船舶ラヂオ 1
兄さんから小包が届いた。一番上の、船に乗っている兄からだ。
僕は先生と当てもない旅を続けているので、手紙などは局止め郵便にしてあった。先生が学術研究書や論文をとり寄せた時に郵便局には寄って、溜っている僕当ての手紙なども受けとれるようにしてある。
僕に来る手紙の殆どが、弟達からのものだった。
僕ほどではないが、下の二人も筆まめだ。と言ってもノエルはまだ五才で、そんなに言葉は知らない。ノエルの手紙は絵で、ママがその絵の説明を文で補ってくれている。
例えば、これは隣のマァシャとブランコの取り合いで喧嘩をしているところ、とか。僕が手紙に書いた、笛に合わせてダンスを踊るクマの想像図とか。そんな感じだ。
ノエルも僕と同じで、手紙を書いて送るのが大好きなのだ。
もう一人の弟のリルケは、子供のいない田舎の大叔母さんの家で暮らしていて、僕の手紙を何よりの刺激にしている。厳しい大叔母さんの屋敷での生活は、退屈そのもののようだ。唯一のリルケの慰めは、僕の旅の話と、近所にある農場に遊びに行くことだった。
僕にとってもリルケの書いてくる、農場の話は楽しみになっていた。僕も旅をしていて様々な出来事を体験しているけれど、ポニィに乗ったり、自分で絞った絞り立てのミルクを飲んだりするような経験はない。それに、野生の狐やウサギだって見たことはなかった。
弟達とは頻繁に手紙のやりとりがあり、母さんからは、靴下だの日持ちのする焼き菓子だのの小包が届くことがあるけれど、上の三人は筆無精だ。
長男のクレイブ兄さんは働いているし、双子達は学校だから、そもそも家族に手紙を出す気になれないんだろう。それでも双子は時々、僕をからかう内容の手紙や、びっくり箱なんかを送り付けてくることがある。
一度なんて、学校の学期末提出の長期課題が入っていたことがある。間違って弟に送ってしまいましたとでも言うつもりだったんだろうけど、そうはいくもんか。僕は、速達で送り返してやった。
双子とまでは、僕もまだやりとりがあるけれど、一番上は、何処に手紙を送ればいいのかすら分からない。船舶協会に聞けば、兄さんが使っている郵便局も分かるんだろうけれど、もしかしたら局止めの手続きさえとっていない可能性もある。
兄さんの手紙嫌い?は相当で、クリスマスカァドまで忘れたことがある。
信じられる? クリスマスカァドをだよ。だからこそ、そんな兄さんから時候の挨拶程度の葉書が来た時も驚かされたけれど、今度は兄さんから小包が届いたのだ。珍しい――と言うか、どう言う風の吹き回しだろう。
僕は、郵便物もとり扱っている雑貨屋のカウンタァで、早速その小包を開けてみた。至急送り返さなきゃならないような、双子の例もあるからね。兄さんの小包は、十五センチ程の大きさの、船荷の入っていたような木箱だった。
船乗り結びになっていた麻紐(結局先生にも解き方が分からなかったので、切るしかなかった)を外して蓋を開ける。箱の中には、丸めたティッシュを詰め物にして、古ぼけたラヂオが入っていた。
メモのような手紙が載せてあり、そこには兄さんの大らかな字で、そのラヂオに就いての説明が書いてあった。
兄さんはそのラヂオを、港の露店で貰ったのだそうだ。兄さんにそのラヂオをくれたのは、凄く年をとったお婆さんで、自分は海の魔女だと名乗ったらしい。ラヂオは船舶ラヂオだから、恋人や家族や友人、会いたい人に渡すといいとお婆さん、もとい海の魔女は言ったそうだ。
兄さんはその人のことを、ボケているのかおかしいのかも知れないと思ったけれど、もし本当に海の魔女で機嫌を損ねたら大変なので、丁寧にお礼を言ってラヂオを受けとったのだと言う。
信じられる? 普段手紙を書かない兄さんが送って寄越した手紙の内容がそれだなんて。
兄さんはもう殆ど大人だから、双子のように嘘を吐いたり、悪戯をすることはないと思う。兄さんも自分で、お酒を飲んでいて見た夢かも知れないと書いてあったし・・・。それでも手元には確かにラヂオがあって、かと言って酔ってガラクタに金を投じた訳ではない証拠に、お金は失くなっていなかったのだそうだ。
勿論、ゴミ捨て場で拾ったと言うことも考えられる。夢か何か分からないが、兄さんが意図的に僕をからかっていることだけはない筈だ。からかっているとしたら、随分凝っている。
兄さんは、本当に船舶ラヂオなら自分が持っている訳にはいかないし、単なる古ぼけたラヂオを宝物にする年は過ぎているしで、誰に送るか迷ったようだ。母さんもガラクタだと思うので、弟の誰かと言うことになる。
でもリルケに送れば、大叔母さんがいい顔をしないと兄さんにも分かっていた。双子は分解して組み立てられず結局壊す、ノエルは普通にしていても小さいから壊してしまう。そう言うことで、僕がラヂオを受けとることになったのだ。
大人はどうか知らないけれど、古いラヂオだって宝物になる。特に兄さんがくれた物なら申し分ない。ラヂオと言うより、茶色い皮で出来た箱のようだ。ラヂオの前面に、摘みとスティック状の電源ボタン、そして二つの窓にスピィカァが着いている。
