おもひでサァカス 前編
世界一小さなサァカスと聞いて、心踊らない子供はいないと思う。
先生と僕は、旅の途中、路上の見せ物小屋の呼び込みの声に引き止められた。
「坊や、世界一小さなサァカスを見て行かないかね。お代は米菓子一袋だよ」
僕を見て穏やかに微笑んでいたのは、灰色と白の混じった豊かな髪とヒゲを持ったお爺さんだった。お爺さんは痩せてしまったのか、身体に合わない古めかしいフロックコォトを着ていた。先生は見せ物小屋を見ると、仰った。
「心は私も子供のつもりですが、私は見せて貰えないんですか?」
「残念ですが、テントの中に入れないと駄目なんですよ」
見せ物小屋のお爺さんは、済まなさそうに言う。お爺さんの横には、僕ぐらいの子供が何とか潜り込めるだけのテントがあった。円の上に三角帽子を載せたような、サァカステントの形をしている。テントは、様々な古い切れを縫い合わせて作ってあった。
銀と黒の縞。紫地にオレンジ色の水玉。テントの裾を、ピンクに様々なラメ糸を混ぜたフリルが縁取っている。入口に当たる場所には、花の刺繍の施された青い絹の布が垂らしてある。その全てが色褪せ毛羽立ち、あるいは擦り切れているが、元々良い仕立ての布だったことは分かる。
僕は、先生から貰った小遣いの残りを取り出す。
「先生には、僕が話して差し上げますね」
お爺さんは、カゴに入っていた色付きの米菓子を僕に差し出しながら言う。
「いやいや坊や、これは特別なサァカスだから、見た人以外には内緒にして貰わないと駄目なんだよ」
僕は、ちょっと先生に悪いような気がしてしまう。それを見越したように先生は優しく微笑むと、
「子供にしか持てなかった素敵な秘密を、私も沢山持っていますから、構いませんよ」
と、言って下さる。僕は、米を膨らませて色を付けたお菓子と小銭を引き換えに、サァカスに入る権利を買った。
世界一小さなサァカスと言うのは、蚤のサァカスだろうか。それとも良く慣れたネズミ?
こう言う見せ物小屋は、僕の家の近所のお祭りの時なんかにも良く出た。そこらから集めて来たような、木切れで作った掘っ立て小屋が殆どだ。
覗き絡繰りだ、珍しい動物だなんて言って見せ賃をとるけれど、往々にしてつまらないものばかりだと言う。但し僕は、こう言った見せ物小屋に入ったことはない。大人や他に子供がいない時に見せ物小屋に入ったら、攫われてしまうと言われていたからだ。
小屋はそのまま檻となって、連れ去られるのだと言って、僕を心底怖がらせたのは双子だ。双子の言うことだから信用出来ないけれど、僕はどうしても見せ物小屋に近付くことが出来なかった。
つまらないと言うわりに、双子はしょっちゅう見せ物小屋に入っていた。僕は実際、双子が攫われないかと期待していた。双子ももしかしたら、攫われたいと思っていたのかも知れない。
人攫いも、双子にとったら冒険のチャンスに過ぎないのだろう。双子は、何かあるのを喜々として待ち望んでいて、何も起こらないと、自ら揉め事を起こすのを常としていたのだから。
僕は先生に、どこにも行かないで下さいねと念を押してから、しゃがみ込む。買ったばかりの菓子をポケットに突っ込んで、僕は四つん這いになった。
お爺さんがめくってくれた垂れ幕の隙間から、僕はテントの中に潜り込む。テントの中は、真っ暗だった。僕は一瞬、双子の言っていた人攫いと言うのは、本当かも知れないと思って怖くなった。その時テントの中から、高く奇麗な声で、
「ちょっとボク、あんまり奥まで来ないで頂戴。入口の幕を背にして座るのよ」
と、言うのが聞こえた。その後で、お客様にあんまり乱暴な口を利くんじゃないよと、小声で嗜める声がした。僕は驚いて、垂れ幕に背を押し付けるようにして、のけぞった。
途端、テントの中が仄かに明るくなった。
「×××××サァカスにようこそ」
異国の言葉なのか、何と言う名前のサァカスなのか、僕には聞き取れなかった。
