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第一章 少年魔術師と『七つ鐘の願い事』(3)



「で? 結局成果ゼロ、と……いうことなのかな」


 魔術師組織ヘテロダイン。

 そのアジトの奥深く――ボスの部屋にて、香月と女性が話していた。

 女性の名前はユウ・ルーチンハーグ。ヘテロダインの代表であり、現時点で最強の魔術師である。


「あなたがそう言うきもちも解る。けれど、何も残っちゃいなかった。魔術回路を解析した跡もあったし、食い散らかされていた。まるでバケモノが食べたかのように……」

「人間を食べる魔術があるとでも?」

「不可能じゃないだろ。魔術は自分で開発可能だ」

「それは倫理的な観念によるものだけだ」

「人を業火に燃やすことの、どこが倫理的だ?」


 シニカルに笑う香月。

 それを見たユウはワインを一口。

 少しほろ酔いになっているようだ。


「それは確かにそうだがぁ……」


 正直、香月からすればほろ酔いの彼女を見ることは珍しいことでは無かった。もっと言うならば、それが普通であり、彼の日常にも近いものだった。

 大抵こういう時は、ユウの虫の居所が悪いときである。だから何も口を出さないほうがいい。それが、どれほど理不尽なことであっても。


「……なあ、香月クン。膝枕してくれないか?」


 唐突だった。

 あまりにも唐突過ぎた。

 なぜ突然膝枕を言い出すのか――彼には理解できなかった。

 しかし機嫌が悪いときの彼女を敵に回したくない。瞬時にそう思った彼はそれに従った。


「いいですよ」

「おお、言ってみるものだね。では、遠慮なく」


 椅子を並べてベッドめいた雰囲気を醸し出し、そのままごろ寝をするユウ。もちろん枕は香月の膝である。


「おお、意外とふかふかだな。男性の膝はごつごつしているから膝枕に向かないと聞いたことがあるが」

「そういうのは噂の範疇に入るんじゃないんですか? でも、膝枕は女性にして欲しいものっちゃそうですけど」

「それじゃ、してみるかい?」


 起き上がり、香月の方に顔を向けるユウ。

 香月とユウの顔が僅かに縮まる。

 ユウは少し席を移動して、ちょうど香月が横になれるほどのスペースを確保する。


「ほら」


 膝のあたりをポンポンと叩いてユウは言った。



 ――誘っているのか?



 なんてことは、きっと普通の男子学生ならば思うだろう。香月もまた、塁に漏れなかった。

 香月は最初、躊躇した。女性の膝を枕にするなんて、男子中学生の夢と言っても過言ではない。実際問題、そんなことをしてもらえる関係に至る女性が居ないというのも事実だろうが、膝枕は男子中学生の、いや、男性の夢の一つだ。

