が、口から出ることはなかった。

 幻想第四次空間の歪みが、僕のいるこの世界と、別の世界と繋げてしまったのかも知れない。下から〈懐風荘〉を見上げた時、雰囲気が違って見えたのも、あの時僕は違う世界の風景を見ていたからだと言えばすっきりする。

 それともあの女の人のいる世界の方が、別世界だったのだろうか。リジィはちゃんと僕を待っていて、来ない僕に嘘吐きだと腹を立てていたかも知れない。

 僕はそう思って次の日、宿の裏に出られる道を探した。理由を説明して、リジィに謝りたかった。そうは言っても昨日の女の人に会うのはやはり嫌だったので、正面に回る気は起きなかった。

 それに、あの古い外観を見るのも嫌だった。

 何だか、何十年もタイムスリップしたような気分になるからだ。家と家の細い隙間を歩き回る内に、昨日は見つけられなかった路地に、ちゃんと出ることが出来た。帰る時に忘れないよう、注意しなければならない。

 裏庭には人がいて、鼻歌を歌いながら盤でカァテンらしい大きな布を洗っていた。リジィの母親では絶対ない。十六才ぐらいのお姉さんだ。その人は、リジィに少しだけ似ていた。リジィのお姉さんだろうか。

 僕がつい生け垣の前で立ち止まっていると、お姉さんは顔を上げて、きょとんとなった。

「あら、何処かで見た顔ね。ああ、ロバァトのお友達ね。あの子なら、もうすぐ帰って来るわ。中に入って待ってなさいよ」

 お姉さんは、勝手に自分のいいように解釈すると、水に濡れた泡だらけの手で僕を手招きした。これでリジィには、最低でも四人の兄弟がいることが分かった。スゥも入れれば、五人だ。

 兄弟のことを言わなかったのは、別に不思議でもない。

 僕だって男ばかりの六人兄弟だけれど、兄弟はと聞かれると、つい一番下の弟のことだけ答えてしまう。

 年が離れていると、兄弟と言っても意外と疎遠になってしまうもので、離れて暮らしていれば尚更だった。

 僕など、船に乗っている一番上の兄さんのことを思い出すのは、カードの届くクリスマスの時ぐらいだ。カードが届くとしての話。兄さんのことはちょっと怒っていて、忘れたかったこともあるしね。

 寄宿舎に入っている双子は、休暇の度に嫌と言うほど思い出させられる。普段は思い出したくもないし、これこそ極力忘れるようにしている。双子は帰省の度に、寄宿舎で仕入れた悪戯を、僕に仕掛けてくるのだ。

「その木戸から入るのよ」

 僕が途惑っているのを、お姉さんは勘違いして、そう教えてくれた。僕は、生け垣の端にあった低い木戸を押して、庭の中に入った。 

 前からこんな戸、あっただろうか。

 ニレの木の枝に下がっていたブランコは見あたらず、芝生の代わりに、丈の短い雑草が庭を覆い尽くしていた。潅木のヒィスは、前に見た時より大きくなっているように見える。

 僕はかぶっていた帽子をとって、モジモジと家の方を見た。オレンジ色の戸は、今日は閉まっている。ベェジュピンクの壁はくすんで、ところどころ剥がれている。どう見ても新しくは見えなかった。

 僕は、あの女の人が怒鳴り込んでくるのではないかと、ドキドキしながら声を低めて、

「あの、お祖母ばあ様の身体の調子は如何いかがですか。今日は、お加減はよろしいのですか?」

 と、聞いた。お姉さんは、リジィのように目をぱちくりとさせた。

「あなた、ロバァトの友達にしては、しっかりした子ね。でも一体、何の冗談?」

 お姉さんは、洗濯の手を止めて僕を見つめる。腹を立てているようではなかった。僕は慌てて、冗談じゃありませんと言って、昨日のことを話した。

「昨日ここに来たら、お手伝いらしい年をとった怖い女の人が出て来て、追い帰されたんです。ここには年寄りしかいない。子供は騒ぐから嫌だって」

 お姉さんは、本当に?と聞き返してくる。僕は嘘を吐いているように見えないように、真剣な顔で頷いた。お姉さんは、僕が嘘を吐いているとは思わなかったようだ。それでも不思議そうに首を傾げた。

 そうすると、やっぱりリジィに似ていた。

「変ねぇ。うちには年寄りなんていないわよ。お手伝いさんだって頼んでいないし」

 僕は持っていた帽子を、ギュッと握り締めた。

「この家に赤ちゃんはいますか? それか、五才ぐらいの女の子」

 本当は、一番聞きたかったのはリジィのことだ。お姉さんは、ゆっくりと首を振る。

「いいえ。子供は、私とロバァトの二人だけよ」

 ここは何処なのだろう。そして、リジィに似ているこの人は誰なんだろう。僕は緊張して声を上擦らせながら、尋ねた。

「あっ、あの。お名前を聞いてもいいですか?」

 お姉さんは、おかしそうに笑う。

「私? 私は、ベッツィよ」

 表の方で、下手糞な口笛の音がして、自転車のブレェキが立てる甲高い悲鳴が聞こえた。石畳を擦るタイヤの音。

 あの女の人が今のを聞いたら、失神するに違いない。ベッツィは苦笑して、

「ほら、ロバァトが帰って来た。あの子、騒がしいからすぐに分かるのよ。もしかしてロバァトが、何か言ったの? あの子、嘘を吐くような子ではない筈なんだけど」

 と、最後の方は、心配そうに僕を見た。

 玄関のドアがバタンと閉まる音がして、男の子の声で母親を呼ぶのが聞こえた。声は、だんだん裏の方に近付いてくる。僕は、その場にいられなくなる。

「あっ、あの、僕、もう行きます」

――済みません。

 叩き付けるようにベッツィに言ってきびすを返し、僕は入って来たのと同じ戸を開けて路地に出た。ベッツィが、弟を呼ぶ声がする。

 僕はロバァトなんて知らない。リジィのことしか。

 僕は後ろも振り返らずに、一刻もその場から離れたくて無茶苦茶に走った。僕には、訳が分からなかった。

 リジィは、何処に行ったんだろう。あの裏庭は、見る度に違う場所に変わって行くのだろうか。

 じゃあ、どうしてリジィとベッツィは似ていたのだろう。親戚か。それとも僕の、勘違いなのかも知れない。

 だったら何も不思議なことはない。あの路地は次元の歪みにあって、別の世界に繋がった時だけ入って行けるのだ。

 でもどうして家の壁は、みんなベェジュピンクで、ニレの木が一本だけ生えているのだろう。

 僕は、どうしてもこの謎を解いてみたくなった。そして、出来ればもう一度リジィに会うのだ。

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