表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/58

落ちてきた天使

 僕は一人で、休暇期間中のヨシュア大学の構内を歩き回っていた。

先生のお供で、今日はヨシュア大学までついてきたのだ。ヨシュア大学は、今は夏期休暇中なので、研究生や図書館に用事がある人の姿しかない。

 図書館にも行ってみたが、置いてある本で、僕ぐらいの子供が興味を魅かれるようなものは、当然なかった。

 先生は、ヨシュア大学で教授を務めているヘルトリンク氏に用があったのだ。ヘルトリンク教授は、真っ白な顎ヒゲを生やした小柄なお爺さんだった。ヘルトリンク教授は、先生とは、以前から手紙のやりとりがあり、僕のことも聞いていたようだ。

 ヘルトリンク教授は、大袈裟な仕草で先生と僕をそれぞれ抱き締めて、身体全体で歓迎の気持ちを示してくれた。

 案内されたヘルトリンク教授の研究室は、標本や資料で身動きがとれないほどだった。そうでなければ好きなだけ見てもらったり、触ってもらったりできるのだがと、ヘルトリンク教授は申し訳なさそうに僕に言った。

 ヘルトリンク教授は子供好きなだけでなく、先生と同類で、僕らのような少年のことがよく分かるようだ。

 それはやっぱり、今は顎ヒゲを生やしたお爺さんでも、ヘルトリンク教授も昔は、僕のような少年だったからに違いない。

 先生も教授も、狭く固いソファに座って長い間、話をするのに何の苦痛も覚えないようだが、僕はそんなのはごめんだった。船を漕ぐか、何か粗相するに違いないと、僕は気が気ではない。

 教授も僕のそんな気持ちが分かるのか、自分達の話と用が済むまで、僕は大学の構内を探検しておいでと言われた。その為、今僕はヘルトリンク教授からもらった、薄荷で風味をつけたスミレの砂糖菓子を時々口に放り込みながら、プラプラ歩いているのだった。

 僕は初めに、目的であった同じヨシュア大学の教授である、グラッドストン教授の研究室を訪ねた。勿論、以前お会いして、もう一度会いたいと思っていた日に焼けた、固い手の平と、何百・何千万年も前の地層を見つめているような、深い理知的な瞳を持つ、グラッドストン教授に会うことは叶わなかった。

 ただでさえ、フィルドワァクを重視する教授だ。休暇中の大学にいる訳がない。

 ドレスデンの白茶けた大地の上、まだ見ぬ獣脚類を求めて、ツルハシ片手に歩き回っていることだろう。

 教室や研究室の殆どに鍵はかかっていないので、好きなだけ陳列された標本などを、僕は眺めて見て回ることができた。熱中している内に僕は、いつしか迷子になっていた。階段を上ったり降りたりした記憶はあるし、空中の渡り廊下も通ったことは分かる。

 しかし、どこをどう歩けば、ヘルトリンク教授の研究室に辿り付けるのか、僕には分からなかった。誰か見かけたら道を聞くつもりでいたのに、僕が迷子になった途端、まるで申し合わせたかのように、誰の姿も見かけなくなってしまった。僕は一人、途方に暮れる。

 ふと僕は、廊下に少し開いたドアがあるのに気が付いた。最初からずっと開いていたのか、それとも今誰かが開けたのか、僕には分からなかったけれど、僕はそのドアの方に近付いた。 

 ドアは、小さな作業室のような部屋に続いていた。壁際には、木製やスチィル製の棚が置いてあり、部屋の真ん中には大きな作業用の机がデンと置いてあった。机の上には、歯車や捩子や発条の他に、布切れやボタンなどが散らかしてある。

 僕は、ソッと部屋の中に足を踏み入れた。そこで、その部屋の中にもう一つ開いた扉があって、そこに誰かが立っているのに僕は気付いた。扉は、作業室から他の部屋に続いているようだ。僕は思わずドキッとして、足を止めた。

 扉の敷居の向こうに立って、こっちを見ているのは、僕と同じ年頃に見える男の子だった。その男の子は、僕を見ても驚かなかったし、人見知りした様子も見せなかった。男の子は、僕を見てにっこりと微笑むと、やあと挨拶をしてきた。

