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船舶ラヂオ 3

 僕は船乗りと言う仕事を、よく分かっていなかった。船乗りの出てくる本も幾つも読んでいるから、海相手の仕事は危険で、人間の都合通りには動いてくれないことは知っている。

 しかしそれを実際に、兄さんの仕事と結び付けて考えることはしてこなかった。

 結び付けてしまうと、途端に怖くなる。嵐で船が沈んだり、座礁したり、船同士の事故だってある。それにいまだに海賊が、ウロウロしているような海域だってあるのだ。僕は不安を押し隠すように、

「母さんが言うみたいに、港々で遊び回っていて、家族のことは忘れてるんじゃなかったの?」

 と、憎まれ口を叩く。兄さんは、まるで目の前にいるかのように「母さん」と、母さんを詰るような声を上げた。兄さんは、頭が痛くなったような顔をすると、

「そう言うのは、もちっと金が出来た、そこらの兄さん達みたいな人のすることさ」

 と言って、集まっている船乗り達を顎で指し示した。兄さんより少し年上ぐらいの人もいるけれど、集まっている人達の中では、兄さんが一番年下なようだ。

 兄さんが船に乗ったのは十三才だし、どんな船にも普通見習い水夫の少年はいるものだ。きっと雑用が忙しくて、甲板には来ていないのだろう。兄さんは、話題を逸らしたのか元に戻したのか、

「それにしても、船舶ラヂオの話も書いといた筈なんだけど。書いてなかったっけ?」

 と、僕に聞いてくる。僕は、きっぱりと首を振りながら、

「海の魔女だって名乗るお婆さんから、船舶ラヂオを貰ったってことだけ。もしかして、そっちの住所も書き忘れているだけなの?」

 と、改めて聞く。兄さんは目を丸くする。

「え? 書き忘れてた? 確か母さんに、電話で伝えたと思うけど」

 自信がないのか、最後は口の中で呟くだけだった。僕は自信を持ってこう言える。

「母さんが言い忘れることは絶対にないから、兄さんは伝えるのも忘れたんだね」

 兄さんは面目なさそうな、それでいて納得したような顔になる。

「そうか。それで、誰からも手紙が来ないのか。出て行った者への扱いなんてそんなものかなと思うだけじゃなく、双子はそもそも手紙なんて柄じゃないしな。下二人は、俺のことも覚えてないだろうから来なくて当然だ。でもお前だけは、くれるんじゃないかと考えてたんだ。来ないのは、俺が出て行ったことに腹を立てている所為かと思っていたんだけど」

 兄さんは、僕の機嫌を伺うように言葉を切って僕を見つめた。僕は、そんなふうに機嫌を伺われるのは嫌なので、そっぽを向いて答える。

「そりゃね。小さい頃は怒ってたよ。でも旅立つタイミングってのがあるのが、今では分かるよ」

 兄さんが、ほぉと合いの手を打つ。僕は馬鹿にされたような気がして、矢継ぎ早に言葉を続けた。

「大叔母さんの家に行くのは、最初は僕かリルケかどっちかだったんだ。僕にはどうしても、大叔母さんの所に行くんだと言う気がしなかった。僕は残るって母さんに言おうかと思ってた時、先生に会ったんだ。これから旅に出ると言われた瞬間、今が旅立ちの時なんだって僕には分かったよ。ただリルケが、田舎行きを押し付けられたと思っていないといいんだけど」

 僕はそれが心配で、声にもそれは表れた。兄さんは真面目な顔になると、

「ぼんやり考え事ばかりしていたお前が旅に出たり、母親べったりだったリルケが、遠い親戚の家で暮らしたり。それを言えば俺だって、家を出るまで海だって見たことがなかったんだ。変わるってことこそが、俺達にとっては大人になるってことじゃないのかな」

 と、請け合った。船長がそれに、

「宛名を書き忘れるなんて、とんだ大人だな」

 と、茶々を入れる。兄さんは、まだまだ若造に過ぎませんからと言って、鼻の頭をこする。船長は水夫の一人に、コックに何か客に出すようにと指示した。水夫はすぐさま、駆け出して行く。

 波が穏やかなのか、船は殆ど揺れを感じさせない。ともすると、船の上だと言うことも忘れそうだ。船長は先生に目を止めると、

「あんたは、船舶ラヂオのことも知ってるようだね?」

 と、聞いた。僕は、先生の返事に注意を向ける。

おかに上がった船乗りの、昔語りで聞いたことがあったんです。勿論現物を見たことはありませんし、間違いだった時の為に、彼には話さなかったんです」

 僕が先生を見ると、先生は優しい目をして僕を眺めておられた。お兄さんに会えると糠喜びさせて、がっかりさせたくありませんしと、先生は続けられる。船長は小さく頷く。

「それが賢明だな。海にまつわる話は、それこそ星の数程あるが、九割方は与太だ。残りの一割に、こう言うことが起きちまうから、海ってのは面白い」

 兄さんは僕の隣にしゃがむと、

「もう説明する必要もないだろう。船舶ラヂオは、海の魔女がラヂオを改造して作った探知機なんだ。ラヂオで、電波の入り易い入り難いところがあるように、離れている筈の場所が近くなる地点って言うのがあるんだろうな。このラヂオはその地点を捜して、船と人を引き寄せる力があるんだ。それで、会いたい人に会えるって訳さ」

