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第三章 少年魔術師と『幽霊少女、四谷さん』(2)

 そう言ってナナはゆっくりと歩き始める。

 扉は彼女が近づくと同時に両側にスライドして、開く。

 そしてそのまま彼女は部屋を出ていった。

 彼女が出ていって――正確には彼女の気配を感じなくなって、漸く男は溜息を一つ吐いた。

 そもそも、男とナナには何の面識も無かった。ただ、この世界に居る、組織に所属するのを嫌う、強い魔術師を集めてほしいと声をかけたところにより集められた、ただの駒に過ぎなかった。


「羽田野ナナ、か……。自分を大人と思い込んでいるようだが、あれはダメだ。感情や言動が子供のそれと変わらない」


 呟くように、彼は羽田野ナナの評価を開始する。

 そこに誰かが居るのか、男は知っているようだった。

 男の話は続く。


「羽田野ナナ……しかしこの若さでこれほどまでの魔術師はいませんよ?」


 声が、帰ってきた。

 男の声とは違う、もう一つの声だ。

 仮にそれを(シャドウ)としよう。

 影は男の背後に張り付くように、立っていた。


「……そう言ったのは確かに君が推薦したからだ。でも、実際に来たのは見当外れだ。ただの幼児体型じゃないか。魔術は少し使えるようだが、先ほどの話を理解したようにも思えないし……」

「一応、あの子のサポートをしてあげると、君の話は難しすぎて、一度そちらの学問を齧っていないと理解するのは難しいと思うよ? 君は学者だったから、そんな発言が出来るのかもしれないけれど」

「難しい、かい?」


 男は微笑み、首を傾げる。

 影はそのことがいつも通りだと認識して――小さく溜息を吐いた。


「難しいだろうねえ。あとの魔術師も若い魔術師ばかりだ。そんな小粒ばかりで青行灯を復活させた後の世界を統治できると思っているのか?」


 その言葉を聞いて、彼は眉をひそめる。


「……まあ、いい。次の魔術師に期待したまえ。彼女はかの有名な魔術師、鄙方英治の娘だぞ?」

「そのヒナカタとやらは強いのか?」

「ああ、強いよ。兄は剣道の達人とも噂されているが……性格がダメだ。

自分のやりたいことしかやりたがらないし、そもそも外に出たがらない。ニートというやつかな? そういう部類に入っていたはずだ、彼女の兄……鄙方凛は」

「ふうん。……だが、そんなことはどうでもいいよ。強ければ、なんだって構わない。構わないのだよ」

「強ければ何だっていい、と思うのは別に構わないが……しかし、さすがにそれだけで決定しているわけでも無いだろう?」

「それは当然だ。ある一定の水準をもって決定している。そうでなければ誰も通らないよ。それくらい僕でも解っている」

「……ほんとうか?」

「ああ、ほんとうだよ。それに、彼女も別に僕はいいと思うけれど? そのために組織に呼び寄せたのだから」

「彼女……ああ、羽田野ナナのことか。羽田野ナナについてはほんとうにあれで構わないのか? あれはあれでけっこう手懐けるのが大変だぞ」


 それを聞いて男は笑った。


「何がおかしい?」

「いいや、別に。……そうだ、君の質問に答えよう。別に、僕は彼女を手懐けようなんて思っちゃいないよ。いい手駒として使おうと考えているだけさ」

「それが手懐けるという意味と同義だと言っているのだよ」

「そうか? ……いや、そうだったかもしれないな。どちらにせよ、仲間は多くあったほうがいい。それは君だって解るだろう?」


 コクリ、と影は頷いた。


「そうだろう、そうだろう。だから僕は活動しているのだよ。仲間を、同じ意志を持つ仲間を探している。真の仲間を求めている」

「真の仲間、ねえ」

「さて、次の人間を呼んできてくれないか。差し詰め、これはオーディションになっているということだ」

「差し詰め、というかまさにその通りだよ。これはオーディションだ。それ上でもそれ以下でも無い」


 そして、男と影はオーディションを再開する。

 世界を変えるかもしれない新たな可能性にかける魔術師と、世界を変えるための仲間を求める魔術師。

 彼らが本格的に動き出すのは、少しだけ後の話になる。



 ◇◇◇



 木崎市中心部にある一軒家に住むニート、一之瀬トーナの朝は早い。

 朝五時に起床し、未だ誰も起きていないうちに入浴を済ませ、すぐにパソコンに向かい、大型掲示板へ向かう。そして、顔も名前も知らない人とデットヒートを繰り広げる。それを八時まで続けたところで、彼は部屋を出る。

 廊下に置かれている朝食を部屋に入れて、朝食をとる。

 今日のメニューはトーストとポーチドエッグ、それにベーコンである。少々温めのコーヒーもあるのは、彼が猫舌だということを母親が理解しているからだ。

 彼は好きでこんなことをしているわけではない、と思っていた。

 ニートであることは、社会的にも自分的にも宜しくないことだということは解っていた。

 けれど、何故だか働く気にはなれなかった。

 家族には申し訳ないと思いながらも、働こうとは思わなかった。

 始まりは五年前。彼が中学生だった時の頃の話である。

 中学校教諭が主催した、魔術に関するイベントの時のことだ。

 その頃、魔術は人々の興味の対象にあり(現在もそうだが)、こういうイベントを開催するのが許容されていた。

 彼も、そのイベントに参加していた。

 その時に居た魔術師が、彼を指差し言った。



 ――お主には魔術の才能がある。



 それと同時にコンパイルキューブなるものを十五万円で売りつけようとしたので、彼の親が必死で制した。

 だが、中学生の彼にとってその言葉は嬉しかった。自分の存在意義を見出したような気がしたからだ。

 そして彼は魔術師になろうと決意したが――現実はそう甘くは無かった。

 ノックの音が聞こえ、彼は現実へと帰還する。

 母親の声がドア越しに聞こえた。


「それじゃ、お母さん仕事に行ってくるから……」

「ああ。行ってらっしゃい」


 一言、無造作に母親に投げつけて、彼は作業を再開する。

 母親が階段を下りていく音を聞きながら、彼はパソコンの画面と再び向かい合った。

 その時だった。


「一之瀬トーナだな?」


 背後から声が聞こえた。

 彼は振り返る。

 そこに立っていたのは、黒いヘッドフォンのような耳当てを付けた少女だった。髪は鮮やかなオレンジ、サイドテールが背中まで伸びている。黒のTシャツとジャージという非常にラフな格好だ。

 だが、それよりも。

 どうして彼女はトーナの部屋に居るのだろうか?


「あ、あんた……。どうやってここに入ってきたんだよ?」


 震える声で、トーナは訊ねる。


「強い魔術師の力を求めてここまで来たのだけれど……、まさかあなたがその魔術師なわけ?」


 質問を質問で返す、邪道なことをした少女は勝手に部屋を回り始める。


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