「僕は、イリス」

 その少年、イリスは名乗った。僕は緊張を解いて、

「僕は、ラジニだよ」

 と、自己紹介をした。

 イリスは作業室に入ってくると、物慣れた様子でヒョイッと、作業机の端に腰掛けた。イリスは、ここのことをよく知っているようだった。教員か学校関係者の子供か、それとも学生が、夏休みだと言うことで弟を連れて来ているのかも知れない。

 僕は、イリスに興味が湧いた。僕は、馴れ馴れしくなり過ぎないように、イリスから少し離れて、机に身体をもたせかけた。

 僕は、ポケットに入れていた、ヘルトリンク教授からもらった砂糖菓子を入れた包みをとり出して、イリスに少し勧めた。イリスは僕に礼を言って、砂糖菓子を一つ摘んで口に入れる。

 とても嬉しそうな顔をしたので、後の半分は君に上げるよと言って、イリスに包みを渡した。イリスは顔を輝かせて、僕から包みを受けとった。砂糖菓子は、甘くて薄荷の味が喉に気持ちいいが、イリスが喜ぶ顔の方が僕には嬉しかった。

「ところで、君は、どうしてここに?」

 僕は、不躾にならないかと思いながら、イリスに質問した。僕?と言ってイリスは僕を見ると、あっさりした様子で、

「僕は、空から間違って落ちてきてしまったのさ」

 僕は驚いて、イリスの言葉を繰り返した。

「空から間違って落ちてきた」

 イリスは、僕の言葉に頷いて見せ、冗談を言っているのではない顔で、

「僕は、天使なんだ」

 イリスは色が白くて、造り物のように整った姿をしている。イリスの青い瞳は、透明度の高いサファイヤのように澄んでいた。イリスは、嘘を吐いているようには見えない。僕は真面目に、指摘する。

「翼がないよ」

 これでイリスに翼があったら、どこから見ても天使だろうなと僕は思っていた。イリスは、知らないのかいとでも言うように、驚いて、

「地上の人には、翼は見えないんだよ」

 僕は、そうなんだと頷いた。からかわれて、馬鹿にされているようには思えなかった。今度は、イリスが質問する番だ。

「君は?」

 イリスに聞かれて、僕はできるだけ何でもないことのように、

「僕は、先生について、この大学に来たんだけど。先生のご用が済むまで、ちょっと探検してたんだ」

 イリスは、ふうんと頷いた後、

「それで、迷子になったんだ」と、言った。

 イリスには、僕が迷子になっていたことを、見透かされていたのだ。もしかしたらイリスは、廊下で僕が途方に暮れていたのを見ていたのかも知れない。僕は、恥ずかしくて俯きながらも、うんと頷いた。

 迷子になった時は、見つけてもらうまで待てばいいんだよとイリスは、当り前のように言った。そしてイリスは、僕に笑いかけると誘ってきた。

「待ってる間に、隠れんぼして遊ぶかい」

 僕が何も言わない内に、イリスは僕の沈黙を、やると言う意味に受けとったようだ。イリスは、完全に乗り気で、僕に言ってくる。

「僕の方が、ここには詳しいから、君が先に隠れなよ」

 イリスは、作業室、準備室、教室の扉が開けてあるので、その三つの部屋の中なら、どこに隠れてもいいこと、廊下には出ては駄目と、注意事項を僕に伝えてくる。

 僕は、会ったばかりのイリスと隠れんぼをして遊ぶことを、受け入れていた。イリスは壁際に僕に背を向けて立つと、一、二、三、と数を数え始めた。

 僕は、奥に続く扉を抜けた。準備室らしい部屋は、倉庫のような具合になっていた。色々な奇妙で興味深い物が、山のように積んである。図書室の本棚のように棚が何列も部屋に並んでいるし、僕ぐらいの子供なら、隠れる場所は沢山あった。

 簡単には見つからないところを僕は一生懸命探し、僕はイリスが百を数え終わる前に、何とか棚の下の隙間に潜り込むことができた。

 百を数え、イリスは僕を探し始めた。彼が動き回る気配が、作業室から、準備室へと移ってくる。僕は小さく身体を縮めて、息を殺した。見つからない見つからないと、呪文のように、自分に暗示をかける。