後ろの面には蓋があり、中には電池が入っていた。電池には赤い錆が付いていて、本当に動くのかと思うが、パチンと電源をオンにすると、それでも音がする。チャンネルを替える為の摘みも錆びているのか、回せなかった。
窓の一つは、内側に周波数のスケェルが刻んであり、摘みを回せば針が動く仕掛けになっているのだろう。もう一つの窓は、ザァザァと言う雑音に合わせて揺れる針とは別に、小さな赤い針が着いていた。その針が何を示すのか、動くことがあるのかも不明だ。
摘みは、空きチャンネルに合わせられているので、雑音しか入ってこない。兄さんは、その音を海鳴りの音だと書いていた。波音と言われればそうだけれど、本当は単なるホワイトノイズだ。
それにしても兄さんは、肝心な船舶ラヂオの名前の由来を書いてくれていない。海の魔女から聞かなかったのだろうか。昔は船専用のラヂオだったから、船舶ラヂオと言うのか。でも、それだと船舶ラヂオだから、親しい人に渡せと言う意味が通じない。船に乗っていた物だから、船乗りを思い出すにはいいと言う意味だろうか。
今ならば、海鳴りラヂオと言う方がぴったりくる。先生は、船舶ラヂオの由来を知っているように見えたけれど、僕には何も仰ってくれなかった。兄さんの作った嘘であれ何であれ、海の魔女から貰ったと言う壊れたラヂオを、僕は気に入った。
それだけならどうってことのない話だが、船舶ラヂオの話には後日譚がある。それがなければ、僕は船舶ラヂオのことを忘れていたかも知れない。兄さんに、お礼の手紙すら出せなかったし。
兄さんは、前の葉書だけでなく小包にも、住所を記していなかった。初めの内、僕はベッドの中で、船舶ラヂオを付けて遠い波音に耳を傾けたりしていたが、その内鞄の中に入れたままになった。
波音が、外の雨音に混じってしまうので、わざわざラヂオを付けるまでもなかったのだ。
その頃僕と先生は雨と霧に祟られていて、何処に行っても雨か霧なのだった。雨には雨の日独特の、霧には霧の日独特の良さががある。見知った町も、雨や霧の日にはいつもと違って見えるものだ。
しかし何処に行っても雨や霧が着いて回ると、流石に真っ青な空と眩しい日差しが恋しくなってくる。ホテルの外がミルク色の霧に包まれているのを見ると先生も、ここは一つ景気払いが必要だと感じたようだ。
「こうなったら船舶ラヂオを付けて、とことん歩いてみましょう。その内辿り付けるかも知れない。でも行った先まで、雨か霧に祟られている可能性もありますけどね。まっ、物は試しです」
先生はそう言われて、僕に兄さんから貰ったラヂオを出すように頼んだ。僕は訳が分からなくて、どう言うことかと先生に聞く。だって先生の言うことが、少しも分からない。先生は微笑んで、
「うまくいったらのお楽しみです」
とだけ仰った。そこまで言われたら、僕も黙って皮嚢からラヂオをとり出すしかない。僕はラヂオを出して、電源を入れた。
僕達以外人っ子一人いない路地に、ザアアアアッ、ザアアアアッと、波が寄せては引いていくような音が響く。先生が悪戯っぽい顔で微笑まれる。
「ほら、こうして見ると、霧の波が寄せては返しているようじゃありませんか?」
霧は、石畳の上を滑るように流れては消えをくり返している。確かにその様子は、先生の言うように波のようだった。ラヂオから流れる音と重ねると、余計に本物らしく思える。僕も嬉しくなって、叫んだ。
「本当だ」
先生は、嬉しそうにニコニコされる。きっと先生は、海になった町を歩いているつもりになって、憂欝な気分を忘れようと言うのだろう。そうして歩き回っていれば、その内お日様の差すところに辿り付ける可能性はある。
「さぁ、太陽にお目に掛かれることを祈って、出発しましょう」
僕と先生は、ラヂオの波の音を聞きながら、白い霧を掻き分けて進んだ。船舶ラヂオの波の音を聞きながらだと、ここ数日と変わらない霧の町を歩くのにも苦痛ではなかった。
先生は僕に、クレイブ兄さんのことを聞いてきた。七つ年上の兄さんは、今の双子と同じ年に、船乗りになる為に家を出た。僕がノエルより一つ上の時のことだ。僕にとってはクレイブ兄さんは、その頃でも十分に大人に見えたし、一緒に遊んだ記憶もなかった。
それでも、僕は兄さんが好きだった。双子のことを兄と呼ばないように、僕は僕をからかってばかりの双子を兄とは認めていない。構って貰うことはなくてもクレイブ兄さんこそが、僕にとっては尊敬すべき兄さんだった。だから兄さんが家を出た時は、結構ショックだった。
母さんは、子供はいつか一人立ちするものだと言っていたけれど、僕は兄さんに裏切られたような気がしていた。
裏切るも何も、兄さんにとったら僕は、赤ん坊に毛の生えたようなものに過ぎなくて、気にもしていなかっただろう。
僕は、兄さんへの複雑な思いなども先生に語った。相変わらず霧が晴れる様子はなかったけれど、薄暗くてジメッとした雰囲気も、気にはならなかった。
僕はふと持っていたラヂオに目を落とし、あれと声を上げた。慌てて先生の、袖を引く。
日曜日まで、毎日更新します。全五話です。