 だから香月は躊躇した。そんな経験なんて一度も無かったのだから。

 でも、彼はそれを実行しようと思った。今やらないでいつやるの? と某予備校教師の声が聞こえてきそうだが、そんなことはどうだっていい。

 ゆっくりと、彼はその頭を下降させていく。その目的地は、ユウの膝。軟着陸する形で彼女の膝に滑り込む。

 初めに感じたものは、彼女の体温だった。それから僅かに遅れて適度についた肉の柔らかさ。そして彼自身が感じるのは幸福感だった。

 女性の膝を、豪華にも贅沢にも枕にしているということ。それは彼にとってとても至福なことであった。


「いいだろう? それでいて、素晴らしいだろう?」


 素直に頷く香月。

 膝枕がこんなに素晴らしいものだとは、彼も知らなかった。


「どうだい、膝枕の素晴らしさを君も再確認出来たのではないか?」

「……ああ。すごいよ、膝枕ってこんなにすごいんだということ」

「君の辞書にはきっと、膝枕という単語は登録されていなかっただろうからね。だったらこのタイミングで登録しておこうと思ったわけだよ」

「……一応聞いておくが、それをした意味は」

「無い」


 即答だった。


「別に意味のない物事はしたがらないという、効率の良さを追求する性格でも無いだろう? 現に膝枕を受けた時点で、ね」

「それは……確かに……何ら間違っていないが……」

「ほうら、ならば何の問題も無いということだ! 私が君のことを、あんなとこやこんなところまで触ってもね!」


 それはもはやセクハラじゃないのか……? と香月は思ったが、口を出さずにいた。今はただ彼女のご機嫌取りをしないと、何もできないのだから。

 これは、ヘテロダインに所属する魔術師が抱える数少ない悩みの一つだった。

 さて、そろそろ普通に作戦会議を続けなくてはならない。


「問題になっているのはあの魔術師……人間を喰ったように見える、だと? そんなことが実際にあり得るのか……」

「恐らくそうだと思う。だが、肝心の情報は警察が持って行った」

「警察が? ……ああ、最近新設されたという魔対課か。警察も大変なことだ。我々に任せておけば、組織間で解決できるというものの」

「そううまくできなくなったのではないか? あとは国が魔術師という資源をコントロールしたかったとか」

「それは正しいだろうね。実際問題、魔術師のことは魔術師に任せておけばいいものを。どうやら国の犬になってでも魔術師稼業を続けたい人間が居るらしい」


 ユウはテーブルの上に置かれていた写真を手に取る。


「それは?」

「私が何もしないでここに居ると思っていたのか? これは魔対課に所属している魔術師の写真だよ。……どうやら全員が魔術師というわけではなく、魔術師に理解のある人間が大半を占めているらしい。そして、現に魔術師となっているのはたった一人だけ。こいつだ」


 ユウが差し出した写真を、香月は受け取る。

 そこに写っていたのは、若い刑事だった。髪は黒、全体的に整った顔立ちの青年だった。


「何だ、もっと年齢を重ねた人間だと思っていたが……。けっこう年齢が近いのか?」

「二十三歳。警察に入って一年目の、新人もいいところだ」

「ふうん……。童顔だな」

「それは私も思っていた。だから二十三と聞いて正直驚いたよ。だが、こいつは侮れないぞ、調べたらランキング十五位の重鎮だ。ランキング四位になっている君からすれば、雲泥の差と言うかもしれないがね」

「十五位? そんな実力を持っている魔術師を、組織が捨てたのか?」

「ヘテロダインだったら金を多く払ってでも引き止めるだろうけれどね。だが、あいにく彼の所属していた組織はホワイトエビルによって壊滅させられた組織、その一部だ。彼は組織壊滅後、別にほかの組織に所属することなくフリーで活動していたらしいが、魔対課の設立に伴い警視庁に就職したらしい。もともと頭もよかったのだろう」

「どちらにせよ、警視庁……ひいては政府に媚を売ったから、魔術師組織からは嫌われている、という考えでいいのか?」

「間違ってはいないね。寧ろその通りだ。そこまで理解してくれるのであれば、これからの任務もやりやすいだろうね」

「任務?」


 香月は身体を起こし、ユウに訊ねる。


「僕はついさっき任務を終えたばかりだぞ」

「任務は失敗したでしょう。それに、その任務も空港に行ったら既にもう終わっていたのだから。……だから、ちょうど来ていた新たな任務を引き受けてほしい、ってわけ」

「そうだな。それもそうだな。……解った。で、何をすればいい?」

「話が早くて助かるわ。今からして欲しいことは、ある人物とのコンタクト。私はあまり会いたくないのだけれどね……。とにかく、先ずは彼に会って、情報を得てきてほしい」

「まさか……」

「ええ」


 ユウは頷く。


「あなたにあってきてほしいのは、今写真を見せた魔対課の刑事。その名前は高知隼人。一応言っておくけれど、警視庁にコンタクトなんて取っていないから、そこはあなたに任せる。とにかく出会って、情報を僅かでもいいから得てきてほしい。任せたわ」


 そう言ってユウはワイングラスに残ったワインを飲み干すと、そそくさと出ていった。その足取りは軽く、未だほろ酔い気分のままらしい。

 それを見送った香月は一つ大きな溜息を吐いて、椅子から立ち上がった。


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