 イリスが、僕を探し回っている気配がする。それがふと消えた。ようやく隣の教室に行ったのだ。僕は、ホッとした。その途端、しゃがんでいた僕の足首を何かがつついてきたので、僕はとても驚いた。

 本や木箱の間で身を縮めていた僕は、首を捩って、ガラクタとガラクタの間にできた小さな隙間を伺った。その隙間に、イリスのニマニマ笑っている顔がサッと現れて、また見えなくなった。

「見つけた。次は、ラジニの番だよ」

 イリスは立ち上がったらしく、声は上の方から降ってくる感じだ。僕は諦めて、イリスの前に姿を現した。隠れるのは得意だし、絶対に見つからないつもりだったのに、僕よりイリスの方が一枚上手だ。

 イリスに自信たっぷりに二十でいいと言われて、僕は部屋の隅に行き、イリスに背を向けただけでなく、目を腕で覆って数え始めた。イリスの気配が、途端に分からなくなる。

 僕は、二十と言って、目を覆っていた腕を降ろした。部屋の中はシンとしていて、ついさっきまで僕以外の人がいたとも思えないほどだ。いや、今だってどこかの隅で、イリスが息を潜めていないとも限らない。

 僕はまず、準備室の中を丹念に探した。僕の背丈以上もある丸めた設計図の束、作りかけなのか、完成品なのか分からない機械の塊、金属の板、銀色のも金色のも、切りとられた残りの穴だらけのもある。分厚い本には、機械工学の文字が躍っていた。

 準備室を探し終えると、今度は僕は、作業室に行った。部屋の真ん中に置かれた机の下は勿論、僕が入れるぐらいの戸棚の扉は開いてみたけれど、どれも沢山中身が詰まっていて、ネズミでも窮屈そうだった。

 人間の男の子が入るなんて、絶対無理だ。もう一度、ザッと準備室を見た後、最後に僕は、教室に行った。中ぐらいの教室の中、僕は隠れられそうな場所には全て目を通した。その教室に入るのは、僕は今が初めてだった。自分が隠れる番の時も、扉から見渡しただけで、準備室に戻ったからだ。

 その教室の後ろには、扉も仕切りも何もないが、二畳程奥に引っ込んだ部屋があった。部屋には、隙間なく硝子のケェスが並べてあったので、僕はチラリと見ただけで、隠れられる所はないと判断を下していた。但し、隠れんぼの最中でなかったら僕は、ワアと歓声を上げて、ケェスのウィンドウに張りついたことだろう。

 ケェスには、台座に乗ったバイオリンを持った二本足で立っている黒猫や、曲芸をしている玉乗りの子グマなどの、からくり人形らしい人形が、幾つも幾つも飾ってあったのだ。

 僕は、イリスが見つからないことに、焦るだけでなく不安になり始めた。イリスは、空気にでも溶けて、消えてしまったようだった。 僕は、わざと音を立てて、あちこちバタバタと走り回ってイリスを探した。

 僕は天使なんだよと言った、イリス。

 イリスは、空に還ってしまったのだろうか。そんな筈はない。僕は、途方に暮れて立ち止まった。 

 僕はイリスに出会う前の、見捨てられた、迷子の気分に戻っていた。

「ねえ、イリス。もう出てきてよ」

 僕は、泣き声で言った。イリスは僕の不安を感じて、びっくりさせたかいと言って出てきてくれるかと思ったが、待ってもイリスは出てこなかった。僕は、癇癪を起こした。

「イリスったら」

 しかし、イリスの声は聞こえなかったし、姿も見えなかった。イリスは隠れ場所で、僕が慌てている様子を思って、クスクス笑っているのかも知れない。それとも急用ができて、僕を置いていってしまったのだろうか。そうではなく始めから、僕をからかうつもりだったのかも知れない。

