表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/58

先生のトランク*挿し絵付き

 柳の枝で編んだ白茶けた色の、小振りなトランク。せいぜい二泊程度の物しか詰められそうにないけれど、そのトランク一つを先生は、長い長い旅の道連れとした。

 そのトランクは、先生の大切な旅の御供だ。僕が御一緒させて戴く以前から、何度も先生と旅行に出かけてきた、言わば僕の大先輩である。

 職人さんが、一つ一つ丁寧に作っている手製の物の為、仕事がしっかりしているのは勿論だが、何よりも温かみがあった。トランクは大切に扱われてきた為、これまで使われてきた年月以上の使用に耐え得る筈だ。

 古くなればなる程、持ち主の使い方がトランクに表れて、世界に一つしかない風合が醸し出される。トランクの色も皮の滑らかさも、柳の繊維のほつれ具合も、箱についた癖も、この世に二つと同じ物はない。

 それは、先生だけのトランクだ。そのトランクを運ぶことができることを、だから僕はとても誇りに思う。中身は入っていないかのように軽いのだが、僕はできる限り敬意を込めて両手で持つようにしている。

 箱の四隅に補強として、皮が鋲で打ちつけてある。皮は黒で鋲は銀、路上に置かれることもある位置にある鋲は、少しひしゃげて傷を受けて白くなっていた。持ち手の黒い皮のとっ手は、長年の使用で柔らかく、子供の手の平でも持て余すことのない、握り具合のいい物となっている。

 先生のトランクは、真ん中で別れるタイプではなく、底が深くなっていて、もう一方が蓋になっているタイプだ。トランクは鍵と革帯ベルトがついていて、普段は革帯で留めてあった。

 鍵は、細長い物だ。黒色で、紐を通す穴はクロウバァの形になっている。蓋が倒れないようにと言う配慮から、底と蓋の裏地を繋ぐようにリボンが縫いつけてあって、蓋は直角までしか開かない。裏に張っている布はクリィム色、リボンは焦げ茶色。蓋の裏につけられた大小三つの布ポケットは、薄い鼠色をしている。

 先生のトランクには、本当に色々な物が詰まっている。開ける度に、見たことのない物が出てくる。先生のトランクは、魔法のトランクだ。そして僕が先生から戴いた、先生が子供の頃に使っていた皮嚢ランドセルも、魔法の皮嚢だ。

 皮嚢には着替えだけでなく、冬用の外套やレインコォトまで入っているのだけれど、必要にならない限り、皮嚢を逆さにひっくり返して振ってみたって、出てきはしない。

 しかも僕は、ホテルや宿の絵葉書や、海岸や川原で拾った石や硝子の破片、貝殻・鉱石も、奇麗なお菓子の空缶や空袋・飲み物の瓶も、旅行をしている間に僕の目に留まったありとあらゆる物を、皮嚢に仕舞っている。

 本当なら、そんなに沢山の物が入る筈がないのに、僕の皮嚢にも先生のトランクにも、幾らでも物は入ってしまう。その癖、空っぽの鞄だけを提げているかのように、皮嚢もトランクも軽いのだ。

 僕の宝物、見知らぬ人はそれをガラクタとも呼ぶ。入れた覚えのない物が混じっていることもある。大抵それは、先生が子供の頃皮嚢に入れたまま忘れていた物や、失くしたと思っていた物であることが多い。先生が子供の頃に集めていた硝子玉が、二つ転がり出てきたこともある。

 それらの物は結局、全て僕の物になる。時には、先生にも覚えのない物が出てくることもある。多分、本当は先生が、失念してしまっているだけなのだろうけれど、それを誰か別の人のところから紛れ込んでしまったのだと、僕は考えることにしている。

 その方が、素敵だから。

 僕と先生の鞄の底は、別の世界と繋がっているらしい。鞄の中にある小宇宙って、素敵だ。見知らぬ物を見つける度に、僕と先生の間で目まぜして、幻想第四次空間ですねと言うのが、合い言葉のようになっていた。

 見覚えのない物が入っていたりする僕の皮嚢だけれど、時々どれだけ探しても、見つからなくなることがある。一旦見つからなくなると、それから何度探しても出てこない。中には、宿で皮嚢から出して、そのまま入れ忘れて、置いてきてしまった物もあるにはあるだろう。