「世界を股に掛けたサァカス団の、他では見ることが出来ない公演を、これからお目に掛けましょう」
薄明かりに照らし出されたのは、黒いフロックコートに白い絹シャツ、銀と黒の縞のズボンを履いた男の人だった。男の人のお腹は、はち切れそうに大きい。黒々としたヒゲを貯えていて、長いシルクハットをかぶっている。足元の、乗馬用のブゥツは磨かれてピカピカだ。
如何にもな伊達男は、シルクハットを取って頭を下げながら、挨拶をした。
「私は団長の、ジェルマンと申します」
帽子の下には、一本も毛が生えていなかった。僕は驚いていて、マジマジとその男の人を見つめるしかなかった。そこに、一番最初に聞いた女の人の声で、
「拍手はないの?」
と、言うのが聞こえた。ジェルマン団長の背後に、若い女の人がヒラリと手品のように現れる。双子よりも年上の少女は、僕にはもう殆ど大人の女の人と区別が着かない。彼女は、赤いレオタァドドレスを着ていた。肩紐は金の鎖で、腰の回りのピンク色のフリルには、ラメ糸を編み込んである。団長は顔をしかめて、咎めだてする。
「アリョウナ。お客様に催促するものかね」
団長もアリョウナも、僕の小指程しかないことを除けば、どこからどこまで人間そのものだ。僕は、ようやくこれだけ言った。
「ごめんなさい。僕、あんまりにも驚いたものだから」
派手な舞台化粧の為に、余計にきつい顔立ちに見えるアリョウナが、馬鹿にした口調で、
「こんなこと良くあることよ」
僕だって、世界には様々なことが起きることぐらい知っている。不思議なことが起きるのは、ごく自然なことだけれど、やっぱり驚かずにはいられない。だって・・・。
「でも、小人のサァカスを見るのは初めてだもの」
「あたし達のどこが小人よ。ボクが、巨人の子供なんじゃない」
アリョウナが意地悪く、言ってくる。僕は、
「違うよ」
と、言い返すが、小さなテントに比べると、僕の方が大き過ぎるみたいだと感じてしまった。そこにとり成すような、三つ目の声が聞こえてきた。
「ボク達もただの人間だが、君とは属している世界が違うんだよ。このテントが、本来出会えない筈のボク達と君を繋いでいるんだ。同じ大きさになれないのは、副作用みたいなものかな」
紫色の地にオレンジ色の水玉を散らしたダボダボの服を着て、三角帽子と言う一目見ればピエロと分かる服装をしているが、落ち着いた口調はピエロらしくない。
顔は白塗りで、赤い団子鼻を付け、両目の下に青い涙マークが描いてある。ピエロは最初の二人より背が高くて、ヒョロリとしている。ジェルマン団長が不愉快そうに、言い聞かせる。
「ハンス。ピエロは馬鹿なことさえ言っていればいいんだ」
ピエロのハンスは、本当なら情け無い顔付きに見える筈のメイキャップが、貧相に見える様子をしている。
「わざと失敗するのがピエロの腕の見せどころなのに、うまく失敗出来なくて、反対に台無しにしちゃう。だからボクは、役立たずハンスと呼ばれているんだ」
アリョウナは苛立たしそうに、バレエシュウズを履いた爪先で、床を蹴った。
「ハンスが助手じゃ、あたしの演技が急に馬鹿馬鹿しいコントになっちゃうわよ。詩人や哲学者のピエレッタなんて、ピエレッタとは言えないわ」
ピエロのハンスは、戯けてゴム鼻を引っ張って見せようとしたけれど、ゴムが伸びる代わりに切れてしまった。そこで大袈裟に驚いて見せれば、ちゃんと演技になるのに、ハンスは驚いたのか反応が遅れてしまい、結局タイミングを逃してしまった。
ジェルマン団長が、情け無いと言わんばかりに、頭を振り振りする。
「余計なことをゴチャゴチャ言いに出て来て。黙って出て来て笑顔を振りまきながら、演技を始めるのが、サァカス団員と言うものだ。全くお前達は、サァカス団員としての誇りがないのか」
気の強いアリョウナがそれにも、乱暴に言い返した。