 僕は、悲しくなった。力の抜けたまま僕は、教室の後ろまで歩いていった。硝子のケェスに、近付く。僕は、アッと声を上げた。

「君、こんな所にいたの?」

 ケェスの前に駆け寄った僕は、妙な気分になった。その原因を考えようとする前に、後ろの方から声がした。

「オゥトマタだよ」

 僕は、弾かれたように振り返った。教室に、先生より少し年下なぐらいの男の人がいた。僕はオウム返しに、

「自動人形?」

「そう」

 男の人が頷く。 

 僕は、再びケェスに目を戻した。僕の目の前のケェスの中では、肘掛けのある一人掛けのソファに、僕ぐらいの年の頃の男の子が、膝を胸につけて体育座りで座り込んでいた。しかし、それは本物の人間ではない。

 プラスティックや硝子やナイロンや陶器で作られた、本物の男の子そっくりの、等身大の人形だった。しかも、その少年はイリスに瓜二つだった。

 半袖のネルのシャツと、上に着ている赤いラインの入った、Vネックの白いニットのベストも、薄いグレイの半ズボンも、膝まである白いソックスも、履いている黒の皮靴も。着ている洋服が、何から何まで同じだけでなく、洋服から伸びた細い手足も、顔の造作までもが同じだった。

 癖のない真っ直な、金髪の下の瞳には、サファイヤのような透明度の高い、青いガラスが填め込まれている。その人形の男の子は、イリスをモデルにして作られたかのようだ。しかしイリスと違って、人形の男の子は僕に微笑むことも、話しかけてくることもない。

 ただ椅子の上に座って、正面を硝子玉の目で見つめている。

 さっきの男の人が、いつの間にか僕の横に来ていた。男の人は背を屈めて、僕の目線の高さで、同じように硝子ケェスに向き合った。

「その男の子の人形なんか、よくできてるだろう。イリスと名付けられているんだよ。僕も作る時、ほんの少し手伝ったんだ」

 僕は、男の人の言葉の中に、イリスと言う名が出てきてビクッとした。

「捩子を巻くと、幾つかの動きを見せるんだ。何だったら、巻いて見せてあげようか」

 男の人は、気前よくそう申し出てくれたが、僕は慌てて首を横に振った。僕はその人に、この人形のモデルになった男の子がいるでしょうと聞きたかったが、もしそんな子はいないと言われたらどうしようと思うと、何も言えなかった。

 僕は、イリス。

 そう言って、僕の前に現れた少年を、僕は、はっきりと覚えている。

 僕は、空から間違って、落ちてきてしまったのさ。

 僕が、イリスと会ったのは、夢の中の出来事だったのだろうか。僕が、迷子になったことを知っても、からかったりはしなかったイリス。隠れんぼをしようと、強引に決めたイリス。

 隠れていた僕を見つけた時の、イリスの得意そうな顔。全部全部、本当ではなかったのだろうか。僕が、あげた砂糖菓子の包みを、本当に嬉しそうに受けとってくれたイリス。

 ポケットを探らなくても、あの包みがないのは分かる。それともウロウロしている間に、落っことしただけだろうか。

 僕は、天使なんだ。ごく自然にそう言った、イリス。

 きっとイリスは、本当に空から落っこちてきた天使だったのだ。僕が、そう結論付けた時、今度は僕のよく知る人の声が聞こえてきた。

「ラジニ君。随分、お待たせしたんじゃないでしょうか?」

 先生が、僕を探しに来てくれたのだ。先生は、教室の入口から少し中に入ったところで足を止めて、僕の隣の男の人を見た。イリスのことで頭が一杯だった僕は、その人が何者であるかすら、まだ知らなかった。先生が、知っている人ですかと問うように僕を見たので、僕は改めてその男の人を見る。

 男の人と先生は、初対面同士の笑みを交わし合った。先生は、その人に挨拶をした後、名前を名乗って、ここに来た理由を手短に説明した。男の人はそれに頷くと、

「幻想工学の、ピプト教授の助手です」

 頭を下げた。僕はそれを受けて、

「僕は、先生の助手のラジニです」

 それを聞くと、先生がフフと笑った。そして、僕の勘違いを優しく正してくれた。

「この場合の助手と言うのは、大学の役職のことなんですよ。研究熱心そうな、こちらの方のことです。もう何年かすれば準教授、そして最終的には教授になられるでしょう」

 僕は、言葉の意味を理解して、顔を赤くした。

 先生の専門は、物理学の中の力学で、今日の訪問の理由であったヘルトリンク教授は、植物学。以前、偶然知己を得たグラッドストン教授は、地学の中でも古生物学者だった。この人は、工学が専門なのだ。