 しかし見覚えのない物が現れるのと反対で、もしかしたら、とんでもない場所に僕の宝物が現れているのかも知れない。それが僕と変わらない年頃の少年で、宝物を入れている、寝台横のランプテェブルの抽斗の中だったりしたら・・・。

 その少年は、見覚えのない物に驚きはするものの、彼の宝物のコレクションの一つに加えてくれることだろう。僕は、そんなことを想像して楽しんだりする。

 皮嚢の中身をいじくり回しているだけで、僕は満足できるが、先生のトランクの中を見るのも大好きだった。先生は、僕が先生のトランクを開けて、あれこれとり出して眺めていても、嫌がったり叱ったりはしない。

 先生は、僕ぐらいの少年が、何に興味があるかちゃんと分かっておられる。先生も昔は、僕が興味を覚えるような物に興味を持つ少年だったからだ。

 僕は宿に着くと、自分の持ち物と先生の持ち物を収めるべき場所に仕舞うと言う名目で、先生のトランクの中を漁ることを許されている。トランクの蓋の内側にある布ポケットには、必ず、大きなポケットには大学ノォトが、そして小さいポケットには手帳と万年筆が入れてあり、もう一つの小さいポケットには手紙が入れられている。

 大学ノォトは、先生が御自分の研究の幻影力学に関する新しいアイデアや、計算式などがメモってある。そのへんは、僕にはあまり興味のないものなので、トランクの底の方に目を移す。

 アイロンの当たったネルのシャツと、切れそうな折り目のスラックスと言った着替えが左側に入れてあり、一番上には、洗面用具の入れたナイロン製の袋がある。そちらも、僕には用のない物だ。

 問題は、右側の部分だ。幻影力学に関する本が二冊に、なぜか宮廷料理の本と、汽車の中で読む時間潰しの為の短編小説集が一冊入っていた。

 そして僕は、トランクの中に散乱している細々した物を一つずつ摘み上げて、寝台のシィツの上に並べていく。

 外国のお金、硬貨が七枚と二枚の折り畳んだお札が、裸のまま転がっている。

 それに、オツベル商會の文字の入った燐火マッチ箱。中を振るとカラカラと音がした。開けてみると燐火棒が、まだ五本程残っている。全部使い終わったら、空箱を下さいと先生に言わなければならない。

 その燐火箱が、どうやら今回の僕の戦利品になりそうだ。真っ赤な地に枠帯を茶色と黒の三角で色分けした囲みの中に、鼻を上げた象の姿が描いてある。異国風で、僕が持っているどの空の燐火箱とも、デザインが違う。

 もしかしたら先生は、燐火箱だけでなく外国の小銭を幾枚かも、僕に下さるかも知れない。布袋に収めてあるのは、岩石の標本だった。それは三つあったが、これは大学に送る物だから、僕はもらえない。もらえなくとも、僕は完全な標本よりも、クズ石のような物の方を大切にしている。

 磨いたりカットしてある物より、鉱物はそのままがいい。海の波や、川の流れに磨かれた硝子の破片や小石は、勿論別だけれど。人の手が加わっていない物の方が、僕は美しいと思う。だから、この布の袋の石は元の場所に置いておく。

 細々とした物の下に、原稿用紙が敷かれていた。科学雑誌用の原稿か、大学の機関誌用か、論文か。何にしても僕は、先生の原稿を読んでいいことになっている。

〈人を化かす狐に関する考察〉

 タイトルは、そうなっている。僕は、鉛筆書きの原稿の文章を拾い読みして、想像を膨らませて楽しんだ。片付けにも何もなっていないが、先生は僕の好きにさせてくれる。

 そう言う時に先生が僕を呼ぶとすれば、食事やお茶の為だけだ。先生が、僕をソッとしていてくれるのをいいことに、好きなだけ空想の世界に遊ぶ。

 そして僕は、いつの間にか眠り込み、夢の中へと彷徨さまよい出ていく。

 そんな僕の右手には原稿用紙が、左手には白銅貨が握られたまま。

 そしてベッドの上には、沢山の旅を経験して来た先生の腹心であるトランクも、静かに口を開けて、暫くの微睡まどろみを貪っているのだ。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