「あたし達を掴まえようとするチビとか、大騒ぎするガキども相手に、そうそうやってられないわよ。こんなに大きさに違いがあったら、空中ブランコをしようが、綱渡りをしようが、少しも驚かせられないんだから。迫力が命なのよ。これじゃ、せいぜいお人形のサァカスごっこだわよ」
アリョウナの背丈の十倍でも、座った僕の目の高さぐらいだ。普通の背丈に換算したら、16メェトルの高さと言うことになる。床から16メェトルの高さで、綱渡りをするのを見れば、ハラハラドキドキ見ていられない。それが目の高さだと、アリョウナにとっては高さ16メェトルだと言うことを忘れてしまいそうだ。僕は、サァカスを始めないこのお喋りも楽しみ出して、
「このサァカスは、全部で三人だけなの?」
と、質問した。それには、アリョウナが答えた。
「いいえ、あたし達のサァカスと来たら、大所帯よ。ボクみたいな巨人がいないところではね。ここに来ると、みんないなくなっちゃう。ポニィに犬たち、クマ、サル。華やかに前座を飾る動物もいなくて、全然つまらないわ」
ボクボクと言って、僕を子供扱いするのは止めて欲しい。
「世話をする動物が減って、オレは有り難いがな。オレの大事なライオン達は全部揃ってるし」
ピシピシと鋭い音をさせて、テントの陰からもう一人が現れた。ジェルマンは、お前まで出て来たのかと溜め息を吐き、諦めたように紹介した。
「猛獣使いのダァニッシュだ」
黒檀色の美しい膚をした男は、黄緑色の緩やかなズボンに、素肌の上に緑色のチョッキを着ている。輪にした鞭を両手で引っ張ると、ピシリと鋭い音がする。
ダァニッシュは蛇でも放すように鞭の先を床に投げ出し、慣れた手付きでピシリと床を鞭で打った。光の薄れて陰になった場所の裏に楽屋があって、みんなそこから出て来ているようだ。
鞭の音に呼ばれて、鬣も豊かな雄ライオン二頭と雌が一頭、威厳に満ちた歩き方でテントの中に入って来た。僕は思わず歓声を上げて、赤ちゃんネズミぐらいの大きさのライオンに手を伸ばし掛けた。
途端にダァニッシュから、制止の声が掛かる。
「手は出さない方がいい。こいつらはチビと言っても、坊やの指の肉を食いちぎっちまえるんだからな。ネズミよりも、鋭い歯には違いない」
僕は、ソッと腕を引っ込める。ピエレッタのハンスは、現れたライオン達と間合いを取るように気を付けているが、ジェルマンもアリョウナもライオン達を恐れていない。
「ライオンが怖くないの?」
アリョウナが、
「一頭でも大人の象を、ライオンたちは襲わないでしょう。自分より大きな相手の前では、ライオンたちも無茶はしないわ」と、答える。
ダァニッシュは丸くした指を銜えると、鋭く指笛を鳴らした。そして現れたのは、一頭の白い象だった。象は額に飾り布を垂らし、布製の鞍を背中に掛けている。絹らしい青い布には、花の刺繍が施されている。象ですら、僕の拳程しかない。象は出て来るなり、僕に向けて前足を上げ、鼻を高く空に伸ばした。
「サァカスの人気者、象のバルゥ」
ジェルマンは、ようやく口上の役割が果たせるとばかりに、大きな声を上げた。僕は、象の為にパチパチと手を叩く。象は僕の前に跪くように、前脚を折った。ジェルマン団長が、
「優しくなら、首筋を撫でてもいいよ」
と、言ってくれる。僕はお言葉に甘えて、象の布飾りを付けていない肩のあたりを撫でた。象の膚は、ザラ付いた紙のようだった。アリョウナが、
「お菓子を貰えると、期待しているのよ」
と、口を挟んでくる。僕はそれに思い出して、慌てて上着のポケットを探ろうとし掛けた。するとそれを遮るようにアリョウナが、
「入場料は、あたし達へのお菓子だけど、米のお菓子以外に何か持ってない? 米のお菓子は身体にいいから、食べ過ぎても身体を壊さないからって、興行主はそれしか売らないの。あたし達はみんな、ジェリィビィンズが好物だってのに」
僕はハッと思い出して、顔を輝かせる。僕は狭いテントの中で、背負っていた皮嚢を降ろして、胸に抱き締め中に手を突っ込んで掻き回した。