 作業室や準備室は、ピプト教授や、この人の持ち場なのだろう。発条や歯車、捩子や図面があったのも頷ける。そして、ケェスに飾られている木や布、陶器で出来ているとは思えない程の精巧な造りの作品達は、きっと教授が作った物なのだ。

 ケェスの下の方には、それから比べると、素朴な印象の、自転車に乗ったブタや、フライパンを持ったコックさんなどが、申し訳なさそうに並んでいる。それらの小品の中に、この人の作品もあるのだろうか。

 男の人は謙遜するように、

「いやあ。教授の旗持ちのようなものですよ」

 と言って、恥ずかしそうな顔をした。旗持ちと言う意味は、僕には分からなかった。ピプト教授は、いつでも旗を持ち歩いているのだろうか? 僕はきょとんとして、

「僕は、荷物持ちですけど」

 男の人は、僕の言葉に目を丸くすると、おかしそうに声を上げて笑った。

「これは、君に一本とられたな」

 僕は別に、何かうまいことを言ったつもりはない。ただ、事実を述べたまでだ。先生も、楽しそうに笑っているが、僕には何が何だか分からない。笑われても、二人の笑いには悪意がなかったので、僕は気にならなかった。

「用は済みましたから、行きましょうか。ラジニ君」

 先生にそう言われて僕は、はいと元気に返事をした。一旦行きかけた僕は、足を止めると硝子ケェスを振り返った。

 ケェスの中の椅子に座った人形のイリスは、無機質な感じで前を向いていた。人形のイリスの視線と僕の視線が、偶然交わる。僕は小さく手を振って、彼に挨拶した。

「またね。イリス」

 僕はもう振り返らずに、待っている先生の元に歩いて行った。

  *

 彼は、ラジニ少年が傍らに来るまで待っていた。少年が、彼に追い着く。彼は歩き出す前に、ケェスの前に立ったまま見送っていた私に、軽く目顔で頭を下げた。その後、二人並んで講義室から出て行った。

 私の隣から、声替わりする前の高い少年の呟きが、聞こえてくる。

「またね、だって」

 私は、傍らに立つラジニ少年と同じ年頃の、その男の子を見下ろした。

 少年は、イリスと言う。少年の、灰色の半ズボンに、半袖のシャツの上からニットのベストと言う格好は、学校の制服のようにも見える。

 ラジニ少年は、茶色の半ズボンに、同じくネルのシャツを着ていた。ソックスは踝までの、ブルゥのラインの入った折り返しのある物で、ズボンと同じ色の皮靴を履いていた。ラジニ少年の癖のある柔らかそうな髪と、真ん丸なびっくりしたような大きな目は、彼の純粋さをよく表していた。

 私の隣に立つ少年の方はと言えば、小生意気そうな顔付きをしている。私は、口調はやんわりと嗜めるように、

「こらこら、小さな男の子をからかったら、駄目だろう」

 と言って、イリスの頭を指で軽く小突いた。私の言葉に、イリスが目を大きく見開いて、

不貞腐れる。

「僕だって、小さな男の子さ」

 それも確かにそうだと、私は納得する。講義室の開いたままの扉から、廊下を歩いている二人の背中が見える。私は、ラジニ少年の方を見たままイリスに、聞いてみた。

「友達になれそうかい」

 彼ならイリスの、いい友達になってくれるだろう。イリスには私や教授以外の、同じ年頃の友達が絶対に必要なのだ。イリスは、私の質問に短く「ま、ね」とだけ言った。

 イリスの透明なサファイヤの瞳は、磁石に引きつけられる鉄のように、ラジニ少年の背中だけをずっと見ている。

 そんなイリスの手には、何かを包んだ小さな包みが、しっかりと握られていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