 船乗り仲間からは子供扱いされている兄さんでも、僕にとってはやはりとても大人に見える。兄さんが出て行った頃と比べれば僕も成長したし、次に兄さんと会う時は普通に話せるだろうと思っていたけれど、僕は小さな子供の時のように気後れしていた。それがまた悔しくて僕は不貞腐れながら、

「本物だと思わなかったから、僕みたいな家族に送ったりしたんでしょう。本物だって分かってたら、恋人にでも送ったんじゃない?」

 兄さんは、途端に僕を抱き上げて立ち上がった。

「ああ。お前は俺の小さな可愛い恋人だよ」

 兄さんは言って、僕の両頬にキスをした。幾ら久しぶりに会うと言っても、こんなのはっきり言って、五才ぐらいの子供に対する扱いだ。僕は、恥ずかしさで一杯になる。その時、高い子供の声でこう言うのが聞こえた。

「ケッ。甘やかされきったおチビちゃん。俺なんか、お前の年から船に乗ってたって言うのに」

 僕より二つ程程年上に見える男の子が、僕を馬鹿にした顔で睨んでいた。先程調理室に行った水夫から、話を聞いて出て来たようだ。それまでは、調理室で働いていたのだろう。

 兄さんは、僕が口を開くより先に、ギロリとその男の子を睨んだ。

「おい。ジョゼ。俺の弟をいじめたら、ただじゃおかないぞ」

 ジョゼと呼ばれた少年は、プイッと横を向く。ジョゼはそこで黙る程性質タチのいい性格ではないらしく、聞こえよがしに言った。

「自分で言い返すことも出来ない、お行儀の良いいい子ちゃん。特技は何だ? 背中で手を組んで詩の朗読をすることか。木登り一つ出来ないんだろう。木登り出来なきゃ、話にもならない」

 僕は、兄さんが思っている程弱虫でも子供でもない。もがいて兄さんの腕から抜け出すと、ジョゼの前まで歩いて行った。勿論、双子みたいに手を出すような僕は馬鹿じゃない。

 僕はジョゼに向かって、胸を張る。

「木登りぐらい出来るよ」

 ジョゼはそばかすの浮いた顔で、挑発的にニヤニヤ笑いながら、

「そんなこと言うならマストにも登れるか?」

 と言って、顎でマストを示した。二本マストの中規模船の、マストとマストの間の甲板に僕らは立っていた。ジョゼが示したのは、舳から遠い方のメインマストだった。マストは、枝の張った杉の木のようだ。

「上ったことないから分からないけど、木登りと殆ど変わらないなら出来ると思うよ」

 ジョゼは似たようなもんさと言うと、ニヤリと笑った。

「登れるなら、見張り台に招待してやるよ。オレ専用の望遠鏡を覗かせてやる。運が良ければ船が見えるかも知れないぜ」

 僕は、てっきりジョゼが嫌な奴だと思っていたので、肩透かしを食った気分だった。憎らしい奴と言う評価は、改めなくてはいけないかも知れない。そもそも兄さんがした扱いを見たら、僕がとんでもない赤ん坊だと思うだろう。僕は目を丸くしながら、

「いいの?」

 と、聞き返す。途端に兄さんが、声を上げた。

「登っちゃ駄目だ」

 また兄さんが台無しにすると思って、僕はムッとした。僕は行こうとジョゼに声を掛けて、ジョゼの手を掴む。僕は、ジョゼの手を掴んだまま兄さんに向かって言い返した。

「僕はもう、赤ん坊じゃない。木登りぐらい平気だよ。兄さん、丘の上にあった木のこと覚えてる。ちょうどマストみたいな形の木。僕はあのてっぺんの枝に座って地平線を眺めながら、兄さんもマストに登って今海を見てるんだろうかって思ってたんだから」

 集まっていた船員達の日に焼けたいかつい顔に、切なげな表情が浮かぶ。生まれた家とか幼馴染みとか、船に乗る為に家を出た時に置いてきたもののことを思い出しているのだろう。

「いい話じゃねぇかよぉ」

 僕は、見張り台に連れて呼んでくれるんでしょうと言って、ジョゼの手を引っ張る。ジョゼは途惑った顔で頷き、僕に引っ張られて二、三歩歩き出す。兄さんは、先生の腕をとった。

「あなたからも止めて下さい。あなたの言うことなら、ラジニも聞くでしょう」

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