「ジェリィビィンズなら、持ってるよ。プラスティックだけれど、ボトルが綺麗だったから、開けずに取ってあったんだ」
僕は皮嚢の中から、サァフボォドを積んだ車の形をした、プラスティックボトルを取り出した。サァフボォドが蓋になっている。白に赤いラインとロゴの入ったテェプが、サァフボォドを屋根に固定するように貼って封がされている。セロファンではなく紙のテェプなので、綺麗に剥がせない可能性の方が高いから、僕は食べるより残して置く方を選んでいた。
ジェリィビィンズなら秤売りのお店で、他のマァブルチョコレェトや風船ガム、飴やラムネなんかと一緒に買うことが出来る。僕は、紙テェプを惜しまずに破り取った。やはり糊の付いた部分が、サァフボォドの上に残り、テェプはクルリと丸まって、二度と広げることも無理そうだった。
僕が蓋を開ける内にも、アリョウナが言ってくる。
「あたしは赤、ゾウは白、ライオン達には一つずつ黄色を上げて。他の人は、何色でもいいわ」
僕はまず、手に少しジェリィビィンズを出した。黄色が二つに白が一つ、ブルゥが一つ。僕は白いジェリィビィンズを摘んで、バルゥの前に持って行った。バルゥは、鼻で上手にジェリィビィンズを受け取る。
象は力持ちだ。鼻で、丸太を持ち上げることも出来るのだ。バルゥは鼻を巻き取って、ジェリィビィンズを口に運んだ。僕は再びボトルを傾け、うまく黄色がもう一つ出るようにした。
手の中のと合わせて三つのジェリィビィンズを、僕は自分からもライオンからも少し離れた場所にポトポトと転がした。ネズミよりは鋭い歯で、指の肉を食いちぎられるのはごめんだ。
ダァニッシュがピシリと床を鞭で打つと、ライオンたちは飛び跳ねるようにして、ジェリィビィンズの山に殺到した。夏の暑い時に、動物園で動物達に氷をプレゼントする習慣があるけれど、氷を抱くようにライオンたちはジェリィビィンズにじゃれ付いた。
ジェリィビィンズを前足で押さえ付けて、ザリザリと舐めたり、お腹を見せて前足で抱き付きながら、噛じり付いたりしている。僕は何色でもいいと言われたので、ブルゥのジェリィビィンズをジェルマンに渡した。
自分の頭より大きなジェリィビィンズなんて、食べ切るのに何日掛かるだろう。僕はボトルから赤と紫と緑のジェリィビィンズを出し、それぞれアリョウナとハンス、ダァニッシュに渡した。
ダァニッシュは鞭を丸めて腰に下げ、ナイフを取り出して、ジェリィビィンズを一片ずつ削り取って食べた。ライオンたちは、ひとしきりジェリィビィンズで遊んだ後、僕の方に駆けてきた。
遊び盛りの子猫そっくりな様子で、僕の膝に鼻を擦り寄せたかと思うと、チロチロと舐めてきた。
ひゃあ、擽ったい。
ライオンたちは横倒しになって、前脚で宙を掻いて僕の注意を引こうとする。ダァニッシュが僕に片方の目をパチリと瞑って見せる。
「噛じるってのは、嘘さ、坊や」
ライオンは焦れて、砂浴びするように背中を床に擦り付けて、ゴロゴロする。僕はオズオズと、人差指をライオンの上に近付けた。ライオンが、はっしと僕の腕を両前足で掴む。
爪は出していないので、痛くなかった。ライオンは僕の手を掴んで、指先もペロペロと舐める。ジェルマンは、ライオンたちの様子が気に入らない様子でブツブツ言った。
「こらこら、懐くな。なけなしの威厳も、失くなってしまう」
「こんなに大きさが違うんだから、しょうがないよ」
僕が慰めるつもりで言ったのを、アリョウナが聞き止めた。
「確かに、ボクにとったら、あたし達は小人かも知れない。小人のサァカスだから大したことないと思われるのだけは、癪だわ」
アリョウナは、サァカス団員としての誇りを傷付けられた様子だ。アリョウナは、仁王立ちになると、宣言した。
「ジェリィビィンズも貰ったことだし、あたし達のサァカスショウを見せて上げる」
後編は、明日更新